ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

199.桜と自動織機がいっぱい
〜尾北編(8)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥730




上小田井(かみおたい)

2015年4月2日。
朝から昼にかけて明治村を回り、
午後6時17分、上小田井駅に到着。
変則的だけど、今回はここから
ゲーセン紀行スタート。

今日は地下鉄鶴舞線の駅前にあるゲーセンを2店舗訪ねよう。
午後6時25分発の赤池行きに乗る。

地下鉄の路線だけど、
今から乗るのは名鉄の車両。100系。
6両ロングシート。
顔がほかの名鉄車とちょっと違う。

高架のホームを出て、高度をぐんぐん下げて地下に入る。
2駅先の庄内通で降りた。6時29分着。(ゲーム路銀 ¥730-¥200=¥530


〜庄内緑地公園〜
庄内通

地下通路の壁に大きなモザイク画。

1番出口から外へ出た。

すぐ裏手にある、イオンタウン名西へ。
これほどの大型店が、
駅裏の建物密集地にあるのは不思議。

2階のセガに来た。
ジョージアエメラルドマウンテンを買って飲みながら店内を見て回る。
プライズとメダル中心で、あとはプリクラ、キッズ向け、音ゲーとレース少々、
バスケットボール、エアホッケー、アンパンマンののりもの。

ここでゲーム路銀を¥300上乗せしたいが、「太鼓の達人」を地道にやるしかないか。
ふつうモードでまず2面クリア。「Dragon Night」はまだしも、
「あったかいんだからぁ♪」がもう入ってるとは。

1回プレイして、休憩してたら、次にプレイし始めた男性のバチさばきが凄い。
何となく、居づらくなったので、そっとその場を去り、隣のフードコートへ。
もう午後7時を過ぎたし、晩ごはんを食べよう。
スガキヤのプレミアムラーメン(4月7日までの期間限定、¥390だった)。
太鼓とラーメンのコンボで、暑くなってきた。

再プレイ。東方アレンジも入ってるとは。
「Help me,ERINNNNNN!!」と「チルノのパーフェクトさんすう教室」。
もう1回プレイ。アイドルマスターの「GO MY WAY!!」と、初音ミクの「メルト」。
トータル6曲目でメルトが流れたときのフィナーレっぽさ。
ゲーム路銀 ¥530-¥300+¥600=¥830

庄内通駅から、午後8時9分の上小田井行きに乗って、ひと駅戻る。
さっきと同じ名鉄100系が来た。
8時11分、庄内緑地公園駅で降りた。(ゲーム路銀 ¥830-¥200=¥630


庄内緑地公園

2番出口から出ると、すぐ横が庄内緑地。
しだれ桜が出迎える。
でも夜なので、また明日改めて来よう。

北へ歩くとゲーセンがあるらしい。行ってみよう。
歩くこと4分。「College II」というゲーセンを見つけた。

見つけたけど閉店してた……。

実は、閉店したという情報も得ていた。でもグーグルストリートビューに出てくるし、
もしかしたらと思って、来てみたのだが……。

駅に戻ってきた。今日はここまで。明日ここから再開しよう。
名古屋のホテルに戻る。8時38分の赤池行きに乗り、
丸の内駅で桜通線の8時53分・中村区役所行きに乗り換える。
8時56分、名古屋駅着。




翌3日。今日も8時起床。睡眠時間4時間。ホテルで朝食をとり、チェックアウト。
朝から雨が降っていたが、今はやんでいる。
駅のロッカーに荷物を入れて、地下鉄桜通線10時4分発・徳重行きに乗る。

丸の内で鶴舞線10時11分発・上小田井行きに乗り換え。
コルゲートのついた3000形が来た。
新車への置き換えが進んでおり、近い将来見られなくなる車両らしい。
庄内通で、新車のN3000形とすれ違った。

10時19分、庄内緑地公園駅着。
地下ホームで動く車両は、
やっぱりブレて写る。


庄内緑地公園

昨日と同じ2番出口から外へ。

まずは庄内緑地でお花見しよう。

私は3年半前、ここに一度来たことがある。
ここで行なわれるチャリティーマラソンに、
水野裕子さんが参加されると聞いて、見に来たのだ。
あの日も今日みたいな、すっきりしない天気だった。

グリーンプラザという建物に、温室があった。

小雨が降り出した。
10月から咲くという「十月桜」。
例年の花期は3月までだが、
今年は冬が寒くて開花が遅かったので、
まだ花がもっているそうだ。

街灯の下に小さな菜の花。苗の育成中らしい。

大噴水。まんじゅう型の丘だった。

国際親善の鐘。ここから芝生広場になる。

椿の並木。
2、3本、まだ花をかなり残している
木があった。

「朱包芽」というタイトルのオブジェ。
(作・清水九兵衛)
ここから、園の中央の
時計塔に延びる道の両側に、

菜の花が見事に咲いていた。

目の覚めるような鮮やかな色。

スズランが雨にぬれている。

時計塔。11時を回った。

マグノリアの花が咲いている。

そしてようやくお目当てのソメイヨシノ。
ここまで全然見ないなあと思っていたら、花木園エリアに密集して咲いていた。

絢爛豪華な桜のトンネルだ。

花が近い。

しだれ桜との2色の競演。

花木園の真ん中に、色の濃いしだれ桜が咲く。

こちらも満開。

平日ということもあって、
お客さんはあまり多くなく、
ゆっくり見られる。

どっちを向いても桜。

こんなに素晴らしい景色が見られるとは
思わなかった。

水鳥池のほとりにも桜。

広いボート池があるのだが、
近くで桜がこんなに咲いてると、
かなり影が薄い。

3年半前にはチャリティーマラソンの
スタート・ゴールがあった、
庄内川沿いの広場。

菜の花の帯ができていた。

遠くの方に、庄内川に架かる
名古屋高速6号清須線の橋が見える。

チャリティーマラソンのときの写真。
参加選手たちのテントが並んでいた。

このときは秋だったので、
ゴール地点にはコスモスが咲いていた。

現在の庄内緑地に戻る。
野鳥の声を聞きながら園内を歩く。

緑地の北側へ。
まだ開花前のサトザクラの並木道の先は、
ソメイヨシノの並木道だった。

時計塔の鐘が鳴った。正午だ。

最後はツバキ園。
だいぶ花を落としているが、

それでもまだ、
さまざまな色の花が残っている。美しい。

 

いろんな花が競い合うように咲く4月。いい時期に来た。

庄内緑地

駅に戻る。12時42分発の上小田井行きに乗る。側面にビードが入った3050形。

12時44分、終点・上小田井駅着。

地下鉄鶴舞線から、名鉄犬山線に乗り換える。
47分発の急行・河和行きに何とか間に合った。6500系6両。

上小田井を出発して、高架で住宅地を進む。
東海交通事業城北線の線路をアンダークロス。
左側、城北線の高架の上に小田井駅が見えた。

中小田井駅通過。地上に下りて、
名古屋高速6号清須線と名岐バイパス(国道22号)をアンダークロス。

下小田井駅通過。右側に分かれていく線路がある。右から来て合流する線路もある。
合流したのは名鉄名古屋本線。
その前に分岐したのは、犬山線と名古屋本線をつなぐ短絡線。

庄内川を渡る。さっき庄内緑地から見えた、高速6号の橋が左手にある。
線路は再び高架となる。東枇杷島駅通過。
右からJRの線路が近づいてきて、こちらの線路と並ぶ。

12時52分、栄生駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥630-¥430=¥200
ホームから、JR在来線の車両や、
通過する新幹線車両がよく見える。


〜上小田井〜<中小田井〜下小田井〜東枇杷島(ひがしびわじま)〜>
栄生(さこう)

名古屋駅の1つ手前の栄生駅。

駅から歩いて、トヨタ産業技術記念館へ向かう。
駅にあった案内板には「徒歩3〜4分」と書かれていたが、3分もかからなかった。

かつての豊田紡織本社工場の
建物が使われている。

歴史あるレンガ造りの建物。
1911年(明治44年)に木造で建てられ、
1918年(大正7年)に
レンガ造りに改築されている。

入館料¥500。中は新しい。
子供たちでにぎわっている。春休み期間中、小中学生は無料らしい。
第165回で訪れたノリタケの森(こちらも赤レンガの建物が並ぶ)にも近く、
2館共通券も発売されている。
ノリタケの森

エントランスホールに、
シンボルタワーのように立つ環状織機。
1924年(大正13年)製。

展示室へ。まず豊田紡織本社工場の、1941年(昭和16年)頃を再現したジオラマ。
今いるこの場所は、豊田佐吉が1911年(明治44年)に
豊田自働織布工場を設立した地であり、
豊田自動織機G型を完成させた場所である。
記念館として公開されたのは1994年(平成6年)から。

主な展示室は、繊維機械館と自動車館。まず繊維機械館へ。
「無停止杼換(ひかえ)式 豊田自動織機G型」1号機が展示されている。
1924年(大正13年)に完成し、当時世界最高の性能を誇ったという。

次のエリアでは、手作業で綿から糸をつむぐ方法、織物を織る方法を紹介。
その先にある機械がちょうど動いていた。1931年製のガラ紡機。
水車の動力を使って、糸をつむいでいる。
こういう昔の機械が実際に動く様子を見られるのが、この館の売りのようだ。

人力の機(はた)織り機の実演も行なわれている。
人力といっても、筬(おさ)を前後に動かすだけで、
横糸(緯糸)を入れた杼(ひ)(シャットル)が、
縦糸(経糸)の間を自動的に通るようにできている。

次の実演は、蒸気で動く汽力織機。仕組みは同じだけど圧倒的に速い。
速すぎて、横糸が3分でなくなってしまうので、しょっちゅう変える必要があった。

G型織機も実際に動く。
横糸が尽きると、新しい横糸が自動的に補充される。
また、縦糸が切れると止まるようになった。
横糸を自動で交換する仕組みが、からくりというか、
ピタゴラスイッチのような巧妙な仕掛け。

このG型織機が完成したことで、数十台もの織機を1人で管理できるようになり、
生産性が飛躍的に向上したそうだ。

最後に現代の織機も実演。基本的な仕組みは昔から変わっていないが、
横糸を通す際に、杼を使わないことで高速化。
横糸を水や空気の力で通すものも。

トヨタ産業技術記念館

スーツを着た若い人が数十人いる。新入社員の研修だろうか。
外国人の姿も見られる。

糸をつむぐ紡績機が並ぶエリアへ。まず、海外の初期の紡績機。
18世紀後半から19世紀前半にかけて、イギリスの繊維産業が機械化されて大いに発展。
19世紀には綿製品のみならず、機械そのものも輸出されるようになった。

トヨタ製の巨大な機械が並ぶ。
綿のゴミを取って、綿を解きほぐす機械。
繊維を一方向に揃えて、長いスライバにする機械。
スライバを細くして、よりをかける機械。そして、細い糸にして巻き取る機械。

巨大な機械の形は、一見すると複雑怪奇に見える。
もちろんこれらの機械はそれぞれ役割を持ち、それぞれの形にはちゃんと意味がある。
でも自分は仕組みがよく理解できないので、各々の機械が芸術作品に見えてしまう。

近年は、機械から機械へ自動的に綿を送る「連続自動紡績」が進歩し、
電子制御によって、さらなる高速化が進んでいるそうだ。

トヨタ産業技術記念館

この広い展示室の左半分にある機械が紡績機で、右半分にあるのが織機だということに、
ようやく気がついた。

織機のコーナーへ戻る。
ジャカード機構のついた機織り機がある。
パンチカードにデータを記録して、紋様を織ることができる。
初期のコンピューターみたい。というより、
コンピューターがこの仕組みを応用したのだが。

エントランスにあった環状織機がここにもあった。

環状織機は、往復運動ではなく
回転運動で織っていく。
動力消費の削減と、騒音の軽減が図れる。
また、幅の広い織物を織れるという利点も。

ふと天井を見上げると、のこぎり屋根についた窓が明るい。
工場の屋根がこういう形なのは、採光のためだということがよくわかる。

豊田佐吉が、最初の汽力織機から、G型織機に至るまでの過程で製作した、
数十種類もの織機を展示。
G型織機自体の組み立てについても紹介されていた。
G型織機は流れ作業で造られていたが、ここでのノウハウが、
後に自動車の組み立てにも生かされたそうだ。

新しい織機もある。パイル地(タオル)を織れるものや、厚手の布を織れるもの。
いちばん新しいのは、2013年製のパイル織機。

豊田佐吉の生涯についての展示があった。
1867年(慶応3年)、現在の静岡県湖西市に生まれる。
地場産業である遠州木綿の生産を、機械化で発展させることを目指し、
1890年に東京上野で開催された内国勧業博覧会に通って、最新の機械技術を目にする。

同年、豊田式木製人力織機(さっき実演で見た、筬の操作だけで横糸が入る織機)を
発明したが、なかなか売れなかったそうだ。
結婚し、1894年に長男・喜一郎が生まれる。
この年、縦糸を枠に巻き替える「糸繰返機」を発明。これが売れた。

1896年、汽力織機を完成させ、綿布の大量生産を可能にした。
1911年、栄生に豊田自働織布工場を設立(私が今いるこの建物)。
糸の品質安定のために紡績工場も造り、業績が拡大したため株式会社化。
(豊田紡織/現在のトヨタ紡織)

1924年、G型織機完成。性能の高いG型は、本格的に輸出された。
世界のトップメーカーだったイギリスのプラット社が特許権を買ったことで、
ますます注目を集めた。

「製造を他人任せにしない」「十分な試験を行う」「信頼性はもちろん経済性も確認する」
というのが佐吉の信念。
かつて、ある会社が行なった各国の織機の性能テストで、
イギリスのプラット社に敗れたことの反省から来ている。

佐吉は1930年(昭和5年)、63歳で逝去。
その後、長男の喜一郎が1933年、豊田自動織機に自動車部を設立し、
現在のトヨタ自動車の歴史が始まる。

繊維機械館を見終わって、時計を見たら午後3時40分。
閉館の5時までに全部の展示を見て回るのは難しそうだ。

トヨタ産業技術記念館

金属加工技術の実演コーナー。
鉄を1200度まで熱して、真っ赤になったところで、120トンの鍛造プレスへ。
荒地、仕上げ、バリ抜きと、3回プレスして部品となる。
実演で造られたのはミニチュアのクランクシャフトだったが、
本物を造るには、2500トンの鍛造プレスが使われるそうだ。

自動車館へ。かつての工場の内装を生かした、木造校舎のような建物。天井が高い。
豊田喜一郎は1921年、欧米視察をした際に自動車の普及を目にした。
自動車産業の将来性を見越して、1933年、豊田自動織機に自動車部を設立。

材料試験、エンジン試作、ボデー(ボディ)試作に関する展示。
1934年の材料試験室と試作工場が、展示室として使われている。
ボデー試作は、手作業で板金を叩いて加工していたそうだ。
以前見た、トヨタ博物館の展示でも説明されていたが、
初めての試作車「A1型」(後に量産化されたAA型の元となる)のボデーには、
当時最先端のデザインだった流線型がいち早く採用された。

次の部屋には、豊田喜一郎の言葉や、その人となりを示す証言が、
垂れ幕になってさがっている。
喜一郎の生涯についても紹介されていた。

喜一郎は1894年、現在の静岡県湖西市に生まれる。東京帝国大学工学部卒。

1920年、豊田紡織に入社。翌年の欧米視察で、自動車の普及を目にする。
関東大震災(1923年)後、復興の中で便利な自動車が普及し始め、
フォードやGMが日本国内での生産を始める。

世界恐慌や、豊田佐吉の死(1930年)によって、会社の状況が変わる中、
ハイドラフト精紡機の開発で業績が回復。
そして新たな事業として、自動車開発に乗り出した。

シボレーを分解して調査。試作工場と材料試験室を設置。
シリンダブロックの鋳造が困難を極めたが、
1935年、試作乗用車A1型を完成させた。
翌年、国から自動車製造事業法の許可会社に指定される。

1938年、愛知県挙母町(現在の豊田市)に工場が完成。
戦時中は軍需会社となり、戦後、自動車生産が禁止されるが、GHQの許可を受けて再開。
販売店を重視して、販売店網を築いた。

1949年、財政金融引き締め政策の影響で資金が底を尽き、
翌年にトヨタ自動車の社長を辞任。
その後すぐ、いわゆる朝鮮特需で業績が回復する。
1952年には社長復帰が内定していたが、同年、57歳で急逝した。
それから3年後の1955年に、本格的な国産乗用車「トヨペット・クラウン」が誕生した。

自動車館の2階へ。トヨタ自動車の転機となった場面場面を、
『劇画 トヨタ喜一郎』の絵を交えて紹介。

1935年、国からの要請でG1型トラックを製作。
開発から販売までわずか9ヶ月だったが、故障が多く、
このときにアフターサービスと品質改善の重要性を認識したそうだ。
GMから販売部長を招へいし、販売網を強化した。

当時としては桁違いといえる、月産2,000台の目標を掲げ、
挙母(ころも)に大工場を建設。
その資金調達のため、自動車部は豊田自動織機から独立し、
1937年、トヨタ自動車工業株式会社となった。

次のエリアから、1階の展示を俯瞰で眺められる。
大きな機械がそこかしこで動いている。

このエリア自体では、自動車の仕組みについて解説されている。
デフ、ステアリング、ブレーキ、サス、エンジン、クラッチ、トランスミッションを
むき出しで展示。
それらを組み合わせた状態での展示もあり、それぞれがどう動くかわかりやすい。

各部品の技術の変遷を、いろんな時代の実物を展示して解説。
トヨタ最初のA型エンジン(これは複製)を筆頭に、エンジンがずらりと並ぶ。
だが、ここまで来たところで、閉館の午後5時となってしまった。

トヨタ産業技術記念館を後にして、
栄生(さこう)駅へ戻る。

トヨタ産業技術記念館

栄生駅前のコメダ珈琲店でひと休み。久しぶりにシロノワール食べる。

記念館には明日また来よう。
今日はこの後、名古屋駅の近くのゲーセンに行こうと思う。
栄生から、午後5時53分発の急行・河和行きに乗る。6500系6両。固定クロスシート。

雨で窓が曇り、景色があまり見えない。途中から地下に入る。

5時56分、名鉄名古屋駅着。
ゲーム路銀 ¥200-¥170=¥30


名鉄名古屋

雨はかなり激しくなっている。

JR名古屋駅のコンコースを通って、太閤通口(新幹線口)へ移動。

駅前のビックカメラ。
以前は別のゲーセンが入っていた地下1階が、
ナムコの店舗になったようなので来てみた。

案内図を見ると、地下1階のほか、6階にも店舗があるらしい。
同じ建物のエスカレーターやエレベーターでも、
6階のナムコに行けるのと行けないのとがある。

6階は案内図に「namco プリクラ」と書いてあるとおり、
ヴィレッジヴァンガードの一角にプリクラがあるのみ。

地下1階へ。ドクターペッパーを買って、飲みながら店内を見て回る。
プライズとプリクラが中心。マリオカートもある。
音ゲーも多い。maimai、初音ミクProject DIVA、グルーヴコースター、
あともちろん太鼓の達人。

プライズマシン1台1台に、ヴィレッジヴァンガード風の手書きポップが貼ってあった。

太鼓の達人をプレイ。マクロスFの「ライオン」と、
東方アレンジ(SilverForest)の「ケロ9destiny」で2面クリア。
ゲーム路銀 ¥30-¥100+¥200=¥130

雨はやんだ。
桜通口に戻り、コムテックタワーに行こう。

以前来たときにあった、バーチャファイターがなくなっている!
あれはステージ数稼げたのに。
そのかわり、「おてなみ拝見FINAL」が復活してる!
「ZOO KEEPER」でステージ数が稼げる!

11面クリア、11面クリア、12面クリア、10面クリア、7面クリア。
疲れてきたのでこのへんで。ひとまず当面の危機は脱した。
ゲーム路銀 ¥130-¥500+¥5,100=¥4,730

駅に戻って今日のゲーセン紀行は終了。
今日から宿泊地が変わるので、荷物をロッカーから出して移動しよう。
JR東海道線午後8時50分発普通大垣行き。
9時6分、尾張一宮駅着。ホテルにチェックイン。
コンビニで弁当を買ってきて部屋で食べた。

現在のゲーム路銀
¥4,730

今回のルート




名古屋観光情報  愛知県観光ガイド
名古屋鉄道  名古屋市交通局  東海交通事業  JR東海

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 200.尾北編(9)」は、
花見客でにぎわう清洲城。
「日本縦断ゲーセン紀行 尾北編(番外編)」に戻る
「日本縦断ゲーセン紀行 198.尾北編(7)」に戻る


「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る
「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ

「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ