ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

127.徳川家康にあやかりたい
〜静岡編(13)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥8,025




静岡

2009年10月25日。
前日深夜についDSをやりすぎた。4時間半しか寝ていない。
持ってきた『フリーライター橘真希』が、思いのほかおもしろかったもんで。
ホテルをチェックアウトして、10時10分、静岡駅着。
今日も曇っているが、今のところ雨は降っていない。

昨日この駅で掲示を見て知ったが、国民文化祭開催に伴って、
駅の北側に無料の循環バスが出ているという。利用させてもらおう。
相変わらずわかりにくい案内表示にとまどうも、
係の方に誘導していただいて、無事10時30分発の無料バスに乗れた。

車内アナウンスがなくて不安だったが、10時40分、目的地の浅間神社前に到着した。
日が差してきた。
停留所も常設の場所ではないようだが、
歩くとすぐに静岡浅間神社の鳥居が見えてきた。

鳥居の前に着いたとき、
ちょうど大名行列がやってきた。

よく見ると、かごに乗っていたのは、大名じゃなくて茶壺。
昔は御用茶をこうやって運んでいたのだろうか?

行列の最後はお姫様と、
この写真では見えないが、
お茶摘みの娘さん。

若い茶摘み娘さんから、本山茶(ほんやまちゃ)というお茶のサンプルとチラシを頂いた。
チラシによると、この行列は「駿府お茶壷道中行列」といって、
徳川家康が駿府城にいた頃、北方にある井川の大日峠から、
駿府城までお茶を献上していたことにちなみ、
そのお茶壷を運ぶ行列を再現したのだそうだ。
大日峠のお茶蔵から、井川本村を経由し、浅間神社の前を通って、
この後は駿府城跡、そして久能山東照宮に向かうという。

あらためて、静岡浅間(せんげん)神社へ。
この神社は三社に分かれており、
私が今いるのは、
大歳御祖(おおとしみおや)神社。
農工商の神、大歳御祖命をまつる社だ。
戦災で楼門と拝殿が焼失したが、
本殿などは、静岡浅間神社の社殿群とともに、
国の重要文化財となっている。

池の横を通って、本社の拝殿に出てきた
……と思ったら、境内社の
八千戈(やちほこ)神社だった。
境内社がこんなに豪華なのも珍しい。

八千戈神社は、もともと徳川家康の摩利支天像をまつる建物だったが、
神仏分離により、武神の八千戈命を御祭神とするようになった。
欄間に二十四孝物語が彫られている。
昭和5年(1930年)に昭和天皇が御親拝された時は、浅間神社が改修中だったため、
仮殿となっていた当社に親拝されたという。

八千戈神社の横の、
100段以上ある石段を上っていくと、

そこが賤機山(しずはたやま)古墳。
森を石垣で固めたようにしか見えないが、
ここが静岡という地名の
語源になっているという。

もう少し石段を上ると、
麓山(はやま)神社。
浅間神社の木之花咲耶姫命の父神である、
大山祇命(おおやまつみのみこと)をまつる。

静岡浅間神社のホームページはこちら

昨日の久能山東照宮ほどの長さはないが、石段の上り下りでちょっと疲れた。
近くの休憩所で、お茶をいただいて休む。

さていよいよ、本社にあたる
三社のうち残りの二社、
神部(かんべ)神社と
浅間(あさま)神社へ向かう。
背の高い建物があったので、
拝殿に来たかと思ったら、これが楼門だった。

壮麗な楼門をくぐると、
もっと壮麗な拝殿があった。
早めの七五三に来た家族連れが多い。

お賽銭箱は、拝殿のさらに手前の舞殿の前に位置し、舞殿からお参りする形となる。
本殿も拝殿も舞殿も一棟ずつだが、それぞれ、
向かって右が神部神社で、大己貴命(おおなむちのみこと・大国主命の別名)をまつり、
向かって左が、富士山本宮浅間大社から勧請した浅間神社で、
木之花咲耶姫命(このはなのさくやびめのみこと)をまつる。

お賽銭箱にも、それぞれの
シンボルマークが描かれている。

素木(しらき)なので素朴に見える舞殿も、
よく見ると凝った彫刻が施されている。

そして拝殿である。
富士山本宮と同じ浅間造で、背が高い。
25メートルもあるという。
大きさもさることながら、
波を基調とした、壁や欄間の彫刻もいい。
徳川家斉の時代に、幕府によって建てられた。
竣工は1814年(文化11年)。

回廊に、長篠の戦いで使われたと伝わるよろいや、おみこし、
久能山のと似た狛犬、こし、この境内のミニチュア模型が展示されている。
拝殿から笛の音が聞こえてきた。
疲れか眠気か空腹か、脚に震えがきている。

回廊から出て東側へ。少彦名(すくなひこな)神社はもともと薬師社だった。
玉鉾神社は明治になって建てられたお社で、国学の祖である、
羽倉東麿、岡部真淵、本居宣長、平田篤胤をまつる。
この神社のあたりから、神部・浅間両神社の本殿が見えた。

静岡浅間神社は、観阿弥が最後に舞台を務めた場所でもあり、
徳川家康が元服式を行なった場所でもある。
また、徳川忠長が失脚した理由の1つが、
殺生禁止の当社境内で猿を狩ったからという伝説がある。

静岡浅間神社のホームページはこちら

いったん総門から出る。

さっきの休憩所の近くから
また境内に入って、
静岡市文化財資料館へ。
入館料は本来¥200だが、
国民文化祭の一環として、無料になっていた。

1階は主に、賤機山(しずはたやま)古墳の出土品を展示。6世紀の豪族の墓だそうだ。
2階に上がるとまず、高さ3.5メートルの巨大な家康公像がお出迎え。
駿府公園に建っている像の原型だという。
奉納された大きな絵馬が、展示室の頭上を取り囲む。

展示は国文祭の特別展で、「徳川慶喜と静岡の文明開化」(〜11月8日まで)。
慶喜の所用品や写真、日誌などを展示。ナポレオン3世から贈られた軍帽もある。

主として、静岡で謹慎して以降の生活が紹介されている。
慶喜がさまざまな趣味に没頭したことはよく知られているが、
やはり反政府勢力に担がれないよう、
あえて政治に関心を持たない姿勢を示す必要もあったようだ。

展示されていたのは、当時住んでいた屋敷の写真、書、釣り道具、刺しゅう、油絵。
西洋の風景を描いた油絵は、想像で描いたからファンタジックで、
アニメかテレビゲームのオープニングに出てきそう。

そして、慶喜が使っていたカメラと、写された数多くの写真。
当時の風景や人々の生活が写されたという意味でも価値が高い。
特に、安倍川の鉄橋を渡る蒸気機関車の写真がいい。

慶喜とともに静岡へ移った、旧幕臣についても解説されている。
牧之原を開墾して、茶畑として発展させた人々の中に、旧幕臣が多かったという。
山岡鉄舟の刀も展示されていた。

静岡市文化財資料館

午後1時30分を回った。大歳御祖神社の鳥居から出て、商店街を歩いて、食べ物屋を探す。

山田長政の胸像があった。
ここに屋敷があったという。
山田長政は当地の出身で、
浅間神社は長政の産土(うぶすな)神だそうだ。
長政はシャム(現在のタイ)に渡り、
アユタヤ王朝の重臣となった。

そば屋さんに入って、天ぷらそばを食べる。ひと息つくと一気に眠くなった。
2日で1日分しか寝てないんだから当然だ。
商店街を出て、赤い鳥居をくぐると、大きなビルが建ち並ぶビジネス街に来た。

やがて、道の左手がお堀になった。
昨日も見た県庁の建物が見える。
右側には静岡市役所。

県庁と市役所にはそれぞれ、高いビルの隣に、
昭和初期に建てられた本館が存在する。
帝冠様式の県庁舎と、

ドームのついた市庁舎。

県庁の前を通って、次に向かうのは駿府公園。
かつての駿府城跡である。

翌週に行なわれる大道芸W杯の
告知が掲げられた、二之丸橋から内堀を渡る。

内堀の石垣にも、昨日見た外堀と同じく、
2ヶ月前の地震で崩れた個所があった。

駿府城の解説板を読もうと近づいたら、
その下にたたずんでいた2匹の猫ににらまれた。

駿河国はもともと今川氏の領国で、今川義元の時代に、徳川家康が人質として生活していた。
後に武田氏が今川氏に取って代わるが、家康は武田氏を追い払うと、
拠点を浜松から移して、駿府城を築城する。
4年ほどで関東へ移封となるが、幕府を開いた後、
将軍職を秀忠に譲って、三たび駿府へ移り住み、亡くなるまでここで暮らした。

かつて、今の内堀の内側にもう1つ堀があったが、明治時代に埋められて、
今では本丸と二の丸が一体化している。
児童遊園や芝生広場も造られ、市民の憩いの場という感じだ。

右回りにぐるっと回ってみよう。
戦没者慰霊碑があった。静岡市も空襲で大きな被害を受け、大勢の方が亡くなられたそうだ。

園の中央に、花壇が整備されている。

その隣に、家康公鷹狩りの像が建っていた。
さっき浅間神社にあったのと同じ像だが、
より堂々として見える。
屋外だからか、それとも
かつて住んでいた場所だからか。

さらにその横では、
家康公御手植のミカンが、
小さな実をつけている。
柵越しの撮影なので、
写真に縦線が入ってしまったが。

ミカンの木の前では、
早くもイチョウが色づき始めていた。

天守跡にはテントが建てられ、
大道芸W杯の準備が進められている。
家康がいた頃は、
5層7階の壮大な天守閣があったという。

地元の産業に貢献した人々の胸像が、公園の隅で静かに並んでいた。

紅葉山庭園に入った。
入場料¥150だが、この後で行く予定の、東御門・巽櫓との共通券を買う。(¥300)

茶畑に見立てたサツキを
斜面に配した築山が特徴的。
山の向こうへ分け入ると、
最後に小さな滝に行きあたる。
歴史はなさそうだが、変化に富んでおもしろい。

駿府公園 紅葉山庭園のホームページはこちら

本丸堀跡の水路に架かる木橋を渡って、
再現された東御門と巽櫓(たつみやぐら)へ、さっきの共通券で入った。
(東御門・巽櫓のみの入場料は¥200)

東御門は桝型(ますがた)門になっている。
床には石落としも再現。
中はけっこう本格的な展示スペースだ。

家康像や、駿府城の模型、天守閣の模型、生活道具、
さらに、かつて東御門に実際に載っていた青銅製の鯱(しゃちほこ)、
碁盤の目状に整備された、府中の町並みの地図や模型、
ひな人形や塗下駄、漆器、蒔絵などの工芸品。

巽櫓には、さっき行列で見たのと同じ、御用茶のかごや、
臨済寺にある竹千代(家康)手習いの間が再現されていた。

門や櫓自体も、当時の技術を使って造られているらしく、
太い木の梁(はり)や柱は迫力がある。
梁のアーチ状に曲がった木材は、探すのも難しかっただろう。
2ヶ月前の地震を耐えたくらいだから、しっかりしている。

駿府公園 東御門・巽櫓のホームページはこちら

東御門の近くには、
一部分だけ発掘された本丸堀や、

明治時代ここに拠点を置いていた、歩兵第三十四連隊の碑がある。
この連帯の拠点とするため、本丸堀が埋められたのだ。

本丸堀越しにながめると、
東御門と巽櫓の全体がよく見える。

東御門から外へ出て、
今度は外から門と櫓をながめた。

巽櫓の下の石垣に、ネットが張られていた。
やはり地震の影響だろうか?

弥次喜多像が建っていた。
『東海道中膝栗毛』の著者、十返舎一九は
ここ駿府の出身らしい。

府中宿で弥次喜多の2人は、二丁町という場所の遊郭を訪れる。
ここで若い衆にチップを渡したところ、そのお礼として安倍川餅を頂いている。
安倍川のほとりには今でも安倍川餅のお店が並んでいるらしく、
弥次喜多の2人もそこを通るのだが、前日遊郭で食べているのでここは素通りした。

私はこれで静岡市を去るので、この場所から立ち去り難く、しばらく巽櫓を見つめる。
しかしあまり名残惜しんでもいられない。
現在、午後4時30分。早く移動しないと日が暮れる。駅へ向かって歩き出した。

静岡駅着4時44分。
次の下り電車は、4時59分か。
まだ景色は見えるだろうか?

日が暮れる暮れないにこだわるのは、この後で安倍川を渡るからで、
そこで写真を撮れるかどうかが気になるからだ。
ようやく来た電車は、この旅ではおなじみ211系3両と313系2両。
座席は埋まったが、ドアの窓から写真を撮るのに支障はない。

発車。周りの市街地が住宅街に変わる。そして安倍川に突入した。

しかし、右手は低い道路橋で
視界を遮られる。

一方、左手も同じように、低い新幹線の橋が並行し、
結局、川はよく見えなかった。

弥次喜多は安倍川を渡る際、雨で増水しているからと、
人足に高いお金を払って担いでもらっている。
しかしその人足は、帰りに浅い個所を歩いて引き返す。
2人をわざと深い所に連れていき、高い渡し賃を請求していたのだ。

安倍川を渡ると、安倍川駅、そして用宗駅に停車するが、
その間、住宅地が途切れなく続く。東京都内の私鉄のような風景だ。
用宗を出ると、木々や堀割で景色が見えにくくなり、やがてトンネルに入る。
断崖の大崩海岸の下をくぐるトンネルで、けっこう長い。
この区間は新幹線も東名高速も国道150号線も、同じように長いトンネルになっている。
新幹線と東名高速は日本坂トンネルだが、東海道線は石部(せきべ)トンネルという。

トンネルを出ると、家々のほかに畑やビニールハウスも目立つようになる。
右手に見える高架は、新幹線か高速道路か。
サッポロビールの工場の前を通り過ぎ、もう1本、瀬戸川という川を渡って、

5時12分、焼津駅に到着した。
ゲーム路銀 ¥8,025-¥230=¥7,795


〜安倍川〜用宗(もちむね)〜
焼津(やいづ)

『鉄道唱歌』には、
「鞘より抜けておのづから
草なぎはらひし御剣の
御威(みいつ)は千代に燃ゆる火の
焼津の原はここなれや」と歌われている。

ヤマトタケルノミコトが敵に火をかけられた際、自分の足元に向かい火をつけて
難を逃れた場所なので、「焼津」という地名になったという。

駅を出た所に、カジキの像が建つ足湯がある。

小泉八雲の碑もあった。小泉八雲は何度か焼津に滞在したようで、
碑には『焼津にて』という文章が刻まれていた。

海沿いだからか、風が強い。
焼津インターのそばにある焼津さかなセンターをはじめ、
焼津市の観光スポットのほとんどは、駅から離れている。
だが、焼津漁港は駅の近くらしい。行ってみよう。

海に近づくにつれて、風はますます強くなってきた。
「焼津漁業資料館」と書かれた大きな看板の前を通ったが、
この時間では資料館は当然閉まっている。
焼津漁業協同組合

そのすぐ先が焼津漁港だった。
漁船などの明かりがわずかについているだけで、
暗くて写真が撮りづらい。

そんな状況の中、
営業している大きなすし屋があった。
しかも大盛況だ。

このお店に入って、マグロの二色丼(ヅケとネギトロ)を食べた。¥630。安い。うまい。

駅へ戻る。明るい道をたどっていったら商店街に出た。

川を渡る橋の欄干に、人魚と真珠の像がある。

駅前には、カツオのバンドの絵があった。
裏は広告看板だった。

6時48分、駅に戻ってきた。
今回はここで終了とし、東京へ帰る。

7時7分の電車で静岡へ戻り、ロッカーから荷物を出して、
「こっこ」というお菓子を買って、7時48分のこだまに乗って帰った。

現在のゲーム路銀
¥7,795

今回のルート
1.清水船越堤公園 2.有度山 3.日本平展望台 4.久能山東照宮
5.すんぷ夢ひろば 6.草薙神社 7.静岡県立美術館
8.舞台芸術公園 9.草薙総合運動場・草薙球場 10.日本平PA
11.日本平動物園 12.バンダイホビーセンター
14.グランシップ 15.タミヤサーキット 16.静岡競輪場
17.登呂遺跡 18.旧マッケンジー邸
19.臨済寺 20.静岡浅間神社 21.駿府公園 22.静岡IC
1.エスパルスドリームプラザ・船宿末廣
2.清水次郎長生家・梅蔭寺 3.清水船越堤公園
4.日本平運動公園・アウトソーシングスタジアム日本平
5.三保の松原・羽衣の松 6.御穂神社
7.清水灯台・三保飛行場
8.東海大学海洋科学博物館・自然史博物館
9.久能山東照宮 10.日本平展望台
11.草薙神社 12.静岡県立美術館 14.舞台芸術公園
15.すんぷ夢ひろば 16.草薙総合運動場・草薙球場 17.日本平PA
18.日本平動物園 19.バンダイホビーセンター
20.グランシップ 21.タミヤサーキット 22.静岡競輪場
23.登呂遺跡 24.臨済寺 25.静岡浅間神社 26.駿府公園
27.静岡IC 28.木枯しの森 29.中勘助文学記念館
30.丸子・駿府匠宿 31.宇津の谷峠 32.岡部宿・大旅籠柏屋
33.花沢の里 34.日本坂PA 35.焼津IC・焼津さかなセンター
36.焼津漁港 37.焼津神社

静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市)
富士山観光交流ビューロー  焼津市観光協会  ハローナビしずおか(静岡県)
JR東海  静岡鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 128.静岡編(14)」では、
藤枝でゲーム路銀を稼ぐ。
「日本縦断ゲーセン紀行 126.静岡編(12)」に戻る


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