ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

200.清洲城下でお花見
〜尾北編(9)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥4,730




2015年4月4日。7時45分起床。寝つけなくて睡眠時間は4時間半くらい。
昨日、トヨタ産業技術記念館を回り終わっていたら、こんなに早く起きなくて済んだのに。
腕とか脚とか肩とかが筋肉痛。

ホテルで朝食をとり、外へ。驚くほどの快晴。
尾張一宮駅から、9時33分発の特別快速・豊橋行きに乗る。
名古屋までノンストップ。9時43分着。今日はここからスタート。


名古屋

駅の周りは超高層ビル建設ラッシュ。

ナナちゃん人形は、こないだから引き続き、
ドラゴンボールの孫悟空。

名鉄名古屋駅から、10時1分発の普通・岩倉行きに乗る。6500系4両。ロングシート。
地下をしばらく走る。地上に出て、高架へ。左にJRの線路が並ぶ。
右に産業技術記念館の、のこぎり屋根が見えた。

10時4分、栄生駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥4,730-¥170=¥4,560


栄生(さこう)

栄生駅から徒歩3分。

昨日回り切れなかった、
トヨタ産業技術記念館へ。(入館料¥500)

昨日見られなかった、エンジンの変遷コーナーまで来たが、
10時30分からロボットのバイオリン演奏が始まるので、
そのままスルーして、自動車館を出てロボットのいる場所へ。

南ロビーに続々とお客さんが集まってきた。
トヨタパートナーロボットのパールくん。
2010年に開催された上海万博の
日本館に出展されていたロボットだそうだ。
隣には、2012年まで
トランペットを演奏していたロボットもいる。

演奏が始まった。
1曲目は中国民謡の「茉莉花」(ジャスミン)。
微妙な手の動きで、
実際にバイオリンを演奏している。
このロボットは二足歩行もできるらしい。

2曲目はパッヘルベルのカノン。
演奏は2曲合わせて5分くらいだったが、いいものを見られた。
早起きして来た甲斐があった。

テクノランドへ移動。
自動車の各部品の機能や、織機の横糸を通す方法をモチーフにした遊具がある。
子供たちでにぎわう。
遊具としても面白そうだし、織機や自動車のパーツごとの機能を理解しやすい。

10時50分から、蒸気機関の実演。
1898年、スイスのスルザー社で造られ、
ドイツで使われていた蒸気機関。
豊田紡織本社工場でも、紡織機の動力として、
スルザー社の蒸気機関が使われていたそうだ。

高圧と低圧2本のシリンダーで、フライホイール(大きな車輪)を回し、
ロープで発電機を回す。
(実演は、蒸気ではなく電気で動かしている)
巨大なクランクやホイールが回るさまは、間近で見ると迫力がある。

自動車館の2階に戻る。
1階の展示が見渡せる。

今日は休日なので、テクノライブショーという催しが11時からある。
繊維や自動車の仕組みを、子供向けに解説するイベント。
見てるときりがないので、2階の展示を見ながら、チラ見する程度に留める。

自動車の各部品の変遷を、各時代の実物展示とともに解説するエリアへ。
まずエンジン。トヨタ初の自動車用エンジンA型(複製)から、
時代が下るごとに、配置や機構が改良されていく。

ツインターボや、ロータリエンジン(トヨタでは試作のみだった)、
さらにディーゼルエンジンもある。
いくつかのエンジンは動かすことができ、どのように駆動するかがわかる。
冷却系、電気系など、エンジンに付随する各装置の変遷も。

トランスミッションの変遷。オートマの構造が特に複雑で、
「よくわからないけどすげー」って思う。

駆動方式とサスペンション。シャーシを丸ごと展示して、FR、FF、4WDを説明。

ステアリング。ハンドルの先にこんな装置がついていたのか。
パワーステアリングや4WS(四輪操舵)の機構も。

ブレーキ。ドラムとディスクの違い。ABS(アンチロックブレーキシステム)の解説。

タイヤとホイール。私は北海道で育ったので、スパイクタイヤが懐かしい。

ボデー(ボディと表記しない)。車の底面を見られる。
エンジンや足回りを取り付けるフレームがあるものと、ボデーに直接取り付けるもの。

ヘッドランプは鉄道車両と同じように、
昔は中に電球を入れていたのが、シールドビームになった。
デザインも時代により変わっている。

ガラス。割れたときの割れ方が、安全性を高めるよう進化している。
車内の温度上昇を防ぐ、熱線反射ガラスや熱線吸収ガラスも。

メータ。時代によるデザインの変化が大きい。真ん中へんのが懐かしい。
あとデジタルメータの大きな数字も懐かしい。

トヨタ産業技術記念館

1階へ。各時代のトヨタの車が並ぶ。
トヨタ初の量産乗用車、トヨダAA型。
隣にG1型トラックもある。

本格的国産乗用車、トヨペット・クラウン。
カローラなどもあった。

プリウスは長野五輪聖火リレー仕様。

開発技術の変遷についての展示。材料は軽量化、安全性の向上などのため、
アルミやプラスチックの割合が増えている。
また、リサイクルされることを前提に造られるようになった。

技術開発の変遷。各時代の製図台が展示されていた。
1980年代には、設計にコンピュータが用いられるようになる(CAD)。
デザイン検討用の5分の1モデルが並んでいるが、作られた時代によって材料が異なる。

高速化と信頼性向上のための評価技術の変遷。
高速走行試験の装置(シャシダイナモメータ)がある。
いろんな路面の模型も。
東富士テストコースに、こういういろんな路面が再現されていたそうだ。

安全性の研究。衝突実験用のダミー人形の進化。ミラーやシートベルト、エアバッグ。
衝突試験でひしゃげた車(前や後ろはぐちゃぐちゃだけど、車内は変形していない)。

そのほか、歴代プリウスのエンジンとモータ、排気ガス浄化用触媒の変遷、
懐かしいタイプのカーオーディオ、シートの発展など。

挙母(ころも)工場初期の作業風景が再現されている。チェーンコンベアが使われている。
エンジンシリンダブロックの鋳造。型を使わない鍛造。工作機械は自社製作のものも多い。
手作業が多い板金加工。プレス加工もあったが、今より技術が未確定だった。
そして熟練工によるスプレーでの塗装。

超巨大な600トンプレス機が動いている。1960年に導入されたもの。
その隣には、これも巨大なメインボデー自動溶接ライン。
プレスされた各パーツを、自動的に組み立てるロボットの動きがかっこいい。
実際はこの後に溶接も行なっていた。

いったん外へ出て、「創造工房」へ。
何かちょっと暑い。
この建物は1926年、
G型自動織機の本格生産のため、
刈谷に造られた
豊田自動織機製作所の鉄工場の一部。
手前には門柱もある。

G型製造に使われた工作機械や、
この建物の外壁(鉄筋コンクリートだけどレンガ造りの形状)を展示。
いろんな機械の構造がわかるサンプルもある。

自動車館に戻る。
ロボットアームが動いている。
ボデーの強度を上げるため、溶接の増し打ちを行なっている。
よく見ると、ロボットの形が1つ1つ違う。
各時代のロボットを並べて、一斉に動かしているのだ。

エンジンシリンダブロックの機械加工を全自動で行なうマシン。
長い機械の中を材料が通り、その途中でさまざまな加工が施されて完成する。
繊維機械館で昨日見た、綿をほぐす機械を思い出した。

ボデーの上塗り自動塗装装置。エンジンとシャシの自動組付装置。(これらも動く)
2,500トン自動鍛造プレス機。

自動車館を出た。午後1時を回った。
ミュージアムカフェでカレーを食べたかったけど、
あとの予定を考えたらあまり時間がない。

外へ出て、あと2棟の建物を見る。
トヨタグループ館。
1925年(大正14年)に建てられた、
豊田紡織の本社事務所。

特許証やパンフレット、グループ各企業の紹介と、
初期のトヨタに貢献した人々の写真、豊田紡織の半てんなどを展示。

豊田商会事務所は1905年(明治38年)建築。
豊田佐吉が自動織機の発明に取り組んだ建物。

トヨタ産業技術記念館

栄生駅に戻ってきた。午後1時48分発の急行・吉良吉田行きに乗ろう。
反対側のホームに来た、新可児行きの赤い電車の側面にピカチュウがびっしり。
映画の宣伝らしい。

自分が待っているホームにはミュースカイが止まったが、もちろん回送車。
このホームで電車見るの楽しい。JRの在来線も新幹線も見られるし、貨物列車も来る。

吉良吉田行きは3500系4両だった。

1時51分、名鉄名古屋駅着。
ゲーム路銀 ¥4,560-¥170=¥4,390

あおなみ線、名港線、リニモ、ゆとりーとライン、伊勢鳥羽方面、小牧線、犬山線と
7方向を回り終え、遂に名古屋を離れることになる。
JR東海道本線へ。午後2時5分発、普通・岐阜行き。
313系4両編成がホームに止まっていた。

発車。たくさんの側線。右手に、トヨタ産業技術記念館のノコギリ屋根。
栄生駅のホームが見える。その後、名鉄の線路は遠ざかっていく。
庄内川を渡り、地上に下りて枇杷島駅。
東海交通事業の城北線との乗換駅だが、ここは通過しますごめんなさい。

地平からまた高架へ。城北線が右へ離れていく。
右手にキリンビールの工場がある。タンクがビール色。
貨物側線が右側を並行する。
右手にお城が見えた。城の前の赤い橋を渡る人が多い。
左に並んでいた新幹線の線路が離れていく。右手には2棟の工場。

2時12分、清洲駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥4,390-¥200=¥4,190


〜名古屋〜枇杷島(びわじま)〜
清洲(きよす)

清洲駅は、
清須市の中心から少し離れた所にある。
そもそもこの駅の所在地は稲沢市。

さっき車窓から見えた清洲城へ向かう。
大きな道がないけど、以前1回来たことがあるし、歩いてけば何とかなるだろう。
駅からタクシーに乗る人もいる。

線路沿いの細い道を南下。歩道も一応ある。
ときどき「清洲城→」と書かれた看板があり、心強い。

矢印に従い、歩道のないさらに細い道へ。高速道路の下をくぐる。
下にも道路があり、橋で渡る。
とうとう車の入れない道になった。

駅を出て15分、清洲公園の駐車場に着いた。川沿いに桜が広がってきれい。

織田信長をまつるほこらがある。
「右大臣織田信長公古城跡」と
刻まれた碑が建つ。
花びらがはらはらと舞う。

五条川の川沿いは凄い人出。
チンドン屋さんが演奏している。

橋を渡ってお城へ行こう。

橋の上から見る桜がまたきれい。

すぐ横を東海道本線が通っている。

天主閣は1989年(平成元年)に再建。
もともと天守があったとみられる場所は
公園になっているので、
川の対岸に建てられた。

門の塀は、熱田神宮の信長塀(戦勝のお礼に信長が奉納した土塀)を再現。
庭に大きな石が配置されている。

隣に建つ芸能文化館は、書院造風の御殿。

天主閣に入る(入館料¥300)。靴を脱いで上がる。
靴箱がいっぱいになるくらいお客さんが多い。

午後3時から、3階で清須会議の紙芝居が始まるそうなので見る。
「清洲城武将隊」のお江(ごう)さんが担当。
清須会議の話がメインだが、信長の生涯についてもかなり詳しく説明。

賤ヶ岳の戦いでお市の方が死ぬくだりで、
自分がお江(お市の娘)だという設定を、急に思い出したかのように悲しむのが面白い。
全体的には明るく快活な語りで、しかも聞き取りやすかった。

あらためて1階から展示を見よう。
1階は清須城築城前の清須についての展示と、信長の時代以降、現代までの年表。

ちなみに清洲城では、1610年の清須越以前の「きよす」は「清須」、
それ以降2005年(清須市の誕生)までは「清洲」と表記。
また、清須越以前の「きよす城てんしゅかく」は「清須城天守閣」、
1989年に建った現在の建物は「清洲城天主閣」と表記している。

2階は武士の暮らしや、清須城の歴史について。
城の石落としが復元されている。
清須城の歴史は、映像とジオラマで解説。

織田信長が那古野(なごや)城から清須に入城したのは1555年(弘治元年)。
当時のお城にまだ天守はなかった。
桶狭間の戦いにもここから出陣した。
1563年(永禄6年)、美濃の斎藤氏と戦うため、居城を小牧山城に移す。

1582年(天正10年)、本能寺の変で、信長と嫡男の信忠が明智光秀に討たれ、
山崎の戦いで光秀が討たれると、
織田家の後継者と領地の配分を決める「清須会議」がここで行なわれた。

織田家の後継者については、柴田勝家が信長の三男・信孝を推したのに対し、
羽柴秀吉が信長の嫡孫(信忠の嫡男)の三法師(後の秀信)を推挙。
丹羽長秀が秀吉を支持したこともあり、跡継ぎは三法師に決まった。

また領地の再配分によって、清須城の城主は信長の次男・信雄となった。
信雄は城の大改築を行なう。このとき天守ができ、
清須城は城下町も含めた、大きな城塞都市となったそうだ。

その後の城主は、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直と変わる。
1610年(慶長15年)、「清須越(きよすごし)」が行なわれ、
城下町ごと名古屋に引っ越した。

名古屋城の西北隅櫓は、
取り壊した清須城天守の
資材を使って造られたとされ、
そのため「清須櫓」ともよばれている。

江戸時代には清洲宿ができ、当地は再びにぎわいを取り戻したという。

2階の展示はそのほか、信長と能や茶の湯の関係、そして信長の政策について。
楽市楽座は清須では行なわれず、岐阜で行なわれた。
商人を清須から岐阜に呼ぶ狙いがあったとされている。
ほかに兵農分離や、撰銭令(えりぜにれい)について。

3階。中日スポーツがスポーツ紙風に作った、桶狭間から関ヶ原に至る歴史の事件簿。
あらためて、信長の生涯を解説するパネル展示。
信長の主だった家臣(及び同盟者の家康)や、濃姫・お市などの女性について。

大河ドラマの衣装が並ぶ。
「江〜姫たちの戦国」の、上野樹里さん(江)、鈴木保奈美さん(市)、
豊川悦司さん(信長)、「功名が辻」の大地真央さん(市)の衣装。

歴代大河ドラマの信長役、「信長」の緒形直人さん、「秀吉」の渡哲也さん、
「利家とまつ」の反町隆史さん、「天地人」の吉川晃司さんの衣装。

そしてさっきの清須会議コーナー。次の回の紙芝居が始まった。
お江のほかに、「戦国キッズダンサーズしのび(神桜舞-shinobi-)」の2人、
さらに柴田勝家役の男性が加わり、4人で進行していた。

4階は展望階。この天主閣の建設に関する展示も。金鯱(しゃち)などもあった。
太鼓がある。子供が叩いている。

外回廊へ。やはり桜が素晴らしい。
下のしゃちほこ越しに写してみた。
曇っているからか、一宮のツインアーチ138は
近いはずなのに見えない。

朱塗りの橋を行き交う人々。

線路の向こう、川の上で
鯉のぼりが泳いでいる。

名古屋駅周辺の高層ビル群はよく見えた。
小さいけど東山スカイタワーも。

芸能文化館を通って外に出る。
近くにいたカップルが気づいたが、
庭に生える1本の桃の木から、
桃色と白色の2色の花が咲いていた。

芸能文化館の横に枯山水。

ちょうど、さっきのお江さんや勝家さんら4人が下りてきて、
桃の木の下で撮影に応じていた。

清洲城

再び橋を渡って引き返し、「ふるさとのやかた」という休憩所でキーホルダーを買う。
でも清洲城はこれで終わりじゃない。

線路をくぐって清洲公園へ。
こちらの桜も美しい。

近くで見る鯉のぼりは躍動感がある。
夕方になって、鯉のぼりが躍動するくらい
風が強くなってきたからでもあるが。

公園の端に、西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦と、
さまざまな戦争で亡くなられた方々の鎮魂碑が並ぶ。

桜を眺めているかのような信長公の像。

織田信長像は
1936年(昭和11年)に建てられた。
向いているのは桜の方ではなくて、
桶狭間の方向だそうだ。

かたわらに濃姫の像。
以前は清洲城にあったが、
2012年、ここに移された。

濃姫が信長を見上げる格好になる。

公園の中は360度、桜色で満ちあふれている。
いや、上を向いても桜だし、
花びらがだいぶ散り落ちているから、
下を向いても桜だ。

かつてお城があったのは、このあたりらしい。
当時の城の姿は残っていないが、
歴史の舞台に立っているという感慨と、そこが今こうしてにぎわっているという感慨と。
この場所を「パワースポット」と称している観光案内板は、
無粋なのか、それとも時代に即しているのか。

清洲城

ふるさとのやかたに戻ったら閉まってた。
午後4時45分閉館というのは把握していたが、もうそんな時間か。

五条川沿いの桜と屋台の前を歩く。
相変わらず人が多い。
お昼を食べていなかったので、
いろんな食べ物の匂いでお腹が空いてきた。

川から引き上げられた石垣が復元されていた。

屋台のない場所まで来たけど、
まだまだ桜並木は続く。

桜と川と菜の花。

県道67号に出た。川を渡って南へ。
この先にゲーセンがあるらしいので行ってみよう。
しばらく歩く。パチンコ屋さんの裏手にその店はあった。

チャレンジハウス・ダイナマイト。
久々にこういう、
町の小さなゲームセンターに来られて嬉しい。

プライズ、スロット、麻雀格闘倶楽部もあるが、
メインはアップライト筐体の、普通のビデオゲーム。
ダイドーMコーヒーを買って、飲みながら店内を見て回る。

パワースマッシュ3、バーチャストライカー4 Ver.2006、パズルボブル、
テトリスプラス、テトリス ジ・アブソリュート、(元祖の)テトリス、
上海 万里の長城、上海III、中國龍II、中國龍プリティチャンス、麻雀中華娘、
ライデンファイターズ2、ボンバーマンワールド、おてなみ拝見FINAL。

おてなみ拝見FINALに先客がいたので、「ボンバーマンワールド」をプレイ。
2プレイ¥100。1回目は10面クリアできた。
しかし2回目は不調で、3面クリアにとどまった。
ゲーム路銀 ¥4,190-¥100+¥650=¥4,740

駅まで歩く。県道をひたすら北上。薄暗くなってきた。
突然、町なかに「ふるさと」のメロディーが鳴り渡った。
午後6時だ。そりゃ薄暗くもなる。
高速道路の下の歩道橋を渡るのが面倒なので、さっきの細い道に戻る。

午後6時19分、清洲駅に戻ってきた。次の下り電車は6時28分発の岐阜行き。
跨線橋でホームへ。駅舎とホームが離れているのは、間に貨物線を挟むから。

313系6両編成が来た。出発。景色はまだかろうじて見える。
しかし混んでて、左側の車窓に近づけないので、そちらの景色はほぼ見えない。

貨物列車とすれ違う。右にいくつもの貨物側線。貨車や機関車が点在。
6時31分、稲沢駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥4,740-¥190=¥4,550
側線にディーゼル機関車が何台も並んでいた。


稲沢(いなざわ)

歩行者デッキで貨物側線を渡って東口へ。

清洲駅同様、稲沢駅も街の中心から離れている。貨物駅としての性格が強い。
街の中心に近いのは名鉄の国府宮(こうのみや)駅。
尾張大国霊神社の最寄り駅でもある。
尾張大国霊神社

駅の屋根がぼうっと光ってきれい。

 
駅前の夜桜もきれい。

東口の周辺は、稲沢操車場の跡地らしい。広い芝生広場がある。
近くのリーフウォーク稲沢にゲームコーナーがあるので行ってみよう。
線路に沿って北へ歩く。

駅を出てから徒歩10分。
ようやくリーフウォーク稲沢に到着した。
思ってたより遠かった。
ここには何度か来たことがあるのだが。
しかもここは別棟のアピタ稲沢東店で、
本館はさらにこの奥にある。

ただしこの別棟にもゲームコーナーがあるので行ってみた。
2階のフラミンゴキッズ。思ったより大きい。
本来は子供向け店舗なのだろうが、
条例で16歳未満午後6時以降入場禁止なので、閑散としている。

カルピスウォーターを買って飲みながら店内を見る。
プライズ中心で、あとメダルとキッズ向け。
のりものやプリクラ、音ゲー、マリオカートなどもある。
もちろん太鼓の達人もあるが、ゲーム路銀に余裕があるのでプレイせず。

連絡橋を渡って、リーフウォークの本館へ。
館内でなぜか恐竜ロボットが動いている。

スターバックスで休憩。
疲れがどっと出て、動きたくなくなってきたけどもう1店舗。
スタバのすぐ上に、プラサカプコン稲沢店がある。

広い。プライズのスペースだけでも凄い。目立つ場所は妖怪ウォッチ一色。
ほかにメダルやキッズ向け。のりもの多い。プリクラ、レース。
タイムクライシス4、太鼓の達人、ワニワニパニック、エアホッケー。
ボールプールなどの遊具がある「キッズパーク」。

「太鼓の達人」で、ようかい体操第一と、ゲラゲラポーのうたを
プレイして締めようと思ったら、3曲プレイできる仕様だった。
3曲目は「ダン・ダン ドゥビ・ズバー!」にしようかとも思ったけど、
自信がなかったので、全く関係ない「創聖のアクエリオン」で。
ゲーム路銀 ¥4,550-¥100+¥300=¥4,750

リーフウォーク内のお店でヒレカツ定食を食べる。トンカツと八丁味噌で元気出た。
駅へ戻ろう。本館の線路沿い出口の外に、車掌車が2両展示されていた。

ヨ8000形のヨ8920と、

ヨ8916。

ヨ8916には時計がついていた。

アピタ稲沢東店から外へ出たら、雨が降ってきた。
午後9時27分、駅に着いたところで今日のゲーセン紀行はここまで。
9時31分の岐阜行きで、宿泊地の一宮に戻った。

現在のゲーム路銀
¥4,730

今回のルート




名古屋観光情報  清須市観光協会  稲沢市観光協会  愛知県観光ガイド
JR東海  名古屋鉄道  名古屋市交通局  東海交通事業

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 201.尾北編(10)」では、
ツインアーチ138へ向かう。
「日本縦断ゲーセン紀行 199.尾北編(8)」に戻る


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