ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

37.平安のはずが幕末から昭和
〜岩手編(9)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 \3,860



2005年3月10日。
開業120周年を迎えたばかりの大宮駅。
午後5時40分頃に着いたのだが、次の新幹線が6時34分までない。
しかも普通指定席が満席で、またグリーン券を買う。

ルミネのスターバックスで時間をつぶす。
窓からコンコースがよく見える。

改札を入った所に、真新しい食べ物屋が並んでいて、にぎわいを見せている。
駅弁も種類が多い。
「冬のソナタ弁当」に興味を引かれたが、さすがに買うのは恥ずかしい。
結局「大宮駅開業120周年記念弁当」を買った。

やまびこの車内で弁当を食べる。野菜と魚が中心の、ヘルシーな献立。
ようかんに「祝120年」と書いてあった。


北上

9時7分、北上駅着。
春めいてきた東京に比べるとさすがに寒いが、覚悟していたほどではない。
雨が降っていた。3月上旬だが雪ではなくて、雨である。
ホテルにチェックイン。

3月11日。7時半起床。

ホテルで朝食をとり、
8時55分発の一ノ関行きに乗る。

線路と線路の間には、まだ雪が残っていた。
天気は曇り。
下半分が白いED75牽引の貨物列車が、ホームを通過した。
701系4両編成ロングシートの電車に乗った。
既に通学時間帯は過ぎたのか、客は少ない。

左手に新幹線の高架が並行している。
川を渡るとやがて、少しずつ新幹線の線路とは離れていく。
住宅地が続くが、その手前に雪をかぶった田んぼが広がる。
林の中に六原駅。3面5線。意外と大きい。
六原を出ると左手に田んぼが広がるが、すぐに住宅地となり、金ヶ崎に着く。
金ヶ崎を後にすると、さらに広い田園地帯が左右に広がる。川を渡る。
左手に製管工場。そこを過ぎるといきなり民家が増えた。

9時10分、水沢駅で降りた。
ゲーム路銀 \3,860-\320=\3,540


〜六原(ろくはら)〜金ヶ崎(かねがさき)〜
水沢

独特な外観の水沢駅。
新幹線の水沢江刺駅とは、ちょっと離れている。

車寄せの天井に、星座が描かれている。

「えさし藤原の郷」へ行きたいと思ったが、バスがない。3月末までないらしい。
そこで、先に水沢の市街地を回ることにした。
徐々にシャッターの開き始めた商店街を抜ける。太陽が出てきた。

ちなみに、えさし藤原の郷は、奥州藤原時代の建物が再現されたテーマパーク。
大河ドラマ『炎立つ』のロケ地として作られ、その後も
今年の大河ドラマ『義経』を含め、数々のドラマが撮影されている。
えさし藤原の郷のホームページはこちら。

武家住宅資料館へ行く(入館無料)。
留守政景の家臣、内田家の住宅が公開されている。
いろりに火が入っていて、暖かい。
別棟の武家住宅資料センターでは、
商家の天秤やそろばん、押絵のひな人形、
火縄銃やゲーベル銃なども展示されていた。

武家住宅資料館のホームページはこちら。

市役所のある場所が旧水沢城址で、
道路沿いに当時からの杉が立っている。
道を挟んだ向かいにある三角屋根の建物(右写真)は、
後藤伯記念公民館。
日本で初めて「公民館」という名称が使われた建物で、
あの正力松太郎が寄贈したという。

正力松太郎が、経営不振の読売新聞を買収する際、後藤新平が資金を援助した。
実は後藤はこのとき、借金をしてお金を工面しており、
後にそれを知った正力は、そのお礼として
この建物を後藤の郷里・水沢に寄贈し、後藤の名前をつけたということだ。

後藤新平記念館へ。入館料\200だが、
高野長英記念館、斎藤實記念館との
共通券(\400)があるのでそれを購入。

医師、台湾民政長官、満鉄総裁、逓信大臣、東京市長、内務大臣、
ボーイスカウト初代総裁、東京放送局初代総裁と、さまざまなことをやってきたため、
ひとことで表すのが難しい人物ではある。
東京市長時代に壮大な都市計画を発表したことなどから「大風呂敷」の異名を持つが、
実はその下地となる、徹底した調査を行っていた。
卓越した先見性と実行力を持っていた人だったといえよう。

ちなみに、九州の肥薩線を走る観光列車「しんぺい号」は、後藤新平の名前に由来する。
矢岳第一トンネルに、鉄道院総裁だった後藤の書いた文字が掲げられているため。

後藤新平記念館のホームページはこちら。

後藤新平の生家。
さっきの内田家旧宅の近くにある。

高野長英の生誕地(現在、公園造成中)を通って、
斎藤實(さいとう・まこと)記念館へ移動する。

斎藤實記念館。
元内閣総理大臣・斎藤實の生誕地に作られた。
敷地内に、旧宅と書庫がある。
書庫の中には、今は貴重となった朝鮮半島関連の資料も。

こちらが斎藤實の旧宅。
総理大臣になった昭和7年(1932年)、自らの誕生地に建てたもので、
斎藤實が亡くなった後も、
春子夫人が昭和46年(1971年)に99歳で亡くなるまで住んでいた。

斎藤實は海軍大臣、朝鮮総督を歴任した後、
5・15事件で暗殺された犬養毅の後任として内閣総理大臣になる。
「自力更生」をスローガンとして、経済・治安の立て直しに努めた。
しかし、内大臣となった後の昭和11年(1936年)、
2・26事件で襲撃され、亡くなった。

記念館内には、斎藤實や春子夫人の洋服をはじめ、遺品が数多く展示されている。
2階は2・26事件に関する展示。
血痕のついた衣類や布団、使用された弾丸、弾痕のある鏡などが、
当日の状況の解説文とともに展示されていた。
単に歴史の中のひとコマとして考えがちな2・26事件だが、
こうして血の着いた遺品を見て、そのときの様子を詳しく知ることで、
2・26事件がより生々しく、現実に起こった出来事として感じられる。
水沢での葬儀には、3万数千人が集まった。
ちなみに当時の水沢の人口は10,900人だったそうだ。

企画展は「岡田啓介展」。(3月12日まで)
岡田は事件当時の首相だが、義弟の松尾伝蔵が身代わりとなったため助かった。
太平洋戦争終結に向けての、東条英機との駆け引きの様子が興味深い。

斎藤實記念館のホームページはこちら。

武家屋敷の安倍家、小幡家の前を通ったところで正午となる。

水沢公園の中を通って、高野長英記念館へ。

三館共通入場券を出そうとするが、鞄の中をいくら探しても見当たらない。
すると受付のかたがおっしゃるには、
「斎藤記念館から連絡がありまして、共通券を落としたかたがいるので、
来たら入れてほしいと言われました」とのこと。
両記念館の親切な対応に感謝。

高野長英は、シーボルトの鳴滝塾で学んだ医師。
蛮社の獄(洋学者に対して幕府が行った弾圧)の際、幕府を批判したとされて入牢。
火事に乗じて脱獄し、諸藩を転々とする。
顔を薬で焼いて変装し、江戸に戻って開業医となるが、捕り方に踏み込まれて自刃する。
記念館では、幕府の外国船打ち払い政策を批判したとされる書物『夢物語』や、
天保の大飢饉の際、馬鈴薯と早ソバの栽培をすすめた『救荒二物考』などを展示。
また企画展(「長英を著した本」)に、長英の生涯を描いた紙芝居があり、わかりやすかった。

高野長英記念館のホームページはこちら。

高野長英旧宅にも行く。
町のあちこちに、武家屋敷風の蔵や塀があり、道に迷ったが何とかたどり着く。

しかし長英旧宅より、
隣の高橋家住宅の重厚感に圧倒された。

さっき通った商店街を戻って、駅に着いたのが午後1時15分。
「えさし藤原の郷」行きのバスがないか、地下道を通って東口に行ってみる。
しかしバスはない。
ここからまっすぐ行くと、新幹線の水沢江刺駅へ出るはずだが、そこへ行くバスもない。
タクシーがいたので、とりあえず乗って水沢江刺に行ってみる。
えさし藤原の郷へは、水沢江刺のほうが近いはず。


水沢江刺

北上川を渡って、駅に着いたらタクシー代は\1,380。
意外と遠かった。
ゲーム路銀 \3,540-\1,380=\2,160
駅前で、巨大な南部鉄瓶がお出迎え。

水沢市伝統産業会館「キューポラの館」へ。
南部鉄器の製作工程が、実物大の人形で再現されている。
伝統工芸士による作品も多数展示されていた。

現在1時54分。
さて困った、バスがない。
水沢駅行きは3時49分までない。2時35分発のバスが、水沢市役所前を通るらしい。
江刺方面に至っては、バス便そのものがない。
とりあえず、駅構内のそばが安かったので腹ごしらえ(月見そば\330)。
2時15分になった。
新幹線から降りてきたお客さんが、次々とタクシーに乗って駅をあとにする。
私も結局タクシーに乗った。しかし行き先は藤原の郷でも水沢駅でもなく、
「ゲームセンターの、セガワールド水沢までお願いします」

これで水沢駅に近づくし、ゲーム路銀の心配をしなくて済む。
国道4号線沿いの、セガワールド水沢に到着。
ゲーム路銀 \2,160-\1,460=\700

プライズものに大型筐体。2階にはメダルゲーム。
おなじみの風景だが、この店はビデオゲームも比較的多い。
うち半分は、人工芝の敷かれた『ムシキング』スペースだが。

まずは『ミスタードリラー2』で手堅く、……1プレー50円だ!
1000mクリアーしたが、プラス\450にしかならず。
『バーチャファイター4』。7面クリアー、8面のジェフリーに負け。
再プレー。7面のヴァネッサに2セット連取後3セット取られて負ける。
1時間のプレーで、ゲーム路銀はプラス\1,550。
ゲーム路銀 \700+\1,550=\2,250

3時30分。国道4号線を歩いて駅に帰る。
水沢駅着3時55分。
本来なら上り電車に乗って先へ進むところだが、
前回行けなかった金ヶ崎に戻って、ゲーセンでさらにゲーム路銀を稼ごうと思う。

4時30分発の盛岡行き、701系4両編成に乗る。
コンテナの並ぶ水沢駅を出て、
雪の残る田園地帯を再び走り、北上川を渡る。
4時36分、金ヶ崎着。
ゲーム路銀 \2,250-\190=\2,060


金ヶ崎(かねがさき)

金ヶ崎駅の建物は真新しかった。
駅前は現在整備中で、
ちょうど階段を作っている最中だった。

駅西口からほど近いショッピングプラザの一角に、
セイタイトー金ヶ崎はあった。

広い平屋建ての中に、プライズ、メダル、大型機。
さっきのセガもそうだったが、意外にプリクラのスペースが小さい。
ビデオものはかなり充実していた。
『ぷよぷよ(1)』『ミスタードリラー(1)』『コラムス』『スーパーバレー91』
『パロディウスだ!』など、やや懐かしめのゲームが多い。

100円2プレーの『ぷよぷよ通』をプレー。
1戦め、3面のバロメッツに負け。2戦め、3面のパノッティに負け。
悲しいことに、90年代後半のゲームが多いにもかかわらず、私の得意なゲームがない。
こんなときは『ミスタードリラー』が、難度の高い『1』でもありがたい。
4人設定だったこともあって、3度プレーして3度とも1000mクリアー。
トータル-400+3,200で、ゲーム路銀 \2,060+\2,800=\4,860

外に出ると日が暮れていた。金ヶ崎駅着6時2分。
6時6分発の一ノ関行きに間に合いそうだ。
間に合ったら今日じゅうに行きたい場所がある。
\320の切符を購入(ゲーム路銀 \4,860-\320=\4,540)。
電車に乗る。車窓からの景色は真っ暗で、わずかな明かりしか見えない。
6時22分、着いたところは、


〜水沢〜陸中折居(りくちゅうおりい)〜
前沢

前沢駅で、かなりの人が降りた。
私がこの時刻に前沢に来たのはもちろん、

前沢牛が目当て。

駅から少々歩いたところに店が見つかった。
前沢牛ステーキ丼を食べる。
やや値段は張るが、やわらかくてうまい。

気分が軽やかになり、

まえさわ〜がみなぎる まえさわ〜がものごっつ

と歌いながら駅まで歩く。
7時15分着。

ちなみに、駅からちょっと遠いので今回の旅では立ち寄らないが、
前沢には「牛の博物館」がある。
生物としての牛の特徴や、日本や世界の人々と牛とのかかわり、
前沢牛の歴史についての展示が行われているそうだ。
牛の博物館のホームページはこちら。

今日も引き続き北上泊なので、下り7時35分の電車に乗る。
前沢駅のホームに出てみたら、雨が降っていた。いいときに駅に入ったもんだ。
20時ちょうど、北上着。

現在のゲーム路銀
\4,540

今回のルート


奥州市観光情報サイト(旧水沢市、江刺市、前沢町含む)  金ヶ崎町のホームページ  JR東日本盛岡支社
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 38.岩手編(10)」では、
今度こそ大河ドラマの世界にタイムスリップ。
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