ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
122.梅雨空の三保の松原
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2009年6月14日。今日も9時半に起きるが、 ホテルのチェックアウトが10時までということに気がつき、急いで身支度を整えて出発。
外へ出てから、なんかくしゃみが止まらない。落ち着くまでしばらく待つ。 曇り空なので、いい景色が見られるかどうかちょっと不安だが、 とりあえずバスに乗って、三保まで行ってみよう。本数は多いようだ。 10時18分発の三保車庫前行きが、ちょうど来たので乗る。 エスパルスドリームプラザの南側で海沿いに出て、 左に工場や倉庫を見ながら走る。 羽衣の松の近くで降りて、富士山を見ながら、 北の水族館へ向けて歩こうと考えていたのだが、 予定を変更して先に水族館へ向かい、天気の回復を待つことにした。
北へ向かって歩く。広いグラウンドでサッカーの練習が行なわれていた。 その隣に、ヨットやボートが保管されているスペースがある。 ようやく松の木が姿を現し始めた。
入館料は¥1,500だが、隣にある自然史博物館との2館共通券(¥1,800)を買う。 最初の部屋は、サンゴ礁の生物を展示した「きらきらラグーン」。 次の部屋に、いきなり巨大な水槽が現れて驚いた。高さ6メートル。 エイやマンボウ、サメなどが、広い水槽をゆうゆうと泳ぎ回っている。 その水槽と同じ部屋に、全長5メートルの リュウグウノツカイのつがいの標本があり、 幻想的なクラゲとクリオネがいる。不思議な空間。 その次の部屋には、イワシの大群、コバンザメ、フグ、ウツボ、タカアシガニ、タコなど。 人気の「くまのみ水族館」。 この東海大学海洋科学博物館は、世界で初めて、 カクレクマノミを卵から育てた水族館なのだそうだ。 円筒水槽に多くのカクレクマノミが泳いでいて、中から見ることも可能。 ほかにも、さまざまな種類のクマノミを展示。 カクレクマノミよりかなり大きなものが多い。 クマノミのこどもを育成している様子も見られる。 イスに座ってしばらく、円筒水槽のカクレクマノミをじっと眺めた。癒される。 正午から、屋外の津波実験水槽で実演があるそうなので、外へ出てみた。
6分間で津波を起こしたのが2回で、その間しばらく解説の音声のみが流れるというのが、 アトラクションじゃない学術的実験っぽい。 (単に、1回目の波が収まるのを待っていたんだろうけど) 2階へ。ここは水族館ではなく、海や、そこに生きる生物について学ぶ展示資料館。 「マリンサイエンスホール」では、海中での音の伝わり方、電波や光の伝わり方、 さまざまな海岸、波のメカニズムなどを、実験器具を使って展示・解説。 水圧でつぶれた缶や鋼球、カップヌードルの容器もあった。 メガマウスザメのはく製、シロナガスクジラの骨格標本、巨大な海藻標本。 海洋調査の様子を、映像や実際の器具で紹介。 いろんなロープの結び方。 波に向かって進む船や、風に向かって進む船、 離岸堤のはたらき、波による発電などを模型で解説。 海に含まれる資源も紹介されていた。塩はもちろん、 マグネシウムや海底の石油、マンガン、コバルトなど。 深海に潜るとき、呼吸用に吸うガスで声が変わる現象を、ボイスチェンジャーで再現。 実際の潜水では、ガスに含まれているヘリウムのために声が変わるらしい。 古地図に描かれた日本の姿を見た後、 この博物館もう1つの目玉である「メクアリウム」へ。 魚や水生生物の動きを再現したロボット(メカニマルという)を展示している。 魚が泳いだり、シャコやフナムシ、カニが歩いたり、カエルが泳いだり、 イソギンチャクがエサを捕ったりするときの動きが、 ロボットで再現することで、よく見えてくる。 それぞれのメカニマルに、ユニークな名前がついていた。 「たらずがに」「いくもかえる」「およぎまんねん」etc. 東海大学社会教育センターのホームページはこちら 外に出たらちょうど売店があったので、焼きそばを買って食べる。 もう午後1時近いけど、これが朝ごはん。 昨日からの疲れが、なんか残ってる。
まず、エスカレーターで一気に3階へ。 最初の部屋では古生代の、魚類や両生類、初期の爬虫類の化石がある。 次の部屋はすごく大きかった。中生代・恐竜ホール。 巨大な恐竜の化石が、多数展示されている。 ステゴサウルス、トリケラトプス、肉食恐竜のタルボサウルス、首長竜ディプロドクス。 2階にはまず中生代の海のコーナー。アンモナイトにプレシオサウルス。 シーラカンス、カブトガニ、オウムガイといった、太古から現代まで存在する生物。 新生代の巨大哺乳類の頭の化石。原人の頭の化石。 「氷期の世界」コーナー。マンモスやオオツノジカ、ステラーカイギュウの化石。 ステラーカイギュウは、18世紀半ばに発見された生物だが、 乱獲によりわずか30年足らずで絶滅したそうだ。 1階は児童向けのフロアで、パズルや恐竜の化石発掘ゲームができる。 タカラガイが展示されていた。 東海大学社会教育センターのホームページはこちら 外へ出た。時刻はもうすぐ午後2時。 依然として、晴れてるのか曇ってるのかよくわからない空模様。 ひとまず、三保の松原まで歩いてみよう。
途中で道が行き止まりになってたり、
道を間違えて、危うく反対側の海岸に出そうになったり。 途中で地図を確認して気づいた。
近くに三保飛行場があるようだが、この位置からは見えない。 「甲飛予科練之像」と記された、兵士の像が建っていた。 戦時中の1944年(昭和19年)、清水海軍航空隊がこの地に置かれ、 千数百人の甲種飛行予科練習生の方々が、厳しい訓練を行なっていたそうだ。
松林の中の練習場で、東海大学の野球部員が練習しているのが見える。 横のグラウンドでは、試合も行なわれていた。 もともと三保の松原の砂浜は、 安倍川や日本平から流れてきた砂が堆積してできたものだが、 近年は、安倍川での砂利採集によって砂が三保まで流れて来ず、 出ていくばかりなので、砂浜が削れてきているらしい。
羽衣の松は樹齢650年を超え、周りの松と比べて葉も少なく、 かなり弱々しい印象を受ける。 その昔、天女が舞い降りて、この松に羽衣を掛けて水浴びをしたというのは有名な伝説。 伯梁(白龍・はくりょう)という漁師が羽衣を見つけて持ち帰ろうとするが、 そこへ天女が現れ、それがないと天に帰れないので返してほしいと頼む。 伯梁は天女に羽衣を返し、天女はお礼に美しい舞を舞って、天に昇っていった。 ……そう、一般的な羽衣伝説とは違って、 羽衣を取った漁師は、その場で天女に羽衣を返しているのである。 私はパンフレットでこれを知って驚いた。 能の『羽衣』は、この伝説をもとに作られている。
松の木々の中に、新三景の碑と、エレーヌの碑が建っている。 新三景とは、日本三景(松島、天橋立、宮島)に代わる三景として、 1916年(大正5年)に選定された「新日本三景」のことで、 三保の松原と、北海道の大沼公園と、耶馬渓が選ばれている。 エレーヌとはフランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリスのこと。 能の『羽衣』の物語をもとに、バレエの作品を作った人物で、 物語の舞台となる三保の松原へ行くことを望んでいたが、 その思いは叶わず、白血病のため35歳の若さで亡くなった。 この碑には、彼女の遺髪が納められている。 売店で、抹茶ソフトクリームを食べてひと休み。 静岡名物みそおでんもあったが、蒸し暑かったのでちょっと敬遠。
私が初めて三保にきたときは、バスを降りてすぐこの道に入り、 しかも、道の入口に「名勝三保松原」と刻まれた石柱が立っていたので、 この細い道の松並木が、三保の松原だと思い込んでいた。 羽衣の松のあたりまで来て、ようやく勘違いだと気づいた。 三保に来たのは確か、それ以来となる。
神社に参拝した後、さらに歩いて、バス停に着いたのが4時47分。 ちょうどバスが来たので乗った。 5時4分、波止場フェルケール博物館で下車。 (ゲーム路銀 ¥7,855-¥290=¥7,565) もしまだ開いていたら、フェルケール博物館に行こうと思っていたのだが、 バスが着く直前、博物館の前にデカデカと、 「午前9時30分〜午後4時30分」と書いてあるのが見え、 その時点で、開いてないことがわかってしまった。
体調はすっかり良くなったのだが、 朝から、やきそばと抹茶ソフトしか食べてなかったので、ここで軽く食事しよう。 外にいろんなお店がある。佐世保バーガーを買って食べた。 いつも私は旅先では、別の土地の名物は食べないのだが、 このときは何の抵抗感もなかった。よっぽどお腹が空いていたのか? ほかにもこの一角には、牛タン、タコ焼き、広島焼き、 ケバブ、チヂミ、トルティーヤと、いろんな所の名物を味わえるようだ。 地元のものは、富士宮のソフトクリームと、富士宮やきそばがあった。 やきそばは、例ののぼりが立っていたから、協会公認のようだ。 エスパルスドリームプラザのホームページはこちら 日の出ドリームパーク(清水港 日の出地区)のホームページはこちら ドリームプラザ内に入る。ちょうど、時計の鐘が午後6時を告げた。
さくら家の各部屋にある、テレビや冷蔵庫、人形などが、 昭和30〜40年代の一般家庭によくあったものばかりで、懐かしさが漂う。 学校の教室に並ぶ机とイスも、私の小学生時代のものと同じ。 時間帯によっては、ここにある大型テレビでアニメが見られるらしい。 さくらももこ先生の本や、各国語版の『ちびまる子ちゃん』が置かれた図書室もある。 さくら先生が過ごした町のジオラマもあった。 静岡鉄道・入江岡駅(新清水駅の隣)のあたりだったそうだ。 公園を再現した部屋には、シーソーや、幅跳び用のスペースが設けられている。 実際に遊んでいる親子連れの方がいた。 ベンチにまるちゃんとたまちゃんが座っている。 その次の部屋では、2月に発売された『ちびまる子ちゃんDS』が体験できる。 1970年代に流行したものを、いっぱい収めたケースがある。 オセロと人生ゲームと「クイズダービー」ゲームは持ってたなあ。 15パズル、『およげ!たいやきくん』、象が踏んでも壊れないアーム筆入、ヨーヨー、 笑い袋、モンチッチ、「幸福鳥」(水飲み鳥)、小さなレコードプレーヤー。 山口百恵・キャンディーズ・郷ひろみのLP。 大阪万博関連グッズもあるが、万博の頃は私、生まれてなかった。 あと、『ノストラダムスの大予言』。 向かいの部屋には、まる子ちゃんグッズ、セル画、台本、絵コンテ、フィルム、 さくら先生によるアニメ脚本の直筆原稿(脚本なので、原稿用紙に文字書き)、 色紙、新聞4コマ第1回の直筆カラー原稿、仕事道具、 先生が海外で買われたおみやげ品、 『おはなしちびまる子ちゃん』の表紙に使われたドールハウス(果物屋、だんご屋)。 ちびまる子ちゃんランドには、 ちょうど私が小さかった頃の物が多く展示されていて、懐かしかった。 考えてみれば、さくら先生は私と6歳しか違わない。 6年前は既に『ちびまる子ちゃん』大人気だったよなあと考え、ちょっと落ち込む。 昨日も行ったゲームコーナー「ゲームアミュージアム」がすぐそばなので、 立ち寄って、昨日と同じ『ビシバシチャンプオンライン』をプレイする。 今日は6面クリアー。(ゲーム路銀 ¥7,565+¥500=¥8,065)
駅へ戻ろう。午後7時20分、波止場フェルケール博物館バス停に到着。 27分のバスに乗って、6分後、新清水駅で降りた。 (ゲーム路銀 ¥8,065-¥100=¥7,965) ロッカーから荷物を出す。次回はここからのスタートにしよう。
草薙で東海道線に乗り継いで静岡へ。 8時48分発のこだまで帰った。 ¥7,965 今回のルート
静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市) 富士山観光交流ビューロー ハローナビしずおか(静岡県) JR東海 静岡鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 123.静岡編(9)」では、 もう一度三保の松原へ、そして清水の博物館へ。 「日本縦断ゲーセン紀行 121.静岡編(7)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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