ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
114.ようやく箱根の関を越える
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2008年9月22日。 ここんとこ、ゲーセン紀行の1泊めには必ず体調を崩しているが、 今回は行きのロマンスカーの中で突然の腹痛。 車種がVSEだったから、トイレが多くて助かったが、 痛みが引かないまま、乗り換えの小田原駅に到着。 幸い、乗り換えた東海道線の電車で寝たら治った。 熱海のホテルで1泊して、翌23日朝。 ここ数日、夜中に目が覚めると寝られなくなるという状態が続いていたが、 この日も8時半に起きる予定が、7時に目が覚めてしまい、それからどうしても眠れない。 結局、8時にベッドから起きて身支度を始める。 4時間半しか寝てないが、この先だいじょうぶなんだろうか? 軽い朝食をとって、9時15分発のバスを待つ。バス停には行列ができていた。
丘の上に、芦ノ湖を見張る、遠見番所という小さな建物がある。 階段が設けられているので、上ってみた。かなりキツいが、
丘の下には足軽番所がある。足軽の詰所で、寝泊まりもされていたという。 この建物の端には、関所破りの罪人を入れる獄屋(牢屋)もあった。 箱根関所のホームページはこちら
箱根に関所が置かれたのは、江戸幕府成立後の1619年(元和5年)とされているが、 どうやらそれ以前、遅くとも慶長年間には既にあったらしい。 俗に“入鉄砲出女”といわれるが、箱根では出女は厳しく取り調べたものの、 入鉄砲については調べられなかったとのこと(別の関所で調べていたらしい)。 また、江戸から出る人々は取り調べたが、 江戸に入ってくる人については、男女とも手形すら要らなかったそうだ。 最初の部屋に展示されているのが、関所の高札や、さすまた、突棒(つくぼう)、袖がらみ、 通過する人々を脅す「おどし面」、さまざまな種類の往来手形。 すべて本物ということが、この地の歴史をより一層深く感じさせる。 手形の中でも、やはり女手形は厳重に扱われ、髪型やお灸の跡まで記されていた。 人見女という役目の人が、細かくチェックしたという。 女性を厳しく調べていたのは、人質として江戸に住んでいる諸大名の妻子が、 江戸からこっそり抜け出すのを防ぐためだった。 関所破りは死罪だったが、実際には薮入り(道に迷った)ということにして、 追放刑で済ませていたことが多かったらしい。 もちろん、実際に処刑された人もいた。お玉という女性が、奉公先から逃げ帰ろうとして 箱根の山に入って捕らえられ、処刑された場所が、旧街道沿いの「お玉ヶ池」だそうだ。 武士の陣笠や刀筒・矢筒、関所番頭の日記、大石内蔵助の宿泊が記された宿帳、 旅人の使った道具、大筒や火縄銃、よろいかぶと、銭箱なども展示されていた。 かわいらしい、大名行列の人形も並んでいた。 箱根関所のホームページはこちら 最初に入った京口御門から出て、箱根オルゴール館をざっと見た後、 旅物語館に戻って、そばを食べた。 今回は立ち寄らなかったが、箱根町にはこのほか、 箱根芦ノ湖野草園や、箱根やすらぎの森、恩賜箱根公園といった、 草木を愛でる施設が多い。 県立恩賜箱根公園 箱根芦ノ湖野草園 箱根やすらぎの森 森のふれあい館
発車すると、左に芦ノ湖、右に杉並木が見える。 芦ノ湖方面の雲は厚く、とうとう箱根から富士山を拝むことはできなかった。 元箱根港を通り、右折して湖を離れ、山道へと入っていく。すごい上り坂だ。 曽我兄弟の墓から芦ノ湯へ下る。芦之湯フラワーセンターの温室が右手に見えた。 箱根芦之湯フラワーセンターのホームページはこちら 再び上り、東芦ノ湯から下る。180度くらいのカーブがいくつも続く。 前回・前々回の帰りにも、このバスに乗ったが、 初めて乗ったときは、こんなきつい道路が、本当に箱根駅伝のルートなんだろうか、 違う道に来ちゃったんじゃないかと思った。 恵明学園を通過したので、やっとここが駅伝のルートだと認識できた。 やがて、見覚えのある大きな建物が。ユネッサンだ。 以前乗ったときは、ユネッサンと小涌園で多くのお客さんが乗ってきたが、 今回は真っ昼間だったせいか、ユネッサンから乗る人は少なかった。 くねくねとした山道を抜け、富士屋ホテル前を通過。また山道となる。 左側の車窓は崖っぷちぎりぎりで、見下ろすと、 木々ばかりでその根元が見えず、ちょっとこわい。 大平台のヘアピンカーブを通る。塔ノ沢から温泉街らしい風景となる。 函嶺洞門を通過。
午後1時39分発。入生田の地球博物館、風祭のかまぼこの里が窓から見える。 沿線にはもう、ヒガンバナが咲く季節になってしまった。 高速道路をくぐると、早川の向こうに海が見えた。遂に小田原市に帰ってきたのだ。 箱根板橋駅を経て、新幹線の高架をくぐり、左に曲がって東海道線と並ぶ。 トンネルをくぐって、1時53分、小田原駅着。(ゲーム路銀 ¥11,165-¥300=¥10,865)
けっこう足腰が疲れた。荷物が重いなあと感じる。 幸い、帰りはまたここで乗り換えるので、コインロッカーにパソコンを入れた。 さてゲーセン紀行はここから、半年振りに東海道本線に復帰する。 ホームに止まっていた、2時10分発のE231系に乗る。クロスシートに座れた。 さっきのトンネルを通り、早川を渡ると早川駅。周りは住宅地で、 海側にはトーヨータイヤターンパイクの橋柱、山側には大きな観音様が目立つが、 ここは通過します、ごめんなさい。 トンネルを通ると、左側には海が近づく。さらにいくつかトンネルを通る。 このあたりに、源平が戦った石橋山古戦場があるらしい。 源頼朝はこの地で平氏に敗れ、土肥実平らとともに、 (前回も書いたが、)箱根権現の行実僧正にかくまわれた。 その後、真鶴から海路で安房国まで逃れ、ここから再起を果たしている。
海が近いので、関東大震災では多くの犠牲者が出たらしい。 駅舎の脇にひっそりと建つ殉難碑に黙とうする。 小さな駅舎の割には、多くのお客さんがいた。 ちょうど、山の上にあるヒルトン小田原の送迎バスが来たようだ。 事前に調べたところ、かなり豪華なリゾートホテルのようで、 ちょっと気になったけど、そちらには向かわず、駅舎をもう少し眺めてみた。 ヒルトン小田原リゾート&スパのホームページはこちら
駅を出るとすぐ橋を渡るが、風よけ網のため景色はよく見えない。 トンネルと木々の間に、海が見え隠れ。 長いトンネルを抜けて、2時52分、真鶴着(ゲーム路銀 ¥10,675-¥180=¥10,495)。
さて、トイレに行っている間に、真鶴岬行きのバスが出ていってしまった。 次は30分後の午後3時半か。タクシーだと¥1,000強かかるらしい。 ゲーム路銀がそろそろ1万円を切りそうなので、おとなしくバスを待つ。 発車15分ほど前から、もう次のバスが来ていた。 乗って出発を待っていると、ちょっと眠くなってきた。 バスが出発。ごく普通の町なみが、漁港の景色となり、 左手に海が続いたかと思うと、山道へと分け入っていく。 途中で通った、中川一政美術館にも興味があったが、 閉館までもう時間がないので、立ち寄らなかった。 故・中川一政氏は、1949年(昭和24年)から真鶴にアトリエを構え、 1991年(平成3年)に亡くなるまで、この地で活動されていたそうだ。 真鶴町立中川一政美術館のホームページはこちら
バス停と同名のレストハウスの向こうが、真鶴岬の突端だった。 与謝野晶子の歌碑(「わが立てる真鶴崎が二つにす相模の海と伊豆のしら波」)と、 幕末の台場跡の、間の階段を下りると、 岬の名前の由来となる、鶴が首を伸ばしたような細い突端と、 その先にしめ縄を渡した“三ツ石”が見える……はずだったが。
三ツ石の右手には、初島が見えた。そのさらに右は伊豆半島か。 さて、下りた階段は、上らなければ戻れない。 息を切らしながらも、ゆっくり上って戻ってきた。
ケープ真鶴で休もうと思ったら閉まってた。4時閉店だった。 まだ人がけっこういるのに。 自販機で水を買い、飲みながらバスを待つ。 寝ている猫の周りに、数人の人が集まっている。 バスが来るのは4時35分。25分待ち。 岬の下にもここにも蚊がけっこういて、自分がどれだけ刺されたかが気になる。 歩いて行こうかとも考えたが、もう脚が相当疲れてるし、 どっちみちバスより早く駅に着くことはないから、おとなしく待っている。 幸い、バスは22分に来てくれた。冷房が効いている。乗って待つ。 定刻に出発。細い道を通って、海沿いの里に下りてきた。 魚市場で十数人の人が乗る。 4時50分着。(ゲーム路銀 ¥10,245-¥250=¥9,995) 遂にゲーム路銀が1万を割った。
まだ日が暮れてないので、もうひと駅だけ移動しよう。 4時57分発、快速アクティー熱海行き。 E231系に似てるけどちょっと違う。中央線にも入っているE233系だった。 もうE231に後継車が入ったのか。 真鶴駅の屋根には、ホーム側から見たら、鶴の絵が描かれていた。 駅を出ると、トンネルと、海辺の町がかわりばんこに見える。海には初島が浮かんでいる。
湯河原温泉まで、今からバスで行けないこともないが、 今日はもうかなり動き回ったので、温泉行きはまた次回にしよう。 5時37分発の快速アクティーで帰る。 ¥9,815 今回のルート
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