ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

238.崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真
〜京都編(4)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,030


京都('21.12.16)

2021年12月16日。9時起床。
6時間寝られた。というか、午前3時に眠くてどうしようもなくなってた。
「ジャニーズ事務所がゲーム関係のYouTubeチャンネルを開設する」という
ニュースを見て、朝から喜ぶ。

昨夜コンビニで買ったメロンパンを食べ、出発。
久々に感じる旅行3日目の疲れ。
出発が遅くなった上に、Suicaを忘れてきたことに駅で気づいて、かなりヘコむ。

11時13分発、地下鉄烏丸線・国際会館行きに乗る。
22分、今出川着。

今出川

同志社大学前から、今日のスタート地点・白峯神宮へひたすら歩く。

白峯神宮に到着。

白峯神宮は1868年(慶応4年)、明治天皇が創建。
讃岐に眠る崇徳天皇と、淡路に眠る淳仁天皇の御霊を迎えて、ここにまつっている。
もとは蹴鞠(けまり)の宗家である飛鳥井(あすかい)家の屋敷があった場所。
詳しくは前回を参照。(237.東寺で弘法大師に開運祈願

昨日は気づかなかったが、地主社の前に、昭和天皇御手植えの松があった。

昨日ひと通り見て回ったので、
今日はお参りに集中できる。
本殿に参拝。

蹴鞠にちなんでか、
鈴は紐につながっていない
「鞠の鈴」だった。
持ち上げて振って鳴らす。
重さの異なる2種類がある。

讃岐を舞台としたゲームを出すことと、
その中に崇徳天皇を登場させることの許可を得たいとお願いした。

地主社(じしゅしゃ)にも参拝。
飛鳥井家が守護神として邸内にまつっていた、
精大明神などをまつる。

地主社の社殿には、
日本サッカー協会が奉納した
歴代ワールドカップ公式球をはじめ、
さまざまな球技のボールが納められている。

社務所の横には、
さらにいろんな球技のボールが。
野球、ラグビー、ゴルフ、バレーボール、
バスケットボール、ハンドボール、
そしてセパタクロー。
翼くんが描かれた、
高橋陽一先生奉納のボール
もあった。
(写真上段右から2個目)

白峯神宮が、球技の神様・勝負の神様として知られているのは、
蹴鞠の飛鳥井家の守護神である、精大明神がまつられているから。
……なんだか、主祭神の崇徳天皇・淳仁天皇の影が薄い感じがする。
もっと、この2人の天皇のことも、知られるようになってほしい。
……と言いつつも、私も地主社にゲームのヒットを祈願する。

源為義公・為朝公をまつる伴緒社(とものおしゃ)、
1955年(昭和30年)の御火焚祭で、炎の中に出現した龍神をまつる潜龍社にも参拝。

お守りをお受けする。
あれこれ迷った末に、守り矢(必勝祈願)、祈星守、闘魂守、絵馬。

白峯神宮のサイトでは、守り矢は破魔矢のこととされているが、
破魔矢は守り矢とは別に存在する。
弓矢の名手である、鎮西八郎こと源為朝公(保元の乱で崇徳天皇を守って戦った)が
伴緒社にまつられているから、矢にまつわるお守りが多いのだろう。

祈星守は、精大明神が七夕の神とされていることに由来するものだろう。
毎年7月7日に、精大明神例祭が行なわれる。

闘魂守は、白峯神宮を象徴するお守りと言えよう。
公式サイトでも「我が国唯一の『闘魂守』」とうたわれていて、
カラーバリエーションが多く、形も角形と丸形の2種類ある。

ただ、角形のお守りには「球技」と明記されており、
丸形のものにも、台紙に「スポーツ上達」と書かれていて、
スポーツではない勝負事に挑む場合に、お受けしていいものか、ちゅうちょする。
でもせっかく白峯神宮まで来たからには、
アントニオ猪木さんじゃないけど、闘魂注入してほしい。
赤い丸形の闘魂守をお受けする。

天の川が描かれた、まん丸い絵馬の裏に、
願い事を書いて奉納した。

「現在製作中の、香川県を舞台にした
ゲームソフトが、無事完成して
ヒットしますように。
崇徳天皇の御事績と悲劇を、
より多くの方々に知って頂けますように」

※おととい訪れた安井金比羅宮でも同じミスをしたが、
絵馬に自分の名前を書くことをすっかり忘れていた。
このミスは、この後訪れる神社でも、やらかすはめになる。

白峯神宮

12時36分、白峯神宮を後にする。
少し西にある堀川今出川交差点から、少し南へ進むと、

堀川という細い川が現れた。

木々に覆われて、川はよく見えない。

と思ったら、その先の児童公園のあたりでいきなり、
川のすぐ横を歩ける道が現れた。

次の橋を境に、しっかり護岸工事が行なわれた
現代の川となった。

前に一度来たことがあるから知ってるけど、
この橋があの一条戻橋。

平安時代の武将・渡辺綱は、この橋の上で、女に化けた鬼に襲われて
さらわれそうになったが、鬼の腕を「髭切の太刀」で斬り落として事なきを得たという。
綱はこれより前に、源頼光の家臣・頼光四天王の一人として、
大江山の酒呑童子退治に加わっていた。
戻橋で綱を襲った鬼は、酒呑童子の配下で、唯一脱出に成功した茨木童子だとされている。

またこれとほぼ同じ時代、陰陽師・安倍晴明が、橋のすぐそばに住んでいた。
伝説では、晴明は式神という鬼たちを召使いにしていたが、
晴明の妻がその姿を怖がったため、式神を戻橋の下に住まわせていたそうだ。

堀川は近年の下水道整備で、いったん水無川となっていたが、
環境整備が行なわれ、2009年(平成21年)から再び水が流れるようになった。
この川が、数々の伝説の残る地とは思えない、明るい雰囲気なのはそのためらしい。
現在の戻橋は、堀川が水無川だった1995年(平成7年)に架け替えられたもの。

今日は晴れてるから、
橋の下には一応影があるけど、
今のこの明るい橋の下に、
式神さんを潜ませておくのは難しいだろう。

この雰囲気だと、安倍晴明じゃなくて、
『豪血寺一族』の矢部野彦麿が出てきて、『レッツゴー!陰陽師』を踊り出しそうだ。

余談だが、『豪血寺一族』シリーズについて、かなり昔に私が書いた記事がある。
一条戻橋に初めて来たのはこのとき。
“レッツゴー!陰陽師”へ至る道のり「豪血寺一族」

戻橋を渡る。
向かいのビルの高さが揃っている。
前に来たとき、このことが印象に残った。
建物の高さ制限が厳しい京都らしいと感じた。

このあたりが、かつて安倍晴明の屋敷があった所らしい。

一条戻橋・晴明神社前

一条戻橋から少し北へ戻る。
安倍晴明の屋敷跡の一部に、
晴明神社がある。
「一条戻橋・晴明神社前」バス停には、
瓦風の屋根や、
陰陽五行の色のラインといった、
凝った装飾が施されていた。

鳥居の扁額に掲げられた五芒星が目立つ。
安倍晴明が使っていた紋で、
「晴明桔梗(ききょう)」とよばれる。

紅葉がきれい。
狛犬がでかい。

1922年(大正11年)から
1995年(平成7年)まで使われていた
一条戻橋の親柱と、式神さんの像。

細い道を横切って次の鳥居へ。

安倍晴明が住んでいた頃、屋敷の門は、人の目に見えない式神が操作していて、
ひとりでに開閉したように見えたという。
この伝説に基づいて、鳥居の奥にある門は、自動ドアになっている。

晴明が湧き出させたという「晴明井」。
晴明桔梗をかたどった水の湧出口は、
回転するようになっていて、
毎年立春の日に動かされ、
その年の恵方に向けられる。

ただし現在はコロナ禍のため、
手水舎ともども水が止められている。

桃山時代になると、この場所は千利休の住居となった。
利休も晴明井の水を使っていたといわれる。

晴明井の手前の地面に、
北斗七星が描かれている。

1905年(明治38年)に建てられた、
本殿に参拝。

晴明神社は、一条天皇の命により、1007年(寛弘4年)に創建された。
安倍晴明が亡くなってからわずか2年後である。

本殿の前、向かって左に、
安倍晴明公の銅像が建つ。

向かって右には「厄除桃」。
なでると厄が落ちるらしい。
手袋つけたままなでたけど、効果はあるだろうか?

見落とすところだったが、
足元に九字紋が埋め込まれていた。
臨兵闘者皆陣列在前と唱え、
手を縦横に動かして空中に線を描くあの形だ。

三重県の鳥羽・志摩の海女さんは、晴明桔梗と九字紋を並べた紋様を
「セーマンドーマン」あるいは「ドーマンセーマン」と呼び、魔除けとして使うらしい。
セーマンは晴明がなまったもの、ドーマンは晴明のライバルだったとされる
蘆屋道満の名前をとったのではないかといわれている。

晴明神社

安倍晴明は平安時代の陰陽師としてよく知られているが、
その生涯は数々の伝説に彩られており、実際の晴明については謎が多い。
晴明神社では、孝元天皇の皇子・大彦命の後胤と紹介しているが、
これは安倍氏の先祖が大彦命とされているからで、安倍氏の中での系譜は諸説ある。
長きにわたり朝廷に仕え、特に60代頃からは、
花山天皇や一条天皇、そして藤原道長から信頼を得て出世する。

出生地についても諸説ある。有名なのは大阪の阿倍野出身説で、
阿倍野の生誕地とされる場所には現在、安倍晴明神社が建っている。
ただしほかにも、安倍文殊院がある奈良県桜井市説や、茨城県筑西市説、
そして香川県高松市香南町説(高松空港近く、冠纓(かんえい)神社のあたり)がある。

香川出身という説があることから、
私が今作っているゲーム『香川県からの脱出』の中で、
晴明公にご登場願いたいと考えている。

晴明の母親は、今の大阪府和泉市にある、
信太(しのだ)の森の狐だったという伝説がある。
大阪市阿倍野の安倍晴明神社に、晴明の銅像が建っているが、
そのかたわらに小さな狐の像があるらしい。

左の壁に10枚のパネルがあり、
晴明にまつわる伝説が、
イラスト入りで紹介されていた。
信太狐の伝説も含まれている。
そのほかには、例えばこういう話がある。

藤原道長が、自ら建立した法成寺に入ろうとすると、連れてきた犬に引き留められた。
道長に呼ばれて来た晴明は、道路に呪いの道具が埋まっていることを見抜く。
蘆屋道満が道長を呪うために埋めたものだということが後にわかった。

三井寺の智興という高僧が、病で危篤になった。
弟子の証空が、身代わりになりたいと申し出たので、晴明は術を施した。
智興は快方に向かう。同時に証空が苦しみだしたが、
信仰していた不動明王が身代わりになり、証空も助かった。

(ちなみにこの後、不動明王が死者として縛られた状態で冥土へ向かうが、
閻魔大王がそれを見て驚き、急いで縄を解いて、お帰り頂いたという)

渡辺綱が一条戻橋で鬼(一説に茨木童子)の腕を斬ったときも、
その腕をどうするか、晴明に相談している。
晴明の言葉に従って、綱は7日間、家に誰も入れなかったが、
綱の母(または伯母)に化けた鬼が綱の家に入り、腕を取り戻して空へ消えていった。

晴明神社のサイトにも、これらの伝説は掲載されている)

安倍晴明が式神という鬼たちを召使いにしていた
という話は前にも書いたが、
『今昔物語集』には、香川県に関連する、こんな話もある。

晴明が讃岐にいた際、式神にたいまつを持たせて夜道を歩いていたら、
善通寺の門前でたいまつの火が消えてしまった。式神が逃げたのだ。
寺を通り過ぎたら式神が戻ってきたので、なぜ逃げたかを晴明が問いただしたら、
山門の扁額は弘法大師が揮毫(きごう)したもので、
四天王が守護していたので近寄れなかった、と式神が弁解したそうだ。
(善通寺は弘法大師・空海の生誕地とされる)

本殿のすぐ横ながら目立たない所に、末社の齋(いつき)稲荷社がある。
晴明は稲荷神の生まれ変わりとする説があるそうだ。
母親が信太狐という伝説とも関係がありそうだ。

絵馬舎の壁に、顔はめパネルがある。
私が以前来たときには、
なかったような気がする。

晴明神社

お守りをお受けする。多くの種類がある中から、
右肩上がりの矢印が描かれた向上守、
太極図の描かれた、縁結びの陰陽守、
集中力を高める、みずかがみ守を選んだ。
そして五角形の絵馬も。

白峯神宮に続いて、
こちらでもゲームのヒット祈願。
安倍晴明香川生誕説は、
あくまで一つの説なので、
絵馬ではそのことに触れなかった。

(※安井金比羅宮、白峯神宮に続いてここでも、
絵馬に名前を書き忘れるという痛恨のミス)

絵馬舎には、有名人の絵馬が多数掲げられていた。
特に、安倍晴明をテーマにしたプログラムを演じ、
平昌五輪で金メダルを獲得した、羽生結弦選手の絵馬が目立つ。
また、そのプログラムでサントラが使われた、映画『陰陽師』関係者の絵馬も。

羽生結弦選手は、
先ほどのみずかがみ守を持っているらしい。

絵馬舎とは別の、普通に絵馬を掛ける場所に移動し、自分の絵馬を掛けた。
羽生選手の怪我の回復を願う、ファンの方々からの絵馬が並んでいた。

(※この時点で羽生結弦選手は、北京オリンピック出場も危ぶまれていたが、
全日本選手権で優勝して出場権をつかむ。
北京でクワッド(4回転)アクセルに挑戦。残念ながらこのジャンプは転倒したものの、
ネイサン・チェン、鍵山優真、宇野昌磨に次ぐ4位入賞となった)

授与所とは別に、神社公認のグッズショップ「桔梗庵」があった。
五芒星の根付などを購入。スマホが普及したから、
こういうグッズはもう「ストラップ」とよばなくなったのだろうか?

観光地の土産物屋によくある開運ストラップもあったが、
こういう所で売られていると、なんか本当に開運効果がありそうに思える。

晴明神社

気がついたら、さっきまで晴れてた空が曇っていた。青い所がどこにもない。

午後2時9分。次に行く場所への交通手段をどうするか。
徒歩だと時間がかかりそうなので、堀川今出川交差点まで戻って、
バスがあるかどうか探す。

今出川大宮

2時20分。今出川大宮バス停が見えたが、バス停に着く前に、
1台のバスが後ろから私を追い越し、そのバス停を通り過ぎていった。
次のバスは10分後。少し走って追いかけたら、前のバスに間に合ってたのに。

……と思っていたら、2時27分に別系統のバスが来た。乗れた。
立命館大学行き。

北野天満宮前

2時33分、北野天満宮前着。
ゲーム路銀 ¥1,030-¥230=¥800
そろそろ閉門時刻が気になり始めていたので、
この区間をバスで移動できて良かった。

鳥居も大きいが、その両脇の狛犬も大きい。

鳥居をくぐると、参道の右手に
影向松(ようごうのまつ)。
天満宮創建時からここにあるとされる。
初雪が降ると天神様が降臨されて、
詩を詠むという伝説がある。
そのため、初雪が降った日には、
筆と墨と硯(すずり)がお供えされる。

石灯籠の並ぶ参道を歩く。
灯籠にまじって、
早くも最初の撫牛(なでうし)が現れた。

撫牛は天満宮・天神社でよく見られる。
なでると体の具合が良くなる、頭が良くなるなどの御利益があるとされる。

北野天満宮の創建は947年(天暦元年)。
菅原道真は903年(延喜3年)に太宰府で没したが、
その後、道真を陥れたとされる藤原時平が若くして死去。
さらに御所の清涼殿に雷が直撃し、大臣や役人などに多数の死者が出た。
醍醐天皇も間もなく崩御した。

これらが道真の祟りとして怖れられた頃、
右京に住む多治比文子という少女に神託があり、
また近江の比良宮の神主である良種の子・太郎丸にも神託があった。
それらに基づき、北野の朝日寺(現在の東向観音寺)の最珍が、
菅原道真をまつる当社を創建。
さらに右大臣・藤原師輔が立派な社殿を造営した。

1587年(天正15年)には豊臣秀吉が「北野大茶湯」を開催。
1607年(慶長12年)、豊臣秀頼の命で片桐且元が社殿を改築。
(これより少し前に、東寺の金堂もこの2人によって再建されている)
これが現存する社殿となっている。

江戸時代には既に観光名所として人気があったようで、
『東海道中膝栗毛』でも、弥次さん喜多さんが参詣している。
この中で、北野天満宮創建の経緯が、比較的詳しく記されている。

2つめの鳥居をくぐる。
3つめの鳥居の先に立派な楼門が見えてきた。
この鳥居の手前に、菅原道真の母親をまつる伴氏社。

門の少し手前、左右に立派な銅の撫牛。
右は子連れだ。
右の撫牛に奉納された前掛けには、
甲子園で準優勝した
智辯学園野球部の選手による、
感謝の言葉が書かれていた。

楼門には年末ならではの、

巨大な虎の絵馬が掲げられていた。
そういや2021年は丑年だったか。

手水鉢に生け花。

トイレに行こうとしたら、道の途中に、

地平を駈ける獅子を見た。
さすがマンガミュージアムのある京都、
こんな所にジャングル大帝がいるのか。

(もちろんジャングル大帝ではない。
後から気づいたけど、これは宝物殿前の狛犬の1匹で、
一の鳥居にあった巨大な狛犬と同じ姿だった)

北野天満宮

宝物殿前の撫牛(なでうし)は、
もはや頭に手が届かないほどの大きさだ。

参道をこのまままっすぐ歩くと、本殿ではなくて、
天満宮ができる前からここにまつられていたという地主社に出るらしい。
なので左へ少し進む。

絵馬所の中の絵馬がとにかくでかい。
こて絵もある。算額もある。

小さな梅園の奥に、摂末社が並ぶ。

また青空が出てきた。

北野天満宮は、梅の名所としても有名。
この場所だけではなくて、さっきの参道の西側に広い梅苑があり、
毎年、梅の花が咲く2月上旬頃から3月にのみ公開される。

本殿・拝殿に通じる中門(三光門)の
手前にも摂末社が並び、撫牛もある。
三光門の手前、向かって右側の撫牛は
かなり派手。

石灯籠に彫られた大黒様が口を開けている。
この口の中に小石を乗せて、落ちなければ、
その小石が金運のお守りになるという。

このほかにも石灯籠は多い。「マリア灯籠」とされるものもある。
『東海道中膝栗毛』によると、一条戻橋で茨木童子の腕を斬った、
渡辺綱の奉納した石灯籠もあるらしいが、どれだかわからなかった。

(後日ネットで調べたら、渡辺綱の灯籠は、拝殿と三光門の間、
お守りやお札の授与所のすぐそばにあったみたいだ)

重要文化財の三光門。
ここもまた見事な造形だ。
日、月、星の彫刻があるので
三光門と呼ばれるとされるが、
星の彫刻だけ存在しないらしい。

かつて朝廷の儀式が行なわれた大極殿から見ると、この門の上に北極星が見えたので、
北極星と日月の彫刻を合わせて「三光」となったといわれている。
……もっとも、私は日と月の彫刻も見つけられなかった。

三光門をくぐると、回廊の中に拝殿があった。

本殿(拝殿・石の間・楽の間)は国宝。
前にも書いたとおり、1607年(慶長12年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として造ったもの。
拝殿・石の間・本殿が続く権現造だが、
拝殿の左右に「楽の間」という建物がつながっていて、
「八棟造」とよばれるほど複雑な外観になっている。

拝殿正面の切妻部分が、なぜか梅のような赤い色になっていた。
意図してこうなったわけではなさそうだが。
拝殿の前に生える梅の木は、
道真を追って大宰府まで飛んだ、あの飛梅(とびうめ)と同じ種類らしい。

祭神の菅原道真公は、讃岐守として、
今の香川県に赴任したことがある。
ということでここでも、
制作中の『香川県からの脱出』の完成とヒット祈願。

道真本人は、讃岐への赴任を左遷だと感じて、随分落胆したというが、
後の大宰府行きと違って、ちゃんとした役人としての異動だったので、
大宰府のときに比べれば、待遇はかなりましだったらしい。
(というか、大宰府での待遇があまりにも悪すぎた)

ただし讃岐には相当にタチの悪い役人・政治家が多かったようで、道真は、
「清く慎ましい政治を心掛けてきたが、青蠅どもを排除できなかった」と嘆いている。
「青蠅」とは中国の『詩経』に出てきた言葉で、
讒言(ざんげん=嘘の中傷)をする政治家や役人を指した。

檜皮葺(ひわだぶき)の社殿は、
遠目だとやや地味に見えるが、
近づくと所々に、極彩色の彫刻が
施されているのがわかる。

牛の彫刻もある。
北野天満宮のサイトでは、
境内に多くの牛の像がある中、
この牛1頭だけが立っている、
ということをなぜか強調している。

学生さんが多い。修学旅行と、合格祈願と、早めの初詣の参拝客が重なっているようだ。
授与所には、お正月の縁起物もあった。

お守りをお受けする。
諸願成就の錦守と、梅とウグイスが描かれた縁結守。そして祈願絵馬。
あと親のために延命長寿守と足腰守。

北野天満宮

人気の少ない本堂の裏手。
本堂の真裏に、道真の先祖をまつった
御后三柱という摂末社がある。
また、参道正面の地主神社をはじめ、
本殿を数多くの摂末社が取り囲んでいる。

北西の角にある小さな撫牛は、
なでると1つだけ願いが叶う
「一願成就のお牛さん」というらしい。

お牛さんの奥が絵馬掛所なのだが、びっしりと埋まっていて、絵馬をつるす所がない。
無理やり掛ける。幸い他人の絵馬を落とさずに済んで良かった。

「現在製作中の、讃岐を舞台としたゲームが、
無事に完成し、ヒットしますように。
そして道真公の讃岐での業績が
多くの人々に知られますように。
学問の大事さも多くの人々に
伝わりますように。」

「ゲーム脳」みたいな偽科学に引っ掛かる人がいるのは、
要するにその人たちに学がないからであり、
ちゃんと勉強してない人が権力を握ってしまうと、社会は不幸なことになる。

……もっとも、例えばオウム真理教の信者には高学歴の人が多かったし、
勉強できる人が必ずしも、偽科学やオカルトに騙されないとは限らない。
かく言う私自身、大学生時代はむしろビリーバーに近かったので、
物知りなはずの人たちがなぜ騙されるのか、何となくわかるような気もする。

“学問”というのは、単に知識を多く仕入れるだけではなくて、
論理的で客観的で冷静な思考とか、情報の取捨選択とか、
そういうのを身に着けることもひっくるめた概念なのだろう。

……論理的とか科学的とか、突き詰めて考えすぎると、
こんなことを神社の中で、絵馬を書きながら考えていること自体が、
果たしてどうなのかと思えなくもないが。

まあ、そんな小難しいこと以前の問題として、私が絵馬掛所を後にして間もなく、
「学問」を「学門」と書き間違えていたことに気づき、
あわてて引き返して書き直す。危なかった。

(※ただし、安井金比羅宮、白峯神宮、晴明神社に続いて、
ここでも絵馬に自分の名前を書き忘れていたことには、全く気づかなかった)

北野天満宮

午後4時15分、北野天満宮を後にする。さて京都駅に戻ろう。
地図は掲示されているのだが、それでも道がわかりにくかったので、
いったんGoogle Mapで確認。

少し距離はありそうだが、JR嵯峨野線(山陰本線)まで歩いてみる。
ほぼ真西にある、嵐電(京福嵐山線)の北野白梅町駅まで行って、
そこから南下すると、迷わなくて良さそうだ。
薄暗くなってきたけど、厚着しても暑くなくなったので、かえって歩きやすい。

北野白梅町

嵐電の北野白梅町駅。
駅舎が建て替えられてからは初めて来た。

近所にスーパーがあった。
入って、喫茶店かどこかで休もう。
もしかしたらゲームコーナーもあるかもしれない。
そう思ったのだが……。

店頭で福引か何かの呼び込みをしていた店員の男が、
入口へ向かう私の前に立ち塞がり、無理やりクジを押しつけてきて、
店の中へ入れさせてくれない。
不愉快だったので、店に入るのは止めて、先へ進むことにした。

せっかく3日間、寺社巡りをして蓄えた運気が、
一瞬にして消えてしまったように感じた。
そして実際、ここから不運が続くはめになる。

すぐそこのバス停を、京都駅行きのバスが通過するのを見た。
ここからバスで京都駅まで行けるんだったら乗っちゃおうと思い、
今渡った横断歩道を引き返してそのバス停へ。

すぐにまた、京都駅行きのバスが来た。
しかしめちゃめちゃ混んでいる。
結局、当初の計画通り、南へ歩いてJR嵯峨野線(山陰本線)を目指す。

円町(えんまち)

北野白梅町駅から19分歩き、
午後4時59分、円町駅に到着した。

(※後から知ったが、どうやらこの円町駅のすぐそばに、
ゲームセンターがあったらしい。
だが、どう見てもパチンコ店にしか見えなかったのでスルーしていた)

ICカードを忘れてきて、切符を買うのに手間取ったせいで、
午後5時4分発の京都行きに乗りそびれる。
次の電車は5時17分。

ちょっと狭めな高架の島式ホーム。
屋根のない所に出たら、雨が降っている。今さっきまで降ってなかったのに。

ホーム上に人が増えてきた。5時17分、221系電車がやってくる。

クロスシート。

超満員。

こんなに大勢の人が乗る路線に、クロスシート車両を充当するのは無理あるだろ。

外が暗いし、ブラインドが全部閉まってるし、車内の見通しがきかないしで、
景色はほとんど見えなかった。

京都府内の新型コロナウイルス感染者は1日4人くらいらしいが(※2021年12月)、
とはいえ不安は不安。
オミクロン株がアフリカだけでなく欧州でも、想像を超えるほど広がっているらしい。
そろそろ日本にも入ってきていそうで、それも怖い。
だからバスを避けたのに。

〜二条〜丹波口〜梅小路京都西〜
京都

5時27分、終点の京都駅着。
ゲーム路銀 ¥800-¥190=¥610
ここのホームも狭かった。
あの広い京都駅に、こんな狭いホームがあるのかと、驚きと憤りを感じていたら、

このホームが、かの有名な、
京都駅34番ホームだった。
(写真右側)
日本一大きな番号を持つホームだ。

最後の満員電車ですっかり心が折れて、ほうほうの体でどうにかホテルまでたどり着く。
雨がやんでてまだ良かった。
それから、鞄の中を確認したら、ICカードは奥の方にちゃんと入っていた。

前の2日間で全くゲームを
プレイできていなかったので、
今日は少し早めの、
午後6時半にホテルを出て、
イオンモールKYOTOへ向かう。

東西連絡通路に、
呪術廻戦のポップが並んでいた。
館内のT・ジョイというシネコンで、
『劇場版 呪術廻戦0』が
12月24日から公開されるらしい。

今日も4階のnamcoへ。
(※この写真は前日のもの)

昨日、時間切れで店内を回り切れず、見られなかったゲームを、一応確認。
機動戦士ガンダム エクストリームバーサス2 クロスブースト。
三国志大戦。ジュラシックパーク アーケード。ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド。
ソニックブラストヒーローズ。
そのほかのゲームタイトルは、前日分に記載

さて久々の『太鼓の達人』だ。
おととい縁切り縁結びの安井金比羅宮へ行ったことだし、
新たな気持ちで、今までプレイしたことがない、最新の曲をチョイスしよう。

まずはナムコの鬼滅の刃キャンペーンにちなんで、『炎』(LiSA)。
いつもの通り、ふつうモードなのだが、序盤が聞き取りづらくて苦戦した。

LiSA『炎』 (YouTube)

2曲目、『香水』(瑛人)。
大ヒットした曲なのだが、私は瑛人さん本人が歌っている『香水』を、
今まで聞いたことがなかった。
今回の予習のためにYouTubeで聴いたのが初めて。

しかも、初めてこの曲を聞いたのは、演芸番組で嘉門タツオさんが歌っていたとき。
もちろん替え歌。元歌より先に替え歌を聞いていたのだ。

瑛人『香水』 (YouTube)

3曲目、『宿命』(Official髭男dism)。
『熱闘甲子園』のテーマ曲だったから、よく覚えているはずだったが、
譜割りが案外難しくて、ふつうモードでもなかなか歯ごたえがあった。

Official髭男dism『宿命』 (YouTube)

無事に3曲クリア。
……さっき「最新の曲をチョイスしよう」と思ってたのに、
『炎』は2020年、あとの2曲は2019年リリースだった。

(※この文章を書くにあたってネットで確認するまで、
3曲とも2020年リリースだと勘違いしていた。
2020年の夏の甲子園が、センバツの代替開催だったことは覚えていたが、
朝日新聞主催じゃないから『熱闘甲子園』がなかったというのは忘れていた)

3曲¥100の2プレイ目。1曲目、『夜に駆ける』(YOASOBI)。

YOASOBI『夜に駆ける』 (YouTube)

2曲目、『うっせぇわ』(Ado)。
もし私が10代か20代の頃にこの曲があったら、この歌詞にめちゃめちゃ共感してたと思う。
……ていうか今共感しろよ俺。20代の頃と何が違うんだよ。

Ado『うっせぇわ』 (YouTube)

3曲目、『裸の心』(あいみょん)。
ふつうモードだったからかもしれないが、スローテンポの曲で叩くタイミングが難しい。

あいみょん『裸の心』 (YouTube)

暑くなって少しベンチで休んだ後、3プレイ目へ。
1曲目、これは以前プレイしたことがあったはずだけど、
『マリーゴールド』(あいみょん)。

あいみょん『マリーゴールド』 (YouTube)

2曲目、『馬と鹿』(米津玄師)。
『Lemon』は過去にプレイ経験があるけど、こっちは初めて。

米津玄師『馬と鹿』 (YouTube)

最後は『YONA YONA DANCE』(和田アキ子)。
オリックスの吉田正尚選手が登場曲に使っていたので、日本シリーズでよく聞いた。

和田アキ子『YONA YONA DANCE』 (YouTube)

『YONA YONA DANCE』で気分良く終われたので、
これで締めようかと思っていたが、時刻を見たらまだ午後7時半。
もう1プレイして終わろう。『炎』はやったけど『紅蓮華』がまだだし。
それに『太鼓の達人』と『東方Project』のコラボキャンペーンをやっているらしいので
※2022年1月16日まで)、東方アレンジ曲もプレイしたい。
私はバナパスポートカードを使ってないから、キャンペーンには参加できないけど。

4プレイ目の1曲目、『紅蓮華』(LiSA)。

LiSA『紅蓮華』 (YouTube)

2曲目から東方アレンジ曲。昔ニコニコ動画でよく聴いていた、
『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』をプレイ。
……同じ「ふつう」モードでも、ポップスとはこんなに難易度が違ったっけ。

IOSYS/藤咲かりん(miko)『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』 (YouTube)

しかしこれはまだましな方だった。
最後に選んだ『最終鬼畜妹フランドール・S』(COOL&CREATE)が、本当に鬼畜だった。
ふつうモードなのに、私の腕からすれば「おに」レベルだった。
ぎりぎりクリアできた。良かった。

トータル4回プレイして12面クリア。
ゲーム路銀 ¥610-¥400+¥1,200=¥1,410

同じ階のレストラン街で晩ごはん。
朝からメロンパン1個しか食べてなかったのに、よくここまでもった。
ロースかつ丼を食べる。卵とじ。卵が濃厚で、おいしかった。

今回の旅で、クリスマスシーズンっぽい写真が
1枚もなかったので、
最後にイオンモールのツリーを撮影。

外に出たら雨だった。傘を持ってて良かった。
午後8時45分、ホテルに戻る。

翌12月17日。午前9時起床。5時間睡眠。
昨夜コンビニで買った、チョコクリームちぎりパンを食べて、
ホテルをチェックアウト。

京都に今回来てから一度も見ていなかった、
京都駅烏丸口の、例の京都駅っぽい
コンコースをざっと見る。

大階段の途中から、さらに上を見上げる。

おみやげを買う。以前買っておいしかった千寿せんべいを購入。

本当はそれぞれの店の売り場前で、もっとじっくり選びたかったのだが、
私が各店の前を通過するたびに、
店員さんが「いらっしゃいませー」って声をかけてきて、気まずかった。

以前はこんなことなかったのに。
というか、以前はこの通路、お客さんでごった返してたから、
1人1人に声をかける余裕も、またそんな必要もなかっただろう。

12時33分発の、ひかり650号が小田原に止まるらしいのでこれに乗る。
午後2時37分、小田原着。
名古屋から、小田原に着く直前まで完全に寝てた。危なかった。

小田原で、小田急線のメトロはこね号に乗り換え。
最近のロマンスカーは、車内に雑音がほとんど起こらないので、
近くの席の人の仕事の愚痴がはっきり聞こえる。

昨日の北野のスーパーの客引きに端を発して、嵯峨野線の混雑、
さっきのおみやげ売り場、そしてこのロマンスカーと、
細かくイラッとすることがたびたび起こった。

今回の旅で、けっこう強力なパワースポットとされる4社1寺を巡って、
これでやっと今までの不運から抜け出せる、と思っていたのだが、
この4社1寺のパワーが、たかだかスーパーの客引き1人に
かき消される程度のものなのかな? と不安に感じた。

現在のゲーム路銀
¥1,410


今回のルート

 

京都市観光協会  京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本)  京都市交通局  京福電気鉄道(嵐電)  近畿日本鉄道  JR東海


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 239.京都編(5)」では、
小野小町ゆかりの地へ行くはずが……。
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