ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

195.雪と町屋と青空と
〜尾北編(4)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥2,470



2015年2月12日。
午後7時39分新横浜発の、のぞみ255号で名古屋へ。車中でシウマイ弁当を食べる。

1月中に旅に出たかったが、1月5日、初詣に行ったあたりから体調を崩し、
39度を超える熱を出して、半月も寝込んでしまった。
11月頃からライター活動を再開すべく、いろんなサイトにアプローチしてみたが、
全くうまくいかなかったので、精神的に弱っていたのかもしれない。

先週末からようやく1社、好反応が得られて、少しほっとしているところ。
まだ具体的な話に入れていないけど。

移動中にこの文章を書いた後、まさにその1社から電話が入っていたことに気づいた。
午後9時1分、名古屋着。新幹線を降りて電話をかけ直す。

名鉄名古屋駅に移動して、9時22分の快速特急・新鵜沼行きに乗る。
今回はミューチケットの要らない一般車に乗ってみたが、さすがに混んでる。
9時48分、今回のスタート地点となる犬山駅着。雨が降っている。ホテルにチェックイン。


犬山

翌13日。8時45分起床。5時間睡眠。
普段は夜型の生活なので、この時刻に起きるのはなかなか辛い。
窓から外を見たら、雪が降っている。

10時ちょうどに出発。
今日は犬山駅をスタートして、
以前に時間が合わなくて見られなかった、
城とまちミュージアムと、
有楽苑を目指す。

犬山城前の観光案内所で、前にもらっていた、観光マップが役に立つ。
日が差しているが、依然として弱い雪が舞っている。傘を差すほどではない。
10分弱で、お城へ向かう本町通りと交わる交差点。
細い道だったので、危うく交差点をまっすぐ行ってしまうところだった。

車がばんばん入ってくるので、ちょっと落ち着かない。
このあたりで朝ごはんをと思ったが、まだ開いてる店が少ないので、
先に「どんでん館」を見ることにした。

どんでん館には、
犬山祭で使われる車山が4輌展示されている。
「車山」とは山車のことだが、
犬山祭では「車山」と書き、「やま」とよぶ。

「どんでん」とは、車山が向きを変えるさまを表した言葉。
大勢の人が人力で回転させるので、かなり豪快なものだそうだ。

どんでん館の入館料は¥200だが、
このあと訪れる予定の博物館との共通入館券があったのでそれを買った。
どんでん館、城とまちミュージアム、からくり展示館、そして犬山城の
4館セット券(わん丸手形)¥600。

犬山祭で使われる車山(やま)は13輌。
どんでん館には4輌が保管され、
展示されている。
この「西王母」は、
提灯を全体につけた状態で展示。

展示されている4輌は、西王母、應合子(おうごうし)、寿老台、
ほう英(「ほう」は峰の山へんが糸へんになった文字)と名づけられている。
展示室には祭の勇壮な掛け声が流れている。
やがて照明が暗くなり、提灯に明かりが灯る。

2階は資料展示室。豪華な刺繍の施された衣装などを展示。
車山の上部に設置された、からくりが動く映像を見られる。
13輌の車山の全てに、それぞれ異なるからくり人形があり、
どれも非常に凝った動きを見せる。

隣の部屋には、13輌が巡行する様子を再現した、にぎやかなペーパークラフトがあった。

1階には、本町通りに多い町屋の構造を再現した和室がある。
ひな人形が飾られていた。

犬山市観光協会

どんでん館を出て、
向かいの「昭和横丁」へ。

屋台が建ち並ぶような形で、食べ物のお店が並ぶ。
ホルモン焼きそばを買って、奥の広場で食べた。

広場の壁に、
木曽川の日本ライン下りを描いた、
見事な緞帳(どんちょう)が掲げられている。
名古屋市の池下にあった、
愛知厚生年金会館で使われていたものだそうだ。

ここにはゲーム機も置かれている。
小さなプライズ機が多いが、ピカデリーサーカスや、
4人対戦できる「パックマン バトルロイヤル」もあった。

「パックマン バトルロイヤル」をやってみた。
1人プレイだと、CPUパックマンとの対決になる。
パワーエサを食べて、相手のパックマンを食べたら勝ち。もちろんモンスターも出る。
¥100で5戦して4勝1敗。思わぬ所でゲーム路銀を稼げた。
ゲーム路銀 ¥2,470-¥100+¥400=¥2,770

2階には、古いミシンやタイプライター、
小さなブラウン管テレビ、湯たんぽ、火鉢、
黒電話、レコードプレイヤーなど、
懐かしい道具が展示されていた。
ここにもゲーム機が少しあった。

犬山城下町 昭和横丁

昭和横丁を出て、城下町を歩く。
古い町屋の建物が保存されている。
旧磯部家住宅。(入館無料)

慶応年間に建てられた呉服商の家で、間口は狭いが、奥に長く続く。
江戸時代は間口の広さで税金が決まっていたため、
町屋はこういう「うなぎの寝床」と称されるような構造になったという。

余談だがオランダにも、全く同じ理由で、細長い家が多いらしい。
ハウステンボスのホテルアムステルダムは、
そういう家々が並んだような外観になっている(中でつながっているけど)。

明治時代の蔵も、いくつか残っていた。

主屋の座敷や、蔵の中に、たくさんのひな人形が並んでいて壮観だった。

犬山市観光協会

徐々に観光客の姿が増えてきた。でも降る雪も増えてきた。晴れてるのに。

本町通りには古い建物が多く残されており、
江戸時代からの繁栄をうかがわせる。

フェンスの張られた一角があった。建物の補修工事中なのかと思ったが、
よく見ると、どうやら火事に遭ったようだ。
(後で調べたら、1月11日の夜に火災が発生していた。
けが人はいなかったが、7棟に延焼する大きな火事だったらしい。
被害に遭われた各店舗が、いい形で復旧できますように)


町屋の並ぶ通りの向こうに、
犬山城が見えてきた。

このあたりの町屋のほとんどがお店。コミュニティFM局もあった。
さっきの旧磯部家住宅もそうだが、
古い建物を活用して町並みを残す運動が、積極的に行なわれているようだ。

いつの間にか雪がやんでいる。犬山城にかなり近づいてきた。
このあたりにはなぜか町屋の建物がない。

城とまちミュージアムに到着。
入館料¥100だが、さっきの共通券で入る。
(犬山城の入場券でも入れる)

城とまちミュージアムは、
犬山市文化史料館、からくり展示館、犬山城白帝文庫歴史文化館から成る。

エントランスホールに、江戸時代の城下町を再現したジオラマがある。
ミュージアムがある辺りは、お城の堀の内側で、武家屋敷が並んでいたらしい。
だから町屋の建物がなかったのか。

12時30分から、犬山城の歴史や構造を解説する映像を見る。
犬山城は1537年(天文6年)、織田信長の叔父・信康によって築城された。
1584年(天正12年)、織田信雄配下の中川定成が城主のときに、
豊臣秀吉配下の池田恒興が攻撃して落城させ、小牧・長久手の戦いが始まる。

江戸時代には、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、
その後は成瀬家が、幕末まで城主を務める。

1871年(明治4年)の廃藩置県で、いったん愛知県の所有となるが、
1891年(明治24年)の濃尾地震で天守が大きな被害を受けたため、
修復するという条件で、旧藩主(幕末に尾張藩から独立)の成瀬正肥に譲渡された。
その後この城は成瀬家の当主に代々受け継がれ、
日本で唯一、個人が所有する城として知られていた。
2004年(平成16年)、犬山城および成瀬家に伝わる美術工芸品・古文書を管理するため、
財団法人犬山城白帝文庫が設立され、犬山城は同法人の所有となっている。

展示室は2つ。1つ目の展示室は犬山城白帝文庫歴史文化館の展示室という位置づけで、
成瀬家に伝わる宝物が展示されている。
よろいかぶと。藩主から賜った鞍。6代城主・成瀬正典の描いた絵画。
蒔絵が美しい文箱やすずり箱。徳川家康から拝領した茶壺。
天守が1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で被害を受けた後の、修理の記録。

2つ目の展示室では、犬山市文化史料館所蔵の品々を展示。
明治から昭和初期にかけて盛んに作られた土人形。
かつて使われていた、そろばん、アイロン、お椀、とっくり、押し寿司器や豆腐製造器。
赤絵の鮮やかな犬山焼。和菓子の型。明治村のすごろくなど。

大きくはないが、きれいで見やすい博物館だった。

道の向かいに、城とまちミュージアム別館の
「からくり展示館」がある。
庄屋門を通って館内へ。
ここも4館入場券(わん丸手形)で入る。

犬山祭の車山(やま)にあった、からくり人形を中心に展示。
きらびやかで表情豊かな、からくり人形が並ぶ。中の構造が見えるものもある。
中国の故事や、能から題材が採られたものが多いが、浦島太郎の人形もあった。
操演の様子を映したビデオが流れている。休日にはここで実演も行なわれるようだ。

全国各地の小さな郷土玩具も、多数展示されていた。
小さいながらも、からくりの仕込まれた物もある。
竹べらに乗った人形の名前が「へらちょんぺ」
昔ボキャブラ天国で、そんな名前の芸人さんが活躍されていたが、
名前の由来はこれだったのか。

館の一角に、人形師・九代玉屋庄兵衛氏の作業場があり、
ガラス越しに中を見ることができる。
実際にここで制作が行なわれることもあるらしい。

よく知られている茶運人形は、七代庄兵衛が復元に成功したものだそうだ。
七代、八代、九代庄兵衛が作った、茶運人形が並んでいた。

犬山市観光協会

また雪がちらついてきた。
せっかくチケットがあるので、
また犬山城に行ってみた。

平日なので、前に来たときよりも
人が少なくて、落ち着いて回れる。
4階の外回廊にも、
ある程度の時間は立ち止まれる。
さっき歩いてきた本町通りの一部を
眺めることができた。

東を向いて木曽川を望む。
雪が舞っているとは思えない、見事な青空。

ただし今回は、川に近い方の廻縁(まわりえん)半分ほどが、立入禁止になっていた。

それにしても、相変わらず階段がきつい。心臓にくる。
現存天守の宿命である。

国宝 犬山城

降る雪がさらに増えてきた。
針綱神社、三光稲荷神社、猿田彦神社の境内を通って、階段を下りて坂を下り、
今日最後の目的地へ向かう。

名鉄犬山ホテル。
この敷地内に、
有楽苑(うらくえん)という庭園がある。
織田信長の弟で、茶人として知られる
織田有楽斎の茶室「如庵」を中心とした
日本庭園だ。(入苑料¥1,000)

季節は冬だが、常緑樹や竹、苔などの
緑に包まれている。
この萱門をくぐると、

正面に正伝院(しょうでんいん)書院。
正伝院とは、豊臣秀頼に仕えていた有楽斎が、
大坂城を退去した後、
1618年(元和4年)に再興した
京都の建仁寺の塔頭。
有楽斎はここを隠居の場とした。
この書院は重要文化財。

そしてその右隣に建つのが、
国宝・茶室「如庵」だ。
正伝院再興とともに造られた。
明治期に東京へ移築され、その後大磯に移り、
1972年(昭和47年)に当地へ移築された。

内部は通常非公開だが、窓越しに茶室をのぞくことができた。
二畳半台目の小さな部屋(ぱっと見、四畳半に見えるが、いずれにしろ小さい)。
壁の一部に暦が貼られている。地味ながらも落ち着いた雰囲気。
内部にも外観にも、ところどころ凝った意匠が見られるが、全体的に質素に見える。
「国宝」という言葉に惑わされて、ついもっと豪華なものをイメージしてしまったが、
本来、茶室というのはこういう質素さを貴ぶものなのかもしれない。

小さな滝の流れる茶花園がある。

有楽斎が大阪の天満に建てた茶室が
復元されていた。
天満の茶室も「如庵」という名前だったが、
ここでは「元庵」と名づけられている。

有楽苑(茶室 如庵)

有楽苑の緑を眺めて、心が落ち着いた。
雪もやんだ。
お腹が空いた。
ホテルで何か食べよう。

1階のラウンジで、ビーフカレーを食べる。ホテルのカレーはやっぱりうまい。

名鉄犬山ホテル

ホテルの北側に出て、
木曽川沿いに東へ。


犬山遊園

犬山遊園駅に着いた。

午後4時13分発の急行・犬山行きに乗る。6000系2両編成。固定クロスシート。
後ろ向きに座ったので、犬山成田山の赤い建物が見えた。犬山城も見えた。

4時15分、犬山駅着。
ゲーム路銀 ¥2,770-¥170=¥2,600


犬山

東口のイトーヨーカドーで、
少しでもゲーム路銀を稼ごう。

ロータリーにあるからくり時計は、
犬山祭の車山を模している。

ヨーカドー3階のゲームコーナーで、1台だけある太鼓の達人をプレイしようとしたが、
お金が入っていかない。
5回コインを入れたけど、そのつど戻ってきてしまうので、今日のゲーセン紀行は終了。
時刻は午後4時45分。早いよまだ5時前だよ。

1階の喫茶店でカフェオレ飲んで休憩。飲み終わった頃また雪が降ってきた。
いったんホテルに戻る。

午後8時頃、居酒屋で晩ごはん。
手書きのメニューの隅に描かれた、いかにも同人誌に出てきそうな、
ムジュラの仮面を持ったリンクがかわいい。
みそ田楽や串カツなどを食べた。

現在のゲーム路銀
¥2,600

今回のルート




犬山市観光協会  愛知県観光ガイド  名古屋鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 196.尾北編(5)」は、
小さな世界一周旅行。
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