ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

204.黄金色の岐阜
〜岐阜編(1)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥3,320




尾張一宮

2015年7月23日。8時30分起床。睡眠時間5時間。
ホテルをチェックアウトした。今日も朝からかなりの雨。
尾張一宮駅3階のカフェでモーニング。小倉トースト。

JR東海道本線、10時21分発の普通・岐阜行きに乗る。313系4両。クロスシート。
木曽川駅に停車。今日はここからスタートだが、乗り通して先へ進む。

右にアパート。その先はまた一戸建てと田圃が連なる。
だんだん線路が高くなる。そして木曽川を渡る。

雨で景色はよく見えず。
いい写真が撮れなかった。
晴れていればツインアーチ138が
きれいに見えるはずだが。

ともあれ、これで遂に愛知県を抜け、岐阜県に入った。

スタートから1道1都13県め、岐阜県に到達!

家の数が増える。いったん地平に下りて、また高架へ。
徐々に大きな建物が増えてきた。
高架の高度がさらに上がる。名鉄の高架線路をオーバークロス。
高山本線の線路が隣に並んできた。

10時31分、終点の岐阜に到着。
ここで降りた。

ゲーム路銀 ¥3,320-¥200(木曽川駅から)=¥3,120


〜木曽川〜
岐阜

荷物をロッカーに入れ、観光案内所でパンフレットと地図をもらう。

駅の1階に、鵜飼と岐阜城のステンドグラス。

駅ナカの商業施設をぶらついてたら、そこそこの時間が経ってしまった。

北側の長良口から歩行者デッキに出る。
ひときわ目立つ黄金の信長像。

岐阜はかつて織田信長が拠点とした街。
1567年(永禄10年)、斎藤竜興との戦いに勝ち、斎藤氏の本拠だったこの地へ移った。

あと、金色に輝く像を見て、
ここが金メダリスト・高橋尚子さんの出身地だったことを思い出した。

岐阜駅の駅舎は大きくて新しい。

私が2000年に当地を訪れたときは、
先代の駅舎がまだ残っていた。
今はなき、名鉄の路面電車
(岐阜市内線・美濃町線)に乗るために
来たのだった。

さて、今日はこれから、岐阜公園(金華山)周辺の博物館を回る予定。
駅からはやや遠いのでバスを使おう。

黄金の信長像は、
バス乗り場のすぐ近くに建っていた。

12番乗り場に来たら、ちょうど11時27分発の長良橋経由・高富行きが来たので乗る。
11時42分、岐阜公園歴史博物館前で降りた。
ゲーム路銀 ¥3,120-¥210=¥2,910


岐阜公園歴史博物館前

雨は弱まったが、金華山の山頂は見えない。
晴れていれば山頂に岐阜城が見えるはず。

まず、岐阜公園沿いを少し南に歩いて、
正法寺というお寺を訪ねる。
(拝観料¥200)

1832年(天保3年)に完成した、岐阜大仏を拝むことができた。
高さ13.7メートル。
大仏殿の高さに合わせたかのように、光背の上部が手前側に曲がっている。
建物ぎりぎりの大きさということもあって、より大きく見え、迫力がある。
ただし圧迫感はない。
素朴なお顔立ちも相まって、衆生を包み込むようなおおらかさ、包容力を感じる。

大仏はお釈迦様。胎内仏として薬師如来像が納められているらしい。
乾漆仏で、イチョウの大木が1本、真柱として内部を通っているそうだ。

周囲の壁に、立体的なしっくいの絵が描かれている。
印度仏教の聖典を表現しているという。
五百羅漢像がずらりと並ぶ。
ほの暗い大仏殿の中で、金色に神々しく輝くお釈迦様。来て良かった。

正法寺(岐阜大仏)

続いては、少し北へ戻り、
名和昆虫博物館へ(入館料¥500)。

猫たちがお出迎え。
最初は2匹だったから狛犬のようだったが、
続々と集まってきた。

ねこの博物館ではない。

墨書きされた木の看板がいい。
建物は1919年(大正8年)竣工という
年代もの。

世界の昆虫の標本が、所狭しと展示されている。
入ってすぐの場所に、瑠璃色に輝くモルフォチョウ。

世界中のカブトムシやクワガタがこれでもかと並ぶ。
標本だけじゃなく、生きている海外のカブト、クワガタも。
ヘルクレス(ヘラクレス)オオツノカブト、コーカサスオオカブトなどがいた。

オーストラリアの木曜島にあった、高さ90センチの蟻塚「白蟻の塔」。
現地では古来、こういう蟻塚を壊して、シロアリを食べていたそうだ。
貴重なタンパク源だとか。

身近な昆虫コーナー。バッタ、カマキリ、ナナフシ、カミキリムシ、
コガネムシ、カブトムシ、クワガタ、タマムシ、ハチ、セミ、トンボ。
生きたナナフシやタガメもいた。

そしてさまざまなチョウ。
アゲハチョウ、タテハチョウ。
「森の妖精ゼフィルス」と称されるミドリシジミ。
モンシロチョウにモンキチョウ。

世界の珍虫・奇虫。
アフリカのでかいハナムグリ。ツノコガネやテナガコガネ。
ツバメガやサツマニシキなど、美しいのに蝶ではなく蛾に分類されてしまった種。
世界のセミ。
歩く宝石とよばれるオサムシ、そして美しく輝くタマムシ。

「隠れ展示」として、金色・銀色に輝くコガネムシの標本があった。
信長像、大仏に続いて、3ヶ所連続で黄金発見である。
(さっきのカブト・クワガタのコーナーに、オウゴンオニクワガタというのもいたが、
標本では白みがかっていて、あまりきれいに光ってなかった)

名和昆虫博物館

ギフチョウのコーナー。
この博物館を設立した名和靖は、1883年(明治16年)に今の下呂市で、
ギフチョウを発見した人物である。
岐阜県で発見されたからギフチョウと呼ばれる。
当初は、朝鮮半島などに棲息するヒメギフチョウと同種と思われていたが、
1889年、別種と認定された。

後にギフチョウは、山形から山口、和歌山までの範囲に棲息することがわかったが、
日本国内にしかいない。
ヒメギフチョウも日本にいるが、
なぜかギフチョウとヒメギフチョウの棲息域はほとんど重なっていない。
(その境界はルードルフィアラインと呼ばれている)

このコーナーには、ギフチョウとその仲間の標本はもちろん、
美しい自然の中でのギフチョウの写真も展示されていた。

2階はクイズコーナーになっていたが、ここにも数多くの標本が展示されている。
特に、モルフォチョウの壁や、「世界の美チョウ」のコーナーが素晴らしい。
木の葉や枝に擬態する昆虫も多く展示。

蓋つきの隠し展示も多く、ヨナグニサンやブルーヘルクレス、
20センチを超える大きなチョウもいるが、
一方で、隅っこにゴキブリの標本が隠されていたりもする。

1階に戻る。見過ごすところだったが、1階の3本の円柱は、
奈良の唐招提寺で使われていたヒノキの古材である。
シロアリの被害を受けて廃材となった。
シロアリ研究の材料として寄贈を受けたものだそうだ。

博物館を出た。
奥にある瀟洒(しょうしゃ)な洋館は
「記念昆虫館」。
かつて標本収蔵庫だった。
博物館より古い、
1907年(明治40年)の建物。
名和昆虫博物館、記念昆虫館はどちらも
建築家・武田五一の設計。

巨木の陰にひっそりと建つ「昆虫碑」。

黒く大きな蝶が、博物館の前を横切って飛んでいった。

名和昆虫博物館

殉職警察官消防員忠魂碑に一礼し、続いて向かったのは、

岐阜市歴史博物館。
到着したのが午後1時55分。
閉館時刻の5時までに、
展示を最後まで見られるだろうか?

常設展観覧料¥300。だが先週(7月17日)から、
5館共通入場券「うーたん手形」というものが発売されたそうだ。
正法寺、長良川うかいミュージアム、岐阜市歴史博物館、
加藤栄三・東一記念美術館、そして岐阜城の入場券がセット。
また、金華山ロープウェー、長良川温泉の日帰り入浴、
立礼茶席、岐阜バスの1日乗車券が割引になる。

これから回ろうと思っていた施設に全て入場できる上、
今日中に使い切らなくてもいいとのこと(来年1月11日まで有効)。
こちらを購入した。¥1,000。

岐阜市歴史博物館2階の展示を見る。まずは特集展示「鳥瞰図」から。
明治から昭和にかけての観光鳥瞰図(ちょうかんず)を展示。
岐阜は金華山があるから、鳥瞰図の構図の収まりがいい。

常設展は「ぎふ歴史物語」と題し、戦国時代を中心に、岐阜市の歴史を紹介。
まずは戦国時代より前の歴史。遺跡や古墳からの出土品。
白鳳時代に建てられた、厚見寺五重塔の10分の1模型。

「戦国ワンダーランド」へ。
岐阜はもともと土岐氏が治めていたが、
斎藤道三が土岐頼芸を追い出して実権を握った。

斎藤家は守護代だったが、「六角承禎条書」によると、
道三の父・長井新左衛門尉は京都の妙覚寺の僧侶で、
後に土岐氏の家臣・長井氏に仕えた(長井姓を名乗ったのはその後)。
「老人雑話」によると、油商人だったとされる。

従来、油商人だったのは道三自身だとされていたが、
六角承禎条書の発見により、道三の父親だった可能性が高くなったそうだ。

1555年(弘治元年)、道三は嫡男・義龍のクーデターで
本拠地の井口(いのくち)城を奪われ、翌年に義龍の軍勢との戦いで討たれる。
その義龍も1561年(永禄4年)に急死し、息子の龍興が跡を継いだ。

岐阜市歴史博物館

時刻は2時40分。「天下鳥瞰絵巻」の映像展示が始まった(20分おき)。
講談師(神田京子さん)と、武井夕庵(せきあん)という人物が、
岐阜入城後の織田信長について語る。

1567年(永禄10年)、織田信長は稲葉山城(井口城)を攻め、
斎藤竜興を美濃から追い出した。
夕庵は斎藤家の右筆で、信長の入城後は信長の右筆となった。

信長入城後、城と街の名前が「岐阜」と改められた。
(岐阜という言葉はそれまでも一部で使われていたが、
信長が積極的に使ったことで定着した)
また信長はこの頃から天下取りを意識するようになり、
天下を目指すという意味の「天下布武」の印を使うようになる。

岐阜城から城下町、さらに琵琶湖までを望む大きなジオラマで、
信長のその後の戦いの軌跡が示された。
浅井・朝倉連合軍に勝った姉川の戦い。比叡山焼き討ち。
武田勝頼に勝利した長篠の戦い。

「楽市立体絵巻」。
信長は、岐阜に入城した永禄10年、
戦災からの復興のため、
楽市楽座(既得権益を廃し、商人が自由に
市場で商売できる政策)を始める。
ここではその楽市場を復元。

美濃和紙の店がある。隣は魚屋で、鮎やウナギが並ぶ。当時の料理も再現。
2階建ての塩屋には、ルイス・フロイスが泊まっている。

建物は当時の技術で建てられている。
柱はカンナではなく手斧(ちょうな)で削ったため、うろこ状の模様がある。
もちろん壁は土壁。
市場にいる人々の人形は、方言でしゃべる。

「戦国立体図鑑」。信長の生涯の年表。閲覧可能な図書。
長篠の戦いを描いた屏風と、その地形を表した模型。
世界地図。鉄砲と、鉄砲の扱い方を記した秘伝書。

信長が岐阜を拠点としていたのは、1567年(永禄10年)からの9年間。
信長が安土へ移ってから、岐阜城は嫡男・信忠の居城となる。
本能寺の変で信長と信忠が討ち死にしてから、城主は目まぐるしく変わる。
関ヶ原の戦いの頃は、織田秀信(清須会議のときの三法師)が城主だったが、
西軍について敗れ、城も廃城となった。

美濃のやきものを展示するコーナー。織部焼、志野焼を展示。

岐阜市歴史博物館

近世以降の歴史。江戸時代、廃城となった岐阜城に代わって、
現在のJR岐阜駅の南に加納城が築かれ、奥平信昌が入城。加納藩の藩主となった。

害虫を追い払う「虫送り」の儀式で使われた、ワラの人形が展示されていた。

1882年(明治15年)、自由民権運動のため全国を回っていた板垣退助が、
演説を行なった際に襲撃されたが、その場所がまさに現在の岐阜公園だった。

1891年(明治24年)の濃尾地震で、岐阜は大きな被害を受ける。
さらに戦時中、岐阜市は空襲に見舞われた。市街地の8割が焼失したそうだ。
戦後、復興のため宝くじが発売された。
また、1949年(昭和24年)に岐阜競輪場が開設されたが、
競輪の収益も戦後復興に充てられた。

明治から昭和初期の写真を多数展示。
名和昆虫博物館の建物が、本当に昔からあったことがわかる。

最後は岐阜の伝統工芸。
岐阜は和紙作りが盛んで、
その和紙を材料として、和傘、提灯、団扇(うちわ)も作られた。

展示室の出口に、鵜飼を描いたステンドグラスと、
ダットサン12型ロードスター。

岐阜市歴史博物館

天下布武のピンバッジを買って、午後4時27分、歴史博物館を後にする。

さっきやんでた雨がまた降っていた。
公園の噴水も止まったまま。

近くに円空美術館があるが、
水曜・土曜・日曜のみ開館だった。

公園内に戻る。
板垣退助の像が建つ。
前述のように1882年(明治15年)、
板垣退助はこの場所で襲撃されている。

ここにあった中教院という建物で演説を終えた板垣退助が、玄関から出ようとしたときに、
相原尚ぶみ(ぶみは「耿」の下に「衣」)(読み方は「しょうけい」とも)
という男に胸を刺された。
このときに「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残したとされる。
幸いなことに、傷は命にかかわるようなものではなかった。

像の台座には吉田茂の碑文が刻まれている。

信長居館跡。
岐阜城は山城だったので、
来客を接待するときには山頂の天守ではなく、
ふもとのこの地に建っていた、
千畳敷と称される屋敷が使われた。

千畳敷下から、
最上段にある千畳敷へ至る通路の、
土塁や石垣などが発見されている。

隣がロープウェー乗り場だった。

居館跡の奥に、大正天皇御大典を記念して
1916年(大正5年)に建てられた三重塔がある。
設計したのは伊東忠太(代表作:橿原神宮や
平安神宮、靖国神社、築地本願寺など)。
だが現在、修復工事中で見られない。

信長時代の遺構の下にも、別の遺構が見つかっている。
斎藤氏時代のものとみられる。

千畳敷の屋敷跡は現在、
発掘調査が行なわれている。

ロープウェー乗り場でひと休み。
すぐ隣に、加藤栄三・東一記念美術館があった。午後5時を過ぎたので開いてない。

北の方へ歩くと、
お城の屋敷のような建物がある。
岐阜公園総合案内所だった。

この位置から金華山が見える。
雨がやみ、天守が見えるようになった。

総合案内所の外には門が建ち、
「若き日の織田信長」像が建つ。

馬に乗って矢を射る、荒々しい姿だ。

公園内に戻る。庭園の前の地面に、
「天下布武」の印と、信長の署名があった。

「山内一豊と千代 婚礼の地」碑。
ロープウェー乗り場から
階段を下りた所に位置する。

碑の下にある丸いオブジェは、千代が金10枚を隠していた鏡を表している。
千代が差し出したこのお金で一豊は名馬を買った。
馬揃えのとき、名馬にまたがる一豊の姿を主君・織田信長が気に入って、
それで一豊は加増されたといわれる。

公園を出た。いったんJR岐阜駅に戻ろう。
午後6時6分に来た、西鏡島行きのバスに乗る。
岐阜公園歴史博物館前は、バスの本数が多い。
しかも南へ行くバスは全て、名鉄とJRの岐阜駅を通る。


岐阜

午後6時23分、JR岐阜駅着(ゲーム路銀 ¥2,910-¥210=¥2,700)。
駅のロッカーから荷物を出して、ホテルにチェックイン。
7時過ぎ、晩ごはんを食べに再び外出。昼ごはんを食べていなかったのでお腹が空いた。

外は薄暗くなっていた。
黄金の信長像前に噴水が上がる。
青くライトアップされている。

ここから再びバスに乗ろう。高富行き。午後7時25分発だが3分遅れ。
7時34分、柳ケ瀬で降りた。(ゲーム路銀 ¥2,700-¥210=¥2,490


柳ケ瀬

アーケード商店街「フローレンス柳ケ瀬」。
アーチの下にギリシャ彫刻のような像が並ぶ。
入ってすぐ右の、豊富座という芝居小屋が、
お化け屋敷になっていた。
(芝居小屋は別のビルの中に移転したらしい)

柳ケ瀬といえば、
ゆるキャラの「やなな」が
全国的に知られていた。
頭に段ボールをかぶっただけという
インパクトのある見た目。

残念ながら2013年に引退したが、
商店街には今でも
このような大きな垂れ幕が掛かり、
やななの人気の高さを示している。

路面に「柳ヶ瀬ブルース」の歌詞が
埋め込まれている。
やななの登場よりはるか前、
柳ケ瀬の名前を全国区にしたのが
この曲だった。
1966年に発売された、
美川憲一さんの大ヒット曲だ。

閉まっている店が多いのが残念(遅い時間に来たからかもしれないけど)。
昔はこういう商店街に、ゲーセンが何店舗もあったんだろう。

1本南の道へ移る。
高島屋のレストランで夕食をとろう。
正面の入口は閉まってたけど、
レストラン街には午後9時半まで
営業している店があるので、
別の入口から入ることができた。

岐阜に来たからには鮎を食べたい。
和食屋さんに鮎の塩焼きがあるので入ってみた。
焼くのに30分くらいかかるそうで、
遅い時間に注文してすみませんと思いつつ、窓からの景色を見ながら待つ。
近くに高い建物がないので、かなりの範囲を見渡せる。
JR岐阜駅前の高層ビルも、少しだけ見えた。

鮎の塩焼きも、一緒に注文した天ぷら定食もうまかった。

さて、この高島屋のすぐそばに
ゲーセンがある。
「ゲームプラザ FUN CITY」は閉まっていたが、

「GAMEアクセス柳ヶ瀬」は元気に営業中。
3階建ての大きな店だ。

1階はプライズ中心。ほかにはエアホッケーや、パックマンバトルロイヤル、
太鼓の達人、タイムクライシス5、リズム天国、ワニワニパニック2、
パンチングマシンのソニックブラストヒーローズダッシュなど。プリクラもある。
2階はメダル。

3階は音ゲー、通信、麻雀、対戦格闘。対戦格闘は鉄拳7、ストリートファイターIV、
バーチャファイター5ファイナルショーダウン、ブレイブルー、ギルティギアXX ΛCORE。
ほかにサイバーダイバー、NESiCA筐体、メタルスラッグ6、ラブプラスアーケード、
脱衣麻雀の麻雀ホットギミックインテグラル。戦場の絆もある。

面数を稼げるゲームがいくつかあるので、もっと早い時間に来れば良かったと思う。
まずバーチャファイター5をやってみた(2プレイ¥100)。
サラでプレイして、7面クリア、9面クリア。

1階に下りて、リズム天国もプレイした。レベル1を6面クリアして終了。
ゲーム路銀 ¥2,490-¥200+¥1,400=¥3,690


徹明町(てつめいちょう)

徹明町バス停に来た。かつて路面電車の駅があった所だ。
明日はここから旅を再開しよう。
午後9時55分に来た、下川手(岐南営業所)行きのバスに乗って、JR岐阜駅へ戻った。
10時1分着。

現在のゲーム路銀
¥3,690

今回のルート






一宮市観光協会  愛知県観光ガイド
岐阜観光コンベンション協会(岐阜市)  岐阜県観光連盟
JR東海  名古屋鉄道  樽見鉄道  養老鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 205.岐阜編(2)」では、
いよいよ岐阜城と鵜飼を見る。
「日本縦断ゲーセン紀行 203.尾北編(12)」に戻る


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