ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

107.城と梅と風の祭
〜湘南編(10)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥18,745




秦野(はだの)

2008年2月24日。ホテルの部屋の窓から、
丹沢山系の山並みや清流をイメージしたという、
秦野駅の屋根がよく見える。

その屋根の向こうには、
富士山がはっきりと見えた。
今日は雲ひとつない青空。

ホテルで朝食をとり、午前9時30分にチェックアウト。
外は寒いけど、風がおさまっているのが幸い。

ゲーセン紀行のルートではないが、
せっかくだから秦野駅の周りを見てみよう。
まず、北口を流れる水無川にかかる
まほろば大橋。

北西の方向に、丹沢の山々が連なる。

関東の駅百選、秦野駅。
名水で知られる地で、
駅前に湧き水のモニュメントがあった。
駅には、登山客らしき姿の人も多い。

9時44分の電車が7分遅れでやってきた。都心は今日も風が強いらしい。
10時18分、小田原駅に到着。ゲーセン紀行を再開しよう。


小田原

西口で北条早雲像を見た後、東口へ移動。

昨日の夜にも来たけれど、
朝に来ると、駅舎の白い壁が
青空によく映えることがわかる。

今日のメインは小田原城だ。駅から南へ、「お城通り」を歩く。
途中、「松本駅長殉難碑」があった。
1941年(昭和16年)、当時の小田原駅長だった松本宇一氏は、
小田原駅付近の支障現場を視察中、雨に足を取られて陸橋から転落し、亡くなられたそうだ。

碑の隣に咲いていた、
きれいな花は寒桜だろうか。

北入口から小田原城に入る。
まずは天守閣に上ってみよう。
(入場料¥400、歴史見聞館とのセット券は¥600)

天守閣の下に、梅の花が咲いている。
2月29日まで、梅まつりの期間中で、
朝から大勢のお客さんが訪れている。

小田原城の天守閣は江戸時代初期からあったが、1703年(元禄16年)の地震で倒壊。
1706年(宝永3年)に再建されるが、1870年(明治3年)の廃城で取り壊された。
現在の天守閣は、1960年(昭和35年)竣工。宝永時代のものを再現している。

小田原城天守閣に入る。
まず1階の展示は、小田原城の模型や城郭図、
出土した部材、江戸時代のかご、
宿場町で使われたタンス、時計、笠、
ういろう薬を作る薬研など。

木象嵌(ぞうがん)細工、鋳物、小田原提灯、漆器、寄木細工、ししゅう、ものさしといった、
伝統工芸品も展示されていた。

階段を上がる。2階では小田原の歴史と人物を紹介。
北条氏(後北条氏)の起こり、謙信・信玄の小田原攻め、
秀吉の小田原攻めと石垣山一夜城についての解説。
関所の手形、能面、つづら、うつぼ(矢を入れる道具)、徳川家の長持、まとい、
城にあった杉戸絵、大久保氏の調度品なども展示されている。

3階には、槍や鉄砲、手裏剣、弓矢、短刀などの武具や、
北条氏五代と大久保氏を描いた画像を展示。

そして4階が展望階。
昔の小田原城にはなかった外回廊から、
東に小田原の街並みと太平洋が望める。

北側に目を転じると、
小田原駅と丹沢山系。
いちばん右のとがった山が大山。

西側には箱根の山々。

そして南側に、真鶴半島や伊豆大島が見えた。
海も山も眺められる、ぜいたくな場所である。
室内はおみやげ屋さんになっているが、その一角にひっそりと、
かつての天守閣にあったという摩利支天像が安置されていた。

小田原市観光課(小田原城址公園の情報あり)

天守閣を出て、坂を下る。裏手に小さな遊園地。コーヒーカップが回っている。
豆汽車の線路もあるが、汽車は整備のため運休中。
さらに坂を下る。真昼の日差しが気持ちいい。

報徳二宮神社に参拝。
お賽銭に使う100円玉がなかったので、
財布の中の小銭を1円玉まで全部出したら、
ちょうど100円あった。

報徳二宮神社は、
江戸時代後期、多くの農村や藩を復興させた
政治家・農業指導者、二宮尊徳をまつる。
尊徳は現在の小田原市栢山(かやま)出身。
境内の庭を、梅の白が取り囲んでいる。

二宮金次郎像は、1928年(昭和3年)のもの。
戦前の像は、戦時供出に遭ったため、
ほとんど残っていないらしい。

報徳二宮神社のホームページはこちら

ちなみに、まきを背負って本を読みながら歩くこの姿は、
幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵にあったもので、
実際に尊徳がまきを運びながら、本を読んでいたわけではないようだ。

余談だが、あの『ゲーム脳の恐怖』の中では、歩くと脳が活性化するという説明の中で、
「二宮金次郎が柴を背負って歩きながら本を読んだのは有名な話です」と書かれていた。
“尊徳は歩きながら本を読んだから頭が良くなった”という発想も相当なものだが、
そもそも“歩きながら本を読んだ”自体が事実ではないので、
この点でも森昭雄氏の勉強不足がうかがえる。
まあ『ゲーム脳の恐怖』という本自体、ちゃんと勉強している大人が書くような代物ではない。
「山本弘氏に聞く」 「斎藤環氏に聞く」
「『ゲーム脳』とは何か?」(PDF)を参照のこと)
あんなのをいまだに教壇に立たせて、教授という称号をつけて、給料を支払っている、
日本大学文理学部の程度が知れる。

二宮神社参道の白梅もきれい。

お堀沿いには紅梅も。

さっき天守閣前で見た案内図によると、城の裏手に梅林があるようなので、探す。
競輪場へ行くお客さん向けの駐車場があり、
そこに桜の木と梅の木が1列ずつ並んで生えていた。
花をつけているのは白梅ばかりで、きれいだけれどどこか、はかなさを感じさせる。

この後、城の外周道路を歩くが、中には入れず梅も見られず。
最初の北入口に戻ってしまった。さすがは難攻不落の小田原城である。
北入口にある地図を見直すと、さっきの駐車場が梅林だったようだ。
写真1枚も撮ってない。
あとは歴史見聞館のあたりに梅の木があるらしいから、そちらを期待しよう。

天守閣前に戻って、本丸の動物園を見る。
動物“園”というには小さなスペースだが、何とその中に、

象がいるのだ。
私がこの城に来たのは2度目だが、
初めて来たときは本当に驚いた。
メスのウメ子。現在60歳らしいが、
元気そうだ。

(※残念ながら2009年9月に死去した)

このほか、小さなサル山がある。
前に来たときには、もう少し動物の種類が多かったような記憶があるが。

常盤木門(ときわぎもん)。
本丸の正門で、
1971年(昭和46年)に復元された。

常盤木門の内部は、ガラスの美術館「小田原城ミューゼ」となっている。
1階が売店で、2階が美術館(美術館の入館料¥800、天守閣とのセット券は¥900)。
ドーム、ガレ、ラリックを中心とした、アールヌーボー、アールデコのガラス器を展示。
日本を意識した作品が多いので、城郭建築の室内にも意外とマッチしている。
もし、20世紀初頭に織田信長が生きてたら、絶対こういうの好きだったろうと思う。

小田原市観光課(小田原城址公園の情報あり)

常盤木門を出て、歴史見聞館へ向かう。
このあたりの梅は、
紅白ともきれいに咲いている。

市指定天然記念物のイヌマキ。
ねじれた幹がおもしろい。

小田原城歴史見聞館は、
屋根の塗り替え工事中だったが、
内部の見学はもちろん可能。
入館料¥300だが、さっき買っていた
天守閣との共通券で入る。

天守閣内の展示でも簡単に触れられていたが、
ここでは小田原城の歴史が、さらに詳しく解説されている。
北条早雲(伊勢新九郎)は伊豆を奪取した後、関東進出をもくろんで小田原城を狙う。
早雲は大森藤頼を贈り物で油断させた上で、
狩りの勢子と称して二千の兵を送り込み、小田原城を攻め落とした。
一方で、伊豆でも相模でも領国経営に努め、北条5代の基礎を築いている。

2代・氏綱から北条を名乗るようになり、勢力範囲を拡大。
3代・氏康は、河越城に攻めてきた扇谷上杉・山内上杉の軍を、
10分の1ほどの兵力で破っている(河越夜戦)。
風魔の一党などを芸人に扮装させて敵兵の気力を削ぎ、和議を申し入れて油断させたという。

4代・氏政の時代、上杉謙信、次いで武田信玄に小田原を攻められたが、
いずれも籠城して撃退している。
しかし次の氏直のとき、
諸国の大名を集めて22万という圧倒的な兵力で城を包囲した豊臣秀吉に、
長い籠城の末、降伏した。

ミニシアターでは、氏政、氏直、氏照(氏政の弟)らによる、
いわゆる“小田原評定”を、等身大の人形で再現。
江戸の宿場町を模したスペースでは、明治・大正期の街の写真なども展示されていた。

小田原市観光課(小田原城址公園の情報あり)

さわやかな香りが漂う
梅並木沿いを通り、

小田原市郷土文化館へ(入場無料)。

入口にクスノキの大木と、

そうとう古い木馬がある。

各時代の出土品や書状、戦時中の防空頭巾、人力車などを展示。
幕末に街並みを撮った写真が興味深い。考古・文化人資料室は、展示替えのため入れず。
2階には、さまざまな動物・植物・昆虫・岩の標本を展示する「自然科学資料室」や、
漁具の展示スペース、昔の農具や生活用具を展示する「民俗資料室」。
建物自体も割と古いようで、きしむ木の床が懐かしい。

最後に、1997年(平成9年)に復元された
銅門(あかがねもん)へ。

道の途中に、ビャクシンの古木あり。

ちょうど順光で、白壁が青空によく映える。
銅門は、江戸時代の工法で
復元されているらしい。

扉に銅が貼られているので銅門という。
梁(はり)の松の表面を、
小さなくぼみで覆い尽くすという、
あまりほかでは見ないような細工が
施されていた。

門を出て振り返ると、
枡形(ますがた)の構造がよくわかる。
近くでは馬出門(うまだしもん)が
復元工事中。来年(2009年)秋完成予定。

下見板張りの和洋折衷の建物は、
観光案内所。
係の方にうかがったところ、
これは昭和4年頃の建物で、
最初は図書館だったそうだ。

午後3時の小田原城には、のどかな雰囲気が漂っていた。
小田原市観光課(小田原城址公園の情報あり)

お堀に沿って歩き、駅まで戻ろう。

途中、小田原ちょうちんを
いっぱいぶら下げた、橋本という
おそば屋さんが目に留まったので、
ここでお昼にした。

梅祭りそば。
梅は、東海道中膝栗毛にも梅漬けが出てくるくらいの小田原名物。
このそばには梅干しや梅くらげがついていて、名物を存分に堪能できた。

幸田門跡に、猫が2匹寝っ転がっていた。狛犬ならぬ狛猫である。

商店街の薬屋さんで、ういろうが売られていたので買う。
ういろうはもともと薬の名前で、医師の外郎(ういろう)家が代々伝えてきた。
外郎家2代・大年宗奇が、朝廷で接待のために供したお菓子が、お菓子のういろうの始まり。
5代定治が小田原に招かれ、京都には弟が残ったが、
戦火で職人たちが京を離れ、お菓子の製法が全国に広まったそうだ。
歌舞伎の「外郎売」は、二代目市川団十郎が、
この薬のおかげで喉が治ったので、感謝の意を込めて作ったものだとか。

そういう歴史的経緯から、
小田原では今でも、ういろうと薬が
同じ店で売られている。
「ういろう」と書かれた店先に、
象のサトちゃんが立っているのが
おもしろい。

駅に着いたとき、ちょうど
2階デッキのカリヨンが鳴った。午後4時。
ここからは、箱根登山鉄道に乗って、
箱根の強羅、さらに芦ノ湖を目指そうと思う。

駅舎改築とともに、屋根も新しくなった
小田急線ホーム。
箱根湯本までは、
小田急の電車が直接乗り入れる。

3月15日のダイヤ改正からも、引き続き小田急の車両が使われるが、
新宿からの直通電車は、ほぼ特急ロマンスカーだけになるらしい。

4時16分発の電車は、
小田急3000系6両編成。
『箱根八里』(箱根の山は天下の険……)の
メロディーで発車。

単線なので、右側に線路がない。
トンネルを抜け、並行するJRの線路から離れ、右にゆっくり曲がる。
4時19分、箱根板橋着。(ゲーム路銀 ¥18,745-¥130=¥18,615


箱根板橋(標高27m)

島式ホームのほかに1本、短いホームがある。
これは箱根登山鉄道の車両用のホーム。
箱根登山鉄道と小田急ではレール幅が異なるので、
最近までこの区間は、三線軌条になっていた。
そのため登山鉄道の車両だと、
島式ホームとのすき間が広くなるため、
反対側にもホームが設けられた。

現在の線路は、小田急の1067ミリに合わせてあり、
この区間には登山鉄道の車両が来ないので、このホームは使われていない。

駅名標のデザインは最近変わったが、
標高が書いてあるのは以前と同じ。
この駅は標高27メートル。

箱根板橋駅から、
国道1号線を小田原方向に戻り、
新幹線の高架をくぐってすぐの所に、

「懐かし横丁」があった。
駄菓子屋さんだが、
昔のおもちゃが展示されていたり、
昔のテレビゲームがあったりする。

「インベーダー」の看板もある。

店内に入ってすぐ、ホーロー看板や駄菓子とともに、
パックマン、クレイジークライマー、ギャラガ、
スペースウォー(ミュージックインベーダー)が並んでいる。

6人設定だったので、『クレイジークライマー』をプレー。1プレー¥50。
このゲームは何度もやったことがあるが、初めて3面をクリアーした。
ゲーム路銀 ¥18,615+¥100=¥18,715

ほかにも店の奥には、ギャラクシアン、スクランブル、ギャプラス、
ボンバーマンやメタルスラッグ3、さらにパチンコゲームや、
10円玉をゴールに運ぶゲームなどがずらり。
ルーレットゲームの『国盗り合戦』が目に入ったときは、
思わず「うわ、懐かしい」と、ベタに声を出してしまった。
カウンターでカルピスを買って飲む。¥100で350ミリリットル。安い。

昭和のいろんな世代のキャラクターグッズ、特に人形がずらりと陳列されていた。
小さなスペースだが、青梅や豊後高田の博物館に勝るとも劣らない。

小田原懐かし横丁(0465.netによる紹介ページ)

箱根板橋駅着午後5時15分。次の箱根湯本行きは5時20分。
隣の風祭駅で降りる予定だが、風祭では先頭車両しかドアが開かないので、
ホームの風祭寄りに立って待つ。
新宿行きの8000系が先に来て、続いて私の乗る電車も来た。3000系。

先頭車両から前を見ると、この電車がどんどん坂を上っていっているのがわかる。
左に川。右に石垣。少し下って、風祭駅着5時25分。
特急ロマンスカーHiSEが待っていた。 (ゲーム路銀 ¥18,715-¥130=¥18,585


風祭(かざまつり)(標高48m)

この駅はホームの長さが短いため、長い小田急の車両が来たときは、
非常用ドアコックを使って、手動でドアの開閉ができるようにしてから、
駅員さんが手でドアを開ける。風祭名物「ドアコック乗降」だ。

なお、最近ホームが改築されて、4両編成まで対応できるようになったが、
まだ6両編成の電車が来るからか、区切って1両分だけ使っている。
3月15日からは、この駅に止まる電車は4両編成だけとなるので、
ドアコックを使わず、普通に全車両のドアが開くようになるらしい。

構内踏切で、今乗ってきた電車の通過を待ち、踏切が開いてから駅の外に出た。

ホームを拡張するために、
駅舎が小さなものに建て替えられた。

駅からすぐのところ、
国道1号線を挟んだ両側に、
鈴廣かまぼこのレストラン群と、

鈴廣蒲鉾本店、そして
「鈴なり市場」が並んでいる。
かまぼこ博物館もあったが、午後5時で閉館。

鈴なり市場に入る。おみやげとしては既に小田原駅前でういろうを買っているので、
かまぼこは次回にしようと思う。そのかわり、
かまぼこストラップとかまぼこ耳かきを購入。

日が暮れた。
鈴なり市場の前で、梅がきれいに咲いている。
ちなみに、箱根駅伝の復路において、
小田原中継所はこのあたりらしい。

鈴廣かまぼこのホームページはこちら

まだ小田原駅からそう遠くないのに、
山に囲まれていて、けっこう寒い。

次回はここ風祭から再開しよう。
上りホームから、向かいのホームを見る。
次回来るときは、立て札とフェンスが撤去され、
ホーム全体が使えるようになるはずだ。
6時ちょうどの電車に乗って帰る。

小田原で乗り換えたロマンスカーは、
懐かしの7000系(LSE)だった。

現在のゲーム路銀
¥18,585

今回のルート
1.小田原城址公園 2.小田原文学館、白秋童謡館 3.小田原競輪場
4.石橋山古戦場 5.石垣山一夜城 6.いこいの森
7.鈴廣かまぼこ博物館 8.生命の星・地球博物館
9.早雲寺 10.箱根ガーデンミュージアム

秦野市観光協会  小田原市観光課  箱根町観光協会「箱根全山」
観光かながわNow  JR東日本  JR東海
小田急電鉄  箱根登山鉄道  伊豆箱根鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 108.箱根編(1)」では、
2つのミュージアムから箱根湯本へ。
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