ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

150.町屋造りの町並みと、たどり着けないゲームセンター
〜尾張編(1)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥4,615




2011年11月24日。お昼に江南市のサン電子を訪問した。
名古屋に戻ったときには、体調が今一つで、寒気もしていたが、
体温を計ったら平熱。しばらく駅の中にいたら元気になってきた。
単に、外がおそろしく寒かっただけのようだ。風も強かったし。
時間があいたので、ゲーセン紀行をちょっと進めとこうと思う。


知立(ちりゅう)

名鉄名古屋駅から、
午後4時3分発の特急に乗って、
4時23分、知立駅着。
ホームの改札寄りに、
弘法山遍照院の遥拝所がある。

知立には知立神社もあるが、
もう午後4時を過ぎたので、
神社には後日行くとして、今日は、
豊明市方面のゲーセンを少し回りたい。

それにしても寒い。ホームまで風が吹き込んでくる。
4時36分発の普通岩倉行きに乗る。3500系4両。電車の中は暖かい。

発車。右手にボウリング場、続いて福祉体育館。工場も見えるが、基本的には住宅街。
一ツ木駅。逢妻川を渡ると農地が広がる。再び住宅地になった所が富士松駅。
再び農地。右にパスコの工場、サウナ、パチンコ。左手遠くに高架の道路。
境川を渡る。ここが三河国と尾張国の境界線らしい。
左に機関車が数両あった。電車も並ぶ。豊明検車区だ。

4時43分、豊明駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥4,615-¥220=¥4,395


〜一ツ木〜富士松〜
豊明(とよあけ)

かなり背の高い高架駅。
北口から出て南東へ向かう。

道路の高架を2本くぐる。2本目はここで二股に分かれていた。
階段を上がって国道1号線の歩道に出る。
右側は線路がよく見渡せる。電車が頻繁に行き交う。

夕焼けに映える高圧線の鉄塔。

境川を渡って、豊明市から刈谷市へ、
尾張から三河へ戻る。

何台ものトラックが、猛スピードで通り過ぎる。
左手はるか遠くに、観覧車のイルミネーション。多分、刈谷ハイウェイオアシスだろう。
刈谷ハイウェイオアシスのホームページはこちら

さっき車窓から見えた
パチンコ店の隣のボウリング場。
ここが目当てのラウンドワン。
でも目の前の道路を渡れない。

写真を撮るのも難儀した。迫ってくるトラックにカメラを向ける格好になるのを避けて、
ラウンドワンの前を通り過ぎてから、振り返って撮らざるを得ない。

何百メートルか先に信号機が見えたので、
そこまで行ったら渡れるだろうと考え、さらに歩く。

しかし、信号機はあるものの、
横断歩道のない交差点だった。

ラウンドワンへ行くのは断念。来た道を戻る。
帰りは猛スピードのトラックが後ろから来るので、さらに怖い。
どうにかこうにか駅に戻ってきたのが午後5時30分。
今日は夜にも予定が入っているので、ゲーセン紀行はここで中断。
5時36分の準急佐屋行きで名古屋に戻った。

後で調べたが、ラウンドワンへ行くには、国道1号線ではなく、
建物の反対側にある道路を通れば行けるらしい。



1日おいて11月26日。名古屋。何とか8時30分に起きられた。
駅のロッカーに荷物を収め、近くのカフェでホットドッグを食べる。
いざゲーセン紀行へ。名古屋までは基本的に東海道線をたどる予定だが、
有松町並み保存地区が見たいので、そこまでは名鉄を使うことにする。

10時22分の急行吉良吉田行きに乗った。6000系。今日は雲一つない青空。
スタート地点は豊明なのだが、今日訪ねる各施設の営業時間を考えて、
知立まで戻ることにする。豊明から知立までの¥220をゲーム路銀から引く。
ゲーム路銀 ¥4,395-¥220=¥4,175

電車は豊明にも止まったが、降りずに知立まで乗り通す。
富士松と一ツ木の間で、南側遠くにかなり大きなスタジアムが見えた。
刈谷市総合運動公園だろうか。


知立

10時47分、知立駅着。

駅前の噴水の上に立つ
ブロンズ像がかなり目立つ。

知立は江戸時代の宿場町。かつては「池鯉鮒」と表記されていた。
昔は馬市が有名だったようだ。
「東海道中膝栗毛」では、弥次さんがこの町で草履を買っている。

その頃から存在するという、知立神社へ行ってみた。
今日は雲一つない快晴で、暖かくて歩きやすい。

「東海道中膝栗毛」では、池鯉鮒宿を出た弥次さん喜多さんは、
「さなげ明神」に参拝したと書かれている。
また「東海道名所記」には「狭奈岐大明神」が出てくるが、
おそらくこれは池鯉鮒大明神、つまり知立神社のことだろう。
猿投神社も現存するが、猿投のはるか北で、池鯉鮒宿からはかなり離れている。

国道1号線に出た。ナビタイムで場所を確認する。
少し行き過ぎたが、まあ大丈夫な範囲か。

知立神社到着。駐車場脇にそびえ立つ多宝塔。
1509年(永正6年)、
重原城主・山岡忠左衛門が再建した、
歴史あるものらしい。

知立神社の歴史は古く、
日本武尊が東国平定の際に祖先をまつったのが始まりとされる。

境内は七五三のお参りに来ている
家族連れでにぎわっていた。

鮮やかな着物を身にまとった
お子さんがそこかしこに。

拝殿の中は、お子さんの無事な成長を
祈願する人々でぎっしり。

四角く囲われた池の中に、
色とりどりの鯉が泳いでいる。
「東海道名所記」では、
ここに鯉や鮒が多かったので、
町の名前が「池鯉鮒」となったと
書かれている。

真ん中の石橋は、
1732年(享保17年)に造られたもの。
さっきの多宝塔ほどではないものの、
これも歴史ある建造物だ。
弥次さん喜多さんも
これを見たということになる。

知立神社のホームページはこちら

神社のそばに、花しょうぶが植えられた、
知立公園という小公園があった。
中央のモニュメントに
「平成の門出」と書かれている。

花の見頃は6月中旬なので、今はひっそりとしているが、
黄色いイチョウの葉がきれい。

公園と神社の間に、
古びた木造の洋館が建っていた。

近くに、流汗不動総持寺というお寺があった。

広い国道155号・豊田南バイパスに出ると、
法公会という宗教法人の総本山があった。

また、名鉄の線路沿いに、イーグルボウルという大きなボウリング場があった。
入ってみようかとも思ったが、ゲームコーナーがあるかどうかわからなかったので
立ち寄らなかった。
(※後で調べたら、けっこう大きなゲームコーナーがあるらしい)

知立駅着12時13分。次は一気に有松まで行こう。
12時29分発の急行岐阜行きに乗った。3500系4両と、3150系のステンレス車両。

この電車は豊明を通過する。豊明から先は住宅と農地が混在。
前後駅で快速特急の通過待ち。
その先で、住宅地の中、右手に中京競馬場の高いスタンドが見えた。
競馬場は2012年春まで改装中。

中京競馬場前駅着。
ここからいよいよ名古屋市だ。
この駅で降り、次にやってきた
準急佐屋行きに乗り換えた。

3500系4両。
中京競馬場前駅を出て間もなく、
有松駅に到着した。
11時43分着。
ゲーム路銀 ¥4,175-¥290=¥3,885


〜一ツ木〜富士松〜豊明〜前後〜中京競馬場前〜
有松

橋上駅舎の有松駅。
町屋風の窓があるのだが、
歩行者デッキのフェンスに隠れて
写真が撮りにくい。
駅へ向かう高校生たちとすれ違う。

有松町並み保存地区を、
まずは西へ向かった。
縦長の格子に覆われた窓を持つ、
町屋造りの建物が並ぶ。

有松まつりで使われる
山車を収める蔵もある。

中舛(なかます)竹田家は、
有松絞りの開祖・竹田庄九郎ゆかりの
建物と伝えられる。
老朽化していたが復元され、
現在はデイサービス松柏苑となっている。

建物の前に大きな生け花。
大きさの割につつましく、風景にとけこんでいる。

名古屋市指定有形文化財、竹田家住宅。
主屋の2階は黒しっくいによる
塗篭造(ぬりごめづくり)。
江戸時代に建てられた。
「笹加」という昔からの屋号が
掲げられている。

それにしても、車が頻繁に、そこそこのスピードを出して通り過ぎるので、
ゆっくり見られないのが残念。細い道だが一応、県道らしい。(県道222号)

ここまでは新しい建物も
まじっていたが、
下り坂に入ると、道の左右とも
全て木造の、町屋造りの家並みとなった。

この写真の左手前、
岡家住宅も市指定文化財。
2階のしっくいの縦格子が見事。

小塚家住宅も市指定文化財。
主屋の端に、うだつが残っている。

有松は、池鯉鮒と鳴海の“間の宿”(あいのしゅく)で、
有松絞りによって発展した。
1784年(天明4年)に火災で大きな被害を受けたため、
その後は火事に備えて、漆喰の塗籠造、瓦屋根の建物が並ぶ町並みとなった。
1984年(昭和59年)、「有松町並み保存地区」に指定され、
この町並みが今日まで保存されている。

引き返して駅前の広い通りを横断し、
今度は東側へ。
今でも絞りのお店が多い。

服部家は愛知県指定文化財。
黒い塗籠造の主屋があり、

腰壁がなまこ壁となった蔵がある。

堂々とした門まで残っている。
この向かいに、有松・鳴海絞会館があるが、
ここは帰りに寄ろう。
午後になったからか、
観光客の姿が俄然増えてきた。

有松山車会館に入った。
(¥200。絞会館との共通券¥450)
10月第1日曜の「有松まつり」で使われる
3台の山車のうち1台が展示されている。

私が来たとき展示されていたのは「布袋車」とよばれる山車で、
1675年頃に造られたとされる。江戸時代初期だ。
もとは若宮祭の山車だったらしい。

蓮台の中央に、布袋様が座っている。
その前にいる童子はからくり人形で、筆で文字を書くことができる。
階段を上がり、上からも山車をじっくりながめた。

(ほかの2台は、天保年間にできた「唐子車」と、
明治6年にできた「神功皇后車」)

館内には、明治時代の祭りの写真、明治時代の風景画、
鳴海絞りの着物なども展示されている。
畳の部屋で、祭りのビデオ映像を見ながら休む。
からくり人形は、想像していたよりかなり激しく動いていた。
操演する人の技術も要求されるんだろうなと感じる。
夜は山車全体に、提灯が提げられてきれい。

有松・鳴海 絞会館のホームページ(山車の解説も有)

あらためて、有松・鳴海絞会館へ。
1階が売店と喫茶店、
2階が展示室となっている。
山車会館との共通券を使って
展示室に入った。
(絞会館単独だと¥300)

ビデオや実演で、「くくり」の技法を見ることができる。
有松絞りが生まれたのは江戸時代初期。
名古屋城築城のために来た、九州の武士の着物をヒントに、
竹田庄九郎という人が始めた。
もともと産業に乏しかった有松だが、
絞り染めの手ぬぐいや浴衣を製造・販売することで発展した。

「東海道中膝栗毛」でも、弥次さんが有松絞りの手ぬぐいを買っているが、
店主が将棋を指している最中だったので、交渉にちょっと苦労する。
「ほしいもの有まつ染(ぞめ)よ人の身のあぶらしぼりし金にかへても」

現在でも、100種類以上の技法が伝わっているそうだ。
1975年(昭和50年)、「有松・鳴海絞り」として、国の伝統工芸品に指定されている。
型紙作りから、下絵、絞り加工(布を糸でくくる)、染色、糸抜きと、
それぞれ専門の職人が手作業で行なっている。

くくりの工程を、小柄なお婆さんが実演されていた。
展示室と会議室の間の、小さなスペース。
隙間から布に染料が染みることのないよう、
かなり力を入れて、くくっておられた。その力強さがかっこいい。

会議室では、絞り染めのハンカチを作る教室が開催されているところ。
絞りでヒョウの斑点を描いた、ふすま絵が展示されていた。

展示室では、見事な着物はもちろん、
絞台という道具や、各工程を表した和紙の人形などを展示。
さまざまなくくり方と、それによって出来上がった模様の布が並べられている。
本当に多種多様。

そして、当地の近くに桶狭間の合戦場があるということで、
絞りで作った織田信長と今川義元の甲冑があった。

有松・鳴海 絞会館のホームページはこちら

駅の北側へ移動。
駅舎の形は、こちらから見た方がよくわかる。

駅前に大きなショッピングセンターがある。
イオンタウン有松だ。
壁面の一部には、
なまこ壁を模したタイル模様がある。
ゲームコーナーがあるかもしれないと思い、
寄ってみた。

午後3時半近くなり、お腹がすいてきた。
入口のそばにコメダ珈琲店があったので、入ってシロノワールを食べた。
ゲーセン紀行では、豊橋、岡崎、刈谷と、コメダの店舗は何度も見かけたが、
今までは時間が合わなくて行けずにいたのだ。
もっとも、今月(11月)6日、ゲーセン紀行じゃなしに名古屋へ来た際、
久屋大通のセントラルパークの地下で、全く同じものを食べているのだが。

3階の「YOU'S LAND」に行ってみた。
プリクラ、プライズ、乗り物、メダル、キッズ向け、大型筐体。エレメカもある。
広いスペースに、充実したラインナップ。
ビデオゲームもあった。「ストリートファイターIV」をやってみる。
対戦台だけど、今の時間帯にはここに来る人はいない感じだし。

ビギナーモードで3面クリア。ブランカに敗れる。
思った通り、乱入者は来なかった。ファミリー向けゲーセンばんざい。
ゲーム路銀 ¥3,885-¥100+¥300=¥4,085

隣には「KID'S US LAND」という屋内遊園地がある。15分¥105というシステムらしい。
中には入らなかったが、乗り物、ボールプール、エアホッケーなどが見える。
ビデオゲームもあるようだった。

駅へ向かう。歩道橋のすりガラスの模様が、絞り染めだった。
駅着午後4時30分。続いて、おととい入れなかったラウンドワンに再挑戦したい。
地図を見たところ、日が暮れてから歩くのは、ちょっと怖そうな道だけど。

4時42分発、東岡崎行き普通電車。
せっかく名古屋市に入ったのに、また豊明市に逆戻り。
3700系4両。前後駅で電車を2本先に行かせたため、豊明駅着は4時57分になった。
前後にも後で来る予定だから、降りてこっちを先に回れば良かったかもしれない。
ゲーム路銀 ¥4,085-¥220=¥3,865


〜中京競馬場前〜前後〜
豊明

薄暗くなってしまったが、
目的地へと歩き始める。

おとといは国道1号で、渡りたい所に横断歩道がなくて困ったが、
別ルートでも渡りたい所に横断歩道がなく、いったん手前の交差点に戻る。

その先は、かなりうら寂しい道路。
沿道の工場が操業しているからまだいいけど、
さらに先の建物には、明かりが灯っていない。
車はそこそこ通るが、人通りは全くない。

今は建物が見えるくらいの明るさがあるが、ゲームをプレイした後、
帰路は外が真っ暗になるだろうから、歩くのは危険と判断。
これ以上進むのは断念し、駅に戻った。

5時27分の電車で、隣の前後駅へ。6500系急行。5時30分、前後駅着。
ゲーム路銀 ¥3,865-¥160=¥3,705


前後

実はこちらの方が、
豊明市の中心地らしい。

事前に調べたところ、
駅前にアピタがあるはずだったが、
パルネスCO・OPになっていた。

CO・OPの入口に
「きのっぴい」というモニュメントがある。
からくり時計になっているらしい。

とりあえずCO・OPに入ってみた。入口は2階。
駅前に広いロータリーがあるから、ここが地上だと思っていたけど、
実は歩行者デッキだったのだ。

この階に「ポケットファミリーランド」というゲームコーナーがあった。
プライズ、乗り物、キッズ向け中心。古そうなエレメカもある。
パチンコ・スロット中心にメダルゲームも。
あとは太鼓の達人、ガンバレットなど。プリクラも1台ある。

私のプレイできそうなゲームはなさそうだなあ、と思っていたところで、
唐突にボンバーマンとギャラガが視界に入った。
メダル5枚で1プレイ。メダルは¥100で10枚なので、実質1プレイ¥50。

まず「ボンバーマン」をやってみた。3面クリア。
好きなタイミングで爆弾を爆発させられるリモコンを持っているのに、
うっかり自分を爆破するミスを3回もやってしまう。

続いて「ギャラガ」。こちらは8面クリアできた。
せっかくデュアルファイターになったのに、
一度に両方とも失ってしまうといったドジはあったが。
ゲーム路銀 ¥3,705-¥100+¥550=¥4,155

前後駅に戻り、午後6時24分発の、6500系普通電車に乗る。
犬山線で踏切事故があってダイヤが乱れているとのことだが、
この電車は予定通り出発した。

「次は中京競馬場前です」
しまった! 逆方向!
今日1日、行ったり来たりしてたので間違えた。


中京競馬場前

中京競馬場前駅から、44分発の普通・東岡崎行きで戻る。
3700系4両。ロングシート。
前後駅で急行に乗り換える。やや混んでて座れない。

6時57分、知立着。ここで名物の「大あんまき」を買おうとしたが、
駅構内の販売所は、この時間には営業を終了していた。
7時2分の碧南行きに乗り、7時8分、刈谷駅着。
ゲーム路銀 ¥4,155-¥290=¥3,865


〜前後〜豊明〜富士松〜一ツ木〜知立〜重原〜
刈谷

今日はこれで東京に帰る。JRの7時24分発特別快速で名古屋に戻ろう。42分着。
きらびやかな土曜の夜の名古屋駅。
ロッカーから荷物を出して、みそかつ&えびふりゃー弁当を買って、
8時20分発ののぞみに乗った。

土曜の夜だから、すいていたけど、
私の席の所だけ、3人掛けの空いてる2席にカップルが来た。
2人掛けが空いていなかったのだ。
午後9時44分、新横浜着。

現在のゲーム路銀
¥3,865

今回のルート


より大きな地図で ゲイムマンの日本縦断ゲーセン紀行(岡崎〜) を表示
刈谷市観光協会  知立市のホームページ  豊明市観光協会  名古屋インフォメーションNavi
愛知県観光ガイド  JR東海  名古屋鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 151.尾張編(2)」では、
知多半島のゲーセンを巡る。
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