ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
173.徳川家と豊田家のターニングポイント
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2013年6月6日。カメラ用のSDカードが前回でいっぱいになったので、 新横浜で新しい2Gのカードを買って、午後6時32分発ののぞみ397号に乗る。 今日も例によって昼間にお腹が痛くなって、家を出るまでが割と大変だった。 新幹線ではほぼ全区間寝てた。 7時54分名古屋着。地下鉄東山線に乗って今池へ。混んでた。桜通線の方が良かったか。 前回と同じホテルにチェックイン。
せっかく今池にいるので、台湾ラーメンで有名な味仙に行ってみよう。
広めの店内は、大勢のお客さんで活気がある。 黄金の布袋像、福助と招き猫、「龍」の書。 きれいさと、昔ながらの食堂の雰囲気を兼ね備えている。 一見やや小ぶりのどんぶりに、 細いストレート麺と、ひき肉とニラと刻み唐辛子がぎっしり。 不用意にすすると咳き込むほどの辛さだけれど、すごくうまい。 鶏がらスープのうまみが効いている。 麺を食べ終わった後も、レンゲでひき肉を食べてうまみを堪能した。 もっとも、その直後にコンビニでアイスを買ってホテルで食べたのは、 ちょっと良くなかったかも。 翌7日。8時起床。実は7時頃に目が覚めていて、それから寝つけなかった。 寝たのが4時少し過ぎだから、3時間しか眠れていない。 普段と起きる時刻が違いすぎるから、旅の初日はいつもこんな感じになる。 こんなに早く起きられるんだったら、先週落ちたオーディションに 今週も行けたなあ、と思った。 ホテルで朝食をとり、外へ。よく晴れてて、既にやや暑い。 今年はずいぶん前に梅雨入り宣言が出たが、 その後は晴れる日が多く、全く梅雨らしくない天気が続いている。 9時44分発の東山線に乗る。10時1分、終点の藤が丘着。 八草行き10時8分発のリニモに乗り換え。 けっこう混んでる。お客さんは主に学生さん。 運転席に乗務員さんが座っている。 いつもと違って、はなみずき通で降りず、その先も乗ったまま。 杁ヶ池公園駅が今日のスタート地点。ただし私もそのまま乗り続け、次の駅へ向かう。 引き続き、かなりの高さの高架を進む。いったん下ってまた上る。
そのすぐ西隣に、古戦場公園がある。 長久手といえば、羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」で有名だが、 その長久手の戦いの戦場となったのが、ここだったらしい。
しかしこの公園の形自体が実は、長久手の戦場を縮小して表現したものだという。 写真左から、激戦地となった仏ヶ根(ほとけがね)、 家康の本陣、御旗山(みはたやま)、 堀秀政が布陣した桧ヶ根(ひのきがね)を表す。 私がこの写真を撮った場所も丘になっているが、 家康が軍議を開いた色金山(いろがねやま)を模している。 家康は色金山から御旗山に進軍し、池田・森隊と堀隊を分断する形になった。
1階に喫茶店が併設され、年配の方々が歓談されている。 テレビで時代劇をやっているようだ。暴れん坊将軍だった。 私は展示室の方で、暴れん坊将軍の先祖・徳川家康が活躍した、 長久手の戦いをまとめた解説展示を見る。 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を、さらに織田信孝を破った羽柴秀吉に対し、 危機感を抱いた織田信雄は、徳川家康と組んで秀吉に対抗。 1584年(天正12年)、家康が出陣した頃に、 秀吉と組んだ池田恒興が犬山城を占拠した。 家康は小牧山城に入り、秀吉は楽田に布陣し、こう着状態になる。 事態打開のため、秀吉軍の別働隊が、家康の本拠・岡崎を奇襲しようとする。 (従来は池田恒興の策とされたが、近年では秀吉自身の発案とする説も有力) 先陣を切った恒興と森長可は、長久手の先、今の日進市にある岩崎城を攻める。 (城代の丹羽氏重の挑発に乗ったと伝えられるが、異説もある) 恒興は丹羽氏重と加藤忠景を討ち取り、岩崎城を落とすが、 別働隊の動きをいち早く察知していた徳川家康が、 既に自ら小牧山城から出陣しており、 恒興・長可らの岩崎城攻略の間に、家康隊が追いつくこととなった。 別働隊の大将は、三好信吉(羽柴秀次)が務めており、 今の尾張旭市にある白山林(はくさんりん)にいたが、 家康配下の部隊に奇襲されて三好隊は壊滅。 信吉は木下勘解由利匡や木下祐久に救われて脱出するが、その木下兄弟は討ち死にした。 別働隊の一隊を率いていた堀秀政は、桧ヶ根に陣取り、 信吉隊を破って勢いに乗る、家康軍の部隊を食い止めた。 しかし、色金山から戦況を見ていた家康自身が、香流(かなれ)川を渡って、 現在では御旗山とよばれる場所に布陣。 家康の本隊が来たことに気づいた秀政は、勝ち目がないと見て撤退した。 御旗山よりもはるかに先の岩崎城にいた池田恒興・森長可は、 ここでようやく家康の出陣と、信吉隊の敗戦を知らされる。 あわてて引き返し、御旗山の南の仏ヶ根で、家康隊との戦いになる。 初めは両軍ほぼ互角だったが、井伊直政隊の銃弾に当たって森長可が戦死。 これで家康優勢となり、恒興の嫡男・之助(元助)が安藤直次に討たれ、 そして恒興自身も長田伝八郎(永井直勝)に討たれた。 長久手の戦いの半年後、領地の伊勢が攻撃を受けていた織田信雄が、 秀吉の提案した和睦に応じ、一連の戦いは終結した。 家康は秀吉に臣従したものの、実質的に戦いに勝利したことで影響力を強め、 後の幕府樹立につながっていく。 長久手市郷土資料室の2階には、 よろいかぶとや鉄砲のほか、明治から昭和初期の生活用具、 長久手の主要産業だった、亜炭(あたん)という燃料についての解説、 そして民俗芸能「棒の手」を演ずる人の等身大人形。 棒の手は、戦国時代の農民武芸から始まったという説と、 修験道から始まったという説があるらしい。 長久手市郷土資料室のサイトはこちら 古戦場公園から5分ほど西へ歩くと、森長可の終焉の地、武蔵塚があるはずだが、
この隣にある広場に、「血の池公園」という名がついている。 穏やかな住宅地の公園に似つかわしくない名前だが、歴史を感じさせる。 かつてはここに池があり、長久手の戦いに勝った徳川方の武将が、 その池で武器を洗ったという。 以後毎年、合戦のあった4月9日になると、池の水が赤く染まった、 と言い伝えられている。 携帯電話で地図を見て、武蔵塚の位置を調べる。 どうやらだいぶ北の方へそれ、さらに西へ行き過ぎたみたいだ。
430年前は戦場だったはずの、今では閑静な住宅地を通って、 長久手古戦場駅に戻ってきた。
12時38分発の八草行きに乗って出発。 右手の森の中に、大きな建物がある。豊田中央研究所か。 左には名鉄バスが並ぶ。その先にトヨタ博物館。 博物館を通り過ぎて、12時40分、芸大通駅に到着した。 (ゲーム路銀 ¥5,035-¥160=¥4,875)
ホームの南側に、高速道路(名古屋瀬戸道路)の料金所と、高校の建物が見えた。
入館料¥1,000。リニモ1日乗車券があれば、割引されて800円で入れる。
ボンネットの上のエンブレムが、漢字の「豊田」を図案化したもの。 アルファベット表記が「TOYOTA」ではなく「TOYODA」になっている。 外観も内装も高級感がある。この時代、自動車はさぞ贅沢な乗りものだったろう。 エスカレーターで2階へ。世界初のガソリン自動車の1つ、 3輪の、ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン(複製)に始まり、 19世紀末〜20世紀初頭の自動車が並ぶ。 1909年のT型フォードもある。大量生産による低価格化で、大衆向けに普及した。 わずか十数年で、自動車が驚くほど進化したことがわかる。 当時の蒸気自動車と、電気自動車が並んでいる。 この時代、まだ蒸気自動車があった一方、電気自動車もあったことは初めて知った。 また、既にこの頃、自動車レースが盛んに行なわれていたらしい。 企画展「流線型の時代とクルマたち」(〜6月30日)。 1930年代、空気抵抗を減らすために開発され、 デザインの斬新さもあって大流行した「流線型」について。 当時のさまざまなポスターが並ぶ。1935年、第7回モナコグランプリのポスターも。 この時代に流線型は、自動車、飛行船、飛行機、列車、船はもとより、 空気抵抗を減らす必要がない、 ラジオや電話、掃除機、アイロンなどにも取り入れられた。 実車の展示。流線型自動車の元祖、1934年のデソート・エアフロー。 流線型車として初めて本格的にヒットした、フォード・リンカーン・ゼファー。 そしてこれらの影響を受けたフォルクスワーゲン。 (展示されているのは38プロトタイプのレプリカ) 先ほどのトヨダAA型も、エアフローの影響を受けているが、 フロント部は従来型のシボレー車を参考にしている。 トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎が、街中でエアフローに乗り、 人々の反応を見て、この形に決定したそうだ。 トヨタ博物館のホームページはこちら 常設展示に戻る。クラシックカーのエンブレムやフロントグリルなどが並ぶ。 1920〜30年代の車。流線型の影響が表れてくる。 スピードも向上。レースカーが増えてきた。 フランクリン・ルーズベルト大統領専用のパッカードがあった。 そして戦後の特徴的なスタイルの車、 キャデラック・エルドラド・ビアリッツや、ジャガーEなど。 この階の別室に、ルネ・ラリックが手掛けた、 ガラスのカーマスコットが展示されていた。 午後2時を回った。お腹がすいてきた。 1階のレストランで、ビーフカレーを食べた。 カレーはミュージアムショップで、レトルトで販売されている。 3階へ。エスカレーターを上がった所に、1955年の初代クラウン。 この階では国産車を展示。もちろんトヨタ車が中心だが、他社の車もある。 ダットサン11型フェートンは1932年製で、現存する最古のダットサン。 隣には1935年の筑波号。 トヨペットSA型。トヨタ初の小型車で、 「トヨペット」というブランドもこのSA型が最初。 1957年に初代コロナ(ST10)が誕生するが、 1950〜60年代のコロナは意外にも苦戦していたそうで、 ダットサンの110・210・ブルーバードに水をあけられていた。
スバル360、ダイハツ・ミゼット、マツダR360クーペと、各社を代表する車が並ぶ。 フジキャビン5Aという、ヘッドライトが1つ目の、個性的な車もある。 日産(ダットサン)のセドリックやフェアレディ。マツダ・ファミリアSSA。
コロナVSブルーバード、クラウンVSセドリック、カローラVSサニーと、 さっきからトヨタと日産のライバル車が並んで展示されている。 ホンダ、スズキ、いすゞの車も登場。
セリカ(TA22)、コロナRT102、ソアラ。 日産車は、スカイライン2000GT、フェアレディZ。 いすゞ117クーペ。三菱コルトギャランGTO。 70年代初頭の排出ガス規制をクリアした、ホンダシビックCVCC。 マツダはロータリーエンジンのコスモスポーツL10B。 ここから一気に時代が進む。カローラレビンAE86。ユーノス・ロードスター。 現代の車として、500台限定販売のレクサスLFA(1台1台手作りされていた)、 燃料電池を使ったFCHV、 そしてプラグを差して外部電源から充電できるプラグインハイブリッド。 トヨタ博物館のホームページはこちら 連絡通路を通って、本館から新館へ移動。 窓の外を見ると、午前中とは違って、空を厚い雲が覆ってきている。 歴代コロナ、セリカ、マークIIの模型を見て、2階から新館に入った。 日本の自動車と生活文化の歴史に関する展示。 まず明治時代。大八車や人力車に始まり、 1899年製の蒸気自動車、ロコモビル・スチーマー。 A型フォードと、シボレー・フェートンも展示されている。 フォードは横浜、シボレーは大阪に工場を持ち、 日本で車両の組み立てを行なっていた。 戦後。進駐軍のジープが大量に持ち込まれて町なかを走った。 市街地の交通手段は輪タク(人力車に自転車をつけたタクシー)が中心。
軽合金フレームを使った、三菱の自転車「十字号」もあった。 自転車も当時は貴重だったそうだ。 このような時代に、 発売されたばかりのフォード・カスタム4ドアセダンが、 いち早く日本に持ち込まれ、話題になったという。 昭和30年代、自家用車はまだ少なかったが、トラックや公用車が街を走っていた。 ホンダのカブがある。まさに“原動機付自転車”そのもの。 モニターに当時の映像が流れている。力道山対シャープ兄弟。栃錦対若乃花。 フラフープ。チロリン村とくるみの木。東京タワー。そして伊勢湾台風の被害。 昭和40年代。カラーテレビが普及。 当時のレコードやキャラクターグッズ、ファッションを展示。 今見ると、この時代のファッションはむしろ現代のものに近い感じがする。
複数のモニターに、昭和50年代の懐かしい映像が流れる。 その横にプリウスが展示されていた。 トヨタ博物館のホームページはこちら エレベーターで3階のギャラリーに移動。「まつやまたかし展」(〜6/16)。 デイトナ誌に連載中の、映画に登場する車を紹介したイラストが中心。 にぎやかに描きこまれた、車と人と文字が楽しい。 新館1階のミュージアムショップへ。外は土砂降りになっていた。 ここにも車が展示されている。ローバーやスイフトの1900年代の車。 1990年のメルセデスベンツ560SEL(新規収蔵車)。
ショップで、トヨダAA型についてる豊田エンブレムを模したストラップを買う。
トヨタ博物館のホームページはこちら ソーダフロートを飲んでる間に、雨が少し弱まってきた。これなら出られるかも。 外へ出たら、だいぶ涼しくなっていた。雨は弱くなっていたけど、まだ雷が鳴っている。 どうにか無事に駅まで戻ってきた。今日はこの後ゲーセン巡りの予定だが、 まず隣駅のゲーセンにたどり着けるかどうか心配。リニモが止まったらどうしよう? とりあえず、5時10分発の藤が丘行きに乗る。特にダイヤの乱れはなさそうだ。 窓が曇って外が見えない。5時12分、長久手古戦場駅着。 (ゲーム路銀 ¥4,875-¥160=¥4,715)
古戦場公園を右に見ながら、県道6号を西へ。雷がまだ鳴っているが、 すぐ横にリニモの高架があるから、ここには落ちてこない。だろう。多分。
いつもの通り、「ジョージアでら!珈琲二代目」を買って、飲みながら店内を見る。 音ゲー、メダル(パチンコ・スロットも)、 通信もの(麻雀格闘倶楽部、戦場の絆も)が多い。 プリクラ、レース、ガンスリンガーストラトスも。 対戦格闘(鉄拳アンリミテッド、ストリートファイターIVなど)。 入口にあった「ザ・ビシバシ」をプレイする。 しかし2面しかクリアできず。へこへこレースは苦手。 まだ雨が降っているようだったので再プレイ。 4面クリア。しかしやっぱりへこへこレースは苦手。 (ゲーム路銀 ¥4,715-¥200+¥600=¥5,115) 雨はまだ降っているけど、雷はおさまった感じなので、駅まで戻る。 歩いてる間に1回鳴る。でも、さっきよりは遠ざかったようだ。 長久手古戦場駅から、午後6時13分の電車で、藤が丘に戻る。 けっこう混んでて、立ってるお客さんが多い。学生さんの帰宅時間か。 6時21分、終点の藤が丘着。(ゲーム路銀 ¥5,115-¥220=¥4,895)
前回見つけた、壁面に「2F GAME」と記された建物に行ってみる。 しかし2階に上がれる階段が見つからない。1階はパチンコ店。 店員さんに聞いてみたが、ゲームセンターはやってないとのこと。 外から見ると、2階にスロットマシンが見えるのだが、 閉店したか、あるいはパチスロの機械なのかもしれない。 藤が丘でもう1ヶ所、訪ねたい所がある。 再び駅の東側に戻り、藤が丘駅東交差点から南へ。
駅に戻る間に、急速に日が暮れてきた。今日はもう1ヶ所寄りたい。 東山線の午後7時22分発、高畑行きに乗る。 7時27分、3駅先の一社で降りた。(ゲーム路銀 ¥4,895-¥230=¥4,665) エスカレーターが改修中だったので階段を上がる(エレベーターはある)。
全国ゲーセンwikiで見つからなくて、通り過ぎていたのだが、 以前訪れたPORT24八事店のサイトを見て、一社店が存在することを知った。
1階、プライズ、プリクラ、対戦格闘、音ゲー。レトロゲームもある。 2階は通信もの。3階にはメダルと麻雀。WORLD CLUB Champion Footballも。 3階に出口があって驚いた。店の前後で土地に高低差があるのか。 1階に戻って、レトロゲームをあらためて調べてみる。 2プレイ¥100のゲームがいっぱいあった。 「ミスタードリラーG(グレート)」をやってみる。 アメリカ面で1000mクリア。エジプト面で1072m。 ほかにあるのは、ぷよぷよ通、おてなみ拝見FINAL、テトリス、 ストリートファイターII'、スーパーストリートファイターIIX、ファイナルファイト、 メトロクロス、闘姫伝承エンジェルアイズ、奇々怪界、 ストライカーズ1999、TATSUJIN、魔界村、私立ジャスティス学園、 そしてネオジオの、メタルスラッグ2、マジカルドロップ、餓狼伝説など。 「ティンクルスタースプライツ」を2回プレイして、4面クリアと、6面クリア。 時刻は午後8時45分。そろそろ引き揚げよう。 (ゲーム路銀 ¥4,665-¥200+¥1,500=¥5,965) 8時55分発の高畑行きで、宿泊地の今池へ。 明日は一社からスタートして、また東を目指そう。 久々にサイゼリアで晩ごはん。 1日じゅう歩き回っても、全く疲れなかったので、 「自分まだまだ元気だな」と安心してたら0時を過ぎてから疲れがどっと出た。 ¥5,965 今回のルート
名古屋観光情報 長久手市観光交流推進会議 愛知県観光ガイド 名古屋市交通局 愛知高速交通(リニモ) 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 174.尾張編(25)」では、 いよいよ愛・地球博記念公園へ。 「日本縦断ゲーセン紀行 172.尾張編(23)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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