ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
217.城下町まるごとテーマパーク
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2018年5月14日。8時起床予定だったが、7時半には目が覚めていた。 睡眠時間は5時間。昨日眠かったのに昼寝もできなかったので、 この睡眠時間で、もつかどうかちょっと不安。 ホテルで朝食をとり、チェックアウト。よく晴れて、今のところは過ごしやすい。 9時59分発の普通・加古川行きに乗り、スタート地点の彦根を目指す。 電車は221系だった。珍しい。今までずっと223系だった。
今日泊まるホテルに荷物を預け、観光案内所でパンフをもらう。
さあ、鉄道唱歌にもうたわれている、国宝・彦根城へいざ行かん。 もっとも、鉄道唱歌の歌詞には「彦根に立てる井伊の城」としか触れられておらず、 その次は「草津にひさぐ姥が餅」と、かなり遠くの草津まですっ飛ばされている。 その後、「かはる名所も名物も 旅の徒然(とぜん)のうさはらし」と続く。
石材屋さんの仁王像と不動明王像が目立つ。
彦根城は休日混むだろうと思って、月曜日に来たのだが、 今回行くスポットについて、事前にネットであんなに調べたのに、 埋木舎に定休日があることに気づかなかった。
彦根市内の稲部遺跡から出土した土器の前を通って、 企画展「佐和山御普請、彦根御城廻御修復……発掘・解体調査からみえてきたもの」へ。 佐和山城・彦根城の発掘調査について解説。 彦根城と城下町の大きな立体模型があった。 かつての天守の鯱もあった。1704年(宝永元年)のものとみられるらしい。 開国記念館という名前とは異なり、 むしろ彦根城そのものを知ることができる資料館だった。 彦根城 彦根城・玄宮園・彦根城博物館のセット入場券を購入(¥1,200)。
後ろから、フランス語を話す団体さんが来た。 彦根城には海外からも多くのお客さんが訪れているようだ。 橋を渡る。ここから先が有料エリア。
入口で靴を脱いでスリッパに履き替える。 彦根駅で写真を見た彦根屏風の複製が、ここに展示されていた。 まず企画展「華麗なる能の装い……女神と鬼神」。 井伊家に伝わる能面や能装束を展示。「竹生島」の鬼神など。 常設展はまず武具から。国友の鉄砲。 「井伊の赤備え」の甲冑。8代藩主・井伊直定のものと、藩士のもの。 かぶとの天衝(てんつき)が目立つが、藩主のものは横から生える脇立(わきだて)で、 家臣のものは前立という区別があった。 井桁紋が大きく描かれた旗印(大坂夏の陣で使われたものと伝わる)。 12代藩主・井伊直亮の豪華な拵(こしらえ)。 刀が数振。井伊直弼(13代藩主)のものもある。 馬具。14代・井伊直憲が、禁門の変における活躍で禁裏から拝領した。 能面、能装束、茶器。茶器は直弼のもの。 直弼は若い頃から、茶人として知られていたそうだ。 もし藩主になっていなかったら、こちらの世界で名を成していたかもしれない。 「一期一会」は、直弼が著した「茶湯一会集」の冒頭の語。 草稿が展示されているが、この段階ではまだ「一期一会」の語はなかったらしい。 中庭が能舞台になっていた。ここだけ昔の建物で、1800年(寛政12年)に建てられた。 明治以降、別の場所に移されていたが、この博物館を建てる際、元の場所に戻された。 彦根城博物館 湖東焼の器の展示に続いて、 藩主の住まい(奥向)を復元した「木造棟」。
この博物館は昭和末期に建てられたと聞いていたので、 こういう場所があるとは思わなかった。 しかもかなり広い範囲が再現されている。 落ち着いた雰囲気の空間だった。 井伊家伝来の品々の展示に戻る。 雅楽の楽器や、琵琶、箏(こと)、鼓。12代・井伊直亮が楽器コレクターだったらしい。 お歯黒をつける筆や、橘紋入りの鏡。硯(すずり)。 源氏物語を描いた源氏絵は、障子や襖の絵の部分に、 実際の木材や金属が使われていて、浮き彫りのよう。 掛け軸や屏風。狩野永岳の鍾馗(しょうき)図も。 古文書。10代藩主・井伊直幸(なおひで)に関する書が、まとまって展示されている。 直幸は、当主の早世が続いて家格が落ちていた井伊家の復興を目指し、 4代・直興以来の大老となった。 直幸の嫡男・直富に、田沼意次から送られた奉書。 直幸が大老職任命をありがたいと感じていることを、将軍に伝えたという内容。 そして、後桜町天皇が直幸を正四位上に叙任したときの口宣案(くぜんあん)と、 朝廷から出された位記。 井伊直弼が居合の研究をしていたことに関連して、 居合の師・河西精八郎充信に出した手紙。 直弼考案の「三秘伝之巻」が記されている居合の秘伝書。 そして直弼が創始した新流派「神心流」について記された書。 彦根城博物館 博物館を出て、彦根城天守へ向かって歩く。まず上り階段。
天秤櫓は、長浜城大手門の移築と伝わる。 左右対称なので天秤櫓という名前なのだが、よく見ると左右の隅櫓の向きなど違いがある。 手前の廊下橋は、何かあったときに落とせるようになっているという。 もっとも、かつてこの橋は壁も屋根もある、今よりごつい橋だったらしい。
(ただし、彦根城のパンフレットを見ると、左は落とし積みだが、 右は「築城当時の打込みハギ積み」と書かれていた) やぐらの中に入ることができた。橋側と天守側で壁の厚みが違う。
時の鐘となる「時報鐘」を見て、太鼓門をくぐる。
彦根城は1604年(慶長9年)から、約20年かけて築城された。 天守の完成は1607年(慶長12年)頃。 関ケ原の戦いでの功績により、佐和山城を与えられた井伊直政は、 居城をより湖岸に近い場所に移そうと考えていたが、実行する前に死去してしまう。 跡を継いだ直継が、移転先をこの彦根山に決めて築城した。
彦根城 中に入りたいのだが、現在午後1時20分。 1時30分から、博物館のあたりに、ひこにゃんが現れるらしいので、 いったん戻る。 (※現在は登場する時間と場所が、一部変更になっているらしいです) もしひこにゃんが博物館の中に出て、中に入れなかったらどうしようとか、 ひこにゃんを見終わった後、お城に再入場できなかったらどうしようとか 不安だったが、大丈夫だった。
ひこにゃんは速く歩けないらしく、 人々が待つ所まで、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
ひこにゃんの登場以降、「ゆるキャラ」という言葉の定義が変わったが、 (もとは「素人が作ったようなキャラ」という意味だった) こういう動きは、もともとの「ゆるキャラ」の意味に近い感じがする。 またこの動きが、ひこにゃんのかわいさをより増している。
スタッフの方からアナウンス。 「あとこういうパフォーマンスが、10分20分続きます」 大きな動きはしなくても、何かポーズをとると、何だか笑えてしまう。 人々みんなを笑顔にする。不思議なひこにゃん。
タンバリンのトレモロがうまくないひこにゃん。 結局、大したパフォーマンスもしないのに、30分まるまる楽しく見てしまった。 むしろ大したパフォーマンスをしないのがいい。 大抵のパフォーマンスは、普通の人ができないことをするものだけど、 ひこにゃんは何をやってもうまくできない。 なのに面白い。 しかも、失敗によって流れにドラマ性や変化を持たせる、という類でもない。 大きな失敗もなく、ただ淡々とパフォーマンスが進んでいく。 なのに楽しい。 パフォーマンスとかエンターテインメントとかのセオリーを、 根底から覆される衝撃すらあった。 ひこにゃん公式サイト ……さて、再入場して、天守までまた頑張って上ることにする。 今日は日陰に入れば涼しいから、まだ何とかなる。
頭上の梁の曲がりくねり方が凄い。 壁に矢狭間(やざま)や鉄砲狭間。 外から見ると優美だが、こういう戦いのための設備もちゃんとある。 1階は中央に部屋が2間で、周りに武者走。 階段は急。しかも狭い。さすが現存天守。 手すりがついているから、まだ何とか上がれる。 最上階。壁の中に隠し小部屋があり、隠狭間がある。 最上階にしては飾り気もないし広くもないが、景色が素晴らしい。
下り階段は、上りよりさらにきつかった。 上から見ると、まるで落とし穴。深淵をのぞき込むよう。 深淵もまたこちらをうんたらかんたら。 しかし、スカートを履いて来てる女性が多いことに驚く。 現存天守の階段は、どこもこのくらい急だけど、 彦根城は特に観光地として人気があるから、そのことを知らない人も多く訪れるんだろう。 平日でこれだから、休日はどうなるんだろう? 彦根城天守は、外観の優美さとは対照的に、中は質素で、 戦いの設備も充実しており、完全に防御のための施設だった。 彦根城 おみやげ屋で、彦根城キティちゃんストラップを購入。 スマホが普及したからか、以前に比べて、 こういうお店にストラップが少なくなってきた気がする。 着見台(つきみだい)から琵琶湖を眺めていたら、鐘がゴーンと鳴った。午後3時だった。 時報鐘は今でも鳴らしているのか。
デイリーポータルZ「地元の人頼りの旅in滋賀県」
堀に沿って南へ。 裁判所に、武家屋敷風の門がある。
彦根東高はその次の花巻東高との試合で、増居投手が9回まで無安打無失点に抑えるも、 0対0で延長戦に入って、10回にサヨナラ負けを喫した。 この場合、記録上はノーヒットノーランにならない。試合の勝敗も含めて惜しかった。
さっきの馬屋に戻ってきた。さらにお堀端を東へ進む。 大手門からではなく、素直にさっき来た入口から出れば早かったのに、 なんか随分遠回りしてる。
かたわらに、井伊文子(ふみこ)氏が詠んだ歌碑。開国を決断したことを称えている。 「一身に 責負いまして 立ちましし 大老ありてこそ 開港はなりぬ」 井伊文子氏は、井伊家の当主で彦根市長を務めた井伊直愛(なおよし)氏の妻で、 琉球王国最後の国王・尚泰王の曾孫。 遠城謙道(おんじょう・けんどう)を称える碑もあった。 彦根藩の武士だったが、直弼の死後、東京・世田谷の豪徳寺に移って墓守となり、 直弼の慰霊と名誉回復活動を終生続けた。 私は世田谷区に住んでいて、豪徳寺は家から比較的近いので、 遠い彦根の地で豪徳寺の名前が出てくると、何だか親近感を感じる。 玄宮園(げんきゅうえん)と楽々園(らくらくえん)へ。 彦根藩の下屋敷で、1679年(延宝7年)、4代藩主・井伊直興により造営された。 現在は下屋敷の庭園部分を「玄宮園」、建物部分を「楽々園」と呼んでいる。
(近江八景は、琵琶湖の名勝を瀟湘八景になぞらえて選んだもの。 横浜の金沢八景も、瀟湘八景がもとになっている)
「御書院」は1813年(文化10年)、11代藩主・井伊直中が隠居する際に建てられた。 井伊直弼はここで生まれている。
奥の方に一部分だけ見えるのが「楽々の間」。楽々園という名前の由来になった。 12代藩主・井伊直亮が建てたもので、 眺望を得るため、懸造でやや高い位置に造られている。 これらの建物の奥にも庭があるみたいだが、現在修復工事中らしい。 彦根城 以上、彦根城をあちこち回ったら、現在午後4時16分。 いろいろあって、たっぷり楽しめた。 三たび馬屋まで戻る。 続いては、城下町の風景を再現した「夢京橋キャッスルロード」を目指そう。 佐和口多聞櫓から城外へ。学生さんが多い。 彦根東高校の学生さんの下校時間と重なったようだ。 ノーヒットノーラン惜しかった。 いろは松のあたりで地図を見て、道を間違ってたことに気づいて、引き返す。 キャッスルロードはこっちじゃなくて、彦根東高校のさらに向こうだった。 学生さんの波に逆らって進み、四たび馬屋の前へ。 彦根東高校の前を通過。さっきは気づかなかったが、 甲子園出場記念碑が3基建っていた。
佐和口多聞櫓もそうだが、道が狭い上、石垣があって見通しが悪いので、 通る車はもっとスピードを落としてほしい。
ここから、彦根の商店街をいくつか巡りたいが、時刻は午後4時40分。 果たしてどこまで行けるだろうか?
入ってみて驚いた。 コーエーの「戦国無双」とタイアップしてるのだ。 小島文美氏の原画も展示されている。(「戦国無双3プレミアムBOX」への描き起こし)
基本的には、石田三成を中心に、西軍諸将について解説されている。 頂いたパンフレットの内容が充実していた。 夢京橋あかり館(まちなか博物館) 企画展示「MITSUNARI 11」 (※7月末にリニューアルされるそうです。「戦国無双」とのコラボは継続) 夢京橋キャッスルロードをなお先へ進む。観光客向けのお店が並ぶ。
……あ、ここが、瑞岳寺(佐和山遊園の金閣寺じゃない、本物の方)にあった、 石田三成の仏像を受け継いだお寺か。 てっきり、もっと郊外にあるものと思っていた。 午後5時を過ぎていたけど、門がまだ閉まってないので参拝。 説明板によれば、三成の仏像以外にも、大坂城にあった淀殿の阿弥陀像もあるとか。 木村重成の首塚もあるらしい。大坂夏の陣で井伊家の軍勢と戦って戦死した武将で、 井伊家家臣の安藤重勝が、自らの菩提寺であるここに持ち帰って葬ったそうだ。 またこのお寺は、朝鮮通信使の宿泊所でもあった。 それにしても、事前にかなり調べたつもりだったが、 彦根は歩けば歩くほど、新たな発見のある街である。 夢京橋キャッスルロード 夢京橋キャッスルロードから、四番町スクエアに入る。
喫茶店やおみやげ屋、食べ物屋だけじゃなくて、八百屋に魚屋、花屋、保育園、 果ては普通の民家まで、同じカラーリングになってるのが凄い。
(※ 後で調べたところ、やはり「せんとくん」をデザインされた、 籔内佐斗司氏の作品でした)
まず2階のキャラクターワールドというお店へ。 滋賀県のいろんなキャラクターグッズが並んでいる。 もちろん、ひこにゃんグッズが多数あったけど、私は前回買ったので、 ここでは飛び出し坊や「とび太くん」ストラップを購入。 お店の前に、彦根に伝わるボードゲーム「カロム」のボードがあった。
レストランへ。近江牛のメニューがいろいろある中から、近江牛カレーをチョイス。 カレーの味が勝つかと思ったけど、牛肉の風味もしっかり伝わる。 もちろん、肉の柔らかい食感もいい。 四番町スクエア
ちょうどパンツが不足してたのでここで買う。 一応ゲームコーナーも探してみたが、普通のスーパーなのでさすがになかった。 彦根商店街連盟
さらに進んで、花しょうぶ通りへ向かう予定だったが、 もうこんな時間なので、続きは明日にしよう。 駅に向かって歩く。グリーン通り。 なぜか建物が黄色に統一されてるのが面白いが、暗くて写真は撮れない。 午後7時38分、彦根駅着。コンビニで何かつまむものを買って、ホテルにチェックイン。 歩いてるときは何ともなかったけど、9時頃から眠くなって1時間くらい寝た。 ¥1,370 今回のルート
彦根観光協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県) JRおでかけネット(JR西日本) JR東海 近江鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 218.滋賀編(9)」では、 久しぶりにゲーセンへと向かう。 「日本縦断ゲーセン紀行 滋賀編(番外編)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る 「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る |
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