ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

38.今度こそ義経ゆかりの都へ
〜岩手編(10)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 \4,540



2005年3月12日。
昨日と同じ7時半に起床。
雲ひとつない快晴。ただし昨日より寒い。

今日も北上駅のホームで、ED75の通過を見送る。
8時55分発の一ノ関行きに乗って、いざ出発。

昨日と同じ所を通るが、今日はよく晴れているので、雪をかぶった山々がよく見える。
水沢駅から先、ややしばらく市街地が続いた後、田園地帯に。
雪がとけて、土が顔を出している田んぼもいくつか見られる。
陸中折居駅を出て左側、田畑の向こうに大きな山が目立つ。
右側は森の下に住宅が並んでいる。
ジャスコが見えて間もなく前沢着。昨日はいい肉食べました。

今日はさらにその先へ向かう。雪は一層少なくなった。
北上川がすぐ左手に寄ってくるが、やがて離れる。
支流の衣川を渡った。弁慶終焉の地といわれる衣川古戦場は、
やや上流へ行ったところにあるらしい。
9時26分、平泉駅着。大勢の観光客とともに電車を降り、跨線橋を渡った。
ゲーム路銀 \4,540-\190=\4,350)※前沢からの運賃


平泉

平泉に来たからには、もちろんまずは中尊寺へ向かう。
中尊寺への道は2本並行しているが、
私の選んだ右側の道には歩道がなかった。
ただし車も少ないので、歩きにくくはない。
当然のことながら、沿道のあちこちに、
大河ドラマの滝沢秀明さんのポスターがある。

住宅地の中に突如現れる「無量光院跡」。
奥州藤原家三代・秀衡(ひでひら)が、
宇治の平等院鳳凰堂を模して建てた寺院があったという。

高館・義経堂(たかだち・ぎけいどう)に行く(入場料\200)。
源頼朝に追われた義経は、この場所に居を構え、
またこの場所で藤原泰衡に襲われ、亡くなったといわれている。
もっとも、ご存じの通り、義経はここから北へ逃れて助かったという伝説が、
江戸時代から広く知られている。
高館にも「伝説義経北行コース」と書かれた説明板があった。

さっき電車から見えた山の下を、
北上川がゆるやかに流れている。
山は束稲山(たばしねやま)という名前で、
かつて西行も歌に詠んだ桜の名所だった。
またここには松尾芭蕉も訪れており、この景色を見て、
「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んでいる。

義経堂は伊達家第4代・綱村が建てた小さなお堂で、
義経の彩色木像がまつられている。
綱村や芭蕉の時代(ともに1680年代)から、義経が人々に慕われてきたことがうかがえる。

義経堂の隣にある小さな宝物館に、
この辺りから出土した刀やかぶとなどが展示されている。
その中には、義経が使用したと伝えられているものも。
アフリカの伝統工芸品を連想させる、独特な姿の仁王像もあった。

高館・義経堂のホームページはこちら。

さて、いよいよ中尊寺の参道まで来たわけだが、
まずは駐車場の脇にある「夢館(ゆめやかた)」に行ってみた。
奥州藤原氏の歴史を、107体のロウ人形で表現した施設だ。
(入館料\1,050)

入館料がちょっと高いかな、とも思ったが、
実際に展示を見てみたら、入館料分の価値はあると感じた。
一つ一つの人形がリアルに作られているのはもちろん、
藤原氏の歴史の各場面が、思いのほか詳細に解説されている。
特に、あまり知られていない藤原氏の出自についての展示がわかりやすかった。
藤原清衡の父は、前九年の役で敗れ、母が勝者側の清原家と再婚。
清衡は父母の違う兄と、父の違う弟に挟まれることとなる。
この兄弟との対立が、後三年の役につながったということだ。

もちろん、義経の八そう飛び弁慶の立ち往生といった、
義経絡みの名場面も伝説どおりに再現。
平泉の栄華を表現した「イメージゾーン」や、
ラストの平泉炎上シーンでの演出も見事。
中尊寺へ行く前にここを訪れ、奥州藤原氏について学んでおくことで、
中尊寺を見たときの感慨がより深くなるだろう。

ゆめやかたのホームページはこちら。

時刻は11時20分。今度こそ中尊寺参道へ。
まずは月見坂を上る。
義経・弁慶像のある弁慶堂を見た後、杉木立の中をさらに歩いて、
薬師堂、観音堂を経て、

本堂へ。
この本堂も立派なもので、
1909年(明治42年)建造と、歴史もそこそこあるのだが、
中尊寺といえば金色堂が有名なので、
あまりクローズアップされないのが気の毒ではある。
不動堂、峯薬師堂、改築中の大日堂、鐘楼、彌陀堂の前を通って、

ついに、金色堂の覆堂(おおいどう)の前までやってきた。
覆堂は1968年(昭和43年)に建てられた、
コンクリート製の入れ物なのだが、
杉林と調和した、良い姿をしている。

金色堂と、宝物館「讃衡蔵」(さんこうぞう)の
拝観券を買う(\800)。
まず讃衡蔵へ。2000年(平成12年)の建物で、
新しくて広くて、展示物が見やすい。

中尊寺に伝わる国宝、重文がずらり。
丈六の仏像や、金色堂から出てきた棺や副葬品。
特に副葬品は、非常に小さな物まで重要文化財に指定されている。
しかも複製でない、本物が展示されているのだ。

企画展は「平泉と義経」(11月30日まで)。
テレビなどでよく見る義経の肖像画などが展示されていた。

そしていよいよ金色堂へ。覆堂の入口近くに、宮沢賢治の詩碑がある。
私は昔、修学旅行で来たことがあるので、金色堂を見るのは初めてではないのだが、
こんなにまぶしかったかと、あらためて驚く。
屋根の裏から床の下まで、ことごとく金色。
1124年に作られたもので、中尊寺創建時から残る唯一の建物である。

外観のインパクトもさることながら、それにも増して、
中に並ぶ仏様の造形がすばらしい。
阿弥陀如来を中心に、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、持国天に増長天。
清衡、基衡、秀衡の遺体と、泰衡の首級が納められた須弥壇や、
4本の柱には、細かな螺鈿(らでん)細工が施されており、きらびやか。

覆堂の周りには、芭蕉の句碑(「五月雨の降り残してや光堂」)、
昭和天皇歌碑、経蔵(重要文化財)、そして1288年に作られた旧覆堂(重要文化財)。
入れ物も、700年経てば重文になる。

釈迦堂と竹林を抜けて、
最後に白山神社の能楽殿へ。
1853年に再建された建物だが、それでも重要文化財。

帰り道、景色を見ながら歩いていたら、
ちょうど貨物列車が通過していくところだった
(写真中央付近)。
この辺りが、前九年・後三年の役の戦場で、
また弁慶が“立ち往生”した場所でもある、衣川古戦場だ。

中尊寺のホームページはこちら。

足が疲れてくると、下り坂でもけっこうきつい。
月見坂を下り切ったところで、時計を見たら午後1時13分。
近くのお店で食事にする。そばも牛肉も昨日食べたので、天ぷら定食に。
疲れた足にとって、畳敷きの席というのはありがたい。

毛越寺(もうつうじ)へ向かう。
国道4号を南下したが、途中「毛越寺近道」と大書された分かれ道があったのでそちらへ。
車の少ないのどかな道。歩道も広くて、歩きやすい。
平泉郷土館や、平泉温泉の前を通る。

基衡の妻が建てた観自在王院跡は
現在、公園になっている。

毛越寺に着いた(拝観料\500)。
基衡・秀衡の時代に建てられた堂塔・伽藍は焼失したが、
庭園は当時の名残を残していて、
特別史跡・特別名勝に指定されている。
本堂の薬師如来にお参りした後、いよいよその庭園へ。

かつてはこの池の向こうに、
さまざまな建物があったらしい。
今は礎石を残すのみ。
池がまだ一部凍っているのには驚いた。
毛越寺庭園を代表する景観である、
出島石組と池中立石をつなぐように氷が張っていた。

池に流れ込む「遣水」(やりみず)は平安時代の水路。
庭園の発掘調査中に発見されたそうだ。
毎年5月に行われる曲水の宴(ごくすいのえん)の舞台となる。
その横に、1732年再建された常行堂(じょうぎょうどう)が建つ。

こういう庭園は、あまり急いで回ろうとせず、景色を楽しみながら、のんびり歩くのが良い。
……と思ってたら雪が降ってきた。
晴れてるのに。しかもそんなに寒くないのに。

毛越寺宝物館に入る。
観自在王院の宝塔、毛越寺の出土品、仏像、般若心経や、
延年の舞など祭りの様子を写したパネルが展示されていた。

宝物館から出たら雪は止んでいた。現在、3時13分。
駅に戻りたいが、次の電車は確か3時20分台だったはず。微妙な時間だ。
急げば間に合うかもしれないが、かなり急がなくてはならない。
おとなしく、その次の電車を待とうと思う。
毛越寺境内の小さなお休み処で、コーヒーを飲む。
店内のテレビで、『田舎に泊まろう』をやっていた。

毛越寺のホームページはこちら。

3時30分。駅に向かって歩き出す。
道はよく整備されていて、歩道もかなり広い。
途中で仕事の電話が入るが、
さほど時間を取られることもなく、

3時45分、平泉駅に無事戻ってきた。
次の上り電車は、4時26分。
ちなみにその前は3時32分だった。
毛越寺で休憩してなければ間に合ったかもしれないが、
確かに微妙。ひと休みして正解だったということにしておこう。

ちなみに、この駅名板は、→
今東光(こん・とうこう)氏が揮毫したもの。
直木賞作家で僧侶の今氏は、
中尊寺の貫首を務めていたことがあるそうだ。

ロッカーから荷物を出すとき、外が吹雪いているのに気づいた。
太陽が出ているのに。
側面にでっかく「ED75」と書かれた、貨物列車がホームを通過する。

電車が来る時刻が近づき、ホームに出た。雪は止んだがまだ寒い。
やってきた電車の中が暖かくて、うれしい。

左側に、川の土手がまっすぐ続く。
右は田んぼだが、やがて道路が近づいて、家が立ち並ぶ景色に。
山ノ目駅。平泉や金ヶ崎もそうだったが、
2面3線のうち1線が取り外され、2面2線になっている。

土手が離れ、磐井川を渡ると市街地になり、間もなく終点・一ノ関。
4時33分着。ホームで弁当のワゴン販売が行われていた。
ゲーム路銀 \4,350-\190=\4,160

1番線に止まっていた仙台行きの電車は、
今まで乗ってきたのと同じ701系だが、
紫色ではなく、緑色だった。


〜山ノ目〜
一ノ関

一ノ関駅。
ゲーセン紀行では以前、新幹線から北斗星へ
乗り換える際に利用したことがある。
時計の文字盤が印象的。

駅前に「大槻三賢人像」が建つ。
医学者で、日本初の蘭学塾を開いた大槻玄沢、
その息子で、開国論を唱えた儒学者の磐渓、
さらにその息子で、辞書「言海」を編纂した文彦。

地下道からH2Oの『想い出がいっぱい』が聞こえる。
女性のストリートミュージシャンが歌っているようだ。
ホテルにチェックイン。しばらく休んで、5時半にホテルを出る。
セガワールド一関に向かう。

商店街を歩き始めてすぐ、ゲーセンを発見。
「You Heart 駅前店」。
『ビートマニア』が中心か。
1台だけ『バーチャファイター4』があるが、他の人がプレー中。

『THE KING OF FIGHTERS 2003』をやってみる。
100円で2プレーの設定。2プレーとも3面ずつクリアー。
ゲーム路銀 \4,160+\200=\4,360

店を出てさらに歩く。
バス停があったのだが、バスは1日わずか3本。既に終わっていた。

さらに歩くと川に出た。磐井川だ。
白鳥が集まって、コーコーと鳴いている。

橋の欄干にも白鳥の像が。

6時26分。国道4号沿いの
「セガワールド一関」に無事到着。

プライズ、プリクラ、ムシキング、2階にメダル。
ビデオゲームは格闘もの中心。
『バーチャファイター4』をプレーする。
4面の対ラウ戦でピンチになるが、パンチだけでどうにか乗り切る。
でも次のサラに負け。
ここで、このゲーム機が100円で2プレーだったことに気づく。
再プレーして、4面クリアーしたところで、なんと乱入される。
当然のことながら、ボコられてゲームオーバー。

『テトリスプラス2』のパズルモードをプレー。6面クリアー。
もう一度やって、また6面まで。
ゲーム路銀 \4,360+\1,300=\5,660

近くのホテルに行って、ハンバーグステーキを食べる。
帰りも歩くのはちょっとしんどいので、フロントでタクシーを呼んでもらう。
タクシーに乗ってホテルを後にした途端、ものすごい雪!
あー、徒歩でなくて本当に良かった。
わずか4分で駅前に到着。
ゲーム路銀 \5,660-\740=\4,920

現在のゲーム路銀
\4,920

今回のルート


平泉観光協会  一関観光協会  JR東日本盛岡支社
岩手県観光協会のホームページ
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 39.宮城編(1)」では、
うねうねと曲がって県境を越える。
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