ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

121.いろんな時代の東海道を見る
〜静岡編(7)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥8,865



2009年6月12日。新幹線で静岡へ。
東海道線と静岡鉄道を乗り継いで、
清水のホテルにチェックイン。

ニンテンドーDS『スローンとマクヘールの謎の物語』のおかげで、
移動時間も待ち時間も退屈しなかった。
でもハマりすぎて、ホテルでもずーっとプレイし続け、気がついたら午前3時半。
さらにその後、5時半ころまで寝つけず。
というわけで翌13日は、やや遅めの9時半に起床。

静岡鉄道の新清水駅前から、商店街を歩いて、
清水駅10時25分発の電車に乗った。10時34分由比着。
今日はここからスタートだ。


由比(ゆい)

まずは駅前からタクシーに乗った。
わずか3分で、

由比本陣公園に到着した。
ゲーム路銀 ¥8,865-¥830=¥8,035
ここは由比宿唯一の本陣屋敷跡だそうだ。
「明治天皇由比御小休所」
「天皇陛下皇后陛下行幸啓記念碑」
と書かれた石碑が建っている。

塀の外の水路で亀が甲羅干し。
かつて馬の水呑場だったとか。

木造の門をくぐると芝生広場。
ここに母屋があったらしい。

正面に建つ、
東海道広重美術館に入ってみよう。
(入館料¥500)

ここではその名のとおり、歌川広重の浮世絵が展示されている。
まず、東海道中膝栗毛の名場面を描いた絵が並んでいた。
喜多八が五右衛門風呂の底を抜く場面など。

浮世絵の基礎知識の解説コーナー。浮世絵は江戸時代の情報メディアだったそうだ。
いわれてみれば、美人画、役者絵、相撲絵、名所絵、花鳥画、戯画など、
いずれも現代の雑誌に通じるものがある。
景色の中に店名や商品名が書かれている絵も多い。広告としての役割も果たしていたのだ。

制作過程も現代の出版と似ていたそうで、
版元が企画を立てて、絵師が原稿を制作。彫師、摺師の手を経て製品化される。
(肉筆画の場合を除く)
初版は通常、200部程度だったが、
ヒットを当て込んでたくさん摺って、大損した例もやっぱりあったらしい。

ぼかしの技法が凝っている。摺師の腕が、空や海などのさりげない所に発揮されている。

歌川広重は、1787年(寛政9年)、火消しの家にうまれ、15歳で歌川豊広に入門。
1833年(天保4年)に『東海道五十三次之内』が人気となり、
以後、名所絵の名人として活躍する。
1858年(安政5年)、コレラで死去。

切手で有名な『月に雁』が、広重の作品だというのを初めて知った。
『大はしあたけの夕立』や『亀戸梅屋鋪』は、後にゴッホが模写したことでも有名。
さや絵(刀のさやに映すと正常な絵に見えるアナモルフォーシス)や、
双六、判じ絵など、遊びの要素が濃い絵もあった。

大展示室には、「行書東海道」とよばれる東海道五十三次の絵が展示されていた。
(6月21日まで)
館の方の説明によると、広重は、よく知られる保永堂版のほかにも、
生涯に十数回も五十三次を描いていて、行書東海道は1842年(天保13年)頃の作品。

品川でのりが養殖されてたり、六郷の川から富士山が見えたり。
今の風景とはまるで違って興味深い。
構図の取り方も工夫されているし、人々の動きも生き生きとしている。
箱根、三島、蒲原など、ほとんどの絵が保永堂版とはまったく違っている。
原の絵では富士山が、上の枠線から突き出していた。
現代の漫画でよく使われる表現方法だが、この時代からあったのか。

離れの御幸亭は、
明治天皇が小休された座敷を復元した建物。
周りは小さな日本庭園。鯉が泳いでいた。

凝った押縁下見板張りの、東海道由比宿交流館でひと休み。
由比宿の町並みが、模型で再現されていた。
地元の産業に関する展示も。いなば食品とホテイフーズって、ここに本社があったのか。
(正確には、ホテイは隣の蒲原にある)

由比本陣公園の真向かいにある正雪紺屋は、
由井正雪の生家と伝えられている。

正午を回った。晴れて暑くなってきた。朝から何も食べてない。
ゆい桜えび館へ向かおう。
案内板の矢印が、飯田八幡宮という神社の石段に向いており、ちょっととまどうが、
上ってみると右手に桜えび館の看板が見えてきた。

ついでにといっては何だが、
これも何かの縁と、八幡宮にお参りしたが、
石段が急で、落ちそうでこわかった。
手すりがあって良かった。

ゆい桜えび館に着いたが、お昼時ゆえ食堂は満席。
おもしろ宿場館という所にレストランがあると、店のドアに書かれていたので、
そっちへ行ってみた。

本陣公園前を通り過ぎてすぐ、
東海道由比宿おもしろ宿場館を発見。

入口に、ユーモラスな顔の
弥次さん喜多さん像が立っている。
都築響一さんの『珍日本紀行』で
見たことがある。

2階がレストラン。ここでも少しだけ待ったが、
すぐに席に案内され、桜えび御膳を食べることができた。

私の席からは、海と、
真下にある東海道線の線路がよく見える。
逆側の窓には、これから向かう
薩た峠などの山塊がでんと構えていた。

メインの桜えびのかき揚げが、塩に合ってうまい。
ほかに、生、サラダ、つくだに、すまし汁。たっぷり地元の名産を堪能する。

1階のおみやげ屋さんの奥が、おもしろ宿場館だった。(入館料¥400)
この階には、宿場町の風景が再現されていた。
さっきのユーモラスな人形が、宿場町のお店の売り子や、旅人、職人になっている。

地下では、大名の食事風景を再現。
実際に由比本陣で用いられた、大名用をはじめとする什器も多数展示。
こういう物を見ると、江戸時代の参勤交代が、時代劇だけのフィクションではなく、
現実にあったことだというのを、あらためて実感させられる。

由井正雪についても解説されていた。
江戸時代初期、大名の取りつぶしにより、多くの武士が浪人となって、不満を持っていた。
この現状を憂えた正雪は、丸橋忠弥ら門下生とともに、
江戸、大坂、京、駿府で、一斉に乱を起こそうと企てる(慶安の変)。
しかし事前に発覚し、正雪は府中(静岡)で捕らえられそうになり、自害した。
だが幕府はこれ以降、浪人に対する政策を見直し、
大名取りつぶしや浪人の取り締まりを緩めたという。

歌舞伎にもなった『慶安太平記』により、正雪の名は広く知れ渡った。
ただ、彼に関する歴史的資料は少なく、
出生地や、事件の目的など、複数の説が存在するとのこと。

このほか、桜えび漁の歴史や方法を紹介した展示もあった。

ゆい桜えび館のホームページ(東海道広重美術館、由比正雪生家、おもしろ宿場館の紹介あり)

ただいま午後1時53分。駅まで歩いて戻ろう。

道端にさりげなく、
国登録有形文化財があったりする。
1925年(大正14年)竣工の、
清水銀行の建物。

由比川を渡る。
橋はボードウォークになっていた。

左側がすぐ海。
高速道路とバイパスを、
たくさんの車が行き交う。
その手前に東海道本線。

この道にも、古くて立派な家が多い。
梁を出桁として外に伸ばし、その上に
屋根のたるきを置いた「せがい造り」と、
屋根の横につく
「下り懸魚(げぎょ)」があるのが、
このあたりの家の特色だとか。

桜えびのゲートが見えてきた。
由比駅到着2時28分。
ちょうど下り電車が出て行ったところ。

次は48分発の島田行き。自販機で飲み物を買って、飲みながら待つことにする。
MATCHを買おうと思ったが、大人が飲んだらタイホらしいので、
やめてポカリスエットにした。

3両編成の211系電車がやってきた。由比を出発。座席はすべて埋まっていた。
この先、電車は薩た峠の海側を回り込むことになる。
駅を出てすぐ、短いトンネルを抜ける。
左に2本の道路。右は山すそに家々が建ち並ぶ。川を渡ると家もなくなった。
海側の東名高速は、海に柱を立てた高架となり、
オーバークロスして山側へと分かれていく。

海が見えるようになった。短いトンネルを2つ過ぎ、興津川を渡る。
峠を抜けたようで、左右とも住宅地となった。

2時53分、次の興津駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥8,035-¥180=¥7,855


興津(おきつ)

興津からはまず、鉄道唱歌にも歌われた、
清見寺(せいけんじ)というお寺を目指そう。
駅前から3時11分に出る三保行きのバスが、
清見寺を通るらしいので、待ってみた。

バスは定刻にやってきた。意外と大きくて新しい。冷房が効いている。
3時14分着。(ゲーム路銀 ¥7,855-¥160=¥7,695

清見寺は、道路の向かいの坂の上にあった。
鎌倉の円覚寺のように、
境内の中に踏切がある。

ちょうど踏切が鳴ったので、
カメラを構えてみた。
やってきたのは電気機関車。
貨物列車かと思っていたら、

機関車が牽引していたのは、
何と京王電鉄の電車だった!
工場から運ばれる、私鉄電車の甲種回送。
しかもレール幅が違う京王の9000系。
珍しいものを見た。

清見寺は天武天皇の時代、
清見ヶ関(きよみがせき)ができたときに
創建されたと伝えられる。
徳川家康が、今川家の人質だった時代に
過ごしていた場所だそうだ。

受付で¥300納め、建物の内部を見学させていただいた。
まず大方丈へ。開かれた窓からそよぐ風が心地いい。
壁に、朝鮮通信使の詩文が掲げられていた。
その中に交じって、月島丸という船の乗組員の肖像画も。
日本初の航海練習帆船だったが、
1901年(明治34年)に駿河湾で沈没したという。

大玄関の天井には、清見ヶ関の古材が使われているそうだ。
「血天井」とよばれ、
梶原景時の軍勢が戦った時の血がついているといわれる。

大方丈の裏手には、「家康公手習の間」や、
陣中で使ったとされる簡素な輿(こし)、
江戸時代に家康の指示で造られたという日本庭園がある。
明治天皇御成りの間が保存されている書院を見て、再び外へ出た。

清見寺の鐘は1314年(正和3年)鋳造。
鐘楼は1863年(文久3年)。
鉄道唱歌に「鐘の音ひびく清見寺」と歌われ、
明治時代の文学者、高山樗牛(ちょぎゅう)は、
『清見寺の鐘聲』という文章をのこしている。

大方丈の前にある梅の木は、家康公御手植と伝わる臥龍梅。

高山樗牛の文学碑と、山下清の文章を記した立札が、向かい合って立っていた。
格調高い樗牛の文章と、平易な山下清の文章。対比の妙がある。
ここから海側の景色が見えるが、道路や工場、倉庫にはばまれ、海はよく見えない。
樗牛はここから見える景色の素晴らしさをたたえているが、
清が訪れた頃には既に埋め立てが進んでいたようで、
清は「あんまりきれいじゃないな」と書いている。

ちなみに、『東海道中膝栗毛』で、弥次さん喜多さんもこの寺の前を通っているが、
薩た峠を過ぎたあたりで大雨に見舞われたため、景色は見ていない。

仏殿の前にあるのは、咸臨丸殉難碑。
太平洋横断で有名な咸臨丸だが、
戊辰戦争中、清水港で明治政府軍と戦い、
多くの乗組員が戦死した。
(ちなみにこのとき、
戦死者の遺体を回収して埋葬したのが、
清水次郎長だった)
碑文は榎本武揚が、
史記の一節から選んでいる。

大玄関の脇に、あじさいが色づいていた。

境内のいちばん奥には、北村西望氏の聖観音菩薩像、そして、

五百羅漢像。
斜面を羅漢さんが埋め尽くし、
個性豊かなお顔がよく見渡せる。
1788年(天明8年)に彫られたそうだ。
島崎藤村の小説『桜の実の熟する時』の
舞台になっているらしい。

清見寺のホームページはこちら

跨線橋を渡って戻る。あちこち蚊に刺されたようだが、興津めぐりはまだ続く。

もう少し西に歩いたところで、
見えてきたのが興津坐漁荘。
西園寺公望の別荘だった所だ。

1919年(大正8年)、公望が70歳のときに建てられた。
当時は「興津詣で」とよばれるくらい、政府要人がよく訪れたという。
実際の建物は、愛知県犬山市の博物館明治村に移築保存されているが、
もとあったこの場所にも、復元されている。(入館無料)

白木造りで、復元されたのが最近なのでまだ真新しいが、
かえって「公望が暮らしていた時代はこんな感じだったんだろうなあ」と感じさせる。
広い畳の間も、洋間もあって、今隠居するのにも申し分ない。
昔は窓から三保の松原が見えたらしい。
公望の掛け軸や筆、杖、長じゅばんなどの遺品や、写真も展示されている。

2階にも8畳の部屋がふた間ある。今すぐ住みたくなる快適さ。
よく見ると、三島にあった小松宮親王邸と同じく、
細部にさまざまな意匠が凝らされていて、高級住宅だったことがうかがえる。

博物館明治村のホームページ(坐漁荘の移築先)

坐漁荘から歩いて駅まで戻ろう。かつて脇本陣だった水口屋の前を通る。
伊藤博文や、坐漁荘を建てる前の公望も泊まっていたらしい。
現在はギャラリーになっているが、午後5時を過ぎたためか、ゲートが閉まっていた。

今では住宅や商店が並ぶこのあたりが、かつての興津宿。
交番脇の公園に、明治元年当時の各店の屋号を記した案内板があった。
たいやき屋の前に、ちょっとした行列ができていた。興津鯛に代わる名物か?

興津駅着5時32分。ちょうど目の前で下り電車が出て行った。
改札入ってすぐの1番ホームだったから、あと1分くらい早く着けば乗れたのに。
次の下りは49分浜松行き。麦茶を買って飲んで待つ。電車が来る前に500ml飲み干した。
特急ふじかわが通過した後、6両編成の普通電車がやってきた。211系+313系。

さっき歩いた道から、山側に1本入った通りを逆に進む。清見寺の前を通過。
頭上を静清バイパスが、左から右へオーバークロス。
庵原川を渡る。左は工場や倉庫が多い。右は住宅地。
右に教会のような建物があった。結婚式場らしい。左にはオブジェのある広場。

5時53分、清水駅に到着した。
ゲーム路銀 ¥7,695-¥180=¥7,515


清水

清水の駅は新しい。
市街地は西口側。ここがかつての江尻宿だろうか。
次に行きたい場所へ向かうバスが、
東口から出ているようなので、
そちらへ回った。

さっきのオブジェがある広場のあたり。
ここから、エスパルスドリームプラザへの
送迎バスが出ている。

東口から出て、バス乗り場へ。

バスの本数は多いようだ。
土日祝は午後6時台まで、1時間に3〜4本。しかも無料。

6時20分発のバスがやってきた。
にぎやかな外装が楽しい。

バスはやや遅れて23分発。いったん静岡鉄道の新清水駅の近くに寄った後、

6時33分、
エスパルスドリームプラザに到着した。
複合アミューズメント施設で、
飲食店、シネコン、雑貨店、
フットサルコートなどが集まる。
観覧車も回っている。

まず最優先で向かったのは、3階にあるゲームコーナー「アミュージアム」。
ここをはじめ、清水から静岡にかけてはゲーセンが多く、ゲーム路銀が稼げそうだ。
だからさっき由比で、何のちゅうちょもなくタクシーに乗ったのだ。

アミュージアムに入るとまず、プライズものの広いスペースがある。続いてメダル。
キッズ向け筐体や、レース、音ゲー、ガンシューティング、エアホッケー、
World Club Champion Football、戦場の絆。
ビデオゲームは、バーチャファイター5R、ガンダムVSガンダム、
テトリス、ダイナマイト刑事EX。

自販機でデカビタCを買う。
デカビタCはかつて、静岡市出身の三浦知良(カズ)選手がCMやってたから、
一応ご当地ゆかりの飲み物といえなくもない。

『ビシバシチャンプオンライン』をプレイしよう。
初めて見るミニゲームばかりだったが、
オンラインゲームのオフライン仕様だったためか、難度が低く、
勝利したゲームは全部で8つ。(ゲーム路銀 ¥7,515+¥700=¥8,215

時刻は午後7時30分。1階の「清水すし横丁」で晩ごはんを食べよう。
さまざまな寿司屋さんが立ち並んでいる。
各店舗の店構えが、江戸から明治時代の建物を模した、凝った造りになっている。

地元清水で仕入れたネタが売りのお店で、おすすめの握りをいただく。
赤身、トロ、あぶり、鉄火と、同じマグロでも味がかなり変わるのがおもしろい。
鉄火に巻くノリの重要性がわかった。
さらに、いくら、うに、穴子なども堪能した。

外はもちろんもう夜。
ドリームプラザは清水港の一画にあり、
海沿いは「清水マリンパーク」として
整備されている。
イルミネーションがきれい。

観覧車「ドリームスカイ」もライトアップ。
2008年にできたばかりで、
総LEDのイルミネーションが、
多彩なパターンに次々と切り替わり、
見ているだけでも飽きない。

エスパルスドリームプラザのホームページはこちら
日の出ドリームパーク(清水港 日の出地区)のホームページはこちら

ホテルに戻ろう。ホテルは新清水駅の近くだが、
無料バスに乗るとルートが遠回りになるので、歩いて戻る。
15分ほど歩いて、8時25分に到着。明日は新清水駅をスタート地点としよう。

現在のゲーム路銀
¥8,215

今回のルート
1.東海道廣重美術館・正雪紺屋・ゆい桜えび館・おもしろ宿場館
2.薩た峠 3.高根山 4.清見寺 5.坐漁荘 6.清水IC
7.エスパルスドリームプラザ 8.清水次郎長生家
9.清水船越堤公園 10.日本平運動公園
11.三保の松原・羽衣の松 12.御穂神社
14.清水灯台・三保飛行場
15.東海大学海洋科学博物館・自然史博物館

静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市)
富士山観光交流ビューロー  ハローナビしずおか(静岡県)
JR東海  静岡鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 122.静岡編(8)」では、
三保の松原で富士山を見られるか?
「日本縦断ゲーセン紀行 120.静岡編(6)」に戻る


「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ

「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ