二十世紀ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

157.やきものの町を歩く歩く歩く
〜尾張編(8)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥2,185




2012年4月11日。午後6時52分新横浜発のひかりで名古屋へ。
今回は桜の咲く時期に合わせて予定を立てたのだが、
3月まで低かった気温が、4月に入ると急に上がり出し、
開花から満開までの期間がやけに短かった。

早くしないと散ってしまうと思い、予定を1日早めて、水曜日出発としたものの、
果たして桜はどんな状態だろうか?
今日は雨風が強く、桜の大部分が散ってしまうという予報があったが。

前の日の深夜に「3.11以前:東日本の写真集」をようやくアップできたので、
しばらくは急ぎの仕事がない。そのぶん稼ぎもないけれど。
「横浜妖精奇譚」は、ねとらぼに取り上げられて話題になったが、
今までの“負け分”を取り返すほどの売り上げは得られていない。

8時19分、名古屋着。名鉄名古屋駅に移動して、49分発の特急に乗る。
1本前の特急にも間に合っていたのだが、
49分の電車は、全車特別車の特急ミュースカイなのだ。
私は2005年の登場直後くらいに、ミュースカイに乗ったことがあるけど、それ以来。


中部国際空港

9時18分、中部国際空港着。
ホームでミュースカイの写真を
撮ろうと思ったが、
ガラスとホームドアで覆われていて
車両を撮れず。

かわりに、乗り場の入口にあった
ミュースカイの写真を撮影。

前回来たときは
改札にひな壇が飾られていたが、
今回は五月人形。

中部国際空港アクセスプラザにある、セントレアホテルに宿泊。

翌12日。2時半に寝て8時に起きる予定だったが、
7時前に目が覚めてしまって、それから寝つけず。
ホテルはすこぶる快適だけど、2時半なんて早い時刻に寝慣れてないからだろう。
旅の1泊めはだいたいこんな感じになる。

10階の部屋なので、
空港の建物越しに
飛行機がよく見える。

滑走路の向こうの海も見えた。
今日は晴れている。
対岸の山脈まで見えている。


中部国際空港のホームページはこちら

ホテルで朝食をとり、
ちょっとゆっくりめに出発。
9時22分発の準急・新可児行きに乗る。

9時27分、常滑駅着。今回のゲーセン紀行はここからスタート。


常滑(とこなめ)

駅にある観光協会の案内所で
地図をもらって、
やきもの散歩道めぐりにいざ出発!

常滑といえば常滑焼で有名。
駅前の地図にも、
常滑焼の瓶が埋め込まれていたり、

創作招き猫が並んでいたりする。
常滑は、招き猫の生産日本一。

とこなめ招き猫通りを歩く。
かつての常滑の様子を描いた
モザイク壁画がある。

コンクリートの壁に、
いろんな姿の招き猫が並んでいる。

自由な発想で作られていて、
かわいらしい。

ちなみに、壁沿いを歩いていると見えないけれど、
この壁の上に、前回見た巨大招き猫「とこにゃん」がいる。

常滑市陶磁器会館に到着。

常滑焼の急須や茶碗、湯のみ、招き猫などが販売されている。
ここでガイドマップをもらうこともできる。

ポストの上に猫の郵便屋さん。
常滑の観光名所を回るルートは
「やきもの散歩道」と名づけられ、
角ごとに案内板が立っている。
陶磁器会館はそのルートの起点。

やきもの散歩道にはAコースとBコースがあるが、まずは短いAコースに入ろう。
丘を上る細い道。Aコースは終始こういう坂道が続くらしい。
地元の方々の生活道路でもあるので、じゃまにならないように気をつける。
車が来たら、道を譲るのがマナー。(観光客の車は入れない)

早速、茶色い土管の積み上がる壁に遭遇。上にある家の土台になっている。
土管の下に、小学生たちによる陶壁画が掲げられている。

道の真ん中にレンガ煙突。
周りには、やきものを作る
工房兼ギャラリーが多い。

細い道路に沿って、窯の煙突や、木造黒板壁の建物が並び、密集し、
独特の風景を作り上げている。

街のシンボル「とこにゃん」を間近で見た。
近くで見るとやっぱり大きい。
頭と腕しかないことは知っていたけど、
裏側が、まっ平らなのには驚いた。

この顔が、典型的な“常滑系招き猫”の顔。
とこにゃんのように左手を上げているのは人を招き、
右手を上げているのはお金を招くという。

ラテン系とみられる観光客の方々とすれ違った。国際空港から5分で来られる観光地。
広島県の尾道市に匹敵する、坂の観光地という感じがする。
生活の場が観光地になっているという点も、尾道と共通する。

駐車場の裏道を抜けると、「廻船問屋 瀧田家」の、小さな西門に行き当たった。
そのまま入ってみる。

庭に生えた木が、
見事な白い花を咲かせていた。
オオシマザクラだろうか。

瀧田家の玄関はこちらではないが、ここから入れる部屋がある。
石垣の中に作られた部屋だ。
女性の写真が展示されていた。
瀧田家出身で、日本航空で初の女性部長となった、瀧田あゆちさんという方のお写真。
若いときの写真がかわいらしい。
2005年に、72歳で亡くなられたそうだ。

通用門を出ると、デンデン坂。
これぞ常滑という景色だ。
常滑焼の瓶を埋めた塀。
道路には、土管を焼いたときに出た
「ケサワ」(焼台)という廃材が
敷き詰められている。
水の流れる側溝も、やきものでできている。

正門から、瀧田家に入ってみた。
(入館料¥300)
1850年頃に建てられたそうだ。
以前は建物がかなり荒れていたらしいが、
2000年(平成12年)に修復された。

常滑は、焼きものの町であるとともに、廻船業でも栄えていたらしい。
建物の中に入ると、かつて使われた衣類やたんす、かまど、
「無尽灯」(油が自動供給される照明器具。田中久重が発明)などが展示されている。

昔の日本家屋らしく、鴨居が低くて階段が急。
欄間の透かし彫りなど、凝った装飾もある。
畳敷きの家の雰囲気は、周囲ののどかさと相まって、何だか懐かしくて居心地がいい。
庭には水琴窟がある。

瀧田家は、700〜1000石の、大きな弁財船(べざいせん)を所有していた。
天気が良ければ、鳥羽から下田まで1日で行けたそうだ。
明治に入ると、流通の仕組みが大きく変化したため、廻船業から撤退した。

2階には、瀧田あゆちさんと、その兄・文彦さん(東大教授)の写真が飾られていた。

離れの建物も復元されていた。
ほかに土蔵もあり、展示室になっている。

休憩所のトイレがきれい。さすがINAXの地元である。

デンデン坂を上がり、続いて訪れたのは土管坂。

左の壁に土管。右の壁には焼酎瓶。
路面にケサワが埋め込まれている。
土管は明治、瓶は昭和初期のものだとか。
細くて急な坂道を上ると、

その向こうのお寺に
大きな桜の木があった。
満開だ。
写真には写っていないが、
“招き”じゃない、本物の猫が歩いていた。

土管坂を引き返して南へ。
引き続き、黒板壁の建物が連なる。

登窯(のぼりがま)広場の
展示工房館に着いた。

招き猫の脇の下という、変な所に
穴があいている顔はめパネル。

その隣には、
私の背丈くらいある大甕(おおがめ)が。
戦時中、戦闘機の燃料の貯蔵用に作られたが、
実際には使用されなかった。

建物の中には、大正時代に造られ、昭和50年代半ばまで使われていた、
両面焚倒焔式角窯(りょうめんだきとうえんしきかくがま)が
展示されていた。
レンガ積みの大きな窯だが、これでも長さを縮めてあるそうだ。

登窯広場 展示工房館のホームページはこちら

オブジェのそそり立つ登窯広場。

ここも桜が満開だった。

桜並木をたどって行くと、その先に、陶栄窯という名の登窯があった。
1887年(明治20年)から、1974年(昭和49年)まで使われたそうだ。
全長22メートル、最大幅9.6メートル。
周囲をひと回りして、その大きさを実感。

煙突が10本もある。

階段状の構造もよく見える。

正午を過ぎ、やや暑くなってきた。
気温が上がることを見越して、コートやトレーナーはホテルに置いてきて、
Tシャツの上はワイシャツだけだったが、それでも腕まくりが必要になる。

黒板壁の工房・ギャラリーの間を通る。
レンガ煙突が立ち並ぶ。

壁には土管。

町なかに煙突が林立する風景。
ここへ来るまでの坂が
ちょっときつかったけど。

12時38分、陶磁器会館に戻ってきた。
続いて、Bコースを歩いてみよう。
Aコースが1.6キロなのに対し、Bコースは4キロあるらしいけど。

映画「20世紀少年」のロケ地になったという道を歩く。
しばらくは普通の住宅街。

菜の花が色鮮やかに咲く。

相持院というお寺の
境内を通ったので参拝。

ここの桜も素晴らしい。

東の方にピアゴ常滑店が見える。
ゲームコーナーがあるらしいのだが、既にけっこう歩き疲れた上に、
この先には博物館が多く、営業時間内に全部見て回れるか不安になったので、
ピアゴには立ち寄らなかった。

明治期に常滑焼を発展させ、
常滑で“陶祖”とよばれる鯉江方寿が、
祖父と父のために作った墓標。
この周りにも桜が咲き誇る。

常滑東小学校の壁面に、
陶器の飾りがつけられている。
小学生の声がにぎやか。

とこなめ陶の森へ。資料館(常滑市民俗資料館)と、陶芸研究所がある。

まずは資料館(入館無料)。

入口にも、館内にも、巨大な甕や鉢が並ぶ。

常滑焼の歴史が解説されている。
常滑の地形は起伏が多くて、窯を造るのに適しており、
また常滑の土は、低い温度でも焼き締まる性質で、大型のやきものを作るのに適していた。
さらに、海運に適した地理的条件も重なり、やきものの街として発展した。

平安時代末期には窯が造られ、中世の六古窯の1つに数えられる。
(ほかは瀬戸、信楽、越前、丹波、備前)
近代に倒焔式窯が導入され、
土管やタイル、植木鉢、衛生陶器などが大量生産されるようになった。

資料館には、ありとあらゆるやきものが展示されていた。
巨大な甕から、水道管、テラコッタ(洋館に使われるタイル)に至るまで。
やきものを作るための道具や型もある。遺跡から出土した陶器も。

企画展は、陶芸家で名古屋芸術大学の教授、故・杉江淳平氏の回顧展。

資料館の隣にある、陶芸研究所へ。
ここも桜がきれい。
常滑のあちこちに、こんなきれいな桜が
咲いているとは思わなかった。

平安・鎌倉時代の自然釉のかかった大甕から、近現代の急須まで展示。
ここは伊奈製陶(後のINAX)の創業者・伊奈長三郎の寄付で作られた研究所で、
陶芸作家を育てる研修機関でもある。

係の方に勧められて、奥の山道へ。
現代的オブジェがいくつか並ぶ道の先は、
神社になっていた。

とこなめ陶の森からさらに南へ。
常滑最大の資料館、INAXライブミュージアムにやってきた。
3つの博物館と2つの工房から成る、複合ミュージアム。

まずは「窯のある広場・資料館」。
高いレンガ煙突が目立つ。
その高さは70尺。約21メートルに及ぶ。
黒板壁の建物ともども、
1921年のもので、国の登録有形文化財。

3館共通券(¥600)を購入。
建物の中には、両面焚倒焔式角窯が、すっぽり収まっていた。
左右の焚き口(たきぐち)から燃料を入れて、熱をドームの中で回し、
煙は床下を通して、煙突に出して排出する、という仕組みだったそうだ。
ドーム内の空間は、人が住めそうなくらい広い。

窯を囲む建物は2階建て。かつて2階には成形した品物を置き、熱により乾燥させていた。
ここでは主に内径90センチの、大型の土管が焼かれていたそうだ。

1階に、土管の形を作る機械、粘土を練る機械、
土管を運搬する手押し車が展示されている。

江戸時代の1847年(弘化4年)、鯉江方救・方寿親子が、
登窯を用いて、真焼(まやけ)の土管を作ることに成功した。
明治時代、文明開化とともに、陶器の管の需要が高まると、
方寿は大型の土管を大量生産し、これが常滑焼の発展につながった。
水道管や、線路の下を通る農業用水の水路などに使われたそうだ。

また方寿は、中国から金士恒という文化人を招き、
常滑の陶工たちに、急須の作り方を学ばせたという。

2階には、凝った染付が施された古い便器を展示。
昔は便を肥料に使うことが前提だったので、大便器と小便器が分けられていたそうだ。

INAXライブミュージアムのホームページはこちら

続いて、「世界のタイル博物館」。

タイル研究家・山本正之氏のコレクションを中心に展示。
(「タイムボカン」シリーズや「燃えよドラゴンズ」の山本正之さんと同姓同名だが別人)
ホールの天井が高くて開放感がある。

1階では、古代から近代までの、タイルを使った部屋が再現されている。
タイルの原型は5500年前のウルク(メソポタミアの都市国家)に見られるらしい。
クレイペグという小さな円錐形の焼きものを
壁に刺して埋め尽くし、装飾に使っていたそうだ。

続いては、古代エジプト、ジェセル王の階段ピラミッド。
世界最古のタイルが、このピラミッドの地下にあった。
王の復活を願って、生命を象徴する青い色のタイルが使われた。

次は、ドーム状の天井に、タイルで幾何学模様が描かれた、イスラーム風の部屋。
光の当たり方によって、タイルの表情が変わるという。
確かに、色鮮やかなタイルが、暗くなると紺色と白の模様に変わる。

古代エジプトや、イスラーム圏では、信仰と結びついていたタイルだが、
17〜18世紀のオランダでは、中国の染付磁器にヒントを得て、
様々な絵を描いたタイルが登場する。
イギリスで産業革命が起こると、タイルはさらにいろどり豊かとなり、
装飾に広く使われるようになった。

2階では、1階で再現されていた各時代の部屋に使われた、
タイルの実物が展示されている。
メソポタミアのクレイペグやレンガ。古代エジプトの、世界最古のタイル。
イスラームの、絵や模様が施されたきれいなタイル。
ヨーロッパで発展したさまざまな技法。

中国では、四角く薄いレンガを壁や床などに使っていた。
また前述のとおり、染付磁器が西洋のタイルに大きな影響を与えている。

日本では、百済から仏教とともに、寺院の床材として敷瓦(しきがわら)が伝わった。
本格的にタイルが使われるようになったのは明治以降で、
日本的な絵柄を取り入れたタイルも使われるようになった。

いろんなタイルを見てきて、
タイルってこんなに色彩豊かなものだったんだと、あらためて気づかされた。

企画展は「絆のタイル」。常滑西小学校の卒業制作。
常滑の小学校では、卒業制作もタイル制作だということに驚く。

あと、建物内のトイレがさすがにきれいだった。

INAXライブミュージアムのホームページはこちら

「土・どろんこ館」へ。

土壁や三和土(たたき)などの技法が、随所に使われた建物。
光る泥だんご作り教室も行なわれるらしい。
直径54センチの泥だんごがあった。赤い大理石にしか見えない。

2階には「百土箱」と名づけられた引き出しが並ぶ。
土に関連したさまざまな展示物が入っている。
最初に開けた所に、パプアニューギニアの粘土の仮面が入っていて、
一瞬、ギョッとした。

ものづくり工房の展示では、
やきものの種類(陶器、磁器など)や、
土、成形方法、施釉、窯の種類を紹介。
海外の陶芸家の作品なども展示されている。

さらに、上海万博で展示された、金色のトイレや青磁のトイレ、
アーティストがデザインしたトイレを展示。
タイルの歴史も簡単に紹介されている(ここは無料で入れる施設なので、
世界のタイル博物館への導入としての展示かもしれない)。
建物の奥はタイルを作る工房で、大きな機械が並んでいた。

もう1棟、タイルの絵つけや、やきもの作りが体験できる、
陶楽(とうがく)工房という建物もあった。

さらに現在、新しいミュージアムを建設中。
テラコッタを中心に紹介する、
「建築陶器のはじまり館」。
4月下旬にオープンするらしい。
外観はほぼ出来上がっている感じ。
(※後日、予定通りオープンしたそうです)

トンネル窯は、やきものをレールの上に載せ、
長い窯の中を少しずつ移動させて
焼いていく方式の窯。
この窯は2005年まで使われていた。
本当はもっと長いものだが、
予熱帯、焼成帯、冷却帯の
それぞれ一部ずつが復元されている。

それまでの両面焚倒焔式角窯に比べて、均質な製品を量産できるのが特長。
この窯は、新宿NSビルなど、大きなビルの外壁タイルを造るのに使われたそうだ。

INAXライブミュージアムのホームページはこちら

INAXライブミュージアムを回って、時計を見たら午後4時半を過ぎていた。
営業時間は5時まで。今朝、早めに出発していてよかった。

やきもの散歩道Bコースに戻る。
いったん「陶彫のある商店街」に入り、からくり時計を見よう。
からくり時計が動くのは、9時、12時、15時、17時。
運良く、もうすぐ17時なので待ってみた。

からくり時計が動き出した。
上段では招き猫などが回り、
下段ではろくろが回る。

お詫びの文章が貼り紙で出ていたが、時計が少し故障していて、
本来鳴るはずの音が鳴らない。
また、回っているろくろから、出てくるはずのつぼが出てこない。

とはいえ、時計のある小さな広場は、
雰囲気のいい場所。

しだれ桜が咲き、
陶器の彫刻が展示されている。

やきもの散歩道のBコースに戻ろう。
車が多いのに歩道のない道路を、慎重に歩く。

常滑西小学校の壁に、
タイルで描かれた小学生たちの顔。

塀の上には、小さな焼きものがずらりと並んでいた。

道からそれて石段を上がる。
小さな広場に、
陶祖・鯉江方寿の陶像が立っていた。

先ほども書いたが、鯉江方寿(伊三郎)は明治時代に
真焼(まやけ)陶器の量産体制を確立し、常滑焼の発展をもたらした人物。
この像は1913年(大正2年)に作られ、
1921年(大正10年)にこの場所に建てられたそうだ。

道路に戻る。歩道が現れたからもう安心だ。
コースの終盤に来て、また歩道がなくなるが、
どうにか午後5時34分、陶磁器会館に戻ってきた。
会館が開いてたら、おみやげを買おうと思っていたが、さすがに閉まってた。

招き猫通りを歩く。
いま初めて気づいたが、すぐそばに
陶製の七福神が並んでいた。

5時43分、常滑駅に到着。

西口にそびえるモニュメント。

開催期間中ではなかったので立ち寄らなかったが、
駅から南西に行くと、常滑競艇場がある。

常滑競艇場のホームページはこちら

少し早いが、今日のゲーセン紀行はこれで終了。次回はここから再開しよう。
結局ゲーセンには行ってないけど。
5時58分の準急で、中部国際空港へ戻る。6時3分着。


中部国際空港

喫茶店でいったん休んで、ケーキを食べてから、ホテルへ戻る。
さすがに8時間以上ぶっ通しで歩いたらくたびれた。4時間しか寝てないし。

8時20分頃、夕食を食べに出る。目当てのレストランが開いていなかったので、
今回もまた矢場とんへ。みそカツがうまかった。

現在のゲーム路銀
¥2,185

今回のルート


より大きな地図で ゲイムマンの日本縦断ゲーセン紀行(岡崎〜) を表示

常滑市観光協会
知多娘。公式WEBサイト  愛知県観光ガイド
JR東海  名古屋鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 158.尾張編(9)」は、
名古屋城でお花見。
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