ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

34.民話の里で待ちぼうけ
〜岩手編(6)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 \5,950



2004年10月28日。
午後6時56分発、ビジネスマンで満員のはやて27号で盛岡に向かう。
9時38分着。駅近くのホテルに入る。
新幹線の中で、不自然な格好で寝ていたせいか、ずっと具合が悪い。
着いて2時間ほどでようやく回復するが、もう寝る時間だ。

翌29日。7時20分起床。
ホテルでパンを食べる。

8時41分発、快速はまゆりに乗る。
快適な回転式リクライニングシート。
この列車で遠野へ向かい、ゲーセン紀行を再開する。

5年前に私が遠野へ行ったとき、この列車は急行陸中だった。
JRの急行に乗るには急行料金が要ることを、このとき初めて知ったのだが、
その後、急行陸中は廃止され、特別料金のかからない快速になったのだ。
3両編成で、3号車が指定席だが、自由席も空いていた。
1号車、運転席のすぐ後ろの、眺めがいい席に座る。

盛岡駅を出発してすぐ、北上川を渡る。貨物列車とすれ違う。
花巻で進行方向が変わり、今いる車両が最後尾になった。


遠野

10時1分、遠野着。晴れていて暖かい。
駅舎は石造りの瀟洒(しょうしゃ)なもので、
昭和25年(1950年)に建てられた古い建物とは、
とても思えない。
2階が家族向けホテルの「フォルクローロ遠野」になっている。
「フォルクローロ」は現在、白馬や松島、角館などにもあるが、
もともとはこの駅の、エスペラント語の愛称からきている名前。
意味は「民話」で、
英語のfolklore(フォークロア)に相当する。

駅前広場にカッパがたむろする。

駅前のポストにもカッパが乗っかっているし、
交番もカッパの顔になっている。
『遠野物語』にたびたび登場し、
人や馬に悪さをしてきたカッパだが、
今ではすっかり町のシンボルだ。

遠野は、自転車で回るのが得策。
観光協会でレンタサイクルを借りて、いざ出発だ。

まず向かったのは、遠野市立博物館。
遠野の暮らしや民話に関する予備知識を仕入れよう。
とおの昔話村、遠野城下町資料館との3館共通入場券を買う(\520)。

3面スクリーンの「マルチスクリーンシアター」で、遠野物語の世界を見る。
人形と遠野の風景、方言の語りが絶妙にマッチした『神隠し』。
千代紙で表現された『郭公鳥と時鳥』(かっこうとほととぎす)。
文語の清澄な語りが印象的な『白い鹿』など。

展示は古民具とともに、かつての山での生活や、馬とのかかわり、
養蚕、絵馬、路傍の石碑などを紹介。しし踊りの映像も見られる。
特別展は「日本のグリム・佐々木喜善展」(10月31日まで)。
喜善の生涯、手紙や初版本などの資料を展示。
民俗学の歴史もよくわかる。
遠野市立博物館のホームページはこちら。

11時43分、博物館を出て、とおの昔話村へ。
柳翁宿(りゅうおうじゅく)は、
かつて柳田國男をはじめ、民俗学者たちが泊まった
旧高善(たかぜん)旅館を移築した建物。
天井が低く、身長171センチの私でさえ、
鴨居に頭がつっかえる。
ロシア人学者のネフスキーなど、
さぞ苦労したのではないだろうか。

ちょうど柱時計が鳴った。12時だ。
建物の雰囲気に合った、懐かしい音だ。

柳翁宿の軒下に柿が干してあった。

隣にある蔵の内部が改装されて、
「物語蔵」と名づけられ、さまざまな物語が
音声やイラスト、映像を交えて紹介されている。

向かいの小さな建物は、遠野昔話資料館。
遠野はかつて交通の要衝で、周辺各地からお話が集まってきたのだそうだ。

柳田國男が亡くなるまでの6年7ヶ月を過ごした家も移築されている。
(柳翁宿の裏というわかりにくい場所にあるが)
この家がもとあったのは、世田谷の成城。
今、私の事務所が成城にある。不思議な縁が、……特にないか。
とおの昔話村のホームページはこちら。

蔵造り風の建物が並ぶ一角にある、遠野 城下町資料館。
平成14年(2002年)にできた、新しい建物だ。
遠野南部家に伝わる品々を中心に展示。
小さな資料館だが、昔話村のすぐ近くにあり、
はしごして見るのにちょうど良い。
遠野城下町資料館のホームページはこちら。

おみやげを買って、時計を見たら12時52分。
続いては、5キロ北東にある「伝承園」を目指して自転車をこぐ。

市街地から、家がだんだん少なくなっていき、
遂にはこういう田んぼの真ん中の道路になる。
ラスト1キロくらいで歩道もなくなって、車道を走るしかなくなった。
自動車も割合よく通る道で、不安だったが無事到着。

伝承園着、午後1時23分。
自転車を降りると、ひざが笑ってうまく歩けない。

入口に石碑が林立している。
「路の傍に山の神、田の神、塞の神の
名を彫りたる石を立つるは常のことなり」
と『遠野物語』にもある(※角川文庫版を参照しました)。

伝承園は、遠野のかつての農家の生活様式を再現した、一種のテーマパークで、
家と厩(うまや)が一緒になった曲り家(まがりや)をはじめ、
水車小屋や炭窯など、古い建物が移築されている。

ここの曲り家は遠野最古のもので、国の重要文化財
中の部屋では、昔話の語りが行われていた。
予約制なので部屋の中には入らなかったが、
廊下や厩にも、方言での優しい語り口が聞こえてきた。

そして、伝承園いちばんの見どころといわれる「おしら堂」へ。
オシラサマという神様をまつるお堂である。
細い桑の木の棒に頭を彫った神像で、
このお堂では、四方の壁がオシラサマでびっしり埋め尽くされている。
その数1000柱という。
穴を開けた布に願い事を書いて、オシラサマに着せることができる。
どのオシラサマも、カラフルな布で着ぶくれしており、パッチワークのようだった。
伝承園のホームページはこちら。

食堂で月見そばを食べてひと休み。

ホップ畑の中の道を通って、
近くにある常堅寺へ。
団体さんでにぎわっている。

頭にくぼみのある「カッパこま犬」(左写真)や、
本堂の「オビンスルサマ」を拝観して、

やってきたのは「カッパ淵」。
カッパが、水を飲みにきた馬を、
川の中に引きずり込もうとして、逆に
馬に引きずり出されたという伝説の場所である。
拍子抜けするほど、浅くて静かで澄んだ流れだが、
昔はもっと深かったという説もあるらしい。

ほこらの中やその周りには、
現代のものも含め、さまざまなカッパの像があった。

常堅寺から駅へ向かう帰り道。路傍に立つ石碑。


午後3時15分、観光協会に戻って自転車を返却。
レンタル料は\800。
あと5分遅かったら\900だった。\100節約できてラッキー。
ゲーム路銀 \5,950-\800=\5,150

駅に戻る。次の列車は、
……4時54分。
1時間39分待ち。アンラッキー。
つい12分前に、快速が出たばかりだった。

本当は、千葉家という大きな曲り家にも行きたかったが、
多分、自転車でも片道1時間はかかるだろう。
時間的にも体力的にも辛いので断念。
ほかにも、今回行ってない観光スポットはいくつかある。
農村体験ができる「遠野ふるさと村」や、
遠野の自然を再現し、トロン温泉や宿泊施設もある「たかむろ水光園」。

また、私が以前行ったことのある、山口の水車のあたりでは、
『遠野物語』の時代そのままの風景が見られる。

南部曲り家 千葉家のホームページはこちら。
遠野ふるさと村のホームページはこちら。
たかむろ水光園のホームページはこちら。
道の駅 遠野風の丘のホームページはこちら。

さて、3時40分発の下り列車が出ると、駅の待合室は私1人になった。
本を読んで待つ。
4時半頃、寒くなってきたのでジャンパーを着る。
薄暗くなってきた。
次は宮守で、“めがね橋”こと宮守川橋梁を見たいと思うが、
見られるかどうか心配になる。

再び待合室の椅子が埋まりそうになった頃、改札が始まった。
やってきた車両は2両編成。セミクロスシート。

4時54分発。
進行方向の空に夕焼け。山はシルエット。田んぼは何とか見える程度。
もっとも、これでかえって『遠野物語』の舞台らしい雰囲気になった気がする
たそがれどきは、逢魔が時(おうまがとき)。
途中の柏木平駅の近くに、鱒沢やな場や宮守ブロイハウスがあるらしいが、
こう暗くてはよく見えない。


〜綾織(あやおり)〜岩手二日町〜荒谷前(あらやまえ)
〜鱒沢(ますざわ)〜柏木平(かしわぎだいら)〜

宮守(みやもり)

5時25分、宮守着。
真っ暗である。
ゲーム路銀 \5,150-\400=\4,750

宮守川橋梁を目指して歩く。
線路沿いの道を進むが、やがて踏み切りにさしかかる。
線路に沿ったのでは橋の下に出られないと気づき、いったん駅に戻って、
坂の下に見えた広い道路へ。
歩道はあるが、街灯はまばら。
家も途切れ途切れとなり、暗くてかなり怖いが、勇気を出して先へ進むと、

それらしきアーチがあった。
川の上に架かっている写真しか見たことがなかったので、
こんな広い道路をまたぐ橋が、
本当に“めがね橋”なのかどうか、しばらくわからなかった。

アーチをくぐって反対側から見ると、
間違いなく“めがね橋”である。
長さ107.3メートルの5連アーチ橋。
季節によってはライトアップされるらしいが、
今はその季節ではないようで、
写真を撮るのにえらく苦労した。

手前に見える、エジプトのオベリスクを思わせる柱は、
大正4年(1915年)に造られた、岩手軽便鉄道の橋脚の一部。
宮沢賢治も見たという。

※後から知ったが、めがね橋のすぐそばに「道の駅みやもり」があり、
ゲームコーナーもあったらしい。
そういえば、歩いてきた道のさらに向こうが、何だか明るかったような記憶がある。
道の駅みやもりのホームページはこちら。

駅に戻ると、下り列車が止まっていた。
この後に来るはずの、上りの臨時快速との交換待ちのようだ。
臨時快速に乗れるかもしれない。
急いでホームに駆け上がる。
「ぐるっとさんりくトレイン」が来た!
……通過した。
ひざから崩れてホームに突っ伏した。
夏場はここ、確か停車駅だったはずなのに。

現在、午後6時ちょうど。
次の上りは6時51分。
駅舎は5時半で閉まるようで、私がさっき降りたときには既に明かりが消えていた。
20分ほど駅前で立って待っていたが、寒いし、疲れたので、

宮守駅のホームに戻る。
「ガラクシーア カーヨ」(銀河のプラットホーム)
という愛称そのままの景色に見えるが、寒い。
缶コーヒーを買って、カイロの代わりにする。

開けてもいない缶コーヒーがすっかり冷め、さらにしばらく経ったところでようやく列車が来た。
やっと暖かい室内で座れる。
窓が曇ってて外はよく見えないが、いずれにしろ真っ暗だ。
明日は3駅先の土沢からスタートするつもり。
ゲーム路銀 \4,750-\230=\4,520
7時25分、花巻着。今夜はこの町に泊まった。

現在のゲーム路銀
\4,520

今回のルート




遠野市観光協会(旧宮守村含む)  JR東日本盛岡支社
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 35.岩手編(7)」では、
花巻で宮沢賢治の世界に触れる。
「日本縦断ゲーセン紀行 33.岩手編(5)」に戻る


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