ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

219.信長になってみたいけど
〜滋賀編(10)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,360




近江八幡

2018年5月16日。8時起床。睡眠5時間。
昨日もそうだったが、寝て2時間くらいで小用で目が覚める。
普段滅多にそういうことないのに。
ホテルで朝食。昨晩からお腹の調子が今一つなので軽めに。

9時52分発の普通・米原行きに乗ろう。
昨日から何度も聞いている、列車接近メロディーの、
ピンポンパンポンピンポンパンポンピンポンパンポロンを今日も聞く。
223系12両編成に乗り、9時55分、次の安土駅で下車。今日はここからスタート。


安土

安土。
あちち。
日差しが暑い。
昨日日焼けしたところにしみる。

早速、安土城跡を目指そう。
徒歩だと遠いが、駅前に並ぶレンタサイクル店で自転車が借りられる。

で、ゲーセン紀行としては、ここからしばらく番外編にしたい。
5時間¥1,000なので、これをゲーム路銀から引くと、この先が厳しい。
安土城のあたりにゲーセンやゲームコーナーがあるとは思えないし。

レンタサイクル屋さんで地図をもらった。
自転車に乗るのが相当久しぶりなので、ゆっくりゆっくり走る。
細い道を北上し、神社の鳥居の前で右折。

しばらく進んでから、道を間違えたことに気づく。
鳥居をくぐって、突き当たりの神社の前で右折するのが正解だった。
それでも自転車だと、風を切って走るので、涼しくて気持ちいい。

20分後、いきなり山に突き当たる。
石段があるからここが安土城址の入口かと思ったが、何か雰囲気が違う。
現在使われていない方の入口だった。
城があった当時は、こちらの方が通常使われる入口だったらしい。

右に少し進む。
石垣のある山裾を巡り、

入口に到着。
斜面のかなり高い所まで石垣が積まれ、
もうこの時点で壮観。

山裾の「城なび館」(入館料¥200)で、安土城の上2層の、1/7模型を見る。
あと、トイレを借りる。安土城跡に入ってしまうとトイレはない。

いざ安土城へ(入場料¥700)。
1579年(天正7年)に完成した、織田信長の最後の居城。
信長と豊臣秀吉の全盛期が「安土桃山時代」と呼ばれるほど、
この時代を象徴する城である(ちなみに「桃山」は秀吉の伏見城を指す)。

落成当時は、全体を石垣で覆った巨大な要塞であり、
五層七階、高さ33メートルの壮大な天主がそびえ立っていた。

しかし、完成からわずか3年後の1582年(天正10年)、
本能寺の変が起こり、信長は死亡。
その後まもなく、原因は不明だが安土城の天主や本丸などは焼失。
最終的に、豊臣秀次の八幡山城に機能を移す形で廃城となった。

大手道。
広くて真っ直ぐだけど、蹴上の高い石段。
405段あるらしい。

城にしては、これでも通りやすい道。こんな広くて真っ直ぐな道はほかの城にない。
天皇のための道という説が有力だが、勾配があるので歩くのは辛い。

大手道を上り始めてすぐ、右に前田利家、左に羽柴秀吉の屋敷跡。
若い頃からのお友達が、ここでもお向かいさんだったのか。

秀吉屋敷跡の石垣が高い。
この上に家があったそうだ。

大手道の左右に水路があることに気づく。
疲れて立ち止まってたら、大きな蜂が近づいてきたので逃げる。

秀吉の屋敷の礎石も見られる。

石段のそこかしこに、
石仏が埋め込まれている。

武井夕庵(せきあん)邸跡まで上がってくると、相当きつい。
小さなトカゲが歩いているのを見て和む。
武井夕庵は信長の右筆だった人物。
岐阜市歴史博物館の解説映像では、語り手がこの武井夕庵という設定だった。

織田信忠邸跡から森に入る。

やっと階段終わったかと思ったが、まだ続く。

二の丸跡に建つ、信長公本廟に参拝。
秀吉がここに建てたと言われている。

この広い空間が本丸跡。
本丸ではあるが、
主に天皇を迎える建物として使われたらしい。
構造が京都御所の清涼殿(天皇の住居)と
似たつくりになっていたという。

そしてその奥の石段を、
もうひと踏ん張りして上がると、

ようやく天主(天守)跡に到着。
ここにあの壮麗な天主が、
と思う前にまず疲れた。

織田信長はここに住んでたんだから元気だったよな。
しかも、ここからさらに天主の中の階段を上がってったわけだからな。

今自分がいる、この空間は地下1階部分で、地上の広さはこの2倍半あったらしい。
道理で、七層天主の割には狭いと思った。

礎石がでかい。

安土城の天主は、安土桃山時代以降の本格的な城の天守の元祖とされている。
後世の城では、天守は象徴的な建物であることが多く、
城主が中で寝泊まりすることはまずなくなったが、
安土城では信長が天主の中で生活していたそうだ。

地上部分に上がるとさすがの眺め、
なのだが……、

大きな蜂が飛んでいて、これ以上先へ進めない。
その先にも人がいるので、全く進めないわけでもないだろうけど、怖い。

壮麗な安土城も自然に還る。
平成年間に発掘調査が行われたから、まだ城の縄張りがある程度復元されているけど、
それまではもっと自然と同化していただろう。

眼下には水田が広がるが、昔はすぐ下まで琵琶湖だったんだろうか?
(現在、安土城は琵琶湖からやや離れているが、
干拓される前は城のすぐ北側が内湖(琵琶湖周辺の小さな湖)だったらしい)

反対側に目を転じると、
木々のすき間から琵琶湖線が見える。
線路を越える高い道路橋が目立つ。

また、二の丸の信長廟も、ここからだと見下ろす形になる。

もう1回、ひらけた北側の撮影に挑戦したが、
写真に写るくらいの位置に、
依然として蜂が飛び続けていたので
もう下りる。

信長が眺めたであろう景色を、じっくりと見ることができなかったので、
「信長になってみたいけどー」と心の中で口ずさみながら引き返した。
安土じゃなくて清須のお酒のCMソングだけど、細かいことはどうでもいい。

二の丸の下、石碑の脇にある巨石。

その下にある仏足石。
石垣に使われた。

少し脇道に入って、
織田信雄(のぶかつ)一族の墓に参拝。

信雄は信長の次男だが、
嫡男の信忠が本能寺の変で死去しても、後継者とは目されなかった。
しかし結局、信長の子息の中で唯一、江戸時代に入っても大名として家系が存続した。

この墓は、子孫の織田信休(のぶやす)が、
大和の宇陀松山藩から丹波柏原藩へ転封となった際、
信雄以降の先祖四代の墓を宇陀から移したもの。

ただ、「安土城を燃やしたのは信雄」とルイス・フロイスが記している。
もしそれが本当なら、ここに彼の墓があるのは皮肉なことである。
(安土城の天主と本丸が焼失した原因には諸説あり、特定されていない)

石段の途中、見過ごしそうな所に、織田(津田)信澄邸跡と森蘭丸邸跡。
くしくも2人とも、本能寺の変の際に亡くなっている。

信忠邸跡まで戻って、右(西)へ。
多少の石段を上るが、天主跡でひと息ついたからか、つらくない。

ハ見寺(総見寺)本堂跡に差し掛かったところで、町からメロディーが流れる。正午か。
聞いたことがあるメロディーだけど、何の曲だったか忘れた。フランスかどこかの曲。

総見寺の三重塔が修復工事中で、
足場が組まれていた。
仮設の小屋に作業員さんたちが出入り。
暑い中お疲れ様です。

総見寺は安土城の築城が始まった1576年(天正4年)に、信長がこの地に移築した。
安土城天主が焼失したときも被害をまぬかれ、廃城後もこの寺だけは残っていたが、
1854年(安政元年)に、火事で本堂などほとんどの建物が失われた。
現在、総見寺は大手道沿いに仮本堂を構えている。
前田利家邸跡の上で、徳川家康邸跡と伝わる場所。

三重塔と、この下にある二王門だけが当時から残っている。
三重塔は1454年(享徳3年)建立で、甲賀の長寿寺から移築されたと伝わる。
二王門は1571年(元亀2年)建立、こちらも甲賀からの移築らしい。

本堂跡からは、埋め立てられずに残った、
西の湖という内湖が望める。
ようやく琵琶湖畔らしい景色が見られた。

ただ、小さな虫がずっと目の前にまとわりついて、うっとうしい。

本来は三重塔の脇から下りられるのだが、工事中で通れないので引き返す。
途中1回滑り落ちそうになるが、こらえて、何とか秀吉邸の下までたどり着く。

まだ見ていない二王門を目指す。
秀吉邸の上の段から行くのか下の段から行くのかわからず、
下りて、また上がって、また下りる。

何気にきつい、森の中の道を歩くが、
ここも石段の手前で通行止め。
結局、二王門を見ることはできなかった。

こないだの竹生島の唐門もそうだが、来てみたら工事中というのは、ついてない。
ネットに工事の情報も載ってないし。

それはともかく、安土城という、歴史の重要な舞台に来ることができて、
じっくり見て回ることができて、良かった。

12時33分。再び自転車に乗る。

琵琶湖線のガードをくぐると、
大きな建物が3棟見えた。

駐輪場が見つからなくて少しうろつくが、12時46分、文芸の郷に無事到着。
音楽ホール「文芸セミナリヨ」、体育館・多目的ホールの「あづちマリエート」など、
旧安土町の施設が集まっている。
隣に滋賀県立安土城考古博物館がある。
さっきの写真の左から、安土城考古博物館、文芸セミナリヨ、あづちマリエート。

巨大な日時計があるが、
曇ってきたので使えない。

文芸の郷

文芸セミナリヨの奥にある、
「安土城天主 信長の館」へ。
安土城天主最上部の5階と6階が、
原寸大で復元されているそうだ。
(内藤昌氏の復元案による)
安土城考古博物館とのセット券
(¥1,180)を買って入館。

入ってまず天主のきらびやかさに圧倒されるが、もうすぐ午後1時。
ちょうど「VR安土城シアター」の上映が始まるので見る。

VRといっても、ヘッドマウントディスプレイや3Dメガネは使わない。
在りし日の安土城を再現したCG映像なのだが、
もともとは、見る人が視点を自由に動かせるように作られていたらしい。

このシアターでは、天正9年、ルイス・フロイスが安土城天主に向かったルートを再現。
さっき歩いてきた所。
城があった頃は、さっきみたいな大きな木々が並ぶ山にはなっていなくて、
石垣で囲まれた、まさに要塞に近かった様子。

天主の下層には吹き抜けがあり、その中央に宝塔が立つ。
2階から舞台が吹き抜けへとせり出し、3階には渡り廊下。現代の高層建築のようだ。

天主最上階からは琵琶湖の内海のほかに、城下町が広がっていた。
盂蘭盆会(うらぼんえ)のときに行なわれた、多分日本初のライトアップの様子も。
15分があっという間だった。



シアターを出た。この安土城の上層2階が、今目の前にある。
もともとは1992年(平成4年)のスペイン・セビリア万博に出展されていたもの。
(※ネットへの写真アップは不可とのこと。公式サイトに写真がある)
安土城天主 信長の館

下の階(5階)は、朱塗りの柱に白壁・花頭窓の、八角形の部屋。
内部は、中央の内陣という部屋と、周りを囲む外陣という廊下とに区切られる。
内陣の壁に釈迦説法図、天井に天人影向図、外陣の壁に龍。内陣の柱にも龍。
いずれも金箔がベースになっている。豪華できらびやかな空間だ。

製作の様子や、万博に展示されていたときの写真も展示。
昔の工法で作って、よくこんな華々しい建物が作れたものだ。

出土した実物の軒丸瓦もある。屋根の先端にある丸い瓦に、金箔が貼られていたらしい。
1582年(天正10年)に信長が家康をもてなしたときの本膳料理が再現されている。

障壁画の解説もあった。5階の入口に地獄図があって、不思議に思っていたが、
「悪いことをすれば地獄へ落ちる」から始まって、浄土図につながる流れらしい。
それにしても、こんなに宗教的、しかも仏教的なモチーフなのが意外。
やはり信長の脳内でも、極楽浄土のイメージは仏教だったのか。

階段を上り、上の6階を横から見る。
ここも金色がベース。さらにこの階は、外壁まで金一色。
扉は黒漆地に紅白の花々。
障壁画は、黄帝、老子、文王、太公望、周公旦、孔子など、古代中国の賢人。
屋根瓦は側面のみ金。屋根の切妻部は白壁に黒漆の柱。シャチはもちろん金鯱。

ここから見下ろすと、地面まではかなりの高さ。
だが実際の安土城には、さらに下の階があって、
しかも山の上に建っていたわけだから……。
フロイスに限らず、当時ここを訪れた人は、そりゃあ驚くことだろう。

安土城天主 信長の館

文芸の郷

信長の館を後にする。
次は滋賀県立安土城考古博物館へ。

1876年(明治9年)、
今の高島市に建てられた、
旧柳原(りゅうげん)学校校舎。
一部が洋風になっていて面白い建物。

このあたりは「近江風土記の丘」という公園になっていて、
このような古い建物が移築保存されている。

県立安土城考古博物館の前に出た。
非常に大きな建物で、
かなり後ろに下がらないと写真が撮れない。

後ろに下がっていったら、
そこに旧安土巡査駐在所があった。
1885年(明治18年)建築。

あらためて博物館へ。時刻は午後2時ちょうど。
喫茶コーナーで、近江牛の冷やしうどんを食べた。

さっき買った信長の館との共通券で、展示室に入る。
まず特別展「武将たちは何故神になるのか」。
信長・秀吉・家康はそれぞれ神としてまつられているが、
このように特定の人物を神としてまつるようになるまでの歴史について解説。
人物を神格化して作られた像や絵画が展示されている。

もともと神道では、神様の姿を像にすることはなかったが、
仏教の影響から、神道でも神像が造られるようになる。

やがて神仏習合から、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ、
神道の神様は仏教の仏様の化身という考え方)が起こる。

さらに、特定の人物が仏の化身・垂迹であるという考えにつながってくる。
聖徳太子や菅原道真、空海に対する信仰がよく知られるが、
やがて信長・秀吉・家康が、自らを神格化するに至る。

信長の神格化には、宗教家の関与がみられない。
秀吉は吉田神道がベースで、神仏習合色は薄い。
家康は、天海の山王一実神道(習合色が強い)で、「東照大権現」としてまつられた。
薬師如来が家康の本地仏と比定されたそうだ。

信長・秀吉・家康の像や肖像画の、神格化表現に着目するところが面白い。
いろんな三英傑を見られた。

滋賀県立安土城考古博物館

常設展へ。前半は県内の遺跡。
大中(だいなか)の湖南遺跡の、弥生時代の出土品や立体地図。
水田耕作の様子を表す等身大人形。野洲の大岩山遺跡の銅鐸。
安土の瓢箪山古墳の出土品。県内出土の土師器、須恵器、埴輪。

古墳時代の前・中・後期それぞれの王の服装の再現。
新開古墳の、朝鮮の影響がみられる武具と馬具。
八幡社古墳群の横穴式石室の復元。

上を見上げると、この博物館のデザインの美しさがわかる。
八角形の塔はもちろん安土城をイメージしたものだが、
周りの展示室とともに、西洋の教会や宮殿を思わせる。

後半は、城郭の歴史に関する展示。
いきなり安土城の巨大ジオラマ(建物のない状態、つまり現代の状態に近い)。

城の歴史を解説。土づくりの城。朝倉氏に伝わる「築城記」に基づいた木の砦。
城の石垣。安土城と、それ以前の観音寺城、以後の彦根城の違い。
守山の横江遺跡の、鎌倉後期〜室町頃の村のジオラマ。

六角氏の観音寺城と、浅井氏の小谷城の地形ジオラマ。
観音寺城の城下町に、16世紀半ばに作られた石寺新市は、
確認できる最も古い楽市だそうだ。
近江の支配者はもともと佐々木氏だったが、江北の京極氏と江南の六角氏に分かれ、
京極氏が家臣の浅井氏に取って代わられる。

安土城から出土した瓦や陶器。焼けた瓦もある。
伝豊臣秀吉邸の復元模型。
さっき行ったり来たりしていた場所に、こんなに建物が建っていたとは。
普通の城なら本丸御殿でもおかしくない規模。下の段は厩だった。

壁にずらっと、信長の画像・木像の写真や、花押・印章が並ぶ。

安土城・大手道の、発掘調査前と現在、そして築城時、それぞれのジオラマ。
平成の発掘調査の前は、今と全く異なる形だったことがわかる。
やはり城郭の道らしく、細くて曲がった道だったらしい。
総見寺が正面に石垣を築いていた。

最後は安土城以後の近世城郭。
彦根城の昔の様子を復元した模型がある(といっても今とあまり変わらない)。

安土城以後、城はより大きくなり、
時間をかけて築かれた、恒久的なものに変わっていった。
名古屋城、姫路城、江戸城の天守の模型が並ぶ。

石垣、金箔瓦、本格的天主、御殿、櫓門、城下町。
これらは全て、安土城が元祖だったそうだ。
(信長が安土城以前に築いた小牧山城など、
石垣の原型を見ることができる城もある)

博物館のキャラクター・まめのぶくんのストラップを購入。
模型が多く、見て楽しめる博物館だった。

中庭に出てみる。

中庭の回廊からは、
出土品の復元作業をやっている様子を
見ることができた。

外に出て、もう1棟の屋外展示を見る。
旧宮地家住宅。
1754年(宝暦4年)、
国友に建てられた農家で、重要文化財。
土間の「にわ」(炊事、作業場)と、
8畳2間から成る。

池にハスの葉が広がる。

滋賀県立安土城考古博物館

文芸の郷

午後4時15分、近江風土記の丘・文芸の郷を後にして、駅へと戻る。
自転車の速度に慣れておらず、周りが今一つ見えづらいので気をつける。
「飛び出し坊や」の重要性がわかる。

県道198号に出た。自転車道があって走りやすい。
駅の南側に着き、安土城郭資料館前の地下道を通る。
新しい安土駅には自由通路があるのに、こっちの地下道をなぜ残してるんだろう、
と昨日は思っていたが、自転車を通すためだったのか。

4時32分、駅北口のレンタサイクル屋さんに戻ってきた。
5時間¥1,000で、6時間を大きく超えたが、超過1時間で計算して頂いた。
追加¥200を支払う。

安土城郭資料館へ。
午後5時閉館だけど、
まだ開いてるので入ってみた。
(入館料¥200)

安土城の大きな模型(1/20スケール)あり。
先ほどの信長の館と同じ、内藤昌氏の復元案に基づく。
内部もちゃんと作られていて、その映像がビデオで流れている。
(※ネットへの写真アップは不可とのこと。公式サイトに写真がある)
安土城郭資料館

安土・南蛮図屏風の大きな陶板壁画もある。
安土城、城下町、京都、長崎と、
ヴァリニャーノと天正少年使節がたどった道のりが描かれている。

さっきの模型が開いて、中を見ることができた。
あの時代にこんな天主を造ったのも凄いし、この大きさで中を再現したのも凄い。

らせん階段で2階へ行く。こちらにもいろいろな展示あり。
7分の1スケールで復元された、安土城の障壁画。
さっきの陶板画の原画(宇田多恵好氏作)。
信長の前半生のエピソードを紙人形で表現。

さっきの模型とまた少し異なる天主模型もある。こちらは宮上茂隆氏による復元案。

かつて二見浦の伊勢・安土桃山文化村
(現・伊勢安土桃山城下町)で見た安土城は、
宮上氏の復元案に基づいて建てられた。

伊勢安土桃山城下町

1階に陶板画の残り2枚もあった。天正少年使節が訪れた、マカオ、リスボンとローマ。
そして安土城と観音寺城の模型。
安土のマスコット「らんまる君」のストラップを買ったら、ちょうど午後5時。
閉館時刻ぎりぎりだった。

安土城郭資料館

今回は時間がなくて行けなかったが、このほか安土には、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した旧伊庭家住宅があり、
安土町郷土館として公開されているそうだ。
安土町郷土館

これにて安土の探索終了。5時20分の網干行きで、次の近江八幡へ向かう。
(番外編扱いもここで終了して、この先の移動費はゲーム路銀から引く)
だいぶ雲が多くなり、少し涼しくなってきた。

223系8両編成。冷房が気持ちいい。
駅を出ると、左に安土城郭資料館、右にレンタサイクル店。
水路を渡って、左は広い水田地帯。そして右も水田に。
そんなことはないだろうけど、田圃の水面より低い所を走ってるような気がする。

右手に神社(饒石(にぎいし)神社)。左手に自動車教習所。
そして住宅地になる。

5時23分、近江八幡駅着。
ゲーム路銀 ¥1,360-¥190=¥1,170


近江八幡

南口から出る。
駅前のホテルに泊まっているので、
このまま戻ってもいいのだが、

すぐそばにある巨大なイオン
(イオン近江八幡ショッピングセンター)で、
喫茶店か軽食屋さんを探して休もう。
あとゲームコーナーも。

マクドナルドもミスタードーナツもロッテリアもあり、どこにしようか迷ったが、
珈琲館に入り、チーズケーキを食べてアイスオレを飲む。
疲れてるのでゆっくり休みたいけど、疲れてるのでケーキもコーヒーも減りが早い。

ゲームコーナーを探してみる。
1番街の2階の「Kid's US.LAND」は、ボールプールなどの遊具があるエリアだった。

3階には「モーリーファンタジー」がある。

プライズ、メダル、キッズ向け筐体、のりものがメインで、
あとはプリクラ、マリオカートDX、TANK TANK TANKなど。

「太鼓の達人」があった。3曲¥100設定。
久しぶりにやってみた。
久しぶりなので、曲を選ぶのに迷う。
久しぶりなので、結局無難にふつうモードで、
「ケロ9 Destiny」「ダンシングヒーロー」「夏祭り」の3曲をプレイ。
ケロ9で1ヶ所打ち損じてなければ、3曲ともフルコンボだった。
ゲーム路銀 ¥1,170-¥100+¥300=¥1,370

別棟の2番街へ。
雨が降ってきた。
連絡通路に屋根があって良かった。

フロアガイドを手に入れた。2番街の1階に、ゲームコーナーが2ヶ所ある。

まず、タイトーFステーション。

プライズ、のりもの、キッズ向け、メダル、プリクラ。
ムシキングの新しいのがあるのか。
カニカニパニックもあった。エアホッケーが3台ある。
太鼓の達人も2台あるけど、上手い人が1台やってる。

「リズム天国」があった! 2プレイ¥100。
1プレイ目は6面クリア。
2プレイ目。欲を出してレベル2で挑戦したが、2面で「平凡」、3面目のネズミで失敗。
ゲーム路銀 ¥1,370-¥100+¥400=¥1,670

もう1ヶ所のゲームコーナーへ。

専門店街AQUA21にある、
「GAME CENTER アクア店」。

店頭に「閉店のご案内」の文字が。
5月27日、つまりあと11日で閉店するそうだ。
来られて良かった。

プライズ、プリクラのほか、jubeat、ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル、
グルーヴコースター、ボーダーブレイク、ロードオブヴァーミリオンIV、
ガンスリンガーストラトス、麻雀格闘倶楽部、ディズニーツムツム、スロット。
湾岸ミッドナイト5DXに、若いプレイヤーが集まっていた。

午後7時20分。少し早いけど晩ごはん。ゲーセンの近くのお店でオムライス。
帰りに軽く迷いかけたら、3階の空きスペースで、ガチャガチャと一緒に、
プライズマシンが数台置いてあるのを見つけた。

駅に戻ったらちょうど8時。今回のゲーセン紀行はこれで終了。ホテルに戻る。


翌17日。8時起床。睡眠時間5時間半。
今日は東京に帰る日だが、今回の復習と次回の予習を兼ねて、
いったん彦根まで行った後、引き返して京都方面へ向かうことにする。

近江八幡駅から、10時20分発の
米原行き普通電車に乗る。

10時41分、彦根駅で降りた。
アルプラザでおみやげを買おうと思ったら、全館休業だった。木曜なのに。
駅前の観光案内所でおみやげを購入。

11時5分発の普通・加古川行きで引き返す。
途中の景色を軽く頭に入れる。近江八幡から先は、1個1個の町がでかい。
守山で1回降りたこともあって、京都に着いたのは12時22分。

おたべを買って、午後1時19分ののぞみ22号で帰る。
複数の学校の修学旅行生が集まって、ホームが混雑していた。

車内も満員。京都駅で買った近江牛弁当を食べているさなか、
文字ニュースで、西城秀樹さんが亡くなられたことを知る。

名古屋から新横浜までほぼ寝てた。午後3時14分新横浜着。

現在のゲーム路銀
¥1,670

今回のルート




近江八幡観光物産協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 220.滋賀編(11)」では、
近江八幡の町並みを歩く。
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