ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

220.近江商人にあやかりたい
〜滋賀編(11)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,670




東京

2018年10月19日。東京駅に18時頃着いたのだが、
姫路で線路に人が立ち入って列車に当たったとのことで、新幹線が止まっている。
当初午後7時30分再開とアナウンスされたが、8時に変更となり、8時15分になった。

再開されたとしても、足止めされていた人があまりにも多く、しばらく乗れなさそう。
今日じゅうに近江八幡には着けなさそうなので、
ホテルにキャンセルの電話を入れて、今日は帰る。

7年前、今回と同じ系列のホテルを予約していたのに、
やはり新幹線が動かなくなって、当日キャンセルしてしまったことがある。
またご迷惑をかけてしまった。


新横浜

翌20日仕切り直し。
新横浜駅午後5時19分ののぞみ243号。3列の真ん中しか空いてなかった。

今年1月からずっと作っていたゲームアプリが完成し、Androidでようやくリリースできた。

脱出ゲーム 新入社員・江須恵 例のプールに閉じ込められた!

iPhone版を今作っている途中だが、旅に行けるタイミングが今しかないので、
開発用のMacBook Airを持って出発。普段使っているNECと合わせて2台持ち。重い。
iPhone版開発のためにMacBook AirとiPhone XR、
それぞれ10万円くらいずつ出して買っているので、それ以上に売れてくれないと。

※その後iPhone版も完成しました。
脱出ゲーム 新入社員・江須恵 例のプールに閉じ込められた!

名古屋でこだまに乗り換え。自由席だけど空いてた。米原で琵琶湖線に乗り換え。
午後7時59分、近江八幡駅着。1日遅れでホテルにチェックイン。
近くにある、深夜まで営業している吉野家で、カルビキムチ丼を食べた。


近江八幡

翌21日。7時半起床予定で、2時半に寝たが、
4時半に目が覚めて、その後しばらく寝つけず。
どうにかまた寝たけど6時半にまた目が覚め、寝つけないまま7時を過ぎたのでもう起きる。
正味3時間寝たかどうか。
普段は夜型で、4時半なんて1日でいちばん頭が冴えてる時間帯なので、
旅のときは睡眠時間に毎回苦労する。

先月行った東京ゲームショウでも、同じように3時間睡眠で向かったら、
2日目の昼間にイベントホールの椅子で寝るはめになった。
今回も不安。

ホテルで朝食。
今日は近江八幡の城下町を観光する。
ホテルをチェックアウト。荷物を預かってもらう。

快晴。

駅前の6番バス乗り場から、9時25分発、長命寺行きのバスに乗る。
白地に青赤緑のラインの、昔ながらの西武カラー。正面にレオの顔がある。
「ぶーめらん通り」を北上し、9時32分、小幡上筋で降りた。
ゲーム路銀 ¥1,670-¥220=¥1,450

目の前に「GAME」と書かれた看板があるが、
カラオケ、麻雀、ビリヤード等で、ゲーセンではない様子。

このあたりは、一見普通の住宅地。
少し南へ戻って、交差点を右折。

そこに現れた小学校が、
堂々たる洋館建築だった。
八幡小学校。大正時代に
田中松三郎という人が設計したそうだ。

その先を右折して細い道に入ると、池田町洋館街とよばれる一角がある。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した洋館が、3棟残っているらしい。
細すぎて一回うっかり通り過ぎてしまった。
レンガの塀が目印になる。

1913年(大正2年)に建てられた吉田悦蔵宅。
吉田はヴォーリズとともに、
近江ミッション(近江兄弟社の前身)を創業した。

隣はウォーターハウス記念館。
新しく見えるが、こちらも同じく1913年の建物。
ともにヴォーリズが手掛けた初期の建築となる。

一般の民家を挟んで、
角にあるのがダブルハウス。
近江ミッションの社員用二世帯住宅。

横浜や神戸の洋館街が小さくなった感じを想像していたが、そういう景色ではなく、
ごくごく普通の住宅地の中に、古い洋館が存在していた。

ダブルハウスの角を左折し、
本願寺八幡別院(金台寺)へ。
これはでかい。

参拝しようと思ったが、門が閉まっていた。

北に進むと、北側の門が開いていて、境内に入れるようになっている。
しかし入っていいのかどうかわからず、入りかけたが結局引き返した。

その北の辻を右へ。町家造りの家が増えてきて、
いよいよ重要伝統的建造物群保存地区に近づいてきたことをうかがわせる。

しばらく東へ進み、小幡町通の信号を渡って、近江八幡市立資料館にやってきた。
4館から成る(4館共通券¥800)。

まず、郷土資料館へ。
近江商人・西村太郎右衛門宅跡に建つ。
建物は1886年(明治19年)に、
八幡警察署として建てられた。
1953年(昭和28年)に
ヴォーリズ建築事務所が改築を手掛けている。

1階展示室。まずはこの町の成り立ちから。
この地にはもともと日牟禮(ひむれ)八幡宮があったが、
1585年(天正13年)、羽柴(豊臣)秀吉と甥の秀次が八幡山城を築城。秀次が城主となる。
このとき安土から城下町を引っ越させた。

1590年(天正18年)、秀次は清洲へ移封となり、代わって京極高次が入城する。
しかし1595年(文禄4年)に秀次が切腹させられると、
秀次ゆかりの八幡山城は廃城となり、京極高次は大津へ移った。

城は短期間で廃城となったが、交通の便が良かったこともあり、
町はその後も商業地として発展した。
この経緯は長浜とちょっと似ている。長浜城はもう少し長く続いたが。

町に引かれた古式水道と背割り排水についての解説もあった。
地中に竹筒で水道が引かれていたそうだ。

明治時代、靴作りに使われたミシンを展示。八幡靴は品質が高かったという。
太鼓の胴。数珠玉作りの道具。千石船の模型。
明治・大正時代の町割り図や、引札・広告。八幡警察署の瓦。

近江商人、特に八幡商人についての解説がある。
江戸時代、日本橋に八幡商人の店が5軒並んでいたという。
現在も続く布団の「西川」は、そのうちの1軒、西川甚五郎家が前身。

かつてこの資料館の場所に住んでいた、西村太郎右衛門についても書かれている。
江戸時代初期に安南(ベトナム)へ渡り、朱印船貿易で財を成したが、
帰国しようとしたら日本はいわゆる鎖国状態になっていて、帰国できなかった。
長崎の絵師・菱川孫兵衛に依頼して、日牟禮八幡宮に奉納した絵馬が現存し、
重要文化財となっている。

近江八幡観光物産協会

2階へ。江戸時代の八幡町絵図。
近江商人が興った発端は、織田信長の楽市楽座だそうだ。
安土の楽市を豊臣秀次も引き継ぎ、さらに領内の「市」を八幡城下に集結させた。

近江八幡の城下町を通る、朝鮮人街道についての解説もあった。
朝鮮通信使が通ったのでこう呼ばれる。
野洲・小篠原から鳥居本までの区間では、中山道より琵琶湖寄りの道を通ったそうで、
この区間を朝鮮人街道という。
先ほどの本願寺八幡別院は、通信使の休憩所として使われた。

その他、信長の時代以来の諸役免除の特権を、江戸時代に守ろうと奮闘した人々の話。
「近世畸人伝」で知られる伴蒿蹊(近江商人・5代伴庄右衛門)について。
八幡商人と茶道速水流との関わりについて。

渡り廊下に、漁具や、市田利助のトランクを展示。
市田利助は明治時代の商人で、サンフランシスコに渡り、醤油を日本から輸入販売した。
しかし1917年(大正6年)、スペインかぜ(インフルエンザ)で亡くなったそうだ。

中庭で、大正琴の演奏が行なわれている。
東京ブギウギを聞きながら、歴史民俗資料館へ。
八幡警察署の署長官舎だった建物(豪商・森五郎兵衛の控え宅と伝わる)で、
近江商人の使っていた道具を展示。

台所のかまど(おくどさん)、三宝荒神クド(かまどの神をまつる)、
古式水道の水を溜める井戸が残る。

座敷にも上がることができる。こちらにも数多くの展示物。
江戸後期の総絞り小袖、香時計など。
壁がベンガラで赤く塗られていた。

近江八幡観光物産協会

資料館の向かいにある、旧伴家住宅へ。
江戸時代の豪商・伴庄右衛門の屋敷。
1827年(文政10年)から
1840年(天保11年)にかけて建てられた。

伴庄右衛門家といえば、さっきの郷土資料館で取り上げられていた、
「近世畸人伝」の伴蒿蹊が5代目の当主を務めた家。
ただし、この家ができたのは7代目の能尹(よしただ)の時代。

江戸期の建物にしては珍しい3階建て。
あまりに大きいので、明治以降は小学校、戦後は図書館になった。
純白の打掛や、朝鮮通信使をモデルにした瓦人形が展示されている。
校長室の椅子。通信使饗応膳の復元。

2階が45畳もの大広間だった。屏風に貼られた引札を展示。

1階に戻り、後から増築されたと思われる部屋へ。ここにも展示が多数。
伝統工芸品の押絵細工、扇子、数珠。
町家の街並みを見事に再現した紙粘土細工。リアルながらも素朴さもある。

昭和末の、「八幡堀」復元中の写真。
今では観光名所となっている堀だが、昭和の後期にはかなり荒れていて、
地元の方々の活動によって、今日のような姿を取り戻したのだそうだ。

1階入口の土間へ。
3階まで吹き抜けになっている。
左義長まつりのダシが展示されている。
正面のリアルな犬が異色。

映像展示もあった。左義長まつりは毎年3月に行なわれる日牟禮八幡宮のお祭り。
ここではダシというのは曳山ではなく、正面の飾りのみを指すらしい。
巨大なたいまつとダシ、そして十二月(赤紙)を組み合わせ、
棒を通して、おみこしのようにする。これを左義長という。
ダシの意匠は干支にちなんだものと決まっているそうだ。戌年だから犬なのか。
そして祭が終わると、左義長は燃やすらしい。

隣の駐車場から、伴家住宅の側面が見えた。
こんなにでかかったのか。

文化伝承館という小さな建物に、左義長まつりのダシの写真がずらりと並ぶ。

近江八幡観光物産協会

新町通りの町家の町並み。
近江八幡の、最も近江八幡らしい景色。

近江商人・森五郎兵衛邸。
すぐ近くに西川庄六邸もある。

近江八幡市立資料館のもう1棟、
旧西川家住宅へ。
(この写真の左側の建物)
こちらも豪商、西川利右衛門邸。
1706年(宝永3年)に建てられた。
重要文化財。

資料館の4館共通券で入場。
3階建ての土蔵が建つ。
古式水道の水を溜める井戸がある(この付近は土を掘っても、飲み水が出ないらしい)。
庭を見て、家に入る。

西川利右衛門家は、蚊帳や畳表を扱っていた商家。
部屋数が多い。通り土間といって、家の中を土間が貫く形。
土間の先に帳場。奥に茶室や座敷。

展示されていたものは、化粧道具、志村ふくみ氏制作の着物、
子供を守るおふだ、宮参り着、カルタや独楽(こま)、
ままごと道具(ドールハウスのような細かな細工)など。

近江八幡観光物産協会

さらに新町通りを北へ。
町家の建物を使った店が多い。
町家もあるが、
蔵のある大きなお屋敷もある。

八幡堀に出た。
豊臣秀次の八幡山城の堀だが、
防御のみならず、水運の役目も果たした。
紅葉はまだ色づき始め。
人が多い割に静かな雰囲気。落ち着く。

北に八幡山。ロープウェーが見えた。

堀めぐりの舟が通る。

手漕ぎの舟も通る。

明治橋から南へ少し歩くと、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの銅像が建つ。

その南に、ヴォーリズが設立した
近江兄弟社があった。
メンタームで知られる。
資料館があるが、土日祝はお休みだった。

近江兄弟社

明治橋に戻る。
ここから東へ、堀沿いに石畳の道が続く。
桜の木が多いので、
春の眺めはまた壮観だろう。

白雲橋に出た。この橋を渡ると日牟禮八幡宮、そして八幡山ロープウェーの乗り場だが、
今日はそちらの方へは行かない。
明日は月曜日。月曜定休の施設が多いので、それらを今日のうちに回ることにする。
金曜日に新幹線が止まったせいで、旅程が1日ずれたのだ。

橋の南に建つ鳥居と、白雲館。
白雲館は明治期の学校建築で、
このあたりの洋館には珍しく、
ヴォーリズが関わっていない。

石畳の道をさらに東へ歩き、
かわらミュージアムにやってきた。

堀沿いにいろんな鬼瓦が並ぶ。
地面も瓦で装飾されている。

館内へ(入館料¥300)。
常設展示室1階。さまざまな鬼瓦が展示されている。
鶴、大黒様、鍾馗(しょうき)様、だるま、天狗とお多福、
菊、龍、桃、桃から顔を出す桃太郎。

このミュージアムは、八幡瓦を製造していた寺本家の跡地。
瓦の原土、燃料、そして製品を運ぶのに、八幡堀の水運が使われたという。

昔の瓦の作り方を人形で説明。
今では機械化されたが、昔は足で土を踏んで練り、
針金で切って手作業で成形、そして窯で焼いていた。

八幡山城から出土した、金箔つきの瓦。
安土城の金箔瓦では、文様の凹部に金が貼られていたが、
こちらでは凸部に漆を塗り、その上に金箔を貼っていた。

瓦のふき方が写真で紹介されている(軒瓦→袖瓦→桟瓦→棟葺き)。
お寺など大きな建物では、丸瓦と平瓦を使う「本瓦葺き」が、
民家では重量の軽い「桟瓦葺き」が使われた。

2階へ。日本各地の瓦、そして世界の瓦を展示。
ヨーロッパの赤い瓦は日本でもおなじみだが、北と南で形が異なる。
南欧の瓦は円柱を縦に割った形だが、
修道院の尼さんが太股で成形したという伝説があるそうだ。

そしてアジアの瓦。そもそも日本の瓦は朝鮮から伝わったものだが、
両国とも独自の進化を遂げたため、現在の朝鮮半島(そして中国)の瓦は、
日本のものとはかなり異なるらしい。

さまざまな瓦。瓦の形にしたスレート、セメント、ガラスもある。

八幡瓦人形。瓦職人が、余暇、もしくは技術向上のために作ったといわれる。
泥絵の具で着色されたものが多い。

力士を描いた鬼瓦。
そして長光寺というお寺の巨大な鬼瓦。
だるま窯で焼ける大きさには限界があるので、10個のパーツに分けて作られたが、
瓦は焼くと縮むため、うまく組み合わせられるよう作るのは難しかったそうだ。

屋外に、昭和30年代まで使われていた、
だるま窯を復元展示。

東近江市・五個荘金堂町の、
浄栄寺というお寺にあった鬼瓦。

別棟に、瓦の木型などの道具展示室もあった。

ミュージアムを別の方向から見ると、
蔵が建ち並んでいるような形になっていた。

近江八幡観光物産協会

時刻は午後1時40分。
喫茶店でお昼ごはんにしたが、忙しい時に来てしまったようで、
カレーが出てくるまで35分もかかった。朝早くスタートしといて良かった。

午後2時半。まっすぐ南へ進むと次の目的地だが、
横断歩道がないし、いったん落ち着きたいし、ちょっとトイレに行きたいし、
時間にまだ少し余裕があるので、

白雲館に立ち寄ってみた。
白雲館は1877年(明治10年)に建てられた。
もともとは学校だったが、
現在は観光案内所になっている。

滋賀県各地のパンフレットがある。グッズが販売されている。
映画・ドラマのロケが行なわれたときの写真が展示されている。
2階にも行けた。ステンドグラスがある。

窓から日牟禮八幡宮の鳥居が見えた。

鳥居の真向かいにこういう建物を建てるくらいだから、
明治の近江八幡は、先進的な気風だったのかもしれない。
だからこそ、後にヴォーリズが定住できたのかもしれない。

さて南下しよう。仲屋町(すわいちょう)通りを歩く。
「すわい」とは仲買人のことらしい。
雰囲気のある町並みで、観光客向けの店も多いが、
どうやら地元の方々の生活道路のようで、車の往来が多く、
しかもかなりのスピードで走り抜けるといういつものパターン。

旧八幡郵便局。ここもヴォーリズ建築。

ヴォーリズに関するパネル展示があり、骨董店と喫茶店がある。
喫茶店のウェイトレスの服がメイド服っぽい。
建物の裏から2階へ上がれる。
ヴォーリズの写真や、全国各地のヴォーリズ建築の写真などを展示。

さらに南へ。
近江商人の飛び出し坊やがいた。
城下町にしては珍しく、
道路は縦横に真っ直ぐ。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA。
昭和初期の町家を改装した美術館だ。
アール・ブリュット(生の芸術)が中心。

アール・ブリュットはいわゆる障害者アートだが、
美術界にアウトサイダーアート(既存の芸術を学んでいない作者による、
芸術の系譜につながっていない芸術作品)という新たなジャンルが生み出される、
というか発見されるその原点となった。
(※「障害」の表記は美術館のパンフレットやサイトの表記に合わせました)

ボーダレス・アートミュージアムNO-MAでは、障害者アートに限らず、
一般のアーティストの作品も展示している(そこも含めて「ボーダレス」らしい)。

企画展示「以“身”伝心 からだから、はじめてみる」。
11月25日まで開催。観覧料¥300(そのときの企画展示により異なる)。
さまざまな方法で、「身体」に向き合っている作品を展示。

徳山彰氏の小さな塑像。徳山氏は60年ほど前に視力を失っておられるらしい。
題材は身のまわりの物が中心。
触ってわかるよう特徴が誇張されていることで、目で見ても素朴さが感じられる。

H氏。精神科病院に入院したときに書いた、頭の中に起こる違和感の詳細な記録。
私も頭痛などで「何となく違和感」を感じることはあるが、ここまで詳しく説明できない。
頭の中の図解も、数学や天文学の図に見えてくる。

森田寅氏が作る、フルオーダーの車椅子や、姿勢を保つ装置。
もちろん必要があってこういう形になっているのだが、なんかアートっぽい。
使用する人間一人一人の個性を投影しているからかもしれない。

蔵にも展示がある。菊池和晃氏+にしなつみ氏の作品。
裸の男女が抱き合ってキスする写真。
ロダンなどの彫刻作品のポーズを再現したらしい。
元の彫刻には多分ないであろう、生々しさに心を動かされる。

本館2階へ。草なぎ陵太氏の抽象点描作品。
制作の様子が映像で流れていた。
紙全体を大きく、赤系の点を打つエリア、青と緑の点を打つエリアに分けて、
水性ペンでひたすら点を打ち続ける。

こういう作品こそ、作る目的を持たず、
内なる衝動に突き動かされて生まれた芸術作品なのだろう。
芸術に目的は要らない。あってもいいけど、なくてもいい。

小さな部屋に作品がもう1枚あり、朗読の音声が流れていた。
この作品から着想を得た、ごまのはえ氏のショートストーリー「ちょうどその頃、」。
もともとは目的なく、内なる衝動によって制作された作品だが、
それがほかのアーティストの心に影響を与えて、別の作品が誕生する。素晴らしい。

もう1つの部屋には、八幡堀の今と昔の写真が展示されていた。
特に、復元に向けて浚渫(しゅんせつ)が行なわれている様子の写真が中心。
さっき旧伴家住宅でも展示を見たが、昭和末期に復元工事が行なわれたおかげで、
今日のような美しい姿を取り戻している。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

近くの奥村家住宅が、第2会場になっていた。
こちらは江戸時代の町家。

入っていきなり、ギョロ目でやせ細った、でかいのがいて、ギョッとする。
鎌田紀子氏の作品。
最初は驚いたが、各部屋にそれぞれいて、見慣れてくると愛らしく感じられる。

伊藤賢士氏の絵画。太い線で誇張された力強い裸婦画。

そして米田文氏の陶芸作品。
無数の小さな渦巻きが、サンゴのように組み合わさっている。
庭にもこの渦巻き陶器が配されていて、景色の一部となっていた。

水木しげる的世界観というとベタかもしれないが、
伝統的な日本家屋と、異形のものとの組み合わせ。
「共存」という言葉を感じさせる。

今回の作者の中には、大学で美術を学んだ方が何人かおられるそうだ。
もはやアール・ブリュットどころか、アウトサイダー・アートですらない。
本当にこの美術館の「ボーダレス」ぶりは徹底している。
そして、大卒の方の作品と、障害者の方の作品、並んで展示されていても違和感はない。
アートはいろいろ受け入れる。

つい長々と感想を書いてしまった。それほど、素人でも語りたくなるようなアートだった。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

時刻は午後4時半。日も傾いてきたので、今日はここまでにしよう。
小幡上筋のバス停へ。明日はここから再開とする。
行きと帰りのバス停の位置がかなり離れていて、ちょっと迷った。

4時48分バス停着。ちょうどバスが来たけど、混んでいたので1本待ってみた。
この時間帯は1時間に6本ある。4時55分に次のバスが来た。空いてた。座れた。
さらに次のバスも、すぐ後ろに来ていた。
若干渋滞気味だったけど、5時6分、近江八幡駅着。

ホテルで荷物を受け取る。
その足で、近くのホテルにチェックイン。
金曜日に新幹線が止まり、予定が1日ずれたのでこんなことに。

ラウンジでオレンジジュースを飲んだ後、部屋で1時間半ほど寝て起きる。
コンビニで晩ごはんを買って食べた。

現在のゲーム路銀
¥1,450

今回のルート



近江八幡観光物産協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 221.滋賀編(12)」では、
引き続き近江八幡の町並みを歩く。
「日本縦断ゲーセン紀行 219.滋賀編(10)」に戻る


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