ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

1.最果ての地から
〜道北編(1)〜


2001年9月14日。
今度の企画は、日本縦断である。
日本縦断なので、その出発点は当然、宗谷岬である。

私はあまり飛行機が好きではないのだが、
さすがに稚内まで鉄路で行くのはキツいので、
今回はやむをえず、9時25分羽田発の全日空機で、

稚内空港へとやってきた。
幸い晴天だったため、飛行機はあまり揺れなかった。

飛行機に乗ってたほかのお客さんは、ほとんどが団体客だったみたいで、
それぞれの団体の観光バスに向かっていった。
私も一人、宗谷岬を目指そうと思ったが、ここから岬に直通するバスはなかった。
いったん稚内の市街地まで行って、宗谷岬行きのバスに乗るという手もあるのだが、
事前に調べたところ、どうも岬へ行くバスは、本数が少ないらしい。
なので、空港からタクシーで行くことにした。

宗谷丘陵の地形を使った牧場。

途中、「祈りの塔」の前で黙とう。
1983年の大韓航空機撃墜事件の
被災者を慰霊するために建てられたもの。

宗谷岬

という経緯を経て、11時54分、
宗谷岬にやってきた。
入れ代わり立ち代わり観光バスがやってきて、
そのたびこのように、大勢の人でにぎわう。

『風雨来記』という、
北海道をバイクで旅するゲームがあったが、
現実にもこのように、バイクで観光に来ている
ライダーのかたが多いようだ。

「日本最北端の地碑」の周りには、
この近くから出航してサハリンを探検した間宮林蔵の像や、
ダ・カーポが歌った『宗谷岬』の音楽碑も建っている。

観光バスがいない間は、
人気がなくなることもある。
ここから北はもうロシア。

日本最北端のみやげ物屋・柏屋で、
到達証明書を購入(\100)。
店の奥には、流氷を保管した冷凍室があって、
今の時期(9月14日)でも流氷を見ることができた。
白くて平たくて、石けんみたいに表面が滑らかだった。

空港から乗ったタクシーに戻り、稚内の市街地へ向かったわけだが、
ここで「日本縦断ゲーセン紀行」のルール説明を。


日本縦断ゲーセン紀行 ルール説明
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!



稚内(わっかない)

稚内駅着、午後1時4分。
タクシー代は空港から\14,000だったが、
宗谷岬に着いた時点で\6,370だったので、
宗谷岬からここまでのタクシー代は、
\7,630ということにしよう。
これをスタート時のゲーム路銀、\5,000から引くと・・・

いきなり赤字やん。

仕方がないので、北海道にいる間は、
ゲーム路銀がマイナスでもOKということにする。
現在のゲーム路銀 -\2,630

ついでだから、もひとつ観光。
駅近くのバスターミナルで、荷物をコインロッカーに押し込んで、
バスに乗って、ノシャップ岬へ向かう。
うまくいけば、観光地によくありがちな、
古いゲームを集めたゲームコーナーが見つかるかも。

ノシャップ岬

ノシャップ岬着1時34分。
ゲーム路銀 -\2,630-\210=-\2,840
稚内駅からこの岬までは、住宅地になっていて、
バスの本数も多い。
赤白しまの稚内灯台は、高さ42.7メートルで、
日本で2番目に高い灯台(1番は島根県日御碕灯台)。

“日本最北端の水族館”、ノシャップ寒流水族館を見る(入館料\400)。
屋外にペンギンとアザラシがいた。
ここの目玉は、45メートルの回遊水槽。
淡水魚のイトウが、海水魚に交じって泳いでいる。
別の水槽には、いかにも北海道らしい、ニシンの稚魚がいた。
ノシャップ寒流水族館のホームページはこちら

岬にはこのような公園(恵山泊漁港公園)があり、
夕日を眺めるスポットとなっているようだ。
利尻島の利尻富士(利尻山)がかすかに見えた。

結局ゲームコーナーは見つからず。
2時29分のバスで駅前へ戻る。49分着。
ゲーム路銀 -\2,840-\210=-\3,050
では、こちらの観光地ではどうだろう?

稚内

稚内公園行きのロープウエー山麓駅。
往復券(\240)を買う。
ゲーム路銀 -\3,050-\240=-\3,290

細長いゴンドラで、急斜面を上る。
タロ号とジロ号があり、私が乗ったのはタロ号。
(この写真はジロ号)

稚内の市街地と港が、窓から一望できる。
動き出してから2分たらずで山頂駅に着いた。
日本一短いロープウエーらしい。

ここが山頂駅。
ふと思ったが、ロープウエーも鉄道事業者免許が要るから、
ロープウエーの駅も、駅には違いない。
地図を見ると、さっきの山麓駅は、稚内駅より北にある。
ということは、日本最北端の駅って、実は稚内駅じゃなくて、
稚内公園ロープウエー山麓駅なのでは?

※後で調べてみると、ロープウエーは「索道」に分類されるので、
ロープウエーの駅は「鉄道駅」にはならないらしい。
※稚内公園ロープウェイは、2006年に廃止されました。

次に目指すは、開基百年記念塔。
1978年、稚内市開基100年を記念して建てられた、高さ80メートルのタワーだ。
塔マニアの私としては、ぜひおさえておきたい。

到着。
山頂駅からの道がすごい上り坂で、
しかもものすごく風が強くて、
着いたときには汗ばむほど。
まさか稚内で汗かくとは思わなかった。

入場料\400。
まず、1階の北方記念館を見た。
北海道にすむ動物、稚内の歴史、明治時代の農具、
廃止された天北線(稚内からオホーツク海側を回って音威子府へ通じていた路線)の
資料などを展示。
2階は樺太(からふと、現サハリン)関連の資料コーナー。
戦前の町並みの写真など、資料は豊富。戦前住んでいたかたがたに向けたものか。
その中に、「九人の乙女」の顔写真もあった。
1945年8月20日、ソ連軍が樺太の真岡(現ホルムスク)に侵攻。町は戦火に包まれた。
このとき、真岡郵便局で電話交換手をしていた若い女性9人が、
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の通信を残して、
青酸カリを飲み自殺したという。

これを見た後、コンスタンチン君(大やけどを負って、
治療のため日本に来たソ連の少年)に関連した展示を見ると、
つくづく平和ってすばらしいと思う。
日本最北端の町ということは、国境の町でもあるわけで、
それにまつわる悲劇も生まれ、また交流も生まれるということか。

展望台へ上る。
塔自体は80メートルだが、
小高い丘の上にあるので、
海抜は250メートルとなる。
(展望台は海抜240メートル)
さっきロープウエーから見た景色より
さらに広い範囲が見える。
風力発電用の風車があるあたりから、
ここまで徒歩で上ってきたわけだ。
対岸は宗谷岬方面。

西のほうには、
利尻富士がはっきり見えた。

帰りも歩くことになるが、下り坂だから楽なもの。風も心地よく感じられる。

氷雪の門は、樺太で亡くなったかたがたの霊を慰めるため、
1963年に建てられた。
さすがに有名な観光名所だけあって、人の数が多い。
晴れた日はここから肉眼で、サハリンが見えるらしい。
今日は、この写真のような状態。
水平線に、かすかに青い影が
映っているような気がするが・・・。

隣にあるのは、「九人の乙女の碑」。
“皆さん これが最後です さようなら さようなら”と
大きく刻まれた、最期の言葉が痛々しい。
観光客が多数訪れるこの場所に、碑が建っていることで、
九人の乙女の悲劇も、
忘れられることなく語り継がれていくのだ。

近くのおみやげ物屋さんで、紙パックのコーヒー買って飲んで小休止。
ロープウエー山頂駅に戻ってみると、既にシャッターが下りていた。
そういや、4時半で終わるって、さっき聞いたような。
今、午後5時3分。ていうか、氷雪の門に着いた時点で4時半だった。
往復券と片道券の差額、\60の損。

歩いて山麓駅に戻ってきたのが5時20分。
バスターミナルへ荷物を取りに向かいつつ、ゲーセンを探してみる。

駅前にアーケード街があった! ゲーセン発見なるか?

一見どこにでもありそうな商店街だが、
中に入って驚いた。

どっからどう見てもこれはロシア語である。
この商店街では、すべての店の名前に、
ロシア語が併記されていたのだ。
そういえばさっき、稚内公園内の案内板でも、
日本語の下に、英語とロシア語があった。
ちなみに左の写真には、
稚内信金(WAKKANAI SINKIN)と書いてある。

ブルート(BURUTO)発見!
これがワンダースワンの旅だったらなぁ。

店の名前をいろいろ見てると、ロシア語のアルファベットがある程度読めてくる。
Nを裏返した文字は「イ」の音を表し、
Bは英語の「W」(ホントは「V」だが、Wのかわりに使われる)。
Hが英語の「N」というのは、確か『オリエント急行殺人事件』に出てきたはず。
あと、Rを裏返した文字は「ヤ」音である。
したがって「トイザらス」は「トイズヤウス」となり、河村隆一さんは「ヤーケー」となる。
おー、ジュリア。

※「トイズ」の「Y」は「ウ」になるし、ロシア語に「S」はないとかいう細かいツッコミはヤメテね。

結局商店街にゲーセンはなし。そろそろ日が暮れてきた。
すごくデカい人が歩いてきたなぁと思ってよく見ると、西洋人だった。
多分ロシアのかただろう。
考えてみれば稚内から見たら、札幌や旭川よりも、サハリンのほうがずっと近い。
稚泊航路も最近復活しているし、ここにいるとロシアという国が、すごく身近に感じられる。
国境の町はこうであってほしい。

荷物を取りにバスターミナルへ来ると、
ちょうどテレビで武蔵丸−朝青龍戦をやっていた。
ロシア語のあふれる町で、アメリカ人とモンゴル人の相撲を見る。
国際色豊かである。
相撲は朝青龍が勝って、横綱武蔵丸が2敗目を喫した。

今日の宿、稚内全日空ホテルへ。
飛行機のチケットと一緒に、ホテルの予約も
インターネットでできるんだから、便利になったもんだ。
さすが全日空、豪華なシティーホテルである。
ポーターさんのいるホテルに、自費で泊まったのは初めてだ。
ただ、こういう雰囲気のホテルに、
ゲームコーナーはさすがにない。

部屋の窓から宗谷岬が見える。
フェリーの汽笛が聞こえる。
フェリーから車が続々出てくるのが見えた。

昼ご飯を食べていなかったので、少し早い(午後6時10分)けど
1階のレストランで食事。
さっきのタクシーで、稚内のガイドブックをもらっていたのだが、
その中に、ここの「タラコとウニとイカのスパゲティ」が載っていたのだ。
それプラス野菜サラダと、ハスカップを使ったシャーベットを注文。
スパゲティはウニとバターをベースにしたソースで、北海道らしい味。おいしい。
サラダもシャーベットも美味。
北海道出身の私にとっては、ハスカップの味が懐かしかった。

稚内全日空ホテルは、稚内港のそばにある。
港の北岸に延びる、北防波堤ドームへ行ってみた。
全長427メートル、高さ13.2メートルのこのアーチは、
戦前あった稚内桟橋駅のホームの跡。
樺太へ向かう稚泊連絡船の乗り場へ
つながっていたそうだ。

ホテルに戻り、12階のバー・アストラルへ。
静かで落ちついた雰囲気。眺めもいい。
これで、“旅先でのちょっとした出会い”なんてものがあれば最高だったのだが、
少々早い時間帯だったせいか、まだ客はいなかった。
ノンアルコールの、シャーリーテンプルというカクテルを飲む。

さて明日からいよいよ本格的に、日本縦断をスタートさせる。
しかし気になるのはゲーム路銀だ。
ゲーセンが見つからない限り、ゲーム路銀は増えていかない。
果たして北海道を出るまでに、赤字はなくなっているだろうか?

現在のゲーム路銀
-\3,290


今回のルート


稚内市のホームページ  稚内観光協会


次回、「日本全国ゲーセン紀行 道北編(2)」では、
ゲイムマンが人跡未踏の土地を行く!?

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