ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

225.石山寺と瀬田の唐橋
〜滋賀編(16)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,950



2019年2月26日。新横浜駅午後5時32分発の、のぞみ395号で京都を目指す。

昨年秋に完成したゲームは大コケ。大損。
そのショックからか、1月に迷走神経反射性失神で倒れた。
失神はこれ1回だけど、その後も何度か自律神経失調症で体調を崩す。

この旅も、本当は先週行く予定だったが、頻脈気味で疲労感が取れず、延期したのだった。
旅で何とかストレスを解消して、自律神経を安定させないと。

午後7時31分、京都着。今日は京都に泊まる。
晩ごはんは駅のレストラン街へ。天ざるそば。
「開運!なんでも鑑定団」が始まる前にホテルに戻れたが、
京都ではこの番組をやっていなかった。

翌27日。8時起床。前日寝不足気味だったので、1時半には床に就いたが、
眠りが浅くてたびたび目を覚ます。
体調を崩してから、不眠症っぽくなったのも困りもの。

9時半にホテルをチェックアウト。駅の中のカフェで朝食。
駅の中に、今晩泊まるホテルのカウンターがあるので、チェックインを済ませ、
荷物を預かってもらう。
10時22分発の普通・野洲行きに乗る。

 
向かいのホームに、トワイライトエクスプレス瑞風がいた。

石山で石山坂本線に乗り換え。10時48分発の石山寺行き。

10時54分、終点の石山寺駅に到着。


石山寺

おけいはんのポスターが新しくなってた。
昨年11月からおけいはんが代替わりし、
7代目になっている。

朝から曇っていたが、
日が差すようになってきた。
前回歩いた石山寺への道を久々に歩く。

朗澄律師像。石山寺中興の祖で、
石山寺の経典・聖教の収集・整備を行なった。
朗澄律師は、死後に鬼となって
石山寺の経典を守ると誓った。

駅から12分歩いて、
石山寺の東大門に到着した。
重要文化財。立派。仁王の迫力。
1190年(建久元年)、
源頼朝の寄進によって建てられた。
慶長年間に大きな修理を行なっている。

石山寺は現在、「梅つくし」の期間中(3月18日まで)。
第一梅園から第三梅園までの梅が見頃になるこの時期に、
境内で梅の盆栽の展示が行なわれるそうだ。

まずは桜並木の参道。枝の剪定作業が行なわれている。

ここから有料エリア。入山料¥600。
小さな門を通ると、いきなり奇岩・くぐり岩。
大理石だそうだ。

池の鯉がでかい。

なかなかに心が折れそうな石段。
下にあるトイレでいったん休んだ後、
意を決して上る。

上り切った所に、数々のお堂が建ち並ぶ。

毘沙門堂と観音堂。

盆梅が並んでいてきれい。
向こうのお堂は、
弘法大師と第三代座主・淳祐内供をまつる
御影堂(重要文化財)。

そして正面に硅灰石(けいかいせき)。
石灰岩が地中から上がった花崗岩と接触し、
その熱のために変成したもの。天然記念物。
(「珪灰石」と書くことが多いが、
石山寺では「硅灰石」と書く)

石山寺はこの石の上に建っており、これが寺名の由来となっている。

むき出しの岩肌は壮観。
その上に多宝塔が建つ。

石山寺は747年(天平19年)、聖武天皇の勅願により、良弁僧正が創建した。
一つ一つの建造物全てが由緒あるもので、じっくり見てたらきりがない。

石山寺

本堂は国宝。
1096年(永長元年)創建。平安時代だ。
慶長年間、淀殿の寄進により改築されている。

本堂の向かって左手前に建つのは蓮如堂(重要文化財)。
蓮如上人の母親は、石山寺の観音様の化身だという伝説がある。

御本尊の如意輪観世音菩薩様に参拝(秘仏)。
御本尊の御手とつながっている、結縁(けちえん)の綱を持ちながら。
弘法大師御作の不動明王、そして良弁僧正、
賓頭盧(びんずる)尊者の像にも手を合わせる。

本堂内で脈が速くなって、疲れたので少し休憩。

期間限定で、内陣が拝観できるようになっていた(5月19日まで、¥500)。
平安時代の地蔵菩薩像、鎌倉時代の聖徳太子像、
奈良時代の金剛蔵王像の心木など、貴重な仏様を見ることができた。

こういう体調なので、平安時代の薬師如来には特に強くお参り。

本堂入口のすぐ脇に「源氏の間」。
紫式部が「源氏物語」を
書いた部屋といわれる。

紫式部は物語を書くため、石山寺にカンヅメになっていたらしい。
琵琶湖の湖面に映る十五夜の月を見て、須磨の巻を着想したと伝わる。

本堂から先へ進む。校倉造の経蔵がある(重要文化財)。

鐘楼も東大門と同様、源頼朝の寄進と伝わる。
(重要文化財)
下から撞木を引いてつくという珍しい形。

いよいよ多宝塔へ。


こちらも源頼朝の寄進により、
1194年(建久5年)に建立された。
年代のわかる中では日本最古の多宝塔で、
国宝に指定されている。
御本尊は大日如来。

源頼朝と亀谷禅尼の供養塔が、かたわらにひっそりと建つ。
亀谷禅尼は頼朝の娘の乳母で、頼朝に石山寺を再興するよう勧めた。

ここまで来て、第一梅園への分岐点を、通り過ぎていたことに気づいた。
さっきの御影堂の奥に梅園があるのだ。

引き返す。ついでにいちばん下まで下りて、トイレに行っておく。
トイレから出て、なかなかに心が折れそうな石段をまた上るはめに。
上り切ってまた休憩。さっき疲れて休んだときも、
狭い和式トイレと急な階段のコンボが、自律神経に良くなかったのだろうか?

石山寺

ようやく第一梅園「薫の苑」へ。もう午後1時近いから暖かい。

紅、白、桃色。非常に色鮮やか。

 

梅の花に包まれる感じが凄くいい。

また少し休憩する。
本堂の下、硅灰石の前に盆梅が並ぶ。

多宝塔まで戻り、さらに先へ。

月見亭。
近江八景のひとつ「石山の秋月」で知られる。

中国の瀟湘八景になぞらえて、琵琶湖南端の八景が選ばれ、
歌川広重の浮世絵によって広く知られるようになった。
瀬田夕照、石山秋月、粟津晴嵐、比良暮雪、矢橋帰帆、堅田落雁、三井晩鐘、唐崎夜雨。
(横浜の金沢八景とよく似ているのは、元ネタが同じだから)

鉄道唱歌の歌詞には、これら近江八景がひと通り登場する。
そのうち石山寺を歌った箇所は、
瀬田の長橋横に見て ゆけば石山観世音
紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に

月見亭の脇から瀬田川が望めるが、
木が伸びていて、眺めはあまり良くない。
一応、比良山地の暮雪も見えるけど。

 
第二梅園「東風の苑」。こちらも見事。
上の方はつぼみが多いので、まだまだ長い期間楽しめそう。

心経堂の前から、多宝塔を望む。
木立越しの多宝塔も良い。

宝物殿の「豊浄殿」は閉鎖中。春と秋に「石山寺と紫式部展」が開催される。
(※今年の春は3月18日から開催中。6月30日まで)

石山寺

さらに歩いて第三梅園「水仙の苑」へ。

ここは広いスペースで、
大きな梅の木を遠くから
眺めることができる。

梅の足元に、
スイセンがひっそりと咲いている。

光堂と花々の組み合わせが華やか。
光堂は、地元・石山発祥の、
東レが寄進した新しい建物だが、
鎌倉時代の建物を再現しているという。

けっこうな山の中に入ってきた。
このあたりはもう少し季節が進めば、
牡丹園になるらしい。

石段を下りていく。
途中に、紫式部像がある。

私もこのお寺に参拝したら、「源氏物語」のように
後世に遺る作品を作れるかなあと思っていたけど、
さっき軽く体調崩しちゃったくらいだから、多分それはない。

さらに下りていくと、早咲きの桜がきれい。

八大龍王社から、無憂園という庭園へ。
無憂園沿いに、西国三十三ヶ所の観音像が並ぶ補陀落山(ふだらくさん)があるが、
また山道なので、体力を考えて、行くのは自重した。

本堂の真下、「天智天皇の石切り場」。
天智天皇の時代、ここで切り出された石材が、
飛鳥の川原寺の礎石に使われていた。

この位置から見ると、本堂の下が巨大な硅灰石の一枚岩であることがよくわかって、
自然の不思議さを感じさせる。

その岩の上に、この天狗杉のような
巨木がしっかり根を張って、
高く伸びているのもまた不思議。

最後に大黒様にお参りし、石山寺を後にする。
歴史もあり、独特な風景を楽しめる、凄いお寺だった。
体調が良くなかったのが惜しまれる。

石山寺

現在、午後2時17分。東大門前の和菓子屋さんで休もうと思ったら定休日。

「石山縄文しじみ貝塚の塔」。
このあたりには、縄文時代の
しじみ貝塚があったらしい。

近くのお店で、しじみご飯を食べつつ休憩。
うまかった。くつろげた。

くつろげたのに、自律神経がまだ言うことを聞かないのか、脈拍が100を切らない。
ただ、疲れはなくなった気がするので、予定通りここから瀬田の唐橋まで歩いてみる。
しじみを食べたから、オルニチンの効果は期待していいんだろうか?

午後3時14分、石山寺東大門出発。
レガッタのエイト(8人乗り)のボートが、瀬田川をさかのぼっている。

石山寺駅着3時26分。電車で唐橋前まで行きたくなったが、
そんなに長い距離じゃないはずなので歩いていく。
名神高速道路と新幹線の高架の下を通る。ちょうど新幹線が上を通過した。
京大ボート部や、龍谷大端艇部があった。

川沿いに出た。
ようやく瀬田の唐橋が見えた。
渋滞している。


唐橋前

3時42分、瀬田の唐橋に着いた。
4分ほど写真を撮るなどした後、
ちょっと渡ってみる。

現在の瀬田の唐橋は、1979年(昭和54年)に架けられた。
中の島を挟んで小橋・大橋がつながった形になっている。

瀬田の唐橋は古代から、京都へ向かう交通の要衝だった。
そのため歴史上何度も、この橋をめぐって戦闘が起こっている。
近江八景「瀬田の夕照」の舞台でもある。

さっきまでいた、橋の南側の写真を撮る。

中の島を経由して、大橋の方へ。
新幹線が通過していく。

擬宝珠(ぎぼし)のいくつかは、
古い時代のものが再利用されている。

午後3時53分、瀬田の唐橋を渡り切った。

唐橋で起こった歴史上の戦いを列挙した案内板が、近くにあった。

672年(天武天皇元年)、壬申の乱で大友皇子が橋板を外すが、
大海人皇子が橋を突破して大津宮に攻め込み、大友皇子を破る。

764年(天平宝字8年)、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。
宇治から近江に向かった仲麻呂だが、吉備真備の軍勢が橋を焼いたため渡れなかった。
仲麻呂は越前を目指すが、愛発関(あらちのせき)を越えられず、琵琶湖西岸で敗れた。

10世紀頃、藤原秀郷(俵藤太)が橋の上で大蛇を踏んづける。

1183年(寿永2年)、木曽義仲が平氏と戦って勝利。平氏は京を脱出する。
しかし翌年、源範頼・義経に攻められ、この橋の近くの粟津で討ち死にする。

1221年(承久3年)の承久の乱では、鎌倉幕府軍が渡河に成功し、後鳥羽上皇軍を破る。

1582年(天正10年)、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀が安土城を目指すが、
瀬田城主の山岡景隆が橋を落としたため、3日間遅延した。

これらの出来事の中で、藤原秀郷の話だけ全く毛色が違う。
橋に大蛇が横たわっていて、人々が渡れずに困っていたのだが、
秀郷は恐れることなくその蛇を踏みつけて渡っていった。

すると大蛇は老人に姿を変え、秀郷の勇気を見込んで、
凶暴な大ムカデを倒してほしいと懇願した。秀郷は快諾する。

大ムカデは、三上山(近江富士)に7回り半も巻きつくような怪物だったが、
秀郷は見事これを矢で仕留める。
老人はお礼に秀郷を、橋の下の竜宮に招待し、
一生かかっても食べきれないほどの米俵を贈ったという。

(以上、唐橋の中の島にあった掲示板の解説に基づいてまとめた。
「大蛇は老人ではなく若い娘になった」などの異説もある)


大ムカデ退治という伝説的な話よりも、
壬申の乱とか仲麻呂の乱とかの方が、古い時代に起こっていることが不思議。

橋のたもとにある雲住寺。
藤原秀郷をまつる。
ドールハウス並みに小さな
百足(むかで)供養堂と、虫塚があった。

隣の龍王宮秀郷社では、秀郷(俵藤太)と、乙姫をまつる。
乙姫様をまつっているということは、
やはり大蛇は老人じゃなくて、若い娘さんだったのか?

午後4時5分。さらに東へ進み、近江国一宮・建部大社を目指す……はずが、
一度間違って南へ行ってしまったので仕切り直し。
瀬田城址碑が建っていた。

4時14分、唐橋のたもとから再スタート。5分で一の鳥居に到着。

石灯籠の並ぶ中をさらに歩いて、
左にある二の鳥居をくぐる。

祭神は日本武尊。
参道に並ぶ、
ヤマトタケルの生涯を描いた絵がかっこいい。
建部大社のサイトでも見ることができる)

建部(たけべ)大社は景行天皇46年、日本武尊の御妃の、
布多遅比売命(ふたじひめのみこと)により創建。
当地に移ったのが白鳳4年(675年)。

神門をくぐる。

参拝。この拝殿の奥に、
日本武尊をまつる本殿と、
大己貴命(おおなむちのみこと)をまつる
権殿(ごんでん)がある。

拝殿の前に立つ三本杉は、天平勝宝7年(755年)、
権殿に大己貴命を勧請したとき、一夜にして成長したと伝わる。

左右に4社ずつ、計8社の小さなお社が並ぶ。
上座4社には日本武尊の家族(両親である景行天皇と皇后、御妃と御子)、
下座4社には家臣がまつられている。

末社がほかにもあるが、現在午後4時半。
もう閉まるようなので、回る時間がない。

大野神社は、建部大社が当地に遷座される前からまつられていた地主神で、
縁結びの御利益があるという。

でも時間がないので、
鳥居の手前からお参りするにとどまった。
今年も良縁は遠そうだ。

勝守をお受けしたので、せめて仕事面で勝ち運がついてくれれば。
1160年(永暦元年)、源頼朝が平家に敗れて伊豆へ流される際、
ここで源氏再興を祈願したそうだ。
頼朝のように、絶望的な状況からの起死回生が起こってほしい。
(現在、仕事で大コケした上に、体調不良を起こしています)

建部大社

再び瀬田の唐橋を渡る。今度は北側の歩道。

前回通った琵琶湖線が見える。


唐橋前

橋を渡り切ってさらに西へ。
午後4時59分、唐橋前駅着。
ちょうど目の前で、
坂本比叡山口行きの電車が発車していった。

次の5時6分発に乗る。
おでん電車・ビール電車のラッピング車両だった。
家々の間を縫うように走る。

5時8分、京阪石山駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥1,950-¥170=¥1,780


石山(京阪石山)

もう夕方になってきた。
前に来たときはあった、駅舎正面の駅名が、
なぜかなくなっている。

ペデストリアンデッキの松尾芭蕉像。

石山駅の近くには平和堂があるが、現在建て替え中で、仮店舗で営業している。
ゲーセンがないのはわかってるけど、一応行ってみた。

仮店舗はさすがにそんなに広くない、
普通のスーパーだった。
せっかく来たので缶コーヒーを買う。

石山坂本線の車窓からも見えたけど、
解体工事中の旧店舗は、
シートで覆われていた。

石山駅に戻ってきた。
ここからはJR琵琶湖線で、
次の膳所(ぜぜ)駅を目指す。

石山から膳所までは、石山坂本線でも行けるけど、
琵琶湖線でこの1区間だけ未乗になるのも気持ち悪いので。
(これがあるので、前回石山寺から帰るとき、石山坂本線で膳所まで行った)
瓦ヶ浜駅の近くに、膳所焼美術館という施設があるらしく、ちょっと気になったけど。

膳所焼美術館

次の電車は午後5時46分発の京都行き。こんな混みそうな区間なのに4両編成だ。
案の定、凄く混んでいたので見送る。
それにしても、何でこの区間に4両編成が来るのかと思っていたら、

電車が緑色の113系。
多分、草津線からの直通列車。

次は5時51分の普通・網干行き。8両だから大丈夫だろう。
223系が来た。空いてはいないが、外の景色は見える。
とはいえ、左に東レの工場が見えた後は、おしなべて住宅地。
左の家々の向こうに山並みが見える。


膳所(ぜぜ)

午後5時54分、膳所駅着。
ゲーム路銀 ¥1,780-¥140=¥1,640

建てられて間もない橋上駅舎。
北口から出る。

石山坂本線の踏切を渡って北へ。商店街。
近くの義仲寺というお寺に行きたかったが、こんな時間なのでまた明日にしよう。

広い通りに出た。県道18号線・湖岸道路。
大型店舗やマンションが並ぶ。
西武大津ショッピングセンターがあるが、事前に調べたら、
ここにはゲームコーナーがなさそうなので立ち寄らない。

「Oh!Me(オーミー)大津テラス」という
変な名前のデパートへ。
最近までパルコだったらしい。

まず1階のホリーズカフェで休む。
ホリッシュという、シロノワールに似たケーキを食べる。

6階へ移動。
西日本では珍しい、THE 3RD PLANET。

プライズのスペース広い。プリクラ。メダルはパチスロ中心。
レース(頭文字D Zero、マリオカート)。
キッズ向けカードゲーム(アイカツ、プリチャン、DB、ジオウ、ガオーレなど)。

音ゲーは、maimai FiNALE、jubeat、悠久のリフレシア、ノスタルジア、
サウンドボルテックス、チュウニズム、初音ミク、太鼓の達人、ギタドラ、
ポップンミュージックうさぎと猫と少年の夢など。

ビシバシチャンネル、トランスフォーマー(ガンシューティング)、
アンパンマンのかくれんぼ大作戦(もぐらたたき)、
トーマスのたまいれ、激投伝説ブロックキング。
エアホッケー、バスケ、ガチャ。

「太鼓の達人」をプレイ。ふつうモードで、
Lemon、名探偵コナンメインテーマ、ダンシングヒーローの3曲をプレイして、
フルコンボクリア。暑い。
ゲーム路銀 ¥1,640-¥100+¥300=¥1,840

次の店へ行こう。湖岸道路を東へ。

イオンタウンアヤハプラザ。
一見、イオンタウンにしては小さく見えるが、
ここから見えない所にマックスバリュがある。

滋賀レジャーランド大津店。
いちばん手前にあるので、
看板がけっこう目立つ。

ワンダ特製カフェオレを買って、飲みながら店内を見て回る。
1階はプライズ多し。プリクラ、というかフリューのシール機もある。
音ゲーは太鼓の達人と、DanceDanceRevolution、DANCERUSH STARDOM、
グルーヴコースター3 リンクフィーバー。

キッズ向けカードゲーム(仮面ライダーバトル ガンバライジング、DBヒーローズ、
ポケモンガオーレ、ガンダムトライエイジ、プリチャン、ポッ拳)。
ガンシューティング(ダークエスケープ3D、デッドストームパイレーツ SpecialEdition)。
星と翼のパラドクス。TANK! TANK! TANK!。ビシバシCHANNEL。

2階へ。広い。そしてゲーム機が多い。ガンダムEXVS2の対戦台。NESiCA。鉄拳7。
ディシディアFF。ボンバーガール。マジアカ。麻雀格闘倶楽部。
コードオブジョーカー、三国志大戦、LORD of VERMILION、Wonderland Wars、
艦これ、FGO、BASEBALL COLLECTION。

音ゲーは、ノスタルジア、ギタドラ、jubeat、maimai、チュウニズム、オンゲキ、
シアトリズムFF、ラブライブ。
レースゲーは湾岸マキシ6、頭文字D Zero。
そして窓の外からも見えていたけど、メダルゲームのスペースが広い。StarHorseなど。

「太鼓の達人」をプレイ。ふつうモードでゲームミュージックを3曲。
ロックマン2のDr.WILY STAGE1(おっくせんまん)、
ワンダーモモーイ、シンフォニック ドルアーガ。
一応クリアしたけど、3曲ともふつうモードでも難しかった。
ゲーム路銀 ¥1,840-¥100+¥300=¥2,040

時刻は午後8時ちょうど。イオンタウンのココイチで晩ごはん。
体調のせいか、1辛なのに、やけに辛く感じた。

8時半。さらに東へ歩く。

10分後、イルミネーションに迎えられる。

びわ湖大津プリンスホテルに到着した。
丹下健三氏が設計した、
高さ133メートルの高層ホテル。
滋賀県で最も高いビルらしく、
かなり遠い所からでもよく目立つ。

今年30周年を迎えるらしい。

京都駅で預けた荷物が、本当にここまで届いていた。
荷物を受け取り、部屋まで案内して頂く。

部屋に着いたら、真っ先に荷物から血圧計を出して測定。
脈拍110。歩いてきたばかりだから、こんなもんだろうけど、
今日は休んでるときも脈が下がらなくてまいった。

ホテルでテレビ見ながら休んでたら、1時間後には89、
さらに1時間後には76まで下がったから安心した。

現在のゲーム路銀
¥2,040

今回のルート



びわ湖大津観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  京阪電気鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 226.滋賀編(17)」では、
木曽義仲と松尾芭蕉に会いに行く。
「日本縦断ゲーセン紀行 224.滋賀編(15)」に戻る


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