ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
番外編 雨に煙る神の島
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2018年5月12日。新横浜駅午後5時52分発ひかり523号に乗車。 昨日まではやや寒いくらいだったのに、今日いきなり暑い。 新横浜に来た時点で若干疲れてる。 車内でシウマイ御弁当を食べた後、静岡から名古屋まで寝てた。 午後7時44分、米原駅着。8時4分の敦賀行きに乗り換え、8時13分長浜駅着。 コンビニでトルティーヤを買い、広いけど暗い道を歩いてホテルにチェックイン。 自分の近況だが、 1月から作り始めた実写脱出ゲーム(第212日目参照)が、だいぶ形になってきて、 近々スタジオ撮影をやろうと思っていた。 それが終わって月末くらいにゲーセン紀行に出ようと考えていたのだが、 仕事の都合で月末が忙しくなりそうで、 社長の勧めもあって、旅の時期と撮影の時期を急きょ入れ替えることになった。 月末に果たしてスタジオ撮影の日が確保できるかどうかが気がかり。
5月13日。7時半起床の予定だったが、30分くらい前に目が覚めた。 睡眠時間は正味4時間半くらい。 スマホの機種変をしてから初めての旅だったが、設定ミスでアラームが鳴らず。 ホテルで朝食をとる。チェックアウトして、荷物を預ける。 雨が降っていて少し寒い。 今日は番外編として、長浜で前回行けていなかった竹生島(ちくぶしま)を訪れ、 その後は近江鉄道に乗って、多賀大社を参拝する予定。 しかし、ホテルのフロントで聞いたところによると、 竹生島行きの船が出るかどうか、天候調査中だという。 ロビーで数分待っていると連絡が入り、出航はするとのこと。 ただし現地の天候が悪く、接岸できないかもしれないとか。 とりあえず、宿泊者向け割引料金(¥2,700)で、往復のチケットを購入。
待合室には数十人いたが、船に乗ってみると中は案外広く、 2階席もあったので、余裕で座れた。 写真は撮ってないが、窓から長浜びわこ大仏の背中がよく見える。
天気が悪いこともあって、前方に陸地はほとんど見えない。 大海原を行くようだ。 湖面に、漁のための細い竹が刺さっているのが見える。 船内放送によると、魚へんに入と書いて「えり」というらしい。 竹を矢印のように並べて、魚を誘導して捕らえるという。 船内に、「琵琶湖周航の歌」がワンコーラスだけ流れた。 竹生島の解説映像が流れている間に、前方に島影が見えてきた。 操舵室が2階にあるので、ロマンスカーやパノラマカーと同じで、 1階に下りると進行方向がよく見える。 正面に竹生島の全景が見えた。どんどん近づいてくる。 しかし、島の桟橋に着船制限がかかっているそうで、 前の船が島を出るまで少々待つことに。 船が再び動き出すと、それまで青くぼうっとしていた島が、 急に緑の島に変わり、建物がはっきり見えるようになった。
竹生島は、昔から信仰の対象だったらしい。 島内の宝厳寺(ほうごんじ)は724年(神亀元年)、 聖武天皇の勅命により、行基が開山したと伝わる。本尊は弁才天。 また、島内には都久夫須麻(竹生島)神社もある。 能の「竹生島」や、平家物語の「竹生嶋詣」でも、 竹生島は神秘的な力を持つ島として描かれている。 東京・上野の不忍池(しのばずのいけ)にある、弁天堂の建つ島は、 徳川家康のブレーンだった天海が、この竹生島に倣って造った。 アーケードのある、おみやげ物屋の前を通り、 拝観券(¥400)を買って、いよいよ宝厳寺へ。
石段は165段あるらしい。1段1段の蹴上が高い。雨水が溜まっている。 急ぐとさらにきついのはわかっているが、 船が出る12時5分までに戻らなければという思いがあるので焦る。 上陸時点で既に7分タイムロスしているのだ。
弁天様にお参り。 御本尊は秘仏だが、左右の隅に鎮座する弁天様の像も相当歴史がある。 御本尊の弁才天は、江ノ島・厳島と並ぶ日本三弁才天の1つとされる。 竹生島の弁才天が最も古いため、特別に「大弁才天」と称する。
三重塔の手前に写っている木は、1603年、豊臣秀頼の命を受けた片桐且元が、 宝厳寺に唐門・観音堂・舟廊下を移築した際に植えたモチの木。 三重塔の奥にある宝物殿へ(入館料¥300)。 平安時代の不動明王像や、同じく平安時代の毛抜型太刀(重要文化財)、 数多くの仏像や書状、美術品などの貴重な宝物が並ぶが、 何しろ時間が気になる。 急な石段を下りる。この先に、国宝の唐門と、重文の観音堂が建つはずだが……、
確かに宝厳寺のサイトには、 「国宝宝厳寺唐門ほか3棟保存修理事業」について書かれていたが、 最後の更新が2年も前で、今こんな状態だとはわからなかった。 まあ古い建造物なので、たまに補修工事が必要になるのは仕方ない。 唐門から先は、豊臣秀頼と片桐且元が宝厳寺を再建したときの建物。 唐門はもともと、豊臣時代の大坂城の一部と伝わっている。 大坂城の極楽橋の一部で、後に京都の豊国廟に移築された。 観音堂には千手観世音菩薩が納められている。 西国三十三ヶ所観音巡りの第三十番札所。
舟廊下を通ると、都久夫須麻神社の本殿の真ん前。 急にまた雨が激しくなり、雨漏りでノートが濡れてメモが書けない。
御祭神は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、宇賀福神、 浅井比売命(あざいひめのみこと)、龍神。 神社のサイトでは、市杵島比売命の別名を「弁財天」としている。 浅井比売命は、浅井岳(現在の金糞岳)の神。 浅井岳と伊吹山が高さを競い、負けた伊吹山が怒って浅井岳の首を斬り、 その首が琵琶湖に落ちて竹生島になったという言い伝えがある。
私はかわらけを投げることなく、ただ景色を眺めていたが、 船がだんだん近づいてくるのが見えた。 12時5分にはまだ早い。乗る予定の船ではないようだ。 井伊の赤備えカラーの船だった。
道の途中に、黒龍堂という小さなほこら。雨を降らす黒龍大神・黒龍姫大神をまつる。 そういえば龍神は水の神様だった。
竹生島 宝厳寺 竹生島神社(都久夫須麻神社) 島に来たときと同じ船に乗り、12時5分、島を後にする。 来たときよりさらに視界が悪い。
長浜や滋賀県の観光情報、名産品情報などが、音声や映像で流れる。 続いて、「琵琶湖哀歌」がワンコーラス流れた。 1941年(昭和16年)に起きたボート事故で亡くなった人々を悼む歌だそうだ。 左に長浜城やホテルなどの建物群が見えてきた。 12時37分、長浜港着。天気は悪かったけど楽しめた。 豊臣秀頼の時代からある建物は、こういう激しい雨に何千回打たれてきたんだろうか。
ホテルに戻り、カフェでケーキを食べ、紅茶を飲んで休憩。 ここカフェ・ヴェローナの紅茶は、以前訪れたカフェ・ロンドンと同じく、 熊崎俊太郎氏がプロデュースされたもの。
長浜市とヴェローナ市は姉妹都市になっている。ともにキヤノンと縁が深いらしい。 くつろいだ。さて、長浜駅に戻ろう。 この時間、送迎バスはないので、大雨の中、頑張って歩く。 脳内に、「はじめてのおつかい」の「ドレミファだいじょーぶ」が流れる。
米原方面に向かおうとしたが、1時29分発の電車が出たばかりだった。 次は2時4分の姫路行きまでない! 待合室でツイッターを見ながらしばし待つ。 10分前にホームに下りたら、223系がもう止まってた。 2時4分長浜駅発、17分米原駅着。ここで降りた。
ホテルで荷物を預かってもらう。(このために今日は米原泊にした) この後は、近江鉄道に乗って、多賀大社前へ行こうと思う。 次の電車は3時19分発。少し時間があるので、 近江鉄道改札横の、イートインスペースがあるおみやげ屋で、 アイスカフェオレを飲んで待つ。 ラジオの音楽番組が流れている。 こんなにゆったりした時間を過ごすのって久しぶり。外は土砂降りだけど。
1日乗車券(¥880)を買ってホームへ。
その次の鳥居本(とりいもと)の駅舎は、小さくて古いが瀟洒な駅舎……のはずだが、 あまりよく見えなかった。 佐和山をトンネルで抜けて、彦根駅。ここに車庫がある。 高宮で乗り換え。扇形のホーム。鶴見線の浅野駅に似てる。
家々の入口の上に、「笑門」と書かれた絵馬。 面白そうな店はいくつかあるが、観光客向けの商店街といった雰囲気ではない。
村山たか(井伊直弼に仕えた女性。「花の生涯」でヒロインとして描かれる)が、 幼少期を過ごしたとされる場所も。
多賀大社は非常に歴史ある神社で、927年の「延喜式神名帳」に記載されている。 「古事記」に記録があるという説もある。 御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)。 多賀大社では延命長寿・縁結びの神様として、古くから信仰されている。
ここの太鼓橋は、「太閤橋」と呼ばれている。 豊臣秀吉が1588年(天正16年)、母親(大政所)の延命を願い、 それが叶ったことで御礼として社殿改修などを行なった。 太閤橋もこのときに築造されたと伝わる。 (現在の橋は1638年(寛永15年)に再建されたものらしい)
この絵馬の形は、「お多賀杓子」の伝説に由来する。 奈良時代、元正天皇が病気になった際に、 多賀大社の神主が強飯(こわめし)と、シデの木で作った杓子(しゃくし)を献上したら、 天皇は回復したという。 「おたまじゃくし」(おたま)の名前は、お多賀杓子から来ているらしい。
長寿のお守り(莚寿守)と、縁結びのお守りをお受けする。
源平の戦いの中で1180年(治承4年)、東大寺が焼き討ちに遭って焼失してしまう。 翌年、その再建を託された重源(ちょうげん)は、その時点で既に61歳だった。 重源は東大寺再建の成功を祈って伊勢神宮に参拝したが、 夢の中に天照大神が現れ、多賀大社に参拝するよう告げられる。 重源がお告げ通り多賀大社に参拝すると、柏の葉が1枚落ちてきた。 その虫食いの形が、「莚」(むしろ)という字のような形だった。 「莚」は「廿」と「延」に分けられるから、 これは寿命が20年延びるということに違いない、と重源は喜んだ。 22年後、東大寺の再建は成り、83歳の重源は無事に総供養を行なった。 先ほどの「莚寿守」はこの話に由来する。 重源は総供養の3年後、御礼参りのため再び当地を訪れ、 寿命石に腰掛けると、そのまま眠るように亡くなったという伝説がある。 ただし、寿命石の横に立っている案内板には、 「上人がその霊験をいただいた際のゆかりの石」とのみ書かれていた。 滋賀県観光協会のサイトでは、「重源が背負っていた笈を下ろした石」とされている。 蔵とか鐘楼とか絵馬殿とかを見る。
多賀大社 帰り際、参道の石の上でのたうつミミズを、土の所まで運ぼうとするが、うまくいかず。 神社のかたに報告して立ち去る。 駅に戻る。来るときには気づかなかったが、小さな地蔵堂があった。 午後5時26分、多賀大社前駅着。 全く気づかなかったが、時刻表を見ると、まさに今電車が出たばかり。 ミミズにかまってなければ乗れたはず。 南彦根駅行きのバスが止まっているが、 幸い次の電車は1時間後ではなく、6時3分なのでそれまで待つ。
6時3分の電車は、さっき高宮からここまで来たのと同じ車両だった。 今度は彦根まで直通。 6時19分、彦根駅着。 ……で、米原行きが7時までない。 JRに乗り換えよう。近江鉄道の1日乗車券を持っているけど仕方がない。 6時32分発の普通・米原行きに乗り、38分着。 あらためてホテルにチェックイン。 多賀大社前駅で待ってる間から眠かったので、1時間ほど寝ようとしたけど、 「鉄腕DASH」が気になって、全部見てしまったので全く寝られず。 夕食は、少し遠いけどコンビニまで行って買う。雨はやんでいた。 今回のルート
長浜観光協会 彦根観光協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県) JRおでかけネット(JR西日本) JR東海 近江鉄道 琵琶湖汽船 オーミマリン 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 217.滋賀編(8)」では、 いよいよ国宝・彦根城へ登城。 「日本縦断ゲーセン紀行 216.滋賀編(7)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る 「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る |
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