ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

233.かつて明るい廃墟と呼ばれた地
〜滋賀編(24)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,850


京都

2019年12月16日。今日も8時起床。今日も4時間睡眠。
ホテルで軽い朝食をとり、チェックアウト。
今晩から泊まるホテルに荷物を預ける。

京都に4泊するので、4泊同じホテルでも良かったのだが、
旅の進行具合や体調などの次第で、4泊にならない可能性があったので、
まず2泊だけ予約して、日程の途中で別のホテルを2泊予約した。

あと、今日まで泊まっていたR&Bホテルは、土曜日の宿泊料が比較的安かった。
今日から泊まる京都タワーホテルアネックスは、チェックアウトが11時。最終日が助かる。

京都駅へ。JR湖西線10時26分発、近江舞子行きに乗って出発。221系。

10時52分、堅田駅着。
ボタンを押してドアを開けた。
今日はここからスタート。

堅田(かたた)

駅の和式トイレにちょっと苦労する。
駅を出たら公衆トイレがあって、見た感じこっちの方が設備が良さそうだった。
こっちに入ればよかった。

駅前のバス停に、乗ろうとしていたバスが停車中。
もう出る時間だったので、あわてて乗る。
11時5分発の堅田循環。

今日最初の目的地は、満月寺の浮御堂(うきみどう)。
近江八景「堅田の落雁」で知られる、琵琶湖に突き出して建っているお堂だ。
事前に地図を見たら、徒歩でも行けそうだったが、
さっき電車の窓から見たら、ちょっと遠そうだったのでバスにした。

(※実は電車から見えたのは浮御堂じゃなかったことが、後でわかるのだが、
これについては後述する)

住宅地の中の細い道を走り、11時11分、堅田出町で降りた。
ゲーム路銀 ¥1,850-¥180=¥1,670

湖の方へ歩く。小さなお寺や、古い住宅が並ぶ。
「湖族の郷資料館」という建物があった。帰りに寄りたい。

バス停から7分ほど歩いて、
満月寺の山門に到着した。

拝観料¥300。
門をくぐると右側に、大きな松が並ぶきれいなお庭。

左側には観音堂。

そして正面すぐのところが湖岸で、
そこに浮御堂が建っていた。

満月寺浮御堂(うきみどう)。
琵琶湖に突き出す形で建っている。

対岸の三上山と組み合わせた眺めも美しい。
さすが近江八景。

浮御堂は長徳年間(995年頃)、源信(恵心僧都(えしんそうず))により建てられた。
源信は比叡山の横川に住んでいた。横川の恵心堂から琵琶湖を眺め、
湖上の船の安全と、衆生済度を祈願して、この地に一堂を建立した。
そして自ら千体の阿弥陀仏を刻んで、このお堂に奉安したそうだ。
現在の浮御堂は、1937年(昭和12年)の再建。

近江八景のうちの一景「堅田の落雁」の地なので、
東海道本線から離れた場所だが、鉄道唱歌で触れられている。
とは言っても、三井寺でも書いたように、
「堅田におつる雁がねのたえまに響く三井の鐘」と、
遠く離れた堅田と三井寺がひとまとめ。しかもその後に唐崎が続く。

浮御堂へ行く前に、手前の観音堂に参拝。
厨子(ずし)が並び、それぞれ中に仏像が安置されている。
真ん中の厨子だけ扉が閉まっている。この中にまつられているのが、
平安時代に刻まれた、重要文化財の聖観音座像。
お姿を直接見ることはできないものの(写真はある)、間近で拝むことができた。
格天井に描かれた絵が鮮やか。

橋を渡り、松の枝をくぐって浮御堂参拝。
小さな阿弥陀様の立像が、
びっしり並んでいる。

平安時代には、功徳を積むために数多く仏像を作る
「多数功徳作善信仰」が盛んだったらしい。
やはり源信にゆかりのある、比叡山の横川中堂を思い出した。
もっとも、横川中堂に小さな観音像が奉安されるようになったのが、
いつからかはわからないけど。

浮御堂の周りを1周してみた。
左側、すぐ近くに琵琶湖大橋。

対岸の守山市までまっすぐ延びている。

近くの水中に、白い標柱が立っていた。
これが何かはわからなかった。
(※どうやら標柱ではなくて、
高浜虚子の句碑らしい)

琵琶湖マリオットホテルの奥に、
まさに「山」という字の形をした山が見える。
近江八幡の長命寺山だろうか?
左側に、ピエリ守山も見える。

その右側の建物群。
真ん中の2つの建物は、佐川急便
(SGホールディングス)の関連施設らしい。
右端に2つある三角屋根の建物は、
たぶん佐川美術館。
平山郁夫、佐藤忠良、
そして楽直入氏の作品を多く所蔵する。

浮御堂の突端から、
正面に三上山がある。

お堂のこちら側にも扉があった。
というより、どうやらこちらの方が浮御堂の正面っぽい。
四角い厨子と、御前立の仏様。そしてその周りを小さな阿弥陀様の立像が囲む。

右側の湖上に、何か浮かんでいる。

屋根のある建物だ。
さっき電車の窓から見えて、
浮御堂だと勘違いしたのはこれか。

(※琵琶湖の水質などを調査している、「雄琴沖総合自動観測所」らしい)

浮御堂から見た満月寺の境内。

境内には、松尾芭蕉の句をはじめ、
いくつかの句碑が建つ。
(ほとんど読めないが)
この句碑は、
「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」

そりゃあ一句二句詠みたくなるよと思うくらいの素晴らしい景色。
さざ波の音と水鳥の声。
月曜なので参拝客は少ないが、ゼロではない。ちょうどいい。

源信ゆかりのお寺というのもいい。
NHK「歴史秘話ヒストリア」の、極楽と地獄の回が好きだったので。
源信が書いた「往生要集」は、平安時代の貴族によく読まれ、
日本人の極楽・地獄のイメージに、大きな影響を与えた。

満月寺を後にし、続いては、
湖族の郷資料館へ(入館料¥200)。
古い家の中に、堅田の歴史と、
ゆかりの人々に関する解説が展示されている。

堅田は琵琶湖の最も細い所に位置するため、水運の拠点として発展した。

1090年(寛治4年)、下鴨神社の御厨(みくりや・神饌の調達場所)が設置される。
堅田の人々は下鴨神社に魚を献上し、代わりに漁業権などの特権を得た。
また延暦寺の荘園にもなった。
堅田は殿原衆(侍)、全人(まろうど)衆(商人・農民)を中心とした、
自治的な町になっていった。

1468年(応仁2年)、堅田大責(かたたのおおぜめ)。
延暦寺から「仏敵」とされて逃亡した蓮如が、
堅田で勢力を築いたことなどがきっかけとなり、
室町幕府の命で、延暦寺が堅田を焼き討ちする。堅田はほぼ全滅した。
しかしその2年後(文明2年)に町は再建された。

豊臣秀吉には特権を保障され、江戸幕府は堅田を天領とした。
水運の中心は大津へ移ったが、以後堅田の産業は漁業中心となる。

湖族の郷資料館

堅田ゆかりの人物に関する解説展示。
まず勾当内侍(こうとうのないし)。「太平記」に登場する新田義貞の妻。
義貞は1338年、越前で戦死するのだが(前回の日吉大社の碑のあたり参照)、
「太平記」ではその後、勾当内侍は京で尼になって義貞の霊を弔った。

しかし堅田に伝わる話では、堅田の今堅田に留まっていた内侍が義貞の死を知ると、
絶望して琵琶湖に入水したという。
今堅田には勾当内侍廟が作られ、1497年には内侍を祭神とした野神神社が建立された。
現在でも毎年、命日とされる10月8日頃には、
内侍の霊を慰める「野神祭り」が行なわれているらしい。

1406年(応永13年)、華叟宗曇(かそうそうどん)という高僧がひらいた祥瑞寺には、
1415年(応永22年)にあの一休宗純が入り、華叟のもとで修行した。
一休という道号を与えられたのはこの時期だそうだ。
一休は祥瑞寺で足掛け13年修養したと伝わる(異説有)。

本願寺中興の祖・蓮如は、1465年(寛政6年)の寛政の法難
(京都の大谷にあった本願寺が、延暦寺の衆徒に破却された事件)で
拠点を失っていたが、堅田の本福寺住持の法住が手を差し伸べて、蓮如をかくまった。
全人(まろうど)衆の支えもあって、浄土真宗はこの地で発展した。
しかし1468年、延暦寺が今度は堅田を焼き討ちし、蓮如は再び逃亡を余儀なくされた。

昨夜、堅田駅の近くで顕彰碑を見た、志賀廼家淡海(しがのやたんかい)の、
写真や遺品が展示されている。
明治末期から昭和中期にかけて活躍した喜劇俳優。
1917年(大正6年)に発表した「淡海節」という歌が大ヒットしたそうだ。
その後、松竹の専属となる。
戦後・晩年は、親鸞や蓮如の生涯を描いた宗教劇に力を注いだ。

堅田出身の作詞家・奥野椰子夫(やしお)氏は、
1941年(昭和16年)に、「琵琶湖哀歌」の作詞を手掛けている。
この年、琵琶湖で事故に遭って亡くなった、
第四高等学校(金沢大学の前身)漕艇部部員など11名を追悼する歌。
奥野氏は、二葉あき子さんの「夜のプラットホーム」を作詞したことでも知られる。

湖族の郷資料館には2階があった。
堅田をテーマにした、さまざまな文学作品の紹介。
屋根裏に所狭しと並ぶ漁具や農具。
5畳半の座敷。

素朴な感じながらも、しっかり濃い内容の展示施設だった。

湖族の郷資料館

近くにあった本福寺に参拝。
参道の松が立派。
本堂は新しくて大きい。学校の講堂のよう。

蓮如上人の銅像が建つ。

先ほども書いたが、延暦寺衆徒により大谷本願寺を破壊された蓮如は、
本福寺第3世住持の法住に招かれて、一時ここを拠点としていた。
(現在、本福寺の門前には「本願寺旧址」の石碑が建つ)
だが1468年に延暦寺が堅田を焼き討ちし、蓮如は大津へ移った。

堅田の町と本福寺は2年後に再建されるが、
蓮如の息子の蓮淳が本願寺の実権を握ると、蓮淳は本福寺を3回も破門して弾圧。
本福寺は没落せしめられた。餓死者も出る有様だったらしい。
蓮淳が住持を務めた顕証寺(近松別院)と、
本福寺の布教地域が重なっていたためとされる。

本福寺第5世住持・明宗(みょうそう)は失意のうちに死去。
明宗と、続く第6世・明誓(みょうぜい)が記した「本福寺跡書」によって、
当時の苦境が後世に伝えられている。

江戸時代の第11世住持・明式は、松尾芭蕉の高弟で、
「千那」(せんな)という俳号で知られる。
芭蕉自身もこの寺を3度訪れている。
次代の第12世・明因も、「角上」の号を持つ俳人。

現在の本福寺境内では、子供たちのにぎやかで楽しそうな声が聞こえる。
幼稚園・保育園を併設しているらしい。
かつての苦難の歴史が想像できない、明るい雰囲気の場所になっていた。

境内に、「徳仁親王御参拝記念碑」が建っていた。
徳仁親王とは今の天皇陛下である。え、本当にここに天皇陛下が?
(※1983年(昭和58年)、本福寺跡書を御覧になるために参拝されたらしい)

現在12時52分。堅田駅まで戻ろう。
バス停に着いたが、次のバスは午後1時15分。歩いた方が早そうだ。
町を一度歩いてみたいし、ゲーム路銀も節約したいし。歩いてみた。

左に東洋紡の大きな工場。
右の小学校は休み時間中のようで、校庭が子供たちでにぎわっている。
その隣に高校もある。

右に曲がって、広い道を歩く。県道558号(もと国道161号)。
歩道もそれなりに広いのだが、右側だけ車道との段差がない。

駅前に「湖族の郷」像が建っていた。

午後1時21分、堅田駅着。

次の場所を目指す。といってもバスが1時間に1本で、
次は2時ちょうどなので、少しここで休む。

目的地は、琵琶湖大橋対岸のピエリ守山。
2019年3月から、堅田駅とピエリ守山を結ぶ無料バスが運行開始されたので、
ピエリに行くのが楽になった。

今回の旅の予定を立てる段階では、ピエリの近くにある
琵琶湖マリオットホテルに1泊して、ホテルの送迎バスを使おうかとも考えていた。
ただ、ホテルにいつも空き室があるわけではないので、
日程を組むのが難しくなると思っていたのだ。

そのホテルのバスが、1時40分に駅前から出ていった。

ツイッターを見たり、
駅前ロータリーの中に
何かのモニュメントがあるのを
見つけたりしながらバスを待つ。

1時56分にマイクロバスが来た。
若い学生さんが多く、
利用客は十数人くらいになった。

定刻の2時ちょうどに出発。
途中、道の駅「びわ湖大橋米プラザ」に寄る。新たな乗客はなし。
いよいよ琵琶湖大橋を渡る。

左側の窓から、
琵琶湖の広い側(北湖)が見える。
橋には歩道があって、歩いてる人や、
自転車に乗ってる人の姿を見かける。

ピエリ守山がすぐに見えてきた。
その左に琵琶湖マリオットホテル。

ピエリ守山

2時16分、ピエリ守山に到着した。
停留所は、別棟の「天然温泉 守山湯元 水春」の下にあり、
ピエリの入口は小さくてちょっと裏口っぽい。

なので、いったん建物の中を突き抜けて、
広い所からあらためて撮影。

とは言え、何しろここは
滋賀県最大のショッピングモール。
これでもほんの一部しか写ってない。

ピエリ守山は2008年に開業したが、
リーマンショックの影響や、競合店の出現などにより、
テナントがどんどん減っていった。
2013年には遂に店舗数がひと桁になり、「明るい廃墟」と呼ばれる有様だった。

しかし2014年12月にリニューアルされると、その後は順調に運営されているようで、
今は大きなテナントがいっぱい入っている。良かった良かった。

昼ごはんを食べたい。2階の両端に、レストラン街とフードコートがある。
建物の中を歩くと、広いし、凄く大きな店舗が並んでいるし、
まるで東京ゲームショウに来たみたい。
まあさすがにあんなに混雑してないけど。平日の昼間だし。

ピエリ守山

フードコート脇のトイレからの眺めが良い。

フードコートで昼食。スガキヤやモスバーガーがあり、迷ったが、
結局、どんぶり一番のかつ丼を食べた。
玉子とじかつ丼。うまい。滋賀じゃなくて鹿児島産の黒豚だけど。

フードコートにテラスがあって、
外に出られる。

琵琶湖越しに比良山系。
さすがは近江八景。

フードコートの隣に、おなじみのKid's US.LANDがあった(テラスと逆の側)。

1階の出口から、湖畔に出られる。

桟橋がある。
現在はあまり使われていないらしいが。

もちろん琵琶湖大橋も見られるけど、思い切り逆光で、写真が撮れなかった。
「ゲームセンターCX」だったら、こんなときにAP東島さんが、
西日除けになってくれるのに。

かつ丼を食べた頃から、暑くなってきた。
さてゲームコーナーへ行こう。
「GAME FIELD」。やっぱり広い。
手前半分くらいがプライズ。
キッズ向け(ディズニーツムツム、プリチャン、ポケモンガオーレ、
仮面ライダー ガンバライジング、けものフレンズ、ゾイドワイルド等)。
マリオカート、マリオ&ソニックATリオオリンピック、ルイージマンション。
エアホッケー。

奥の半分くらいのエリアは、メダルやのりものが中心。乗れる巨大なプラレールも。
湾岸ミッドナイト、音ゲーのmaimai、電車でGO!の箱筐体など。

あとプリントシール機も。長年このゲーセン紀行では「プリクラ」と書いていたが、
「プリント倶楽部」のアトラスが撤退して久しく、
現在はほとんどフリュー社の筐体しか見かけないので、
今後は「プリントシール機」と書くことにする。

……で、ここまで来て、1台の「太鼓の達人」をうまい人がプレイ中で、
プレイできないパターン。
まあ今ちょっと暑さと疲れがあって、太鼓を打ったら体調崩しそうだし。

……帰りかけたところで、プライズの並ぶエリアの柱の裏に、
太鼓の達人がもう1台あるのを見つけた。
でももう帰りのバスの時間だ。プレイせずにそのままバス乗り場まで向かった。

しかし、ゲームコーナーからバス乗り場まで意外と近く、出発10分前に着いてしまう。
しかも、さっきのカツ丼が良かったのか、今になって体調が回復してきた。
太鼓の達人1プレイくらいはできたか?

ピエリ守山から、無料バスで堅田駅へ戻る。

巨大だがオーナメントのない
クリスマスツリーが、
LEDでうっすら光り始めた。
写真を撮って、
既に停車中のバスに乗り込んだ。
午後4時40分出発。

それにしても、あの巨大なショッピングモールに、
一時期テナントがひと桁しかなかったとは信じられない。
そしてよくその状態から、ここまで復活したもんだ。

ピエリ守山

今回は行かないが、ピエリ守山から湖岸沿いに南下すると、
大きな観光・文化施設が点在しているようだ。
さっき浮御堂から見えた佐川美術館は、
平山郁夫、佐藤忠良、そして楽直入氏(楽家15代)の作品を多く所蔵する。

また琵琶湖博物館には、琵琶湖の自然環境や、
有史以前から現代に至るまでの歴史、人々の暮らしについての大規模な資料展示があり、
さらに琵琶湖の魚を展示する水族館を併設している。

そのほか、ハスやスイレンなどの水生植物を中心に、
さまざまな植物が見られる草津市立水生植物公園みずの森や、
体験農園・いちご狩り農園のあるロックベイガーデンがある。

ただ、これらの施設が、集中しているのではなく、点在しているので、
ハシゴして見て回るのはかなり難しそう。

佐川美術館  滋賀県立琵琶湖博物館
草津市立水生植物公園みずの森  ロックベイガーデン

彼方の空が夕焼けに染まる。

堅田(かたた)

4時55分、堅田駅着。帰りは米プラザに寄らなかったが、
合流にてこずったり、信号に引っかかったり、バス停を塞いでる乗用車がいたりして、
やはり15分かかった。

さて疲れもなくなったので、もう1ヶ所のゲーセンに行こう。
駅から北へ歩いて10分程度。

アクト堅田に到着した。

近江八幡店に行ったときと同様、
看板が目立ったので、
迷わず来ることができた。

店内案内図を見る。
1階はパーラー(パチンコ)中心で、ほかにカフェ、コインマッサージ、麻雀。
2階にボウリング、カラオケ、ビリヤード、ダーツ、そしてゲーム。

今まで行った店舗では、ゲームコーナーは「アミューズメント」と表記されていた。
考えてみれば1990年頃から、ゲームセンターのことを
「アミューズメントスペース」と呼ぶ動きが業界内で起こっている。
結局、業界外であまり定着しなかったようで、
こういう大型の複合娯楽施設で、素直に「ゲーム」と書かれているのを見ると、
時代がひと回りした感がある。

まずカフェククで、アイスカフェラテを飲んで休憩。
三方をパチンコ店に囲まれているので、決して静かな場所ではないのだが、
座席がゆったりしていて、くつろげる。

さてゲームコーナーへ行こう。入口には「AMUSEMENT」の文字がある。
とにかくメダルのエリアが広い。次にプライズ。
音ゲーもまあまあある(maimai、WACCA、ギタドラ、jubeat等)。
キッズ向けの、けものフレンズやガンバライジング等。
マリオカート。エアホッケー。

カードバトルも、前回から7ヶ月空いたら陣容が変わってきてて、
WCCF FOOTISTAなどが入っている。
(※後から調べたら、前回の旅の時点で既にFOOTISTAは稼働していた)

ビデオゲームもあるけど、最近はどこもNESiCA×Liveになってて、
一見では手を出しづらい。(鉄拳7とガンダムは別にある)
さっきツイッターを見てたら、カプコンカップの結果が入ってきたので、
ストリートファイターVをやりたくなったけど、このゲームはプレイしたことがない。
ストIIからスパII Xくらいまでなら、まあまあやり慣れているんだけど。

メダルゲームをやりに来ている50代以上の人に向けて、
もしレトロゲームを置いてみたら、けっこうインカムが稼げ……ないかな。

太鼓の達人は1台。今度は空いていたけど、
ボウリングの店員さんのカウンターの真ん前で、何となくプレイしにくい。

ほかには戦場の絆。これも以前よりは見なくなったか?
ガンスリンガーストラトス。ビシバシCHANNEL。
卓球2台。ダーツ1台。プリントシール機。麻雀格闘倶楽部がけっこうな台数あった。
ダンスダンスレボリューションX。ワニワニパニック2。
ハウスオブザデッド2、4などガンシューティング。

トイレに行って戻ってくると、学生さんのグループが太鼓の達人をやってた。
プレイできるゲームが、いよいよ「ビシバシCHANNEL」しかなくなった。

ドアのステージをクリア。スマホもクリア。忍者は失敗。金庫クリア。釣り失敗。
3面クリアした。この短時間で3面クリアできるなら、もう1プレイしてみよう。
フンコロガシ、ニンジン、収穫(失敗)、ゾンビ、アミダ、猫(失敗)。4面クリア。
さらにもう1プレイ。今のと全く同じゲームだったが、
今度はアミダで失敗して3面クリアまで。
ゲーム路銀 ¥1,670-¥300+¥1,000=¥2,370

ぐんぐんグルトを買って飲んでひと休み。
堅田に来て以降、アルプラザでもピエリでも、ゲームをやっていないので、
とにかくゲームができて良かった。

駅に戻る。堅田でのクエストはこれにて終了。湖西線で引き返そう。
午後7時20分発の京都行きに乗り、とりあえず目指すのは比叡山坂本。
その先は、ゲーセン紀行のルートとしては、まだ乗ってないことになってるから、
明日また来て景色を見たい。
今朝、堅田まで来るときに通ってるので、
湖岸に松っぽい木が生えているのは、一応見ているんだけど。

電車は113系8両編成。おごと温泉で特急の通過待ち。
7時30分、比叡山坂本で降りた。(ゲーム路銀 ¥2,370-¥200=¥2,170
明日はここからスタート。

〜おごと温泉〜
比叡山坂本

あらためて、7時43分発の京都行きに乗る。
同じ8両編成でも、今度は223系だ。

8時1分、京都駅着。

京都

この時期の京都駅名物。
大階段の巨大クリスマスツリー。

ホテルにチェックイン。
今日のおさらいでいろいろ調べてたら遅くなったので、晩ごはんはコンビニ弁当。


現在のゲーム路銀
¥2,170

今回のルート

守山市観光物産協会  びわ湖大津観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  京阪電気鉄道


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 234.滋賀編(25)」では、
遂に京都へ突入!
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