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ゲイムマンのダイスステーション
 
日本縦断ゲーセン紀行
 
11.ゲイムマン故郷へ帰る〜道南編(2)〜
 
 
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
 「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
 (ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
 この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
 (先週までのゲーム路銀 \690)
 
 
 |  | 2002年6月2日、雨。 | 
 
マックで朝食の後、駅に着いたら9時57分。今日は苫小牧に向かうことにする。次の上り電車は、快速エアポート。
 もちろん新千歳空港行きなので、苫小牧を通らない。
 でも、苫小牧行きの電車が当分来ないようなので、
 途中駅の南千歳で、乗り換え列車があることを期待して、
 10時9分の快速エアポートに乗ってみた
 (ゲーム路銀 \690-\620=\70)。
 
南千歳から、10時19分に函館行きが出る。ただし、これは特急北斗。
 特急料金を出すと、またマイナスに転落なので、1本待って、
 次の34分の普通列車に乗ることにする。
 結局、千歳で待つのと同じことになった。
 南千歳から先は、1時間に特急が1本、普通が1本というダイヤだったのだ。
 
広い待合室で、缶コーヒーを飲みながら待つ。札幌行きの寝台特急・北斗星3号が止まって、また出ていった。
 
 
 |  | ようやっとお目当ての電車が来た。 出発!
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右手の車窓に空港。飛行機が止まっているのが見えた。
 
 | あとは森。 美々(びび)駅に止まるが、ここも森の中。
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森の次は畑。牧場もある。そんな景色の中の植苗駅。その後、木々の間から、ウトナイ湖畔の湿地帯が垣間見える。
 湖そのものは見えない。
 沼ノ端駅の周りは住宅地だった。
 相変わらず雲は厚いが、その中から日が差してきた。
 左手にコンテナが立ち並ぶ。
 10時58分、終点の苫小牧に到着。
 
実はこの苫小牧は、私の故郷なのである。18年ぶりの帰郷。
 意気揚々と自動改札に切符を入れたらいきなり閉まる。
 故郷は私を受け入れてくれないのだろうか?
 
 | 〜南千歳〜美々(びび)〜植苗(うえなえ)〜沼ノ端(ぬまのはた)〜 苫小牧(とまこまい)
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 |  | 苫小牧駅。 私が小学6年のときに改築されて、
 3階建ての中途半端な駅ビルになっていたのだが、
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 | 18年ぶりに来てみると、 隣のダイエー/サンプラザ(写真)をはじめ、
 長崎屋、家具の長谷川、
 そして当時はなかった丸井今井とも連絡通路でつながって、
 一大デパート街の中核となっていた。
 このほかにも、連絡通路はないものの、
 長崎屋の向こうにイトーヨーカドーがある。
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 |  | 苫小牧は、スケートの盛んな町である。 私が小学生の頃は、
 冬場の体育の授業は必ずスケートだった。
 駅前にはスケートの3競技、
 フィギュア、ホッケー、スピードの像が立っていた。
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現在、雨がやんでいる。やんでるうちに、ウトナイ湖へ行こうと思ったが、
 バス乗り場がどこかわからず、うろうろする。
 ようやく、サンプラザの前にあるのに気づいたのが11時40分。
 45分発の新千歳空港行きバスに乗る。
 バスは新しいもののようで、
 大分県を走る特急「ゆふいんの森」に似た緑色をしている。
 (ゲーム路銀 \70-\390=-\320)
 
バスの窓から見える街並みは、ほとんど記憶にない。だいいち、立ち並んでいる看板は、当時なかった企業のものばかり。
 コスモ石油、エネオス、ぷらっと、ジブラルタ生命、NTTドコモ、……。
 そもそも、NTT自体がまだなかったか。
 セブンイレブンや吉野屋も、昔の苫小牧にはなかったような気がする。
 
 
 | 12時13分、ユースホステル入口で下車。 ネイチャーセンターを目指して歩く。
 途中、「キツツキの小径」と名づけられた
 細い道を通って進む。
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 |  | 12時30分、ネイチャーセンター着。 ウトナイ湖といえば、バードサンクチュアリに
 指定された湖として知られているが、
 この建物は、野鳥観察用に建てられたもの。
 中はきれい。
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 | ズボンに木の枝がくっついていたので、払おうとしたら、 突然その枝が、ひとりでに、くにゃっと曲がった。
 パニクる。
 枝だと思っていたものは、シャクトリムシだったのだ。
 いったん建物の外に出て、木の枝に移すことに成功。
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 |  | ネイチャーセンターの2階から見た ウトナイ湖。
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 ウトナイ湖ネイチャーセンターのホームページ(日本野鳥の会)| さすが、ラムサール条約に指定されているだけあって、 湖には白鳥の姿があった。
 館内の望遠鏡で見ると、表情まではっきり見えたのだが、
 私のカメラで撮るとこんな感じ。
 私も何で望遠レンズを持ってこなかったんだろう?
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ネイチャーセンターを出て、湖畔に行ってみた。また雨が降ってきた。
 風も強くて、傘をさしづらい。
 
 
 |  | トンビが1羽、こっちに近づいて、 その姿を鮮明に見せてくれた。
 ここを去る私を、見送りに来てくれたのか。
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雨がまたやんだので傘を閉じたら、傘にまたシャクトリムシが。今度は緑色の虫。
 国道36号線を目前にしていたが、少し戻って、近くの木にシャクトリムシを移す。
 国道に出て、バス停はどっちだろうと見回したとき、
 バスが通り過ぎていった。
 
バス停到着、午後1時31分。時刻表を見たところ、あと2分早かったら、今のバスに乗れていたようだ。
 シャクトリムシさえくっつかなかったらあるいは……。
 次は2時4分。33分待ちだ。
 
歩いてたときはそうでもなかったが、待ってるうちに寒くなってきた。次々と頭上を飛んでいく飛行機が、雲間に見え隠れ。
 三たび降り出した雨は、時間が経つにつれて、どんどん激しくなる。
 
 
 | バスは定刻どおりにやってきた。 (この写真は、反対側に来た、
 新千歳空港行きのバスを撮ったもの)
 ゲーム路銀 -\320-\390=-\710
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2時32分、苫小牧駅に戻ってきた。ゲーム路銀もマイナスになったので、駅前のデパートを巡って、
 ゲームコーナーを探すことにしよう。
 
まず、体が冷えてるし腹が減ってるので、ゆっくり腹ごしらえを。ストリートミュージシャンのいる連絡通路を渡って、
 長崎屋のびっくりドンキーでハンバーグを食べる。
 
長崎屋の3階に、広いゲームコーナーがあった。プリクラ系が全スペースの半分を占めている。
 メダルゲームが半分弱、その隅にちょこんとアップライト機のスペース。
 これまで回ったほかの町のゲーセン同様、対戦格闘ものがここでも中心。
 とりあえずプレーはせず、他店も回ってみよう。
 
 
 |  | 対岸の長谷川に渡ったとき、長崎屋の建物から、 量産ザクのようなチューブが出ているのに気づく。
 かつて『ファミ通』で取り上げられたことがある、
 屋内遊園地が、以前ここにあったのだろうか?
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長谷川はインテリア専門店だったが、2階のキャッツアイという店に、カラオケ、ボウリングとともに、ゲームコーナーがあった。
 真ん中に立つと、四方の壁がまったく見えないほどの広さ。
 アップライト機はオール\50だった。
 普通にゲームをするならありがたいが、ゲーセン紀行ではありがたくない。
 ひとまず場所替え。
 
チューブが内部でどうなっているかを確かめたくなって、長崎屋に戻る。しかしパーティションがあって、入れなかった。
 隣はさっきのゲームコーナーと、やけに天井の高いバッティングセンター。
 このスペースが遊園地だったのかもしれない。
 
イトーヨーカドーも見たが、ゲームコーナーはなさそう。それにしてもこのあたりは昔、ヨーカドーと長崎屋のほかは、
 原っぱか何かだったような記憶がある。
 変われば変わるもんだ。
 
ダイエーへ移動。『スペースインベーダー』がブームだった頃(1978年)、
 私はここのゲームコーナーで、2、3回プレーしたことがある。
 その少し後だが、おもちゃ売り場にはカセットビジョンがあって、
 プレーできるようになっていたことを覚えている。
 毎週のように自転車でここまで来て、
 ロボダッチのプラモデルを買っていたことも覚えている。
 
18年ぶりのゲームコーナーに、当時の面影はもちろんなかった。プライズ、メダル、大型筐体、対戦格闘。
 メダルものが多いのが、苫小牧のゲームコーナーの特徴か。
 ソフトクリームを食べながら、W杯のアルゼンチン−ナイジェリア戦を見る。
 しかし5分ほどで試合終了。1-0でアルゼンチン。
 
おもちゃ売り場に行ってみると、子供たちがXBOXをプレーしていた。売り物こそ変わっても、風景は案外変わっていないものなのかもしれない。
 昔より売り場が狭くなった気がするが、
 プラモデルが別のスペースに移ったからか。
 店内BGMが、最新ヒット曲のインストゥルメンタルというのも、
 18年前から変わっていなかった。
 
5時ちょうど、ホテルにチェックイン。『笑点』を見るなどして1時間ほど休み、6時に再び街へ出る。
 
 
 | 仏具屋、写真屋など、記憶のあるお店が残っていたが、 一方、当時のメーンストリートには、
 風俗店が増えていた。
 昔、ゲーム&ウォッチを買ったおもちゃ屋も、
 あったはずなのだが見つからない。
 18年の間に、街の中心が駅前に移り、
 駅前にすべてが集約されたようだ。
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 |  | 消えたものがあれば、新しく来たものもある。 96年に、東京の「紙の博物館」からやってきた、
 王子軽便鉄道の車両。
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 | 駅前にたどりついた頃、日が暮れてきた。 写真右の建物が駅、左奥が長崎屋。
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夕食は、こちらも新しくできた、ホテルグランドニュー王子にて。最上階のレストランで、コース料理を食べる。
 窓から港が見えた。市街地がこんなに海に近かったことを初めて知った。
 
ホテルに戻ったのは8時30分。ちょうどスペイン−スロベニアが始まった。(3-1でスペイン勝利)
 現在のゲーム路銀-\710
 
 
苫小牧観光協会
 
 
 
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 道南編(3)」では、引き続き、ゲイムマンの故郷から。
 
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