ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

33.小さな独立国と大きな観音様
〜岩手編(5)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 \6,340



2004年8月29日。
釜石のホテルで朝6時半起床。眠い。

雨で気温も低い中、駅まで歩き、
7時43分発の宮古行きに乗る。
昨日行き残した場所へ行き、その後効率よく旅を進めるには、
この朝早い列車しかなかったのだ。
座席がリクライニングする、
普通列車にしてはちょっとぜいたくな車両で今日の旅はスタート。

8時4分、目的の駅に着いた。



岩手船越〜浪板海岸(なみいたかいがん)〜
吉里吉里(きりきり)

そう、井上ひさしさんの小説『吉里吉里人』の舞台となった、
あの吉里吉里である。
ホームが1面1線のみの、小さな無人駅。

私は中学生の頃、「明るくやろうよ共和国」というミニ独立国を作っていた。
当時行われた「ミニ独立国オリンピック」にも、参加させていただいた。
その頃は、全国の自治体や観光地などが、
町のPR活動として“独立宣言”をすることがブームとなっており、
個性豊かなミニ独立国が多数存在していた。
ミニ独立国オリンピックの様子は、日本テレビでゴールデンタイムに放送されている

これほどのムーブメントを起こした“ミニ独立国”だが、
いつのまにか人々の話題にのぼることもなくなってしまった。
その存在自体を知らない人も数多い。
インターネットで検索しても、不思議なほど情報が少ない。

当時は「吉里吉里国」も、ミニ独立国として実在し、
独立国ブームのきっかけを作った国として、大きな存在感を持っていた。
その国が今どういう状況になっているのか見てみたかったので、
盛岡からまっすぐ南下せず、三陸海岸までやってきたのだ。

駅舎内に、吉里吉里国の通貨が展示されていた。
小説に出てきた、双頭の犬も描かれている。
……すっかり色あせてしまったけれど。

駅前から見た限り、町はごく普通。
海岸は海水浴場になっているらしい。
『吉里吉里人』ではこの町が日本からの独立を宣言したわけだが、
この景色を見ると、それがどんなに
インパクトのあることなのかが理解できる。

駅スタンプにも、吉里吉里の国旗が描かれている。
『駅スタンプの旅』(松井信幸著・エイ出版)
のようにきれいには、押せなかったけれど。

このように、吉里吉里国の痕跡はいくつか見受けられたものの、
無人駅の中では、それがかえって
かつての盛り上がりとのギャップを感じさせ、寂しさを禁じ得ない。

全国のミニ独立国を訪ねる旅を、やってみたくなった。
ニコニコ共和国や新邪馬台国、そやんか合衆国などで、
ミニ独立国時代のものがどれだけ残っているか。
問題は、ミニ独立国自体を知らない人も多い現状で、
果たしてこの企画に乗ってくれる出版社かウェブサイトがあるかどうかだが。

ホームで釜石方面の列車を待つ間、地元のおばちゃんと話す。
やはり独立国絡みのイベントなどは、現在行われていないようだ。
「せっかく来たのに、調べるものなーんもないでしょ」
おばちゃんは以前、釜石の大橋に住んでいたそうで、
当時は鉄鉱石輸送のため、社宅が立ち並んでいたという。
その場所は今、「仙人水」という水の産地になっているとか。

8時29分の花巻行きに乗る。
トンネルをひとつ抜けると、吉里吉里と同じような町並みが現れた。大槌湾か。
海岸から離れ、鵜住居あたりから山の景色になる。
8時49分、釜石着。
ゲーム路銀 \6,340-\320=\6,020

釜石線各駅には、エスペラント語の愛称がある。
釜石の愛称は、「ラ・オチェアーノ」(大洋)。
腕木式信号機を模した、愛称入りモニュメントが立っていた。


〜大槌(おおつち)〜鵜住居(うのすまい)〜両石(りょういし)〜
釜石

釜石は、山田線、釜石線、三陸鉄道南リアス線の分岐駅。

駅前正面に、新日本製鉄の敷地が広がっている。
“日本の近代製鉄の父”
大島高任(おおしま・たかとう)の像も建つ。

旧・橋上市場を移設したサン・フィッシュ釜石(左)と、
“情報発信基地”シープラザ釜石。
このへんで、朝ごはんを食べようと思う。

シープラザ釜石内に、大活躍した
女子柔道のアテネ五輪代表選手全員のサインが!
釜石で強化合宿を行ったそうだ。

サンフィッシュ釜石の1階、市場の雰囲気満点の中、
食堂でサンマの塩焼き定食を食べる。油がのっていて非常にうまい。

再びシープラザへ戻る。
2階には、インターネットの使えるパソコンと、……ゲーム機があった。
『レイブレーサー』『クライシスゾーン』、そして『ミスタードリラーG』!
アメリカ編をプレーして1000mゴール。(ゲーム路銀 \6,020+\900=\6,920

ちょうど10時。地元の伝統芸能「虎舞」が披露された。
といっても、からくり時計のロボットなのだが、動きはけっこうリアル。
機械の動作音がするのはご愛嬌。

その後、後ろのモニターに、実際の虎舞の映像が出た。
本当はもっと動きが速いことがわかる。やっぱりさすがに人間にはかなわないか。
でもからくりの虎も、サイバーな感じがして、なんかいい。

駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石のホームページはこちら。


次は、釜石大観音へ行こう。
ちょうど駅前のバス停に、「大槌病院・浪板」行きのバスがやってきた。
運転手さんに聞いてみる。
「観音へ行きますか?」
「観音には行きません」

バス停の時刻表を見てみる。
行き先だけで経由地が書かれておらず、まったくわからない。
しかし、昨日ホテルで入手した地図に、バス路線図があったので、照らし合わせてみると……、
10時47分のバスが観音前を通るようだ。でもまだ30分ある。
歩くことにする。

三陸鉄道の鉄橋と甲子川を左に、
新日鉄を右に見ながら進む。

途中、トンネルがあった。交通量は多い。
歩道があり、トンネル自体も短かったので、走って抜ける。
無事に抜けたから良かったが、万が一、中でアクシデントがあったら逃げ場がない。
帰りにこの道を歩くのは、やめようと誓った。

10時59分、大観音が見えるより先に、バスに追い抜かれた。
それからすぐ、大観音の背中が見えた。しかしそちらへ向かう道がわからない。
そこで、今の道をこのまま歩いて、鉄の歴史館へ行くことにする。

坂を上って、鉄の歴史館に到着。
入館料\500だが、「ぐるっとさんりくトレイン割引チケット」を使って
\400で入館。

建物は3階建てで、1階では大島高任が鉄の出銑(しゅっせん)に成功するまでの道のり、
つまり日本の近代製鉄の歴史が、書状など豊富な資料とともに紹介されている。

11時30分。上映時刻になったので、入り口近くの「総合演出シアター」へ。
ポリゴンの大島高任と、マスコットキャラクターのサイ太郎が、
高炉の実物大模型(高さ14.6メートル)とスクリーン2面を用いて、初期の製鉄の仕組みを解説。
炉の上から木炭と鉄鉱石をいれ、水車で風を送ると、下からとけた鉄が出てくる。
鉄鉱石を上まで運ぶ作業や、高温となる炉の周辺での作業は、
かなりの重労働だったという。

2階に展示されているのは、その後の釜石の製鉄の歴史。
さまざまな変遷を経て、現在は高炉も休止、鉄鉱石の採掘も平成5年(1993年)で終了。
線材単圧工場のみが残っているそうだ。
採掘された最後の鉄鉱石が展示されていた。
去年、恵比寿の東京都写真美術館で、最後のファミコンが展示されていたのを思い出した。

3階には、フランスにあるアンモナイトの壁(大露頭)のレプリカが展示されている。
高さ12メートル、幅16メートル。
本物は岩肌にこれが出ているというから驚く。

休憩ラウンジにある展望テラスからは、
大観音と、その左右に迫るリアス式海岸を一望できる。

出口付近に、鉄鋼や蒸気機関から、ブリキのおもちゃに至るまで、
鉄でできたさまざまなものが展示されていた。
鉄の歴史館のホームページはこちら。

屋外には、製鉄所専用鉄道を走った蒸気機関車C20の姿も。
駐車場の脇には、『ひょっこりひょうたん島』の碑が建っている。
大槌湾にある蓬莱島が、ひょうたん島のモデルといわれている。

12時40分。鉄の歴史館を後にして、いよいよ釜石大観音へと向かう。
くねくねとした坂道を下りると、「ようこそ釜石大観音へ」という文字が。

12時55分、石応禅寺到着。
ここでも「ぐるさんチケット」で、
\500の拝観料を\450に割引。
観音様まで行く道には、まだ上り坂が続くし、
辛いなあと思っていたら、
何とエスカレーターがあった。

一気に海岸へ、そして観音様の御足元へ。
御尊顔をようやく拝見する。
釜石大観音は昭和45年(1970年)に建立された魚籃(ぎょらん)観音。
高さは48.5メートルもある。

これから、観音様の胎内を巡るわけだが、そこには長いらせん階段が待っている。
以前「ワンダースワンの旅」で行った、東京湾観音がすごくハードだったのを思い出す。
日が出てきて、暑くなってきた。今日もけっこう歩いてきたので、ちょっと疲れている。

そこでまず、隣に位置する仏舎利塔へ入り、
仏舎利安置塔のお釈迦様と、八宗祖師堂を拝む。
仏舎利(お釈迦様の御遺骨)は、スリランカから贈られたそうだ。

ベンチで少し休憩。周りにトンボが飛んでいる。
いざゆかん。
らせん階段の下に弁天様。芸術と芸能の神様なので、特に丁寧にお参りする。

階段を上がると、なた彫りの三十三観音が並んでいた。
大観音と同じ、長谷川昂氏の制作。
全体の姿は素朴で力強く、観音様の御表情は穏やかである。
銚子のお寺でもそうだったような気がするが、「遊戯(ゆげ)観音」を特に丁寧にお参り。

そこから上は、ひたすららせん階段を上っていく。
薄暗くて狭くて怖い。
途中、恵比須様、大黒様、福禄寿様、毘沙門天様、寿老人様を拝む。
そして布袋様を拝むと、階段の向こうに光が差してきた。
観音様の抱える魚の上が、展望台になっていたのだ。

すばらしく眺めが良い。
複雑な海岸線が、さっき鉄の歴史館で見たよりも
一層はっきりと見えて、おもしろい。
おもしろいが、
狭いし、風が強くて、やっぱりちょっと怖い。
早々に退散する。

結局170段ほどの階段を上り下りしたが、まったく疲れなかった。
東京湾観音のときより気温が低かったからか、
それとも長年あちこち歩き回ったことで、脚が鍛えられたからか。
単に、展望台が東京湾観音よりも低かったからかもしれない。

というわけで、最後ちょっと怖かったけれど、楽しい観音様詣でであった。
心が洗われた。
完全に澄んだ心になれたような気がするが、
私はそんなにすぐ澄んだ心になれるほど、良い人ではないような気もする。
釜石大観音のホームページはこちら。

参道のおみやげ屋さんの多くは閉まっていた。
おみやげ屋さんの前を通らずに、駐車場を斜めに歩いたほうが早いので、やむを得ないか。
営業している数少ない店のひとつで、海洋リゾートっぽいイルカのアクセサリーを買う。
暗闇で光る。

坂を上って、バス停まで戻る。現在、午後2時30分。
バスがあるのかどうか不安だったが、幸い2時42分にあった。
上大畑行き。バスに乗って10分後、市役所前で下車した。
ゲーム路銀 \6,920-\250=\6,670
駅よりもちょっと手前で降りたのは、

昨日ホテルに泊まった際、
ここに「ゲームビバ カマイシ」というゲーセンがあるのを見つけていたから。

プライズ、プリクラのほか、格闘ものを中心にビデオゲームも有り。
ただし、ゲーム路銀を稼げそうなものがない。
『ザ・キング・オブ・ファイターズ2002』をプレーするも、3面目でゲームオーバー。
ゲーム路銀 \6,670+\100=\6,770

2003年1月まで橋上市場があった橋は、
現在拡張工事中。
この橋を渡って、3時22分、釜石駅に戻ってきた。

ちなみに、今回は時間の都合で行けなかったが、
リアス式海岸を海から眺められる「観光船はまゆり」号が、釜石湾から出航しているそうだ。
観光船はまゆりのホームページはこちら。

次は上有住(かみありす)駅で、滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞を見ようと思ったのだが、
今日は東京へ帰る日で、しかも次の列車が1時間後。
上有住に降りると、今日中に帰れなくなりそうなので、このまま東京へ戻ることにする。
昼ごはんを食べていないが、あんまりお腹もすいてないので、カロリーメイトで済ます。

この時点では、次回上有住からスタートしようと考えていたのだが、
上有住スタートだと、その後の予定に難が生じることが後日わかり、
次回は遠野から再開することにした。
そのため、釜石−遠野間の運賃、\820をゲーム路銀から引く。

ゲーム路銀 \6,770-\820=\5,950

駅にあった、「釜石シーウェイブス」の展示コーナー。
元の新日鉄釜石ラグビー部だが、
2001年から地域密着型クラブチームとして再スタートした。
釜石シーウェイブスのホームページはこちら。

4時22分発の「ぐるっとさんりくトレイン」に乗った。
釜石を出発しても、家並みはほぼ途切れることなく続く。
さすがに6時半起きは辛い。途中何度か寝そうになる。

気がつくと、かなり高い位置まで上ってきていたようで、
家々や川ははるか眼下に。

まだまだ上る。陸中大橋駅を過ぎて、長いトンネルへ入った。
ここが仙人峠で、トンネルの中で線路はほぼ180度向きを変える。
(「セミ・ループ線」と車内アナウンスされていた)

トンネルを出ると、今走ってきた線路が、
左手かなり下のほうに見える。
ほんのわずかの間、陸中大橋駅も見えた。
ヘリで上空から眺めているような視点だ。

上有住停車。滝観洞の看板が見える。
滝観洞のホームページはこちら。

上有住を出て、また長いトンネルを抜ける。
やがて、車窓風景は田園のそれに変わった。


〜<小佐野(こさの)〜松倉〜洞泉(どうせん)〜陸中大橋〜>上有住(かみありす)
〜<足ヶ瀬〜平倉(ひらくら)〜岩手上郷(いわてかみごう)〜青笹(あおざさ)〜>

遠野

遠野には、かつて1度だけ来たことがある。
今回は降りずに車内から見ただけだが、見事な石積みは健在だった。

新花巻でぐるさんトレインを降り、6時41分発のやまびこ68号で東京へ。
指定席が満席だったので、ぜいたくしてグリーン車に乗った。
車販の男性が、JRには珍しいくらい明るい人だなと思っていたら、
近くの席のお客さんが気づいたのだが、以前『スーパーテレビ』に出ていた人だった。

また、別のお客さんたちが、那須塩原あたりから急にファミコン話で盛り上がる。
『謎の村雨城』『中山美穂のトキメキハイスクール』
『魔界村』『さんまの名探偵』『超兄貴』……。
ゲーム業界人なんだろうか。
メールの着信音が、『ドラクエ』で1泊して朝になったときの音だし。

10時ちょうどに東京着。

現在のゲーム路銀
\5,950

今回のルート


大槌町のホームページ  釜石市のホームページ  釜石観光物産協会
住田町のホームページ  住田町観光案内
JR東日本盛岡支社  三陸鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 34.岩手編(6)」では、
昔話の里で思わぬ足止め。
「日本縦断ゲーセン紀行 32.岩手編(4)」に戻る


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