ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

236.悪縁を切り良縁を結ぶ
〜京都編(2)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,920


2021年12月13日。東京駅午後6時39分発ののぞみ251号に乗る。
グリーン車。N700Sに乗ったのは初めて。

コロナ禍の影響で、まる2年ぶりの旅となる。まだ不安はあるけれど、
私のあまりの疲弊ぶりに、母親から、旅行で気分転換するよう勧められた。
……2年前に出発したときと同じ状況だ。

その後、細かい仕事が入ったり、体調が悪くなったりして、
日程が当初の予定より遅くなったのも前回と同じ。
(疲れが溜まってなかなか起きられない。昨日は地震で起きて、今日は腹痛で起きた)

あまつさえ、前の年に作ったゲームが大コケしたことまで同じだ。
(つまり、2年前に熱海で取材して作った
『霧笛があの娘を呼んでいる(芸能人 真澄田竜子)』がコケたのだ)

『芸能人 真澄田竜子 -霧笛があの娘を呼んでいる-』

こりもせず、次に作るゲームに関連した場所へ行こうとしているのも前回と同じ。
ただし今回は取材じゃなくて、ゲームに登場させる予定の、
歴史上の人物に縁のある寺社を回って、ヒット祈願をするつもり。
このブログがそのゲームの宣伝になったらいいけど……。
まだ完成まで程遠いので、今宣伝してもしようがないか。
絵と文章は終盤あたりまでできたけど、プログラムが全然だ。

午後8時51分、京都着。ホテルにチェックイン。
コンビニで牛すき丼を買い、『クイズ!脳ベルSHOW』を見ながら食べた。

京都('21.12.14)

旅用の生活時間帯にまだ慣れなくて、うっかり午前5時まで起きてた。
翌14日、午前9時少し前に起床。
昨夜コンビニで買ったメンチカツサンドを食べ、出発。

ゲーセン紀行のスタート地点は醍醐だが、その前に、
とにかく今回最初に行きたい所があるので、まずそこへ向かう。

地下鉄烏丸線。京都駅10時50分発の国際会館行きに乗る。
車両は近鉄の3220系だった。

10時53分、四条駅で降りた。
徒歩で阪急の烏丸駅に移動。

11時01分発の阪急9300系で、
次の終点・京都河原町へ。

京都河原町

交差点四つ角のビルそれぞれに、
「阪急京都河原町駅」の文字が。

時計の上に舞妓はんの銅像。

河原町といえば、「お座敷小唄」を思い出す。
私が生まれる前の流行歌だが、祖父がよく歌っていたので、私も小さい頃から、
どこにあるかはわからなかったが「先斗町」と「河原町」という地名だけは知っていた。

八坂神社の方向に歩き、四条大橋へ。

東華菜館の前を通り、振り返って建物を撮る。
1926年(大正15年)竣工。
近江八幡を拠点に活動した、
あのウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計。

川向こうにはレストラン菊水。
こちらの建物も1926年竣工らしい。
この向かいには、
1929年(昭和4年)竣工の南座もある。

1200年余りの歴史を持つ古都・京都だが、
ただ古いものを安閑と守っているわけではなくて、
むしろこれらの建物のように、積極的に新しい文化や情報を取り入れてきた。
だからこそ、何度もあった危機を乗り越え、現在も都として存在し続けているのだ。

さっき道端で、“反マスク派”の団体がブースを出して活動していた。
1年半前にWHOのテドロス会長が、
「ウイルスに感染していない人がマスクをしても意味がない」と発言した時点から、
情報がアップデートされていないのだろう。
スーパーコンピュータ「富岳」によるシミュレーションの結果を、
情報として取り入れることを拒んでいる。こういうのは単に時代遅れという。
(皮膚病の人や、幼児など、事情があってマスクをつけられない人は別だが)

観光旅行なのに、
こういう重苦しいことを考えてしまい、
気分転換ができてないまま鴨川を渡る。

南座の前を通る。八坂神社には向かわず、
『仮名手本忠臣蔵』に登場した、
一力亭のある角を右に曲がる。

花見小路通。
お茶屋や置屋などが並ぶ、
京都らしい町並みとして知られる。
ただし、今の時間は思いっきり逆光で、
写真が撮りづらい。

そこかしこに、「私道での撮影禁止」と書かれた看板が立っているが、
どこで撮影するのが駄目で、どこがOKかわからない。
さすがに、この道路の真ん中から町並みを写すのはOKだろうと判断したが……。

わらび餅屋に少し行列ができているなど、人通りはそこそこある。
でも、コロナ禍の前は平日でも、こんなに歩きやすい道ではなかったのかもしれない。

ウインズ(場外馬券場)の前から、
振り返って北を向いて写真を撮ったら、
まあまあきれいに撮れた。

本来、この通りは石畳なのだが、
現在は水道工事のため、アスファルト舗装になっているらしい。

花見小路の突き当たりが、建仁寺の入口。
昔は、花見小路の四条通以南が、全部建仁寺の土地だったらしい。
『ブラタモリ』で知った。
看板が出ている。昨日・今日の2日間、法要のため拝観休止とのこと。
ここが今日の目的地じゃなくて良かった。

そう、今日最初の目的地はまだまだ先。
道なりに左へ折れてさらに歩く。

右手に石の鳥居が現れた。
「悪縁を切り良縁を結ぶ」と書いてある。
この鳥居をくぐったら、ほどなくして、
安井金比羅宮の境内に入った。

なんかけっこう混んでるぞ。
拝殿の前にも社務所にも、
その間にある碑の前にも行列ができてる。
若い女性が比較的多い。

「縁切り神社」として知られる安井金比羅宮。
もともとは藤原鎌足が藤を植えて藤寺を造った所で、
後に崇徳上皇がこの藤を好み、寵妃の阿波内侍(あわのないし)を住まわせた。

崇徳上皇は保元の乱に敗れ、讃岐に流されそこで崩御した。
それから13年後の1177年(治承元年)、
大円法師という人物がここの御堂に参籠したとき、崇徳上皇が姿を現した。
ちょうど政情が不安定で、崇徳上皇が怨霊になったと言われ始めた頃。
後白河法皇の命令で、光明院観勝寺が建立された。

光明院観勝寺は応仁の乱で荒廃したが、
1695年(元禄8年)に太秦安井にあった蓮華光院がここに移された。
その際に鎮守として、同じ崇徳天皇を祭神とする讃岐の金刀比羅宮から、
大物主神と、源頼政公が勧請された。

明治維新の後、蓮華光院が廃されて、鎮守社が「安井神社」となり、
さらに「安井金比羅宮」と改称された。

……というのが公式な由緒であるが、少し謎なのが源頼政の合祀である。
そもそも金刀比羅宮に頼政はまつられていない。
もっと言うと、頼政は保元の乱で崇徳上皇と敵対した、
後白河天皇の側についていたのだが……。

(Wikipediaには、蓮華光院の開基の道尊が、頼政とともに平家と戦った
以仁王(もちひとおう)の遺児だからという説が書かれている。
確かに、頼政がまつられている理由は、それくらいしか考えられない)

安井金比羅宮

私が今作っているゲームは、香川県が舞台。
香川といえば、こんぴらさん。
なので今回、京都のこんぴらさんでヒット祈願をしたかったのだ。

しかも御祭神の崇徳天皇を、
ゲームの中に登場させたいと考えているし。

しかしそれ以上に、真っ先にここへ来たかったのは、
とにかく自分の今までの人生、特に仕事と恋愛と健康面で流れが悪かったので、
この流れをいったん全て断ち切ってから、ほかの寺社を巡ろうと思ったからだ。

昨日の朝に腹痛で目を覚ましたときは、
「何か大きな力が、私を安井金比羅宮へ向かわせないようにしているのではないか?」
とすら思ったが、その後は体調を崩すこともなく、無事にたどり着いてまずは良かった。

……まあ、ここがなぜ“縁切り神社”として知られるようになったのかも、
あまり明確ではないのだが。公式の説明も後付けっぽいし。
『お座敷小唄』の歌詞じゃないけど、花街の近くにあったから、
縁切りを願う参拝客がかねてより多かったのだろう。

トイレを借りに、社務所の隣の金比羅会館に入ったら、
玄関の上に「清明」の額が掲げられていた。
戦前の内閣総理大臣・近衛文麿の書だそうだ。外の手水鉢にこの字が刻まれている。

列が途切れた隙に、拝殿に参拝。

続いて本殿に参拝。
拝殿と本殿は分かれている。

そしていよいよ、
「縁切り縁結び碑(いし)」へ。
願い事の書かれた
「形代」(かたしろ)という紙が、
表面を埋め尽くしている。
モンスターズ・インクのサリーみたいだ。

行列ができていて、祈願できるまで少し時間がかかりそう。
平日だけど昼の12時台。人が多くて当然か。
しかもここでは祈願の際、碑にある穴をくぐるので、1人あたりの所要時間がやや長い。
よほど混むことがあるのか、
「碑をくぐらず、形代をお貼り頂くだけでも差し支えございません」という貼り紙が
境内の随所にあった。

形代に願い事を書く。
何をいくつ書いてもいいらしい。

同じ願いを絵馬にも書いた。

エビデンスなきテレビゲーム害悪論を唱える人々が、
改心するか、もしくは権力の座から滑り落ちますように。

今作っているゲームのヒットも祈願したかったが、
このゲームを作ることが果たして、
自分の願いを叶える最適な手段なのかどうか自信が持てなくて、
何かざっくりした文言になってしまった。

絵馬を掛けた後、少し空いてきたので、
いざ「縁切り縁結び碑」へ。

形代を持って、碑の中の小さな穴を、手前から向こうへくぐって悪縁を切る。
すぐに向こうからこちらへくぐって良縁を結ぶ。
そして、形代に糊をつけて碑に貼りつける。

仕事運、健康運、恋愛運、いろいろ念じて穴をくぐる
……ような余裕がないくらい穴が小さい。
荷物を持って穴を通る場合、荷物を先に向こうへ通した方がいい。
とは言え、穴に体がつっかえることはなく、見た目の印象ほど通りにくくはなかった。

(※このときは気づかなかったが、絵馬にも形代にも、自分の名前を書くのを忘れていた。
気づかないまま、2日後にも同じミスを繰り返すことになる)

【追記】後から知ったが、
縁切り縁結び碑(いし)と形代は、1978年(昭和53年)に、
石刻画家・山田光造氏が考案、制作されたものだそうだ。
穴をくぐるという参拝方法も、山田氏の考案によるもの。
(混んでいたので私はよく見ていなかったが、)
ネットに上がっている縁切り縁結び碑の解説文を見ると、
確かに「奉製 石刻画家 山田光造」と記されていた。

以前私が見た、近江鉄道多賀大社前駅の
近くにあるモニュメントも、
山田光造氏の作品。
雨に煙る神の島

山田光造氏のサイト

絵馬を展示する金比羅絵馬館があるが、閉まっていた。
桂米朝一門の落語会が行なわれている関係で、
米朝さんと、米朝さんにゆかりのある芸能人の書いた絵馬が、屋外に展示されていた。

お守りをお受けする。縁切・縁結守(えんぎり守とえんむすび守のセット)。
心機一転御守(中に入っている輪っかを外から触りながら、輪をくぐり抜ける自分をイメージする)。
もうかり守り(藻を刈る(=もうかる)舟が描かれている)。

蓮華光院の柱を支えていた力石をまつる八大力尊社(八人の屈強な坊主頭の男の石像が鎮座)、
久志塚(櫛をまつる。毎年9月の櫛まつりで、櫛やかんざしの供養が行なわれる)、
そして天満宮にお参りする。
厳島社や稲荷社などは修理中だった。

安井金比羅宮

安井金比羅宮を後にする。
2021年は、お正月から一度も神社に行っていなかったので、何気にこれが初詣である。

来た道を戻る。
参道にあるラブホテルを見て、とにかく恋愛運が良くなってほしいと改めて感じた。

花見小路を北へ進んで、四条大橋へ向かう。
舞妓さんとすれ違った。

祇園四条

四条通に戻ってきた。
南座でっかいなー。
まねき(役者の名前が書かれた看板)が
正面に並ぶのはこの時期だけらしい。

出雲阿国が最初に拠点とした場所が四条河原とされており、
南座には「阿国歌舞伎発祥之地」碑が建つ。
また、(今回私は見ていないが)鴨川沿いには出雲阿国の銅像もある。

京阪電鉄の祇園四条駅へ。

地下のコンコースの壁に、
祇園祭の山鉾の絵が描かれている。

ゲーセン紀行のスタート地点へ向かおう。
午後2時22分発の準急・淀屋橋行きに乗る。1000系7両編成、ロングシート。
地下区間を一路南へ。七条駅を過ぎたら地上に出た。

2時27分、東福寺駅着。

JR西日本の奈良線に乗り換える。
2時36分発、みやこ路快速・奈良行き。221系6両編成、クロスシート。
あの伏見稲荷の最寄り駅、稲荷駅をすっ飛ばす。
桃山駅でいったん、すれ違いのため停車。いつの間にか単線になっていた。
(※1駅前のJR藤森から、宇治まで単線)

2時45分、六地蔵駅で降りた。
電車の写真を撮るのに失敗。
ホームの柱が顔の真ん中にかかった。

再び地下鉄に乗り換え。今朝乗ったのは烏丸線だが、今度は東西線。
2時52分発、太秦天神川行きに乗る。

2時56分、醍醐駅着。
2年ぶりのゲーセン紀行は
ここからスタートだ。

醍醐(だいご)

醍醐駅は、「パセオ・ダイゴロー」という
商業施設と直結している。
道路を挟んで西館と東館があり、
こちらが西館。
ヤマダ電機や、図書館などが入っている。

こちらが東館。
平和堂のアル・プラザ醍醐となっている。

まず何か食べたい。
ホリーズカフェに行ったが、2年前と同じように、今日も混んでいた。
お客さんが戻ってきたのはいいことだ。

1階フードコートのマクドナルドで、グラタンコロッケバーガーを食べる。
ここまでは、2年前と同じルーティーンだ。
1つだけ違うのが、テーブルを仕切るアクリル板があること。

2年前に立てた計画では、ここから醍醐寺へ行くはずだった。
しかしそのとき私は、桜が咲く季節に来ることを想定していた。
何といっても、豊臣秀吉が生涯最後の花見を楽しんだあの醍醐寺だ。

今は季節が違う。
それに今回は、自分が今作っているゲームに登場する人物に、
ゆかりのある場所へ行くことを優先させたい。

ということで、醍醐寺へ行くのはまた今度にしよう。
同様に、近くにある隨心院(小野小町の邸宅跡といわれる)と、
勧修寺(かじゅうじ)(醍醐天皇の祖父母・藤原高藤と宮道列子が出会った場所とされる)に
訪れるのも、次の機会に。

醍醐寺 隨心院

アルプラザ3階にある、
「室内ゆうえんちユーイング」へ。
良かった。開いてた。
このご時世だから、休業してるのではないかと、
不安だったのだ。

プライズ、メダル、のりものが中心。
メダルゲームのエリアに、年配のお客さんが多い。平日はこの客層が主力のようだ。
このエリアの奥に、1台だけポツンと、プリントシール機がたたずんでいる。

ほかにあるのは、トレーディングカードゲームの、
仮面ライダーバトル ガンバライジングや、スーパードラゴンボールヒーローズ。
そして、プロボウル2、アンパンマンのかくれんぼ大作戦(もぐらたたき)など。

太鼓の達人が1台あることを、2年前に確認していた。
そのときは、うまい人がプレイ中だったのだが、
……今回も、うまい人がプレイ中。
そこまで2年前と同じシチュエーションになるか!?

やばい。
地下鉄東西線の沿線には、ほかにもショッピングセンターがあるものの、
事前に調べたところ、ゲームコーナーがなさそうなのだ。

東側の窓から見えた、醍醐寺方面の山々。

ひとまず駅に戻る。次の目的地は2駅先の椥辻。
2年ぶりの旅なので、そろそろ疲れてきた。
地下鉄東西線の午後4時19分発、太秦天神川行きに乗る。
4時23分着。(ゲーム路銀 ¥1,920-¥220=¥1,700

〜小野〜
椥辻(なぎつじ)

椥辻駅2番出口のすぐそばに、

イオンタウン山科椥辻があった。
後ろの山が赤い!

さっきの醍醐の山々から
つながっているはずだが、
なぜかこの山だけ、赤い部分が広い。

イオンタウン山科椥辻は、イオンといっても大きくはない。
1階は主に、イオンフードスタイルというスーパー。
2階はダイソーと、ドラッグストア ダックス(ウエルシア系列)など。
3階はスポーツクラブ ルネサンス。

店内の掲示によると、ここはもともとヒカリ屋というスーパーで、
後にダイエーの系列店になっていたらしい。
ゲームコーナーはなかったが、それは事前に得た情報通りだったし、
いい山を見られたので、満足して先へ進む。

5時1分発の太秦天神川行きに乗り、
5時4分、山科駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥1,700-¥220=¥1,480

〜東野(ひがしの)〜
山科

地下道を通ってJRの山科駅へ。

今日は12月14日。鉄道唱歌の山科のくだりで、
大石内蔵助の旧宅について言及されていたことを思い出した。
(鉄道唱歌の時代の山科駅は、今とは別の位置にあったが)

山科には、ラクト山科という複合商業施設があるが、
事前の調べでは、ここにもゲームコーナーはなさそう。
一応行って確認したいけど、今日はもう疲れた。
今後、醍醐寺へ行く際に、1駅前の東野にある西友とともに確認しよう。
今日は京都のホテルに戻ろう。

ホームで久しぶりに、ピンポンパンポロンという列車接近メロディーを聞く。
5時22分発の新快速・姫路行きに乗った。223系12両編成。クロスシート。

もう夜なので、外の景色はあまり見えない。
過去に何度もこの区間は通っている。高架で見通しが良かったはず。
長いトンネルを抜け、鴨川を渡る。

5時27分、京都駅着。
ゲーム路銀 ¥1,480-¥190=¥1,290
223系は夜景によく映える。

京都

東寺の塔を左にて とまれば七条ステーション
京都々々と呼びたつる 駅夫のこゑも勇ましや

鉄道唱歌では、京都駅についてこう描写された後に、
京都の名所・名物が、ひたすら列挙されていく。
大和田建樹さんが京都観光を、凄く楽しんだであろうことがうかがえる。

八条口(南口)に出て、近鉄モール「みやこみち」を通る。

みやこみち名物「みやこの滝」を眺める。
ハートとか文字とか五重塔とか、
いろんな形になって水が落ちていく。

いったんホテルに戻って休憩。寝ようと思ったけど寝られなかった。
午後8時頃、外へ出る。

ホテルのそばにあるイオンモールKYOTOへ。
ここにナムコのゲームコーナーがあるらしい。
ナムコへ行って、あと晩ごはんも食べよう。

4階、エスカレーターの降り口正面に、でかいnamcoのロケーションがあった。
その隣にフードコート。ほかにも飲食店が多い。
あと、鉄道模型や鉄道グッズのポポンデッタもある。
レトログッズや駄菓子を扱う、1丁目1番地も。

先にフードコートへ向かったら、エリア入口に何か書いてある。
営業時間は午後9時までらしい。今8時半。焦る。

何を食べるか、あらかじめ決めていたのは幸いだった。
丸亀製麺。早く食べられそうで、ある程度ボリュームがありそうな、
タル鶏天ぶっかけうどん(冷)。うまい。

今回の旅では、自分が今作っているゲームに関連のある場所を回っている。
このゲームの舞台が香川県なので、初日はうどんを食べようと思っていたのだ。
しかもゲームの内容から言って、香川発祥でない丸亀製麺は都合が良かった。

食べ終わったらちょうど、店内に『蛍の光』が鳴り出した。
時計を見たら8時45分。……あ、もしかしてナムコも9時で終わるのか?
フードコートの隣のナムコに急いで移動する。

「あと10分で閉店となります。本日の営業時間は午後9時までです」

案の定だった。
広いスペースの中に、『太鼓の達人』が2台あることは確認できたが、
もうプレイする時間がない。次の機会に。
かつて近江八幡で、2プレイ¥100のゲームを1回しかプレイできなかったのを思い出した。

現在のゲーム路銀
¥1,290


今回のルート

 

京都市観光協会  京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本)  京都市交通局  阪急電鉄  近畿日本鉄道  京阪電気鉄道


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 237.京都編(3)」では、
弘法大師ゆかりの東寺と、崇徳天皇ゆかりの白峯神宮へ。
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