ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

237.東寺で弘法大師に開運祈願
〜京都編(3)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,290


京都('21.12.15)

2021年12月15日。9時起床。
昨夜は安井金比羅宮及び、今日行く予定の場所について、あらためて調べていて、
気がついたら午前5時少し前。さすがにパタッと寝た。また4時間しか寝られてない。

昨夜コンビニで買ったジャムパンを食べ、10時半少し過ぎにホテルを出発。
今日はまず、弘法大師ゆかりの東寺(とうじ)を目指す。このホテルからは近いはず。

昨日訪れたイオンモールKYOTOの横を通って、さらに南へ。
懐かしい感じのする竹細工屋さんがあった。その隣には星野リゾート。

九条油小路の交差点を曲がって西へ。
横断歩道がなくて、仕方なく歩道橋に上がる。

しかも景色が思ったほど良くない。

東寺

近鉄東寺駅の高架をくぐる。

東寺に到着。
やはりこの五重塔の大きさは圧巻。
高さ55メートル。

南大門も存在感がある。
ここが東寺の正門で、
1601年(慶長6年)に建てられた。
重要文化財。

『東海道中膝栗毛』で、弥次さん喜多さんが東寺を訪れて狂歌を詠んでいるが、
謡曲『羅生門』で渡辺綱が鬼の腕を斬り落とした話がベースになっており、
東寺の南大門と、平安京の羅城門が混同されている。
ちなみに羅城門は、ここから400メートルほど西にあったが、
平安時代中期には既に荒廃し、980年(天元3年)に倒壊して以降は再建されていない。

東寺の南大門も、弥次喜多が見た門ではない。
江戸時代ここにあった南大門は、1868年(明治元年)に焼失したそうで、
現在の門は1895年(明治28年)に移築された。もとは三十三間堂の西大門だった。

南大門から東寺に入る。
正面に金堂(本堂)が見える。
南大門から、金堂、講堂、食堂が
一直線に配置されている。
建物はそれぞれ再建されたものだが、
この伽藍の並びは、
平安時代から変わっていないらしい。

南大門から入ると正面に金堂。
(ただしここから金堂に入ることはできない)

右に五重塔が見える。
手前の八島社は地主神らしい。

左に弘法大師・空海さんの像。

東寺(教王護国寺)は、平安京への遷都の2年後、796年(延暦15年)から造営が始まった。
823年(弘仁14年)、空海が東寺を賜り、真言密教の根本道場として発展させた。

大師像の隣には、1992年(平成4年)に再建された鎮守八幡宮が建つ。
空海が彫ったと伝わる、日本最古の神像、僧形八幡神像などが納められているらしい。

1336年(建武3年)、湊川の戦いに勝利した足利尊氏が、
光厳上皇を奉じて京都に入り、東寺に本陣を置いた。
新田義貞の軍勢が攻めかかってきたが、
この八幡宮から放たれた鏑矢が、新田軍を退却させたそうだ。

またここは空海が810年(大同5年)に、薬子の変の鎮圧を祈った場所でもあるらしい。
薬子の変は、奈良にいた平城上皇と尚侍の藤原薬子、その兄の藤原仲成が、
京都の嵯峨天皇と対立した事件。

平城上皇と薬子は、東国で兵を集めようと、奈良を出て東へ向かったが、
坂上田村麻呂が素早く対応し、奈良から東へ向かう道に兵を配備。
上皇と薬子は奈良へ引き返さざるを得なくなり、上皇は出家して隠居する。
薬子は自害。京都にいた仲成は捕らえられて処刑された。

空海は、鎮圧に貢献したということで、嵯峨天皇に厚く信頼されるようになる。

空海は讃岐の善通寺出身なので、
私が今作っている、香川県を舞台としたゲームに、
登場させたいと思っている。
あのゲーム規制条例を無理やり成立させた人たちも、
薬子や仲成のように、空海さんに調伏して頂きたい。

八幡宮の隣にある灌頂院は重要文化財。伝法灌頂など重要な儀式を行なう所。
塀と2つの門に遮られてよく見えないが、これら2つの門自体も重要文化財だ。

広い空間。人はいるけど、静か。
心が落ち着く。
このあたりのエリアは
拝観料が無料ということもあり、
地元の方々の憩いの場、
散歩コースにもなっているようだ。

右手に金堂と、朱色の柱に白い壁の講堂が並ぶ。
拝観料を払えば中に入れるが、受付は別の場所にあるので、拝観はまた後ほど。

北へ進むと、突き当たりに聖観音像と地蔵像。
奥に宝物館があるが、開館するのは春と秋のみ。

最近修復された御影堂(みえどう)
(大師堂とも)。
屋根の檜皮葺(ひわだぶき)がきれい。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)や
石碑やお地蔵さんが、向かいに並ぶ。

御影堂の建つこの場所は、かつて空海が住んでいた所。
現在のお堂は1380年(康暦2年)に再建された。国宝。
空海の念持仏とされる不動明王像(こちらも国宝)がまつられている。
秘仏だが、間近に見える木戸の中にまつられているのだろうか。

毘沙門天、三面大黒天、不動明王を拝み、鐘楼、大日堂(回向所)まで来たところで、

さっきの御影堂は、
こっちが正面だったことに気づく。
さっき不動明王を拝んだ
後堂(うしろどう)が再建された後の
1390年(明徳元年)、こちら側の
前堂と中門が加えられた。

正午になったようだ。何かのメロディーが流れてきた。

食堂(じきどう)へ。
かつて6メートルの千手観音立像が
まつられていた建物だが、
1930年(昭和5年)に焼失。
現在の食堂は、1933年に再建されたもの。

御本尊の千手観音像は修復され、宝物館に安置された。
代わりに、新たに刻まれた十一面観音立像が御本尊となっている。
その脇に、絹本の不動三尊像と釈迦三尊像。
そしていちばん左側に、かつて千手観音を護っていた四天王の像。
1930年の火災で、かなり大きく焼損してしまったが、
像の大きさと、火災の跡の生々しさが相まって、迫力がある。

四天王像の前に、写経の場所がある。
また、四国八十八ヶ所などの納経所もある。
企画展として、観瀾斎(かんらんさい)氏による、
ほのぼのとした仏画が展示されていた(2021年12月22日まで)。

観瀾斎氏の公式サイト

昨日もそうだったけど、歩いている間に日差しが増して、けっこう暑くなってきた。

東寺(教王護国寺)

有料エリアに入る(拝観料¥500)。
わずかに残る紅葉越しの、五重塔がきれい。

講堂。1491年(延徳3年)に再建された。
建物自体も重要文化財なのだが、
この堂内が凄い。

20柱もの仏様が並び、立体曼荼羅を形成している。
(本来は21柱なのだが、金剛波羅密多菩薩像は修復中のため不在)
まずその数と大きさに圧倒される。
中央に五智如来。その向かって右に五菩薩。左に五大明王。
さらにその左右に、四天王、梵天、帝釈天。

全体の配置による美しさを眺め、続いて、個々の仏像の造形の細やかさに驚く。
大日如来像は室町時代、ほかの四如来像と金剛波羅密多菩薩像は江戸時代。
それ以外の像は何と、この講堂が最初に造られた839年(承和6年)のものだ。
時空を超えた美しさである。
特に五大明王と四天王、梵天、帝釈天の個性的なこと。
五智如来像は重要文化財。五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天は国宝。

大日如来を中心とした、それぞれの仏様に祈りを捧げる。

続いて金堂へ。この東寺全体の本堂だ。
もっとも、1486年(文明18年)に、
講堂、南大門とともに土一揆で焼失した後、
講堂はわずか5年で再建されるが、
金堂の再建は遅れた。
現在の金堂は1603年(慶長8年)、
豊臣秀頼の発願で、
片桐且元が奉行となって再建された。国宝。

豊臣秀頼は、ここだけでなく、数多くの寺社に立派な建物を寄進している。
しかしそれで御利益を授かることはなく、不幸な形で最期を遂げた。
私の今回の旅は、寺社を巡って願い事をして回る旅なのだが、
歴史上、厚い信仰心を持ちながら、幸せになれなかった人物も多かったことを思い出すと、
宗教や信仰に対して、若干冷めた見方が芽生えてくる。

金堂に入る。講堂の立体曼荼羅のような派手さはないが、
広い堂内に、巨大な薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)が並び、
こちらもまた迫力、威容がある。
桃山時代の仏師・康正(こうしょう)の作。重要文化財。

薬師如来が薬壺を持っておらず、
台座が蓮華座ではなく裳懸座(布が垂れ下がったような台座)で、
その下を十二神将が囲む。
東寺が創建された頃の様式を再現したらしい。

こちらでも、それぞれの像の造形をじっくりと眺め、そして礼拝。
外からわずかに差し込む光が、ちょうど三尊像、特に薬師様を照らし、
薄暗い堂内において、神々しい輝きを見せる。

金堂の仏様と対面して、先ほど信仰に対して抱いていた不安は、
いささか薄らいだかもしれない。

そして、55メートルの五重塔。
近くから見上げると、その高さに言葉を失う。
青空によく映える。

五重塔は826年(天長3年)、空海が創建に着手。平安時代初期から存在するが、
何度も火災で失われ、現在建っているのは5代目の塔。
とはいえ、1644年(寛永21年)、徳川家光の寄進により再建されたもので、
約380年もの長きにわたり、この場所に建ち続けている。国宝。

五重塔の北にある、
瓢箪(ひょうたん)池も美しい。

東大門近くの紅葉も良い。
東大門(重要文化財)は、
足利尊氏が東寺に本陣を置いたとき、
この門を閉じて
新田義貞の攻撃を防いだことから、
不開門(あかずのもん)と呼ばれる。

池越しに五重塔を眺める。

東寺(教王護国寺)

無料エリアに戻ってきた。
いろんなお守りをお受けする。迷ったら全部買うという精神。ここは東寺だ、格が高い。

勝守、貝合わせの縁結び幸せ守。あと母親用に健康と商売繁昌の御守り。
勝守には弓矢が描かれており、「鎮守八幡大菩薩御守護」と書かれている。
足利尊氏が新田義貞を撃退した故事が基になっているようだ。

もちろん弘法大師御守も。
今作っているゲーム『香川県からの脱出』が、
無事完成してヒットしますように。

さっき受け取ったパンフレットを見て、
御影堂で国宝・弘法大師像を見ていなかったことに気づく。
1233年(天福元年)、運慶の息子・康勝の作。
実際に空海さんが住んでいた場所に、今も御本人がいらっしゃるわけだ。

それはお参りせねばなるまいと、急ぎ御影堂に戻ったが、
ちょうど法要らしきものが行なわれている最中で、
お堂の外から、御大師様らしき……かどうかもわからない
お姿らしきものを拝むに留まった。
……こういう間の悪さとか不運とかとは、
昨日の安井金比羅宮への参拝で、縁を切ったんじゃなかったかなあ。

帰り際、柳が黄色く色づいているのが
目に留まった。
「伝・小野道風ゆかりの柳」と書かれた
立て札が立っていた。
花札の絵柄になってるあれか。
浄瑠璃・歌舞伎の『小野道風青柳硯』で、
柳の枝に飛びつくカエルを道風が見た場所が、
東寺だと設定されているらしい。

東寺(教王護国寺)

とにかく東寺は凄かった。
多分、私がここに来たのは3回目か4回目だけど、やっぱり凄い。
いずれ、宝物館の開館期間に、また来るかもしれない。

東の慶賀門(重要文化財)から外へ出た。
時刻は午後2時14分。中途半端な時間で、次どうするか迷う。

とりあえず予定通り行動してみよう。
九条通を東へ進み、近鉄東寺駅に戻ってきた。
次の目的地の最寄り駅が、地下鉄烏丸線にあるので、
さらに東へ歩いて、地下鉄の九条駅を目指す。

……九条油小路の、横断歩道がない交差点のことを忘れてた。
歩道橋を上る。下りる。しんどい。

九条

九条駅到着。
午後2時48分発の、国際会館行きに乗る。

10系(前面の縁が丸いタイプの増備車)6両編成。ロングシート。
脚が疲れたので座ってたけど、案の定、次の京都駅で一気に席が埋まった。
座れたのは1駅間だけ。
ただ、烏丸御池で席が空いたのでまた座れた。

午後3時ちょうど、今出川駅着。
ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥1,290-¥260=¥1,030

〜京都〜五条〜四条(しじょう)〜烏丸御池(からすまおいけ)〜丸太町〜
今出川

4番出口から外へ出る。

道を挟んだ向かいにある、
3番出口の方がかっこよかった。

3番出口から左手に、同志社大学の
赤レンガ色のキャンパスが続いている。
この色を見て、
「そういえばカズレーザーさんは
同大卒だったなあ」と思った。

方角がわからなくなりかけたので、Google Mapで確認。
今度はひたすら西へ進む。ちょっと疲れている。
昨日行けなかった、山科のショッピングセンターに行って、
休憩した方がよかったんじゃないかと、途中で思った。

10分くらい歩いて、
白峯(しらみね)神宮に到着。

白峯神宮は1868年(慶応4年)、明治天皇が創建した。
もともと孝明天皇が、都より遠く離れた讃岐の地に眠る崇徳天皇を慰霊するため、
その御霊を京都に移すよう幕府に命じていた。
明治天皇はその遺志を継ぎ、崇徳天皇の御霊を讃岐から迎え、当地にまつった。

また1873年(明治6年)には、崇徳天皇と似たような状況で、
淡路島に配流されて崩御した、淳仁天皇の御霊も迎えて合祀している。

崇徳天皇は1123年(保安4年)に即位したが、
父の鳥羽上皇が院政を敷いていたため実権はなかった。
皇位継承と院政を巡る争いで、鳥羽上皇や後白河天皇と対立。

1156年(保元元年)、鳥羽上皇が崩御すると、
「崇徳上皇と左大臣・藤原頼長が謀反を起こす」という噂を流される。
源義朝が頼長の屋敷を奪い、頼長は崇徳上皇とともに白河北殿に立てこもった。
崇徳上皇を守るべく、源為義や為朝、平忠正らが奮戦したが、
源義朝に加えて平清盛が後白河天皇側につき、夜襲をかけて崇徳上皇を破った(保元の乱)。
崇徳上皇は讃岐へ配流され、現地で崩御した。

拝殿に、数多くの提灯が奉納されている。

サッカーなど球技関係者からの奉納が多い。

ここはかつて、蹴鞠(けまり)の宗家・飛鳥井(あすかい)家の屋敷があった場所。
そのため球技をはじめ、スポーツの神様として知られている。
お守りにも「闘魂守」や、各球技のボールが描かれた「叶う輪」、
闘魂タオルや、闘魂リストバンドがある。

「蹴鞠の碑」。
地主社の精大明神にお参りした後、
この碑にはめ込まれた「撫で鞠」を
1回転させると、球運を授かるという。

この碑の奥には京都市指定天然記念物、樹齢800年のオガタマの木が生えている。

毎年4月14日(淳仁天皇祭)と7月7日に
奉納蹴鞠が行なわれる、
「鞠庭」というフィールド。

サッカーからセパタクローまで、
奉納されたさまざまな球技のボールが
展示されていた。

地主社の前の、不思議な牛の石像。
左前足でサッカーボールを踏み、
左後足に靴(スパイク?)を履いている。
腹の下にラグビーボール。
首輪はおそらく野球のボール。
尻尾がテニスかバドミントンのラケット。

牛の目の前に、文字や図形や楽譜など、
雑多なものが書き散らかされたノートが置かれているのも謎。
一応、崇徳天皇に関係する「保元の乱 一一五六」という字もあるが。

本殿に参拝。
今作っているゲーム『香川県からの脱出』が、
無事完成してヒットしますように。

「崇徳天皇欽仰之碑」。
小倉百人一首にも選ばれた、
崇徳天皇(崇徳院)の歌が刻まれている。

瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の
われても末にあはむとぞ思ふ

境内社の伴緒社(とものおしゃ)では、
保元の乱で崇徳天皇について戦った、源為義・為朝親子をまつる。
ともに弓の名手で、特に鎮西八郎こと源為朝は、弓矢で舟1そうを沈めたとされている。
白峯神宮では弓道・武道の神としてまつられている。

潜龍社(せんりゅうしゃ)は、かつて本殿で御火焚祭を斎行した際、
炎の中から現れた、龍神様をまつっている。
この御火焚祭が行なわれたのが、1955年(昭和30年)。
「龍神様が現れた」という伝説が、昭和、しかも戦後の話であることに驚く。

潜龍社の前に「笑い龍」の石像がある。
なでる。
本来は口から水が流れるらしい。

白峯神宮

お守りをお受けして、絵馬を奉納しようと思っていたけど、
もうすぐ午後4時半。参拝できる時間が終わる。
絵馬に書く言葉も考えてなかったし、明日あらためてまた来よう。

明日のゲーセン紀行は、ここから再開ということにする。
(明日ここに来るまで、「ゲーム路銀」は増減させない)

夕方、少し冷えつつある中を歩き、今出川駅まで戻る。
烏丸線、午後4時18分発の新田辺行きに乗り、4時28分、京都駅着。

京都

京都駅八条口。

たまたま、駅前の商業施設・アバンティに出たので、
地下1階のフードコートで、遅い昼食をとりつつ休憩。
今日もマクドナルド。今日もグラコロ。
ただし昨日と違い、コク旨アンガスビーフボロネーゼグラコロとやらを食べる。
ビーフのソースが乗ると、普通のグラコロとは全く違う味になって、
これはこれでまたうまい。

アバンティ内のゲームコーナーを調査。
このフードコートの隣に、ガチャとプリントシール機とプライズのある、
「プリサロン」というスペースがあった。
3階にも同じく「プリサロン」あり。

6階は、「ブックス&サブカルチャー」フロアとなっている。
本屋とともに、アニメイト、らしんばん、カードラボがある。
そして、「ゲームメイト」というゲームコーナーがあった。
プライズゲーム専門店だった。
新しめのアニメのキャラものが多くあった。

5時40分、ホテルに戻ってきた。
カーリングの中継を見ながら、脚を休める。

今日もイオンモールKYOTOへ。昨日より早めに、7時40分頃出発。
まず夕食。といっても、さっきグラコロ食べたばかりで、あまりお腹が空いてない。
和食屋に入る。
テーブルの上に懐かしの、12星座別おみくじ器があった。
天ざるそばを食べる。うまかった。ちょうど良かった。

さて、昨日時間切れで、
じっくり見て回れなかった、
namcoイオンモールKYOTO店へ。

といっても、今日も閉店まであと20分強。
店内は広いので、見て回るだけで多分終わりだろう。
ゲームをプレイするのは明日にしよう。
(だから明日のスタート地点を白峯神宮に設定したのだ)

まず当然ながらプライズ機が多い。
今、『鬼滅の刃』キャンペーン中で、ナムコ限定景品があるらしい。
(2022年1月23日まで)
店員さんが炭治郎柄のハッピ着てる。
この柄を見ると、競馬の坂東牧場(ビービー)の勝負服の方を先に思い出す。

入口から『鬼滅の刃』推しがすごく伝わる。

「ぬい撮りスポット」という、
ぬいぐるみ用の背景が
用意されていた。
「インスタで推しへの愛をアピールしよう」
「お気に入りの1枚が撮れたら
#ぬい撮り765京都
でみんなに共有してね★」
とのこと。

プライズ以外もいろいろ豊富。
のりもの(アンパンマンなど)、プリントシール機、バスケ、エアホッケー。
パックマンバトルロイヤル(4人対戦パックマン)。

トレーディングカードゲームは、
アイカツプラネット(アイカツオフィシャルショップもあった)、
スーパードラゴンボールヒーローズ、ポケモンメザスタ、ダイの大冒険クロスブレイド、
仮面ライダーバトル ガンバライジング、プリティーリズムシリーズのワッチャプリマジ。

ソードアートオンライン、Fate/Grand Order、艦これ。

ミニオンズもぐらたたき、電車でGO!!(箱筐体)、釣りスピリッツ。

太鼓の達人は昨日2台見かけたが、音ゲーのエリアにもあり、全部で5台あった。
音ゲーエリアにはほかに、maimaiでらっくすユニバース、WACCAリバース、
SOUND VOLTEX エクシードギア、オンゲキ、チュウニズム。

レースゲームエリアもある。
頭文字D、湾岸ミッドナイト、マリオカートアーケードグランプリDX。

2年間ゲーセン紀行に来てない間に、戦場の絆がIIになっていた。随分変わったな。
ほかに、鉄拳7、ジョジョの奇妙な冒険ラストサバイバー。

全部見て回る前に、もう閉店の午後9時だ。
まだイオンモール全体に、お客さんがけっこういるのに。
昨日よりお客さんが多いような気がする。

ホテルに戻り、そこに出ている看板に、千葉県の学校名があるのを見て、
イオンモールのお客さんが多かった理由を理解した。
多分コロナ禍の影響で、修学旅行を今やってる高校があるんだろう。

現在のゲーム路銀
¥1,030


今回のルート

 

京都市観光協会  京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本)  京都市交通局  近畿日本鉄道


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 238.京都編(4)」は、
崇徳天皇と安倍晴明と菅原道真に会いに行く。
「日本縦断ゲーセン紀行 236.京都編(2)」に戻る


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