ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
176.窯垣の小径は本当に小径だった
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2013年9月26日。午後4時49分新横浜発の、のぞみ49号に乗る。 名古屋着6時11分。たそがれの風景。今回は栄に宿泊。 前回は、帰って2日後くらいから体調が悪くなり、疲労で何もできなかった。 だから今回は無理しないようにしようと思う。暑い時期を避けたし。 ……といっても、かわりに猛暑の中、九州へ行っていたんだけど。 あと先週、東京ゲームショウに行ったばかりで、 しかもそこで異様に疲れて、看護室でしばらく休むほどだったんだけど。 最近はiOS用のゲーム開発を始めている。 1作目「ダイスのブラックジャック」は既にリリース済みで、 現在は、2年前にiアプリ・Yahooケータイ・Androidで発売した 「横浜妖精奇譚」をiOS向けに開発中。 1作目のダウンロード数が思わしくないので、不安なまま開発中……。 でもこれが完成したら、多少は状況が変わるかも、と期待してやっている。 さっき新幹線の中で開発作業をやったら酔った。 ホテルで野球中継を見た。勝ったら楽天優勝という状況だったけど、 リードされてたので、途中でご飯を食べに出た。 みそかつ丼を食べながらツイッターを見て、楽天が逆転したことを知る。 ホテルに戻ってテレビをつけたら9回2アウト。優勝決定の瞬間には間に合った。 翌27日。9時起床。でも睡眠時間は4時間半。昨晩夜ふかししすぎた。 今日はまず名鉄瀬戸線に乗り、スタート地点の三郷(さんごう)へ向かう。 見事に晴れているが、日なたにいても暑くない。
地下の栄町駅を出発。東大手駅の先で地上に出て、一気に高架に上がり、 集合住宅が建ち並ぶ、名古屋の住宅街を駆け抜ける。 大曽根を出ると、右手にナゴヤドームがよく見える。 このあたりから地平に下りて、一戸建ての割合が増えてきた住宅地の中へ。 10時48分、三郷駅着。
まず腹ごしらえ。選択肢は多かったが、 ちょうどランチタイムに入ったので、2階のファミールでハンバーグランチ。 そのすぐ近くに「わいわいランド」があった。 プライズ、シール機、太鼓の達人、ポップンミュージック、マリオカート2、 エアホッケー、メダル、ガンシューティング、乗りもの、ワニワニパニック。 小さなミニトレイン、メリーゴーランド、トランポリンもあった。 平日のお昼だから、さすがにお客さんは少なかった。 外の温度は、日なただとやや暑さを感じる程度になってきた。 三郷駅に戻り、11時59分発の普通・尾張瀬戸行きに乗る。再び4000系。 前回訪れた新瀬戸からさらに先へ。 瀬戸市役所前、そして尾張瀬戸。12時8分着。 (ゲーム路銀 ¥5,245-¥220=¥5,025)
市の施設だが、コンビニや食堂、喫茶店なども入っている。ミニFM局もある。 外壁に、このあたりの昔の写真や、観光地図が掲げられていた。 パルティせとのホームページはこちら 瀬戸川に沿って歩き、窯垣の小径(かまがきのこみち)を目指す。 その間にいくつか観光施設があるのだが、 1日で回り切れなさそうだから、遠い所から先に回る。 道沿いに、せともののお店が並ぶ。
かつて国鉄バス第1号の停留所があった、記念橋の脇を通る。 (岡崎−多治見間および瀬戸記念橋−高蔵寺間。 正確には、今の瀬戸蔵の位置に停留所があったらしい) この川沿いは、車もよく通る大きな道。
陶祖碑は、瀬戸に焼きものを伝えたとされる、鎌倉時代の人物、 藤四郎こと加藤四郎左衛門景正をたたえるために作られた。 橋を渡り、川から離れて南へ。川の近くは平坦だったが、 少し離れると、ゆるやかだが入り組んだ坂道が増える。 以前訪れた常滑にもちょっと似ている。
宝泉寺の前で曲がらずに、まっすぐ門前を横切るのが正解ルートだった。 駐車場への案内表示があって、惑わされた。
入館無料。江戸時代末期から明治時代に作られた皿や、「本業タイル」。 (瀬戸では、江戸時代後期から発展した磁器に対し、 それ以前から作られていた陶器作りを“本業”とよぶ) 道具類や、現代の作品、昔の製作風景の写真などが展示されていた。 観光パンフレットや地図があったので入手。 もともと家だった建物なので、座敷があって、ちょっと休むことができた。 窯垣の小径をさらに先へ進む。一層細くアップダウンの大きな道になる。
窯垣の小径は、観光名所であるとともに、地元の方々の生活道路だった。 今ではすぐ南側に、車も通れる広い道があるが、 昔はここがメインルートで、荷車や天秤棒で、陶磁器が運ばれたという。 同じ愛知県の焼きものの町である常滑も、生活道路が観光名所となっていた。 あちらも細くて入り組んでいて、きつい坂の多い道だけど、 常滑と瀬戸では景色が微妙に違うのがおもしろい。 常滑では土管や瓶が塀に使われている。
午後に入って、暑くなってきた。 「窯横カフェ」でアイスカフェオレを飲んで休憩。 シンプルながらおしゃれで綺麗。金土日祝のみ営業。 窯垣の小径に入って以降、瀬戸のイメージがどんどん良くなってきた。 さっき道に迷ったときは、どうなることかと思ったが。 西へ戻る。南側のまっすぐな道を歩くと、意外と早かった。
「瀬戸染付研修所」という別名のとおり、ここは作陶や絵付を学ぶ学習施設。 研修生・修了生の作品や、古い瀬戸染付の磁器を見ることができる。 また、ここにも古い窯が保存されていた。 染付の青い色が出る仕組みが、展示で解説されていた。 還元焼成という、酸素が足りなくなる焼き方をすると、 呉須(絵付に使われる顔料)や釉薬に含まれる酸素が出ていき、 中の酸化コバルトから酸素が取れて青くなるそうだ。 そんな化学変化を利用して、色を付けていたとは。 研修生の作陶の様子を見ることができる。ろくろを使った絵付けが行なわれていた。 絵付け前や焼く前の小皿などが、工房にずらりと並んでいた。 瀬戸市マルチメディア伝承工芸館のホームページはこちら
ミュージアムの2階展示室は、展示替えのため休みだった。 ただし1階のショップや、隣接する売店で、個性的な招き猫を数多く見ることができた。 ここには明日また来てみよう。 招き猫ミュージアムのホームページはこちら 瀬戸の産土神(うぶすながみ)・深川神社と、陶祖・藤四郎をまつる陶彦神社に参拝。 深川神社のホームページはこちら
しかし、入口の掲示板を見ると、新しい企画展が明日から始まるとのこと。 1階の展示は見られるようだが、せっかくなので新しい企画展も見たい。 ここにも明日また来よう。 瀬戸市新世紀工芸館(瀬戸市文化振興財団)のホームページはこちら
2階にミュージアムがある。営業時間は午後6時まで。今、4時23分。行ける! ここは明日来ようと思っていたけど今日行ける。 (ミュージアムの入館料¥500)
製造されたのは1928年(昭和3年)。 1965年〜73年に瀬戸線で活躍。その後2001年まで、揖斐線・谷汲線を走っていた。
生産道具展示室へ。土を掘る道具、運ぶ道具。土を砕いてこねる道具や機械。 タタラ成形(板状にした粘土で形を作る)の木型や石膏型。鋳込の石膏型。 各時代のロクロ。乾燥棚。釉薬。絵付の筆や転写紙。窯の模型。 窯垣にも使われた、棚板とツク。 陶祖と磁祖のコーナー。 陶祖「藤四郎」こと加藤四郎左衛門景正は、 鎌倉時代に瀬戸でやきもの作りを始めた人物とされる。 磁祖・加藤民吉は、江戸時代後期に瀬戸磁器の発展に貢献。 九州で3年間修業し、技術を瀬戸に伝えた。 瀬戸蔵ミュージアムのホームページはこちら 現代の作家の作品を見て、3階へ。瀬戸の歴史。 旧石器時代の遺跡があり、3万年前から人が住んでいたことを裏づける。 「瀬戸焼の歩み」コーナー。猿投の須恵器から始まる各時代のやきものが、 四方の壁を埋め尽くすように並んでいて圧巻。 大きな物は部屋中央のケースに。 時代ごとに、新たに登場したやきものの種類や技法などが、 目立つ形で説明されていて、わかりやすい。 鎌倉時代から室町時代にかけての古瀬戸は、国産唯一の施釉陶器だった。 安土桃山時代には、窯場が瀬戸から美濃に移るが、 尾張藩の誘致によって、また瀬戸に戻ってきた。 磁器の生産は、加藤民吉が九州に行く前から行なわれていたが、 民吉の持ち帰った技術により、一層発展した。 なお、民吉が九州に妻子を残してきたという伝説があるが、 (新世紀工芸館の近くに、妻子をしのぶ親子地蔵があった) これは全く事実ではなく、昭和になってから作られた舞台演劇の創作らしい。
「瀬戸焼の歩み 近代編」の部屋へ。 明治時代の染付磁器や洋食器、人の背丈ほどもある大きな壺や灯篭がある。 碍子(がいし)やタイルなどの工業製品。鬼瓦。 日中戦争以降の、金属の代用品としての陶磁器も展示されていた。 ストーブ、鍋釜、仏具。金属の代用ではないが、陶製の鏡餅まであった。 硬貨も作られたが、世に出回らなかったそうだ(ここの展示品は貴重な現存品)。 最後は、人形や動物などのノベルティ。 第一次世界大戦後、ドイツからアメリカへの輸出が減ったこともあり、 本格生産されて輸出された。 2階に戻る。企画展用のスペースもあるが、明日から開催だそうで今日は閉まっていた。 旧尾張瀬戸駅の外に、出荷のため梱包された状態のやきものが再現されている。 瀬戸線には、せとものを運ぶ貨物線としての役割もあった。 瀬戸蔵ミュージアムのホームページはこちら 外に出たらちょうど午後6時。薄暗くなってきた。 アピタにゲームコーナーがあるらしいので、行ってみる。川に沿って西へ。
2階フードコートのスガキヤで、ソフトクリームを食べてひと休み。 今日は塩キャラメルソフトクリームにした。 ゲームコーナー「トレジャーフォレスト」。 名前のとおり、森をイメージした内装で、天井に葉っぱが茂る。 プライズ、シール機、メダル、 太鼓の達人、ポップンミュージック、マリオカート、ワニワニパニックなど。 まだ午後7時前なのに、もう外は真っ暗だった。日が暮れるのが早くなった。 尾張瀬戸駅に戻った。明日またここから再開だ。 6時57分発の普通電車で栄町に戻る。断続的に寝てた。7時34分着。 晩ごはんは栄で名古屋コーチン親子丼。 ¥5,025 今回のルート
瀬戸市まるっとミュージアム・観光協会 尾張旭市観光協会 愛知県観光ガイド 名古屋鉄道 愛知環状鉄道 JR東海 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 177.尾張編(28)」では、 招き猫まつりからバスの旅へ。 「日本縦断ゲーセン紀行 175.尾張編(26)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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