ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
45.健康のために体を動かそう
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
2005年10月6日。 やまびこ163号で、午後5時10分大宮発。車両は200系だった。写真撮っとけば良かった。
駅前のホテルにチェックインして、部屋に荷物を置いたらすぐに、
仙台店も明るくて驚いたが、ここも広いスペースに、 ゆったりとしたゲーム機の配置で、明るい。 プライズ、プリクラ、メダルが中心。 店内のテレビで、杉田かおるさんが250万円の問題に挑戦中。 (福島テレビでこの時間にOA中だった) で、ビデオゲームは通信と格闘が中心で、ゲーム路銀を稼ぎづらい。 『テトリスキワメミチ』をやってみる。 指定されたライン数を消す「レベルスター」モード。 1回4ライン消した後、次の指定がクリアーできず。 「ターゲット」モードは、光るブロックを消すとクリアーという、 『フラッシュテトリス』タイプのモード。 しかし最初に出てきた光るブロックが消せず。制限時間が1分って短い。 特定の高さでラインを消す「ラインブレイク」モードで3面クリアーし、 なんとかプラスになった。100円だけど。 ふと見ると、『バーチャファイター4 ファイナルチューンド』の対戦台があいていた。 人が乱入して来ないうちに、急いでプレー。 7面クリアー。 (ゲーム路銀 \5,880+\700=\6,580) 10月7日。午前9時にホテルを出て、駅のマクドナルドでホットケーキを食べて、
福島競馬場を右手に見る。 9時53分、日赤前で下車。(ゲーム路銀 \6,580-\240=\6,340)
館内に、『高原列車はゆく』が流れている。 1階ロビーに、阪神優勝の新聞記事が展示されていた。 かつて「トリビアの泉」で取り上げられたことがあるが、 『六甲おろし』(『大阪タイガースの歌』)も古関氏の曲である。 館内に流れる曲が、『オリンピック・マーチ』に変わった。 2階の展示室。生家の呉服店で使われていたソロバンに始まり、 自筆の楽譜、レコード、永井隆博士から贈られたロザリオなどが展示されている。 (古関氏の『長崎の鐘』は、永井博士の同名の著書をテーマにして作られた。 作詞はサトウハチロー氏) 数々の名曲が生まれた、八畳の書斎が再現されている。 おびただしい数のペンや三角定規などがテーブルに並び、 部屋の主が今にもここに帰ってきそうな、生活感がある。 各時代の写真も展示されている。 私の世代だと、『オールスター家族対抗歌合戦』の写真が懐かしい。 あと、『モスラの歌』も古関氏の曲というのは、初めて知った。 スポーツ音楽の特集コーナーがあった。 先ほどの『オリンピック・マーチ』もそうだが、 古関氏の作品には、スポーツに関連した曲も多い。 この室内にも、夏の高校野球の大会歌『栄冠は君に輝く』や、 巨人軍応援歌『闘魂こめて』、NHKスポーツ中継のテーマ曲などが流れている。 そんな中で、『六甲おろし』が、2回に1回というヘビーローテーションで流れていた。 CDプレーヤーがあって、ヘッドホンで古関氏の曲100曲を聴くことができる。 慶応義塾の応援歌のひとつ『我ぞ覇者』、早稲田の『紺碧の空』、 『とんがり帽子』『長崎の鐘』『イヨマンテの夜』を聴いた。 1階のサロンでちょっと休憩。ここにも古関氏のハモンドオルガンや、 実家の呉服屋の看板が展示されていた。 古関裕而記念館のホームページはこちら。
競馬場前バス停着11時28分。32分に来たバスに乗る。 この辺り、バスの本数が多くて助かる。駅着11時41分。 (ゲーム路銀 \6,340-\210=\6,130) 駅前通りを歩いてみるが、ゲーセンが見つからなかったので、次へ移動する。 ちょっと遠いので今回は行かなかったが、福島の市街地にはほかにも見どころがある。 市街地北部、信夫山の南麓には「秋山庄太郎 花の写真館」。 秋山氏は生前、市内の花見山に毎年訪れ、「福島に桃源郷あり」と称賛したそうだ。 写真館には、秋山氏寄贈の花の写真などが展示されている。 駅西口の「コラッセふくしま」1階には、観光物産館や観光情報コーナーなどがある。 12階には展望スペースも設けられている。 阿武隈川を越えて東へ行くと、『おくのほそ道』にも出てきた、 信夫文知摺観音(しのぶもちずりかんのん)がある。 境内の文知摺石は、麦でこすると想い人の姿が浮かぶといわれる。 秋山庄太郎 花の写真館のホームページはこちら。 コラッセふくしまのホームページはこちら。 信夫文知摺観音の紹介ページ(福島観光協会)はこちら。 福島交通飯坂線で、飯坂温泉へ行こう。
発車後、左側で、新幹線の高架が二手に分かれる。 向こう側に離れていくのは山形新幹線。 美術館図書館前駅から、両側の車両に、団体の高校生が乗ってきた。 男子校のようだ。 駅を出ると、右側に福島県立美術館があるはずだが、木々に囲まれて建物は見えなかった。 福島県立美術館のホームページはこちら。 泉駅の先で、松川という川を渡る。水量は少ない。 途中の駅は簡素な造りのものが多く、風情を感じる。 駅間距離が短く、道路と並行していることもあり、景色は路面電車に近い。 ただし、速度はそれなりに出ている様子。 だんだんお客さんが降りて、やがて席が空き、座れた。 両側の車両には、立っている高校生も多く、 この車両だけガラガラなのが、ちょっとだけ気まずい。 医王寺前を出てすぐ、右側に果樹園が広がった。 小川という名の川を渡る。草花が茂っている。 12時31分、終点の飯坂温泉に到着。 高校生たちの後ろにくっついて階段を上がり、駅を出た。 (ゲーム路銀 \6,130-\360=\5,770)
駅から、共同浴場の鯖湖湯を目指して歩く。 途中、なぜか吉本興業の小屋があった。 今日は公演のある日らしいが、午後2時からということなので、立ち寄らずに先へ進む。 吉本はり紙昭和館のホームページはこちら。
入湯料\200。安い。 中は共同浴場の体で、脱衣場と浴槽の間に壁がなく、ひと続きの部屋になっている。 昔の様式を残したまま改築されたので、新しくてきれいで、しかもいい雰囲気。 壁も天井も木製で、贅沢感すら漂う。 アルカリ性単純温泉で、お湯の色は無色透明。 お湯が熱い。 地元のおじさんの話では、これがこの温泉の特徴だそうだ。 足をつけて体を熱さに慣れさせたが、とうとう最後まで、下半身しか入れなかった。 それでも、今朝からずっと痛かった腰が良くなったみたいだし、 お湯をかけた肩や首まわりも、軽くなったような気がする。 地元のおじさんが、私の肌の白いのを見て、 「デスクワークはほどほどに切り上げて、ちゃんと運動しないと体を悪くするよ」と忠告。 ここ最近、ずっと目・肩・腰が痛かっただけに、身にしみる言葉である。 おじさんも以前は内臓が悪かったが、 規則正しい生活と、毎日の運動で、元気になったそうだ。 均整のとれた体つきをしていた。 ![]() 福島市観光開発(鯖湖湯、パルセいいざか)のホームページはこちら。
飯坂温泉のホームページはこちら。 飯坂温泉駅の1つ手前、花水坂駅へと向かう。かなりの下り坂。 花水坂駅前には、「福島 片岡鶴太郎美術庭園」がある。 ※入園料\950だったので中には入らなかったが、 後で調べてみると、3つの展示室に約70点の作品を展示した、かなり本格的な美術館らしい。 見ておけばよかったかもしれない。 福島 片岡鶴太郎美術庭園のホームページはこちら。
どうせ20分待つのであれば、立ち寄る予定はなかったが、 医王寺というお寺まで歩いてみようと思う。
本堂に、佐藤兄弟の妻・若桜と楓の、甲冑姿の人形がまつられていた。 佐藤継信は屋島の合戦で、義経をかばって矢を受け、討ち死にし、 忠信は頼朝勢との戦いで、義経の身代わりとなって京都で戦死した。 若桜と楓は兄弟に扮して、兄弟の母親・乙和御前を慰めたという。 『おくのほそ道』には、 「女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつる物かなと袂をぬらしぬ」 と書かれている。 宝物殿「瑠璃光殿」に展示されていたのは、 佐藤兄弟や信夫十八将の武器やかぶと、あぶみ、 さらに何と、義経のひたたれの断片、そして弁慶のものとされる笈(おい)である。 笈というのは、荷物を入れて背中に背負う箱のこと。 要するに弁慶が七つ道具を入れて背負っていた箱の実物(?)なのだ。 第二次世界大戦の前までは、義経の太刀もあったそうで、 五月初頭にここを訪れた松尾芭蕉は、 笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり) という句を残している。
その奥に、佐藤継信・忠信の墓が建っていた。 義経一行が、平泉へ向かう途中、2人の遺髪をここに埋めたのだそうだ。 さらに奥には、ひと回り小さな、佐藤基治・乙和(継信・忠信の両親)の墓も。 いずれも一見、ただの白い岩にしか見えないが、 凝灰岩なので長い年月の間に摩滅したらしい。 かたわらに生えている椿の木は、乙和の悲しみが乗り移った「乙和の椿」とよばれている。 つぼみが開かずに、そのまま落ちると言われている。
帰りに門を出る辺りで、団体さんとすれ違う。 静かな墓所も少しの間、にぎやかになるだろう。 医王寺の紹介ページ(福島観光協会)はこちら。
3時40分到着。次の福島行きは、……3時59分。 結局、20分近く待つことに変わりはなかったか。 まあ、20分くらいで文句を言ってるようでは、これから先の区間は乗り切れない。 福島北高校の生徒の皆さんに紛れて電車に乗る。 どうやら、さっきの高校生の団体さんの帰りに当たったようで、 両側の車両は、すし詰めになっている。 乗客の平均年齢が著しく若い3両編成である。 桜水駅を過ぎると、天井の扇風機が回り出した。 両側車両の高校生のほとんどが、美術館図書館前駅で降りた。 私は次の曽根田で下車して、ひと駅分の運賃を浮かす。 (ゲーム路銀 \5,770-\300=\5,470)
ところが、ビルの大部分にはシャッターが下りていて、 5階のシネコンだけが営業しているようだった。 ※後で調べたら、今年の3月に、さくら野百貨店が撤退したようだ。 歩いて福島駅に戻る。4時30分。 次の上りは4時51分。今から先へ進んでも、開いてる観光地はないけれど、 ゲーセンがあるかもしれないし、一応電車に乗ってみる。
発車の頃にはロングシートは埋まり、立つ人もけっこういる状態。 私も座らずに、窓の外を見る。 出発して間もなく、荒川という川を渡る。 左右とも街並みが広がり、その向こうに山。右の山々は青く、左の山々は緑。 新幹線の高架は、右側にしばらく続く。 南福島を出ると、下り線が新幹線の高架と連れ添って離れていく。 単線状態になって、トンネルをいくつかくぐる。 いつの間にか、地面ははるか眼下となる。 下り線がまた見えてきたが、一段低い所を並行し、金谷川駅の手前で複線に戻る。 金谷川は福島大学の最寄り駅。 森の中を走る。谷底の道を高架で渡る。気づくとまた下り線が消え、 気づくとまた一段下を走っている。合流して松川駅へ。 金谷川−松川間は、1949年に「松川事件」が起こった場所。 レールの継ぎ目板や犬釘が抜かれ、そこを通った列車が転覆。3人が亡くなった。 事件後、無関係の人々が犯人とされて裁判にかけられたということもあり、 真犯人は今もわかっていない。 雲の向こうが山吹色に染まる。地平に広がる田園は黄金色。 刈り取りの終わった所には、わらが干されている。 まるで蓑笠をつけた人が整列しているようだ。 安達を出て、右に道路が並行。車が多い。家の数が増えてきた。 二本松で降りる。5時13分着。 (ゲーム路銀 \5,470-\400=\5,070)
駅前をざっと歩いてみたが、ゲーセンはなさそうだった。 バス停で、観光スポットへ行くバスの本数を見てみた。事前に調べたとおり、やはり少ない。 明日は厳しくなりそうだ。 宿泊地が福島なので、6時9分の仙台行きで引き返した。 \5,070 今回のルート ![]() 福島市のホームページ 福島観光協会「こらんしょ ふくしま」(福島市) ツーリストインフォメーション福島(福島県) JR東日本仙台支社 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 46.福島編(2)」では、 今も元気なミニ独立国へ向かう。 「日本縦断ゲーセン紀行 44.宮城編(6)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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