ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
121.いろんな時代の東海道を見る
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ニンテンドーDS『スローンとマクヘールの謎の物語』のおかげで、 移動時間も待ち時間も退屈しなかった。 でもハマりすぎて、ホテルでもずーっとプレイし続け、気がついたら午前3時半。 さらにその後、5時半ころまで寝つけず。 というわけで翌13日は、やや遅めの9時半に起床。 静岡鉄道の新清水駅前から、商店街を歩いて、 清水駅10時25分発の電車に乗った。10時34分由比着。 今日はここからスタートだ。
ここではその名のとおり、歌川広重の浮世絵が展示されている。 まず、東海道中膝栗毛の名場面を描いた絵が並んでいた。 喜多八が五右衛門風呂の底を抜く場面など。 浮世絵の基礎知識の解説コーナー。浮世絵は江戸時代の情報メディアだったそうだ。 いわれてみれば、美人画、役者絵、相撲絵、名所絵、花鳥画、戯画など、 いずれも現代の雑誌に通じるものがある。 景色の中に店名や商品名が書かれている絵も多い。広告としての役割も果たしていたのだ。 制作過程も現代の出版と似ていたそうで、 版元が企画を立てて、絵師が原稿を制作。彫師、摺師の手を経て製品化される。 (肉筆画の場合を除く) 初版は通常、200部程度だったが、 ヒットを当て込んでたくさん摺って、大損した例もやっぱりあったらしい。 ぼかしの技法が凝っている。摺師の腕が、空や海などのさりげない所に発揮されている。 歌川広重は、1787年(寛政9年)、火消しの家にうまれ、15歳で歌川豊広に入門。 1833年(天保4年)に『東海道五十三次之内』が人気となり、 以後、名所絵の名人として活躍する。 1858年(安政5年)、コレラで死去。 切手で有名な『月に雁』が、広重の作品だというのを初めて知った。 『大はしあたけの夕立』や『亀戸梅屋鋪』は、後にゴッホが模写したことでも有名。 さや絵(刀のさやに映すと正常な絵に見えるアナモルフォーシス)や、 双六、判じ絵など、遊びの要素が濃い絵もあった。 大展示室には、「行書東海道」とよばれる東海道五十三次の絵が展示されていた。 (6月21日まで) 館の方の説明によると、広重は、よく知られる保永堂版のほかにも、 生涯に十数回も五十三次を描いていて、行書東海道は1842年(天保13年)頃の作品。 品川でのりが養殖されてたり、六郷の川から富士山が見えたり。 今の風景とはまるで違って興味深い。 構図の取り方も工夫されているし、人々の動きも生き生きとしている。 箱根、三島、蒲原など、ほとんどの絵が保永堂版とはまったく違っている。 原の絵では富士山が、上の枠線から突き出していた。 現代の漫画でよく使われる表現方法だが、この時代からあったのか。
凝った押縁下見板張りの、東海道由比宿交流館でひと休み。 由比宿の町並みが、模型で再現されていた。 地元の産業に関する展示も。いなば食品とホテイフーズって、ここに本社があったのか。 (正確には、ホテイは隣の蒲原にある)
正午を回った。晴れて暑くなってきた。朝から何も食べてない。 ゆい桜えび館へ向かおう。 案内板の矢印が、飯田八幡宮という神社の石段に向いており、ちょっととまどうが、 上ってみると右手に桜えび館の看板が見えてきた。
ゆい桜えび館に着いたが、お昼時ゆえ食堂は満席。 おもしろ宿場館という所にレストランがあると、店のドアに書かれていたので、 そっちへ行ってみた。
2階がレストラン。ここでも少しだけ待ったが、 すぐに席に案内され、桜えび御膳を食べることができた。
メインの桜えびのかき揚げが、塩に合ってうまい。 ほかに、生、サラダ、つくだに、すまし汁。たっぷり地元の名産を堪能する。 1階のおみやげ屋さんの奥が、おもしろ宿場館だった。(入館料¥400) この階には、宿場町の風景が再現されていた。 さっきのユーモラスな人形が、宿場町のお店の売り子や、旅人、職人になっている。 地下では、大名の食事風景を再現。 実際に由比本陣で用いられた、大名用をはじめとする什器も多数展示。 こういう物を見ると、江戸時代の参勤交代が、時代劇だけのフィクションではなく、 現実にあったことだというのを、あらためて実感させられる。 由井正雪についても解説されていた。 江戸時代初期、大名の取りつぶしにより、多くの武士が浪人となって、不満を持っていた。 この現状を憂えた正雪は、丸橋忠弥ら門下生とともに、 江戸、大坂、京、駿府で、一斉に乱を起こそうと企てる(慶安の変)。 しかし事前に発覚し、正雪は府中(静岡)で捕らえられそうになり、自害した。 だが幕府はこれ以降、浪人に対する政策を見直し、 大名取りつぶしや浪人の取り締まりを緩めたという。 歌舞伎にもなった『慶安太平記』により、正雪の名は広く知れ渡った。 ただ、彼に関する歴史的資料は少なく、 出生地や、事件の目的など、複数の説が存在するとのこと。 このほか、桜えび漁の歴史や方法を紹介した展示もあった。 ゆい桜えび館のホームページ(東海道広重美術館、由比正雪生家、おもしろ宿場館の紹介あり) ただいま午後1時53分。駅まで歩いて戻ろう。
次は48分発の島田行き。自販機で飲み物を買って、飲みながら待つことにする。 MATCHを買おうと思ったが、大人が飲んだらタイホらしいので、 やめてポカリスエットにした。 3両編成の211系電車がやってきた。由比を出発。座席はすべて埋まっていた。 この先、電車は薩た峠の海側を回り込むことになる。 駅を出てすぐ、短いトンネルを抜ける。 左に2本の道路。右は山すそに家々が建ち並ぶ。川を渡ると家もなくなった。 海側の東名高速は、海に柱を立てた高架となり、 オーバークロスして山側へと分かれていく。 海が見えるようになった。短いトンネルを2つ過ぎ、興津川を渡る。 峠を抜けたようで、左右とも住宅地となった。
バスは定刻にやってきた。意外と大きくて新しい。冷房が効いている。 3時14分着。(ゲーム路銀 ¥7,855-¥160=¥7,695)
受付で¥300納め、建物の内部を見学させていただいた。 まず大方丈へ。開かれた窓からそよぐ風が心地いい。 壁に、朝鮮通信使の詩文が掲げられていた。 その中に交じって、月島丸という船の乗組員の肖像画も。 日本初の航海練習帆船だったが、 1901年(明治34年)に駿河湾で沈没したという。 大玄関の天井には、清見ヶ関の古材が使われているそうだ。 「血天井」とよばれ、 梶原景時の軍勢が戦った時の血がついているといわれる。 大方丈の裏手には、「家康公手習の間」や、 陣中で使ったとされる簡素な輿(こし)、 江戸時代に家康の指示で造られたという日本庭園がある。 明治天皇御成りの間が保存されている書院を見て、再び外へ出た。
大方丈の前にある梅の木は、家康公御手植と伝わる臥龍梅。 高山樗牛の文学碑と、山下清の文章を記した立札が、向かい合って立っていた。 格調高い樗牛の文章と、平易な山下清の文章。対比の妙がある。 ここから海側の景色が見えるが、道路や工場、倉庫にはばまれ、海はよく見えない。 樗牛はここから見える景色の素晴らしさをたたえているが、 清が訪れた頃には既に埋め立てが進んでいたようで、 清は「あんまりきれいじゃないな」と書いている。 ちなみに、『東海道中膝栗毛』で、弥次さん喜多さんもこの寺の前を通っているが、 薩た峠を過ぎたあたりで大雨に見舞われたため、景色は見ていない。
境内のいちばん奥には、北村西望氏の聖観音菩薩像、そして、
清見寺のホームページはこちら 跨線橋を渡って戻る。あちこち蚊に刺されたようだが、興津めぐりはまだ続く。
1919年(大正8年)、公望が70歳のときに建てられた。 当時は「興津詣で」とよばれるくらい、政府要人がよく訪れたという。 実際の建物は、愛知県犬山市の博物館明治村に移築保存されているが、 もとあったこの場所にも、復元されている。(入館無料) 白木造りで、復元されたのが最近なのでまだ真新しいが、 かえって「公望が暮らしていた時代はこんな感じだったんだろうなあ」と感じさせる。 広い畳の間も、洋間もあって、今隠居するのにも申し分ない。 昔は窓から三保の松原が見えたらしい。 公望の掛け軸や筆、杖、長じゅばんなどの遺品や、写真も展示されている。 2階にも8畳の部屋がふた間ある。今すぐ住みたくなる快適さ。 よく見ると、三島にあった小松宮親王邸と同じく、 細部にさまざまな意匠が凝らされていて、高級住宅だったことがうかがえる。 博物館明治村のホームページ(坐漁荘の移築先) 坐漁荘から歩いて駅まで戻ろう。かつて脇本陣だった水口屋の前を通る。 伊藤博文や、坐漁荘を建てる前の公望も泊まっていたらしい。 現在はギャラリーになっているが、午後5時を過ぎたためか、ゲートが閉まっていた。 今では住宅や商店が並ぶこのあたりが、かつての興津宿。 交番脇の公園に、明治元年当時の各店の屋号を記した案内板があった。 たいやき屋の前に、ちょっとした行列ができていた。興津鯛に代わる名物か? 興津駅着5時32分。ちょうど目の前で下り電車が出て行った。 改札入ってすぐの1番ホームだったから、あと1分くらい早く着けば乗れたのに。 次の下りは49分浜松行き。麦茶を買って飲んで待つ。電車が来る前に500ml飲み干した。 特急ふじかわが通過した後、6両編成の普通電車がやってきた。211系+313系。 さっき歩いた道から、山側に1本入った通りを逆に進む。清見寺の前を通過。 頭上を静清バイパスが、左から右へオーバークロス。 庵原川を渡る。左は工場や倉庫が多い。右は住宅地。 右に教会のような建物があった。結婚式場らしい。左にはオブジェのある広場。
バスの本数は多いようだ。 土日祝は午後6時台まで、1時間に3〜4本。しかも無料。
バスはやや遅れて23分発。いったん静岡鉄道の新清水駅の近くに寄った後、
まず最優先で向かったのは、3階にあるゲームコーナー「アミュージアム」。 ここをはじめ、清水から静岡にかけてはゲーセンが多く、ゲーム路銀が稼げそうだ。 だからさっき由比で、何のちゅうちょもなくタクシーに乗ったのだ。 アミュージアムに入るとまず、プライズものの広いスペースがある。続いてメダル。 キッズ向け筐体や、レース、音ゲー、ガンシューティング、エアホッケー、 World Club Champion Football、戦場の絆。 ビデオゲームは、バーチャファイター5R、ガンダムVSガンダム、 テトリス、ダイナマイト刑事EX。 自販機でデカビタCを買う。 デカビタCはかつて、静岡市出身の三浦知良(カズ)選手がCMやってたから、 一応ご当地ゆかりの飲み物といえなくもない。 『ビシバシチャンプオンライン』をプレイしよう。 初めて見るミニゲームばかりだったが、 オンラインゲームのオフライン仕様だったためか、難度が低く、 勝利したゲームは全部で8つ。(ゲーム路銀 ¥7,515+¥700=¥8,215) 時刻は午後7時30分。1階の「清水すし横丁」で晩ごはんを食べよう。 さまざまな寿司屋さんが立ち並んでいる。 各店舗の店構えが、江戸から明治時代の建物を模した、凝った造りになっている。 地元清水で仕入れたネタが売りのお店で、おすすめの握りをいただく。 赤身、トロ、あぶり、鉄火と、同じマグロでも味がかなり変わるのがおもしろい。 鉄火に巻くノリの重要性がわかった。 さらに、いくら、うに、穴子なども堪能した。
エスパルスドリームプラザのホームページはこちら 日の出ドリームパーク(清水港 日の出地区)のホームページはこちら ホテルに戻ろう。ホテルは新清水駅の近くだが、 無料バスに乗るとルートが遠回りになるので、歩いて戻る。 15分ほど歩いて、8時25分に到着。明日は新清水駅をスタート地点としよう。 ¥8,215 今回のルート
静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市) 富士山観光交流ビューロー ハローナビしずおか(静岡県) JR東海 静岡鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 122.静岡編(8)」では、 三保の松原で富士山を見られるか? 「日本縦断ゲーセン紀行 120.静岡編(6)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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