ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

145.半年のブランク
〜三河編(8)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥2,735



前回11月末に蒲郡へ行った後、多忙だったり体調が今一つだったり天気が悪かったりと、
いろいろな理由でなかなかゲーセン紀行に行けなかった。
ようやく行けそうになったのが3月。
11日に出発して岡崎に宿泊し、12・13日に岡崎城で梅の花を見て、
八丁味噌をしこたま食べてこようともくろんでいたのだが、
出掛ける準備を始めていたときにあの震災。

3分から5分近く続く大きな地震だったにもかかわらず、あのときは、
「新幹線が動いてないから」という、今考えれば実にのんきな理由で
旅行を取りやめたのだった。
東北地方、特に太平洋岸で、あんな状況になっていたことを知ったのは、
その日の夜から翌日、翌々日にかけてだった。

その後しばらくは旅行になど行ける気分ではなく、やっと落ち着いた頃には、
今度はゲーム制作で忙しくなり、気づいたら前回蒲郡に行ってから、半年も経っていた。
2011年5月2日。ゲーム作りはまだ終わってなかったが、一宮市に行こうと思ったので、
そのついでに、1日だけゲーセン紀行を再開することにした。

午後7時46分発のこだまに乗った。思ったより空いていたが、
B席しかあいてなかったので、しばらくデッキに立つ。
熱海から座れたが、新横浜駅で買った駅弁に、半熟卵がついていて、
これを割れる場所がない。仕方なく、膝で割ったら飛び散った。
飛んだのが白身だけだったことと、自分のズボンと荷物を少し汚しただけで済み、
人様に迷惑をかけてなかったことが不幸中の幸い。

9時42分、豊橋着。53分発の新快速に乗り換える。久しぶりの313系。
クロスシートに座れた。
ゲーセン紀行ではしょっちゅう乗ってる電車だけど、なんか懐かしく感じる。
10時13分、岡崎着。震災の日にキャンセルしたホテルに宿泊する。


岡崎

翌3日。8時起床。ホテルで朝食。
赤味噌の味噌汁が愛知らしい。
のんびりツイッターなぞチェックして、
ホテルを出て駅へ。

今日は1ヶ所目がゲーセンなので、あんまり早く行くのも気が引ける。
天気は曇り。半袖で来たけど、朝はまだそんなに暖かくない。

9時50分の豊橋行き
313系クロスシート車に乗る。

やっぱり久しぶりの旅行というのは怖いもので、
ロッカーに荷物を預けるのをうっかり忘れ、重い荷物を持ったまま乗ってしまった。
ゲーセン紀行以外では、1月に東尋坊と芦原温泉、2月に横浜に行っているが、
それを含めてもずいぶん久しぶりの旅である。


三河塩津

10時2分、三河塩津駅着。
半年前と同じアングルから写真を撮る。

駅の跨線橋を渡ると、
向こうに蒲郡競艇場が見える。
今日は開催日だが、ナイター競艇なので
1レースが午後3時頃から。

ここからいよいよゲーセン紀行再開。10時11分発の岐阜行きに乗ろう。
これを逃すと次は41分までない。
感慨に浸る間もなく、三河塩津を後にした。313系電車。

今回行こうかどうしようか迷って、結局行かなかったけど、
名鉄蒲郡線に乗れば、愛知こどもの国という遊園地へ行けるらしい。
愛知こどもの国のホームページはこちら

住宅が農地の中に点在。なだらかな山が両側に連なる。
10時14分、三ヶ根駅着。(ゲーム路銀 ¥2,735-¥140=¥2,595


三ヶ根(さんがね)

駅名は、近くの山からとったらしいが、
どれが三ヶ根山かわからない。

東口から出て、北に向かって歩こう。
駅前に、「殉國七士廟 参道」の碑がひっそりと建っていた。
三ヶ根山には、東京裁判で死刑となった7人をまつる墓碑があるらしい。

手押しのトラクターとすれ違う。
歩けども歩けども、
目的のゲーセンが見えてこない。
昨日電車で通ったときに建物が見えたから、
線路に沿って歩いてれば、
着くと思うんだけど。

荷物が重い。歩くこと18分。いくら何でも遠すぎる。
ケータイで地図を出して、現在地を確認……。
東口から出て北へ歩いていたつもりが、西口から出て南へ歩いていた!

駅まで戻る。全く、ちょっとブランクがあいただけで、こうもドジを連発するものか?

きっちり18分かかって駅まで帰ってきた。
駅の入口に、
でっかく「西口」と書いてあった。

改札前にも、矢印つきで「東口」「西口」と書いてあった。
それなのになぜ間違ったのだろう?
三ヶ根山が内陸側にあるものと、思い込んでいたからだろうか。

あらためて東口から出て
ゲーセンを目指す。
道が広くて歩きやすい。

たった6分で、
「Uファクトリーin KOTA」に到着。

既に11時を回っており、
「朝早く行きたくない」とさっき望んだ通りになったことはなったが。
徒歩6分の所に50分もかかるとは。早くも脚が疲れた。

プライズ、プリクラ、音ゲーなどの大型機、通信、麻雀、パチ・スロ。
ビデオゲームもあった。鉄拳6、バーチャファイター5Final Showdownなど対戦格闘や、
麻雀、上海。2階には麻雀格闘倶楽部や、スロット、ビリヤード、カラオケ有。
1階に『おてなみ拝見FINAL』があった。「ZOO KEEPER」をやるのも久々だ。
どうにかこうにか7面クリア。(ゲーム路銀 ¥2,595-¥100+¥700=¥3,195
入ってきた方と逆側の出口から店を出たら、「GAME TONGA」という、別の店名が掲げられていた。

11時47分、駅に戻ってきた。59分の岐阜行きに乗ろう。
この駅には各駅停車しか止まらないため、電車は30分に1本。
それだけに、12分待ちで次の電車が来るというのはちょうどいい。
焦って駆け込む必要もなく、長時間待たされることもなく。

今度の電車は311系4両。出発してすぐ右手にUファクトリーが見えた。
住宅地が続く。農地も多少。新幹線の高架が右から左へオーバークロスした所が幸田。
駅名は「こうだ」だが、周りのお店や、三ヶ根で見た観光案内板によると、
町の名前は「こうた」のようだ。さっきのUファクトリーも「in KOTA」だったし。

幸田は通過しますごめんなさい。駅を出て少し進むと、農地が広がる。
ちょうど田植えの時期か。
新しそうな住宅地のあたりに、建設中のプラットホームがあった。
今年度末に開業するらしい。
その先はまた住宅地が続く。

12時8分、岡崎駅に到着した。
ゲーム路銀 ¥3,195-¥230=¥2,965


〜幸田(こうだ)〜
岡崎

東口のバス乗り場から橋上駅舎を撮影。

ロータリーには、松平元康像がある。
「若き日の徳川家康公」と書かれている。
ここ岡崎は、徳川家康の生誕地。

西口には、蒸気機関車のモニュメント。

岡崎駅は、岡崎市の中心地からは
離れた場所にある。
周囲には比較的最近できたと思われる、
アパート・マンションが目立つ。

岡崎は岡崎城の城下町で、東海道の宿場町でもある。
古くからの岡崎の中心地、岡崎城の周辺へ行ってみることにした。
岡崎駅のロッカーが、すごく狭くて目立たない所にあり、何となく不安なので、
引き続き、荷物を持って移動する。

愛知環状鉄道の、12時49分発の高蔵寺行きに乗る。
愛知環状鉄道はここ岡崎駅と、春日井市の高蔵寺駅を南北に結ぶ。
愛・地球博のお客さんの輸送に、大活躍したことは記憶に新しい。

0番ホームに、
2両編成の電車が止まっていた。
愛・地球博に向けた輸送力強化のために
投入された2000系だ。
セミクロスシート。

岡崎駅を発車後、しばらくJRと並行していたが、やがて右へカーブ。
六名は相対式の交換可能駅(中岡崎までは単線)。
六名を出ると引き続き、高架の線路で住宅地の中を走る。
地平に下りてまた上がり、川を渡って12時54分、中岡崎駅着。
半分くらいのお客さんと一緒に、ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥2,965-¥220=¥2,745


〜六名(むつな)〜
中岡崎

中岡崎は何となく、
京葉線の駅(千葉みなと辺り)に似た高架駅。
ここでやっとロッカーに荷物を入れられた。
すぐ隣に、名鉄の岡崎公園前駅がある。

中岡崎の西口に、
小さな味噌樽の碑があった。
石が積んである。
NHKドラマ『純情きらり』の記念碑だ。
隣に、室井滋さんの手形がある。

線路の高架に沿って少し北へ歩くと、
まるやの味噌蔵の向かいに、
福士誠治さんの手形が。

さらに北へ行くと、カクキューの建物。
1927年(昭和2年)に建てられた。
国登録有形文化財。

その建物の前に、戸田恵子さんの手形。
ここは『純情きらり』のロケ地だった。

さらにその北に、塩見三省さんの手形。

福士さんと戸田さんの手形の間、
観光案内図の脇に、

八名信夫さんの手形があった。

ここから西へのびる細い道を歩くと、
カクキューの古い建物の裏手に、

主演の宮アあおいさんの手形が、
ひっそりとたたずんでいた。

宮崎あおいさんの手形の隣に、八丁味噌の歴史を解説する説明板があった。
ここで味噌造りが発達したのは、矢作川沿いということで、
原料の大豆や塩が調達しやすく、また製品も出荷しやすかったかららしい。
「カクキュー」と「まるや」は、江戸時代から続く、八丁味噌の二大製造所。

八名さんの交差点から、高架の下を通って東側へ。
下が水路なので、橋を渡る形になる。
松葉通りを東へ歩き、広い国道をちょっと南下し、また東へ。
豪快なくらい派手なホテルがあってびっくりする。

どうにか迷うことなく、岡崎城に到着した。

竹千代(幼少時の家康)像の隣に、
寺島しのぶさんの手形がある。

ここへ来て初めて知ったが、
ちょうど、藤まつりの真っ最中だった。

藤棚にびっしりと、
見事な薄紫の花が
咲き誇っている。

藤棚の下に入れば、見渡す限りの花。
どっちを向いてもきれいな薄紫。

ほのかに花の香りが漂う。

7ヶ所に3株ずつ寄せ植えされた藤の木が
こんなにも広い藤棚を形成している。
「五万石ふじ」とよばれ、
最も古いものは樹齢120年以上だとか。

ここに来るまでは、
梅の季節どころか桜の季節も逃して、
景色があまり良くないんじゃないかと
不安だったが、
かわりにこんな素晴らしい花を
見ることができてよかった。

岡崎公園・岡崎城のホームページはこちら

いつまでも眺めていたいけど、きりがないので先へ進む。
徳川家康をまつる龍城(たつき)神社に参拝。

岡崎城天守閣へ。
もとの天守は1873〜1874年(明治6〜7年)に
取り壊されたが、
1959年(昭和34年)に復元された。
名古屋城と同時期くらいか。
昭和中期の復元天守である。

天守閣の手前に、東照公遺訓碑が建っていた。
「人の一生は重荷を負て
遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず」
で始まる文章が、大きな亀の背に乗っている。
1936年(昭和11年)に建てられた。

入場料は¥200だが、
三河武士のやかた家康館との共通券(¥500)を買って、天守閣に入った。

1階で心柱の礎石を見て、2階へ。
刀やよろいかぶと、かつての天守のしゃちほこなどの展示とともに、
この城の歴史が解説されている。
ここは徳川家康が誕生した城であり、
また、今川氏から自立した後、浜松に移るまで、本拠地だった。

その後も嫡男の信康をはじめ、石川数正、本多重次といった
重要な人物が城代となったが、
家康が関東に移封されると、豊臣配下の田中吉政が入った。
実はこの吉政が、岡崎の城下町の基礎を作ったそうだ。

関ヶ原の合戦の後に再び徳川の城となり、
本多氏(康重系)、水野氏、松平氏(松井氏系)、本多氏(忠勝系)といった
譜代大名が入封している。

3階の展示は、城下町の文化と産業について。
岡崎は江戸時代、東海道の宿場町でもあった。
岡崎宿と、1つ江戸寄りの藤川宿について紹介。
ジオラマに半透明の映像を重ねて、江戸時代の産業と暮らしを紹介するシアター展示も。
地元の伝統産業として紹介されていたのは、
三河花火、三河木綿、石の加工、矢作川の舟運、もちろん八丁味噌も。

5階の展望台に着いた。
金網越しに景色を見る。
まず、さっき歩いてきた西側。
写真には写っていないが、
矢作川を渡る名鉄の特急が見えた。
味噌蔵の建物もあるが、
川も味噌蔵も、はっきりとは見えない。

名鉄だけでなく、この少し下流で東海道線も矢作川を渡っている。
だから鉄道唱歌の歌詞にも、岡崎と矢作川が出てくる。
「見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧の橋に残れるは 藤吉郎のものがたり」

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は若い頃、矢作橋の上で、
盗賊の頭だった蜂須賀小六と争いになったという伝説がある。
かつては広く信じられていたが、実はこの時代、まだ矢作橋はなく、
蜂須賀小六も盗賊だったことはない。

南の乙川(おとがわ)はよく見える。
名鉄の赤い電車が渡っていく。

東側は、天守閣の真下に茶室と、
巽閣という建物。
街の中心地はこの東側から
北側にかけてのようで、
高い建物が並んでいる。

下りてきて4階には、城の歴史年表や出土品、調度品。
江戸時代の岡崎城の立体模型があった。
天守のある本丸と、御殿のある二の丸が並び、その間が堀で分けられていたことがわかる。

岡崎公園・岡崎城のホームページはこちら

天守閣を後にし、いけばな展の行なわれていた巽閣の前を通る。
岡崎出身の地理学者・志賀重昂(しげたか)が、
テキサス独立戦争を記念して建立した「アラモの碑」がある。
志賀はアラモの戦いが、長篠城の戦いと似ていると指摘し、
自らの命をかけて、援軍が来ることを報告した鳥居強右衛門(すねえもん)と、
アラモ砦から同様に援軍を要請したジェームス・ボナムを称賛している。
(ボナムはアラモ砦に戻ることができたが、援軍は来ず、アラモは陥落した)

茶室の前で、三浦友和さんの手形を発見。

本丸と二の丸の間の空堀の脇を通り、
石垣の間を通ると、開けた場所に出た。
ここも散策したいが、次に行く場所が
閉まったら困るので、そちらへ先に行く。

「三河武士のやかた 家康館」。
まずは特別展示室へ。

葵の御紋がついた太刀のさや。小栗忠政の肖像画。本多政長(大和郡山藩主)のよろい。
大久保忠教(彦左衛門)の画像と、著書の三河物語。
軍配、火縄銃、榊原家の陣羽織などが展示されていた。
(6月8日までの展示。現在は別の展示が行なわれている)

巨大な家康の花押が掲げられた階段を下りて、常設展示室へ。
徳川家康と三河武士の歴史について、さまざまな方法を使って解説されている。
もともとは源氏、足利氏とかかわりのあった三河の武士。
松平親氏から始まった松平家は、七代・清康の時代に、勢力を大きく拡大する。
しかし清康は家臣の阿部弥七郎に殺され(守山崩れ)、松平家の勢力は衰退。
孫の家康は織田氏の人質、さらに今川氏の人質となる。

桶狭間の戦いにおける今川義元の死をきっかけに、今川氏から独立し、
一向一揆に悩まされながらも、東三河を平定。
徳川に改姓した頃、三河を平定し、遠江も支配下に入れ、本拠を浜松に移す。
三方ヶ原で武田信玄に敗れるが、長篠の戦いで武田勝頼に勝利。
武田氏を滅ぼし、駿河も領土に加える。
しかしその一方、嫡男・信康の自刃、さらには“神君伊賀越え”といった苦難に遭遇する。

織田氏の家中で勢力を伸ばしてきた羽柴秀吉と、小牧・長久手で戦いとなる。
秀吉と和睦し、小田原の役の後に関東へ移封となるが、
秀吉の死後は急速に影響力を強める。
しかし石田三成らと対立し、関ヶ原で戦うこととなる。

関ヶ原の戦いは、大きなジオラマと、現地の映像を組み合わせて詳細に解説。
各部隊の布陣と動きが、わかりやすく示されている。
特に、小早川秀秋の寝返り、島津義弘の正面突破による撤退のルートがよくわかる。

最後のエリアは、家康の晩年と、徳川十六将に関する展示。
家康は江戸幕府を開き、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣氏を滅亡させる。
1616年(元和2年)、駿府城で逝去。数えで75歳だった。

1階に戻る。家康の正室・側室とその子供たちの解説。
さまざまな刀の展示。その中には、村正の槍(やり)が1本あった。
槍とはいえ、岡崎城に村正があることに驚いた。
家康と十六将の行列の人形。
甲冑(かっちゅう)や、お姫様の着物が着られる体験コーナーもあった。

岡崎公園・岡崎城のホームページはこちら

家康館を出るとき時計を見たら、閉館の午後5時近かった。先に来ておいてよかった。

午後5時ちょうど。
家康館前の時計が開き、

能を舞う家康公が現れた。
(午前9時から午後6時の
毎正時及び毎時30分に動くらしい)

たちまちできる人だかり。

途中から家康公が能面をかぶる。

城の北東隅に、立派な大手門がそびえ立つ。
もっともここは、
かつて大手門があった場所ではない。
江戸時代までの大手門は、
いま市街地になっているらしい。

大手門の外に、竹下景子さんの手形がある。

(この近くに、最近復元された東隅櫓と塀があるらしいのだが、気づかなかった)

電話ボックスが面白い。
全国にある、その土地の特産物が載った
電話ボックスや郵便ポストを写真に撮って
本を出したいと思った。
だが、いまや電話ボックスは減ってるし、
単行本の企画も通りにくくなった。

さっき通り過ぎた、
公園として整備されたスペースへ戻る。
岡崎公園には、花時計や、

1965年(昭和40年)に、
没後350年を記念して建てられた家康公像、

1992年(平成4年)の、
生誕450年を記念して作られた、
若き日の松平元康像がある。

能楽堂と家康館の間の目立たない所に、
三方ヶ原の戦いで敗れたときの
“しかみ像”を立体にした像が、
ひっそりとたたずんでいた。

軽く雨が降ってきた。
ここは家康の産湯がくまれたとされる井戸。

その裏手にある橋のたもとに、
松澤傑(すぐる)さんの手形があった。
これで、岡崎にある『純情きらり』の
俳優さんの手形を、全部見たことになる。

岡崎公園・岡崎城のホームページはこちら

1周して藤棚に帰ってきた。まっすぐ駅まで戻る。
午後5時48分。そこそこ遅い時間になったが、さてどうしよう?
今日はこの後、ゲーセンを2軒回ろうと考えていたが、
どちらか1軒しか行けないかもしれない。


岡崎公園前

中岡崎駅の隣にある
岡崎公園前駅から、名鉄に乗ることにした。
電車は1時間に4本あるが、
かなり考えた後だったので、
5時56分発には乗れず、
次の6時13分発に乗ることに。
雨はやんでいた。

やってきたのは真っ赤な3100系4両。
駅を出てすぐ左手に岡崎城。乙川を渡る。
6時15分、街の中心地、東岡崎に到着。
この電車はこの駅止まり……のはずだったのだが。

快速特急を先に行かせた後、
東岡崎止まりだったはずのこの電車が、
伊奈行きとなって、またこの先へ行く。
なら最初から伊奈行きでいいのに。
不思議な運用である。

東岡崎を出て、薄暗くなった住宅地を走る。
男川駅の先、左手に広がるのは畑だろうか。6時25分、美合駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥2,745-¥220=¥2,525


〜東岡崎〜男川(おとがわ)〜
美合(みあい)

この美合駅の1階が、ゲームセンター
「アミューズメント201」だった。

駅ビル内のゲーセンって、ありそうで意外とない気がする。
九州の大きな駅とか、あと赤羽とかにあったはずだが、
ターミナルでない駅なら、なおさら少ないと思う。(どうだろう?)

チェリオのお茶を買って飲みながら店内を歩く。
プライズ、音ゲー、パチンコ・スロット、通信、麻雀など。
ビデオゲームは対戦格闘、ガンダムエクストリームバーサスなど。
パズルもあった。テトリス、上海、ぷよぷよフィーバー。

『ミスタードリラー2』があったのでプレイする。
2プレイ¥100で、1回目は771m。2回目は、残機1、エアが残りわずかながら、
何とか1000mクリアした。(ゲーム路銀 ¥2,525-¥100+¥850=¥3,275

すっかり暗くなった。
ツバメの巣が天井近くに点在し、軽く鳴き声が聞こえる駅へと戻り、
7時14分の急行岐阜行きで岡崎に戻ろう。
3500系4両+3100系2両。やはり真っ赤なロングシート車。

男川を通過して東岡崎に停車。
岡崎公園前には急行が止まらないので、ここで普通電車に乗り換えとなる。
快速特急を見送った。ホームの時刻表を見ると、この後に普通が来るはず。
……と思ってたら今見てたのは平日ダイヤ。休日ダイヤを見たら、……
その普通電車がない! 次の普通は、7時42分まで来ない!

念のため駅員さんに確認したけど、やはり岡崎公園前に止まる電車はそれしかないらしい。
6時台までは普通電車が1時間に4本あったのだが、運が悪かった。
まあ最初から30分ヘッドだと思えばいいか。

内照式広告の電気が全部点灯していて、うらやましくなった。
東京だと節電のために、この手の電気がみんな消えている。
ようやくやってきた、2両編成の普通・岩倉行きに乗る。
真っ赤な6800系。セミクロスシート。

岡崎城の天守閣が、ライトアップされていた。
44分、岡崎公園前着。乗ってしまえばそこからは速かった。
ゲーム路銀 ¥3,275-¥220=¥3,055


岡崎公園前/中岡崎

今回のゲーセン紀行はこれにて終了。
中岡崎駅のロッカーから荷物を出して、7時53分発の電車で岡崎駅に戻る。
それにしても、せっかく八丁味噌の本場に来たというのに、昼ご飯を食べる機会を逸した。
おなかがすいた。

7時58分着。明日「レトロゲームが大好きだ」に使う写真を撮るつもりなので、
8時12分の特別快速に乗り、一路、尾張一宮へと向かった。
8時55分に着いて、結局、すき家で晩ご飯。初めて大盛り牛丼を食べた。

(※一宮で撮った写真は、結局記事には使わなかった)

現在のゲーム路銀
¥3,055

今回のルート


より大きな地図で ゲイムマンの日本縦断ゲーセン紀行 を表示


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幸田町ホームページ  岡崎市観光協会
愛知県観光ガイド  JR東海  名古屋鉄道  愛知環状鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 146.三河編(9)」では、
久しぶりにゲーセンを回りまくる。
「日本縦断ゲーセン紀行 144.三河編(7)」に戻る


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