ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
127.徳川家康にあやかりたい
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2009年10月25日。 前日深夜についDSをやりすぎた。4時間半しか寝ていない。 持ってきた『フリーライター橘真希』が、思いのほかおもしろかったもんで。 ホテルをチェックアウトして、10時10分、静岡駅着。 今日も曇っているが、今のところ雨は降っていない。 昨日この駅で掲示を見て知ったが、国民文化祭開催に伴って、 駅の北側に無料の循環バスが出ているという。利用させてもらおう。 相変わらずわかりにくい案内表示にとまどうも、 係の方に誘導していただいて、無事10時30分発の無料バスに乗れた。 車内アナウンスがなくて不安だったが、10時40分、目的地の浅間神社前に到着した。 日が差してきた。 停留所も常設の場所ではないようだが、 歩くとすぐに静岡浅間神社の鳥居が見えてきた。
若い茶摘み娘さんから、本山茶(ほんやまちゃ)というお茶のサンプルとチラシを頂いた。 チラシによると、この行列は「駿府お茶壷道中行列」といって、 徳川家康が駿府城にいた頃、北方にある井川の大日峠から、 駿府城までお茶を献上していたことにちなみ、 そのお茶壷を運ぶ行列を再現したのだそうだ。 大日峠のお茶蔵から、井川本村を経由し、浅間神社の前を通って、 この後は駿府城跡、そして久能山東照宮に向かうという。
八千戈神社は、もともと徳川家康の摩利支天像をまつる建物だったが、 神仏分離により、武神の八千戈命を御祭神とするようになった。 欄間に二十四孝物語が彫られている。 昭和5年(1930年)に昭和天皇が御親拝された時は、浅間神社が改修中だったため、 仮殿となっていた当社に親拝されたという。
静岡浅間神社のホームページはこちら 昨日の久能山東照宮ほどの長さはないが、石段の上り下りでちょっと疲れた。 近くの休憩所で、お茶をいただいて休む。
お賽銭箱は、拝殿のさらに手前の舞殿の前に位置し、舞殿からお参りする形となる。 本殿も拝殿も舞殿も一棟ずつだが、それぞれ、 向かって右が神部神社で、大己貴命(おおなむちのみこと・大国主命の別名)をまつり、 向かって左が、富士山本宮浅間大社から勧請した浅間神社で、 木之花咲耶姫命(このはなのさくやびめのみこと)をまつる。
回廊に、長篠の戦いで使われたと伝わるよろいや、おみこし、 久能山のと似た狛犬、こし、この境内のミニチュア模型が展示されている。 拝殿から笛の音が聞こえてきた。 疲れか眠気か空腹か、脚に震えがきている。 回廊から出て東側へ。少彦名(すくなひこな)神社はもともと薬師社だった。 玉鉾神社は明治になって建てられたお社で、国学の祖である、 羽倉東麿、岡部真淵、本居宣長、平田篤胤をまつる。 この神社のあたりから、神部・浅間両神社の本殿が見えた。 静岡浅間神社は、観阿弥が最後に舞台を務めた場所でもあり、 徳川家康が元服式を行なった場所でもある。 また、徳川忠長が失脚した理由の1つが、 殺生禁止の当社境内で猿を狩ったからという伝説がある。 静岡浅間神社のホームページはこちら
1階は主に、賤機山(しずはたやま)古墳の出土品を展示。6世紀の豪族の墓だそうだ。 2階に上がるとまず、高さ3.5メートルの巨大な家康公像がお出迎え。 駿府公園に建っている像の原型だという。 奉納された大きな絵馬が、展示室の頭上を取り囲む。 展示は国文祭の特別展で、「徳川慶喜と静岡の文明開化」(〜11月8日まで)。 慶喜の所用品や写真、日誌などを展示。ナポレオン3世から贈られた軍帽もある。 主として、静岡で謹慎して以降の生活が紹介されている。 慶喜がさまざまな趣味に没頭したことはよく知られているが、 やはり反政府勢力に担がれないよう、 あえて政治に関心を持たない姿勢を示す必要もあったようだ。 展示されていたのは、当時住んでいた屋敷の写真、書、釣り道具、刺しゅう、油絵。 西洋の風景を描いた油絵は、想像で描いたからファンタジックで、 アニメかテレビゲームのオープニングに出てきそう。 そして、慶喜が使っていたカメラと、写された数多くの写真。 当時の風景や人々の生活が写されたという意味でも価値が高い。 特に、安倍川の鉄橋を渡る蒸気機関車の写真がいい。 慶喜とともに静岡へ移った、旧幕臣についても解説されている。 牧之原を開墾して、茶畑として発展させた人々の中に、旧幕臣が多かったという。 山岡鉄舟の刀も展示されていた。 静岡市文化財資料館 午後1時30分を回った。大歳御祖神社の鳥居から出て、商店街を歩いて、食べ物屋を探す。
そば屋さんに入って、天ぷらそばを食べる。ひと息つくと一気に眠くなった。 2日で1日分しか寝てないんだから当然だ。 商店街を出て、赤い鳥居をくぐると、大きなビルが建ち並ぶビジネス街に来た。
県庁の前を通って、次に向かうのは駿府公園。 かつての駿府城跡である。
駿河国はもともと今川氏の領国で、今川義元の時代に、徳川家康が人質として生活していた。 後に武田氏が今川氏に取って代わるが、家康は武田氏を追い払うと、 拠点を浜松から移して、駿府城を築城する。 4年ほどで関東へ移封となるが、幕府を開いた後、 将軍職を秀忠に譲って、三たび駿府へ移り住み、亡くなるまでここで暮らした。 かつて、今の内堀の内側にもう1つ堀があったが、明治時代に埋められて、 今では本丸と二の丸が一体化している。 児童遊園や芝生広場も造られ、市民の憩いの場という感じだ。 右回りにぐるっと回ってみよう。 戦没者慰霊碑があった。静岡市も空襲で大きな被害を受け、大勢の方が亡くなられたそうだ。
地元の産業に貢献した人々の胸像が、公園の隅で静かに並んでいた。 紅葉山庭園に入った。 入場料¥150だが、この後で行く予定の、東御門・巽櫓との共通券を買う。(¥300)
駿府公園 紅葉山庭園のホームページはこちら 本丸堀跡の水路に架かる木橋を渡って、 再現された東御門と巽櫓(たつみやぐら)へ、さっきの共通券で入った。 (東御門・巽櫓のみの入場料は¥200)
家康像や、駿府城の模型、天守閣の模型、生活道具、 さらに、かつて東御門に実際に載っていた青銅製の鯱(しゃちほこ)、 碁盤の目状に整備された、府中の町並みの地図や模型、 ひな人形や塗下駄、漆器、蒔絵などの工芸品。 巽櫓には、さっき行列で見たのと同じ、御用茶のかごや、 臨済寺にある竹千代(家康)手習いの間が再現されていた。 門や櫓自体も、当時の技術を使って造られているらしく、 太い木の梁(はり)や柱は迫力がある。 梁のアーチ状に曲がった木材は、探すのも難しかっただろう。 2ヶ月前の地震を耐えたくらいだから、しっかりしている。 駿府公園 東御門・巽櫓のホームページはこちら
明治時代ここに拠点を置いていた、歩兵第三十四連隊の碑がある。 この連帯の拠点とするため、本丸堀が埋められたのだ。
府中宿で弥次喜多の2人は、二丁町という場所の遊郭を訪れる。 ここで若い衆にチップを渡したところ、そのお礼として安倍川餅を頂いている。 安倍川のほとりには今でも安倍川餅のお店が並んでいるらしく、 弥次喜多の2人もそこを通るのだが、前日遊郭で食べているのでここは素通りした。 私はこれで静岡市を去るので、この場所から立ち去り難く、しばらく巽櫓を見つめる。 しかしあまり名残惜しんでもいられない。 現在、午後4時30分。早く移動しないと日が暮れる。駅へ向かって歩き出した。
日が暮れる暮れないにこだわるのは、この後で安倍川を渡るからで、 そこで写真を撮れるかどうかが気になるからだ。 ようやく来た電車は、この旅ではおなじみ211系3両と313系2両。 座席は埋まったが、ドアの窓から写真を撮るのに支障はない。 発車。周りの市街地が住宅街に変わる。そして安倍川に突入した。
一方、左手も同じように、低い新幹線の橋が並行し、 結局、川はよく見えなかった。 弥次喜多は安倍川を渡る際、雨で増水しているからと、 人足に高いお金を払って担いでもらっている。 しかしその人足は、帰りに浅い個所を歩いて引き返す。 2人をわざと深い所に連れていき、高い渡し賃を請求していたのだ。 安倍川を渡ると、安倍川駅、そして用宗駅に停車するが、 その間、住宅地が途切れなく続く。東京都内の私鉄のような風景だ。 用宗を出ると、木々や堀割で景色が見えにくくなり、やがてトンネルに入る。 断崖の大崩海岸の下をくぐるトンネルで、けっこう長い。 この区間は新幹線も東名高速も国道150号線も、同じように長いトンネルになっている。 新幹線と東名高速は日本坂トンネルだが、東海道線は石部(せきべ)トンネルという。 トンネルを出ると、家々のほかに畑やビニールハウスも目立つようになる。 右手に見える高架は、新幹線か高速道路か。 サッポロビールの工場の前を通り過ぎ、もう1本、瀬戸川という川を渡って、
ヤマトタケルノミコトが敵に火をかけられた際、自分の足元に向かい火をつけて 難を逃れた場所なので、「焼津」という地名になったという。
小泉八雲の碑もあった。小泉八雲は何度か焼津に滞在したようで、 碑には『焼津にて』という文章が刻まれていた。 海沿いだからか、風が強い。 焼津インターのそばにある焼津さかなセンターをはじめ、 焼津市の観光スポットのほとんどは、駅から離れている。 だが、焼津漁港は駅の近くらしい。行ってみよう。 海に近づくにつれて、風はますます強くなってきた。 「焼津漁業資料館」と書かれた大きな看板の前を通ったが、 この時間では資料館は当然閉まっている。 焼津漁業協同組合
このお店に入って、マグロの二色丼(ヅケとネギトロ)を食べた。¥630。安い。うまい。 駅へ戻る。明るい道をたどっていったら商店街に出た。
7時7分の電車で静岡へ戻り、ロッカーから荷物を出して、 「こっこ」というお菓子を買って、7時48分のこだまに乗って帰った。 ¥7,795 今回のルート
静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市) 富士山観光交流ビューロー 焼津市観光協会 ハローナビしずおか(静岡県) JR東海 静岡鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 128.静岡編(14)」では、 藤枝でゲーム路銀を稼ぐ。 「日本縦断ゲーセン紀行 126.静岡編(12)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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