ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
47.いま、会津にゆきます
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
さて、昨日行けなかったイオンタウン郡山のナムコランドへ行こう。 ホテルからまっすぐ行けば近いはずだが、 荷物を駅のロッカーに入れるため、いったん連絡通路を渡ることにする。 東口の駅前には、「高校三年生」の碑があった。 作詞の丘灯至夫氏は、福島県小野町の出身で、小学校から高校まで郡山にいたそうだ。
それにしてもイオンタウンは広い。 トイレに行くのも、ちょっとした探検行だ。
大型機とプライズが目立つ。さらに、プリクラ、メダル、 小さなお子さんが遊ぶための広場まであって、雰囲気良し。 ビデオゲームも、台数がそろっていた。ただ、……対戦格闘ばかり。 『ミスタードリラー』や、『ナムコクラシックコレクション』といった、 ゲーム路銀を稼げそうな、ナムコ製のゲームが見当たらない。 やばい。 ここにミスドリやナムクラがあることを見越して、ルートを設定したのだが。 ここで稼いでおかないと、この先路銀が足りなくなる。 『ストリートファイターII アニバーサリーエディション』をやってみる。 プレーを始めて気づいたが、3本先取だった! しかも100円2プレー。 ノーマルダルシムでケンに、ダッシュ春麗で本田に、いずれも4面でフルセットの末敗れる。 15分プレーして、プラス200円。(ゲーム路銀 ¥4,010+¥200=¥4,210) いよいよゲーム路銀がやばい。先の町に期待するしかない。 一気に疲れが出た。眠い。熱っぽい。風邪ひいたかな。 駅から遠いので今回は立ち寄らないが、 郡山には開成館という、明治初期の建物があるらしい。 写真で見たが、まだ洋風建築の技術が伝わる前に建てられたため、 洋館とも、いわゆる和洋折衷の建物とも違う、独特の外観になっている。 またその近くには、尋常中学校の校舎を使った、安積歴史博物館がある。 開成館の紹介ページ(郡山市情報政策課)。 安積歴史博物館のホームページはこちら。 さて、この先のルート選びには、来る直前まで迷っていた。 まっすぐ東北本線を、白河→那須塩原→宇都宮と進む中通りルートか。 磐越西線で猪苗代→会津若松と進み、会津鉄道、野岩鉄道を経由する会津ルートか。 中通りのほうが近道だが、会津のほうが観光地が多い。 ゲーセンを調べてみると、中通りのゲーセンは駅から離れたところが多く、 一方、会津若松にもゲーセンがあるらしいので、いま、会津にゆきます。
ここからは、磐越西線(ばんえつさいせん)の旅となる。 次の電車は12時10分発、快速会津若松行きだ。20分前に改札を入る。
クロスシートが埋まっていたので、ロングシートに座る。 しかし発車5分前から急にお客さんが増えてきて、座れない人も多数。 どうせロングシートじゃ景色が見づらいので、立ってデッキに移動した。 出発してすぐ、右側にラッセル車が並んでいた。 仙石線仕様の205系もいた。 左の新幹線高架は、川を渡る辺りで右側に移り、そのまま離れていった。 というより、こっちが東北本線から左に離れていったわけだが。 しばらく市街地が続く。喜久田停車。 交換の上り電車には、「あいづデスティネーションキャンペーン」の キャラクターとなった、赤べこが描かれていた。 喜久田を出ると田んぼが広がる。 刈り取りが終わった所もあれば、今まさに刈り取っている所もある。 田んぼの向こうには、こんもりした山々。
やがて建物は減る。なおも山の中を行く。 左側、一段下にあったホームは、スイッチバック時代の中山宿か。 長いトンネルを抜ける。上戸を通過。左に猪苗代湖が見えた。 またトンネルを抜け、猪苗代湖畔駅を通過。木々が生い茂って、湖はよく見えない。
12時43分、猪苗代着。大勢の人が降りた。私もここで降りる。 (ゲーム路銀 ¥4,210-¥650=¥3,560)
野口英世記念館へ向かう。 午後1時発のバスに乗る予定だったが、 その前に12時55分発のシャトルバスがあったので、これに乗った。 (ゲーム路銀 ¥3,560-¥290=¥3,270) 線路を渡り、右手に磐梯山を見ながら走る。 楽天イーグルスの応援歌じゃないが、本当に 「竜飛崎から磐梯山」まで走破したんだなあと思うと、感慨深い。 まる2年かかった東北巡りも、いよいよ終盤だ。
入館料¥500。500円玉を持っていたので、財布の中の野口さんを使わずに済んだ。 まず、敷地内に保存されている、野口英世の生家へ。 約200年前に建てられたというこの家が、今でも残っていることに驚く。 母シカが洗いものをしていた小川や、シカが植えた桑の木、 英世が火傷をしたいろりまで残っている。 「野口英世博士誕生地」の碑は、1929年(昭和4年)、 つまり野口英世が亡くなった翌年から建っているそうだ。 館内1階では、野口英世の生涯について、さまざまな資料を交えて解説。 野口英世は1876年(明治6年)生まれ。 1歳6ヶ月のとき、いろりに落ちて火傷をし、左手が開かなくなる。 小学校を優秀な成績で卒業し、小林栄の援助を受けて高等小学校に進学。 高等科4年のとき、会津若松の会陽医院・渡辺鼎院長の手術で左手が開く。 このことが、英世が医学の道を歩むきっかけとなった。 上京して医師となり、順天堂医院、北里伝染病研究所へ(この頃、清作から英世へ改名)。 清国で勤務した後、1900年アメリカへ。しばらく苦労したが、 以前英世が通訳を務めたことのある、フレキスナー博士の尽力で、 ペンシルベニア大学の助手となる。 デンマーク留学を経て、ロックフェラー医学研究所の助手に。 1914年、正員に昇格。正員は研究所の中でも数えるほどしかおらず、 一流の中の一流の人しか、正員になることはできないそうだ。 最近、森昭雄なる学者が、かつてロックフェラーにいたことを鼻にかけ、 「野口英世も所属していた研究所に2年間いた」と、自分の権威付けに利用している。 こういう人に、軽々しく野口英世の名前を口にしてほしくない。 野口英世の母シカは、アメリカにいる英世を思い、 幼い頃に覚えた文字を思い出しながら、何度か手紙を書いている。 その手紙が1枚だけ現存。英世に帰国を催促するもので、 「はやくきてくたされ」の繰り返しに、切実な感情がこもっている。 多忙の中、こうした手紙に心を動かされた英世は、1915年に一時帰国。 2ヶ月間日本に滞在したが、結局これが最後の帰国となった。 その後、黄熱病研究のためエクアドルへ赴く。中南米の死亡率低下に貢献したが、 発見した病原菌が、黄熱病のものとは違うのではないかとの疑問から、 1927年、アフリカのアクラ(現在のガーナの首都)へ。 しかし翌年、現地で黄熱病にかかり、亡くなった。51歳。 遺体はニューヨークに帰り、埋葬された。 1914年に撮影された、英世のカラー写真が展示されていた。 日本人が写った最古のカラー写真である可能性が高いらしい。 かなり鮮明な写真で、まるでつい最近撮られたもののように感じられる。 2階展示室へ。英世直筆の手紙、英世の描いた絵、家族に関する解説、 英世の研究に関する解説(梅毒スピロヘータの純粋培養など)、 新千円札に関する解説、猪苗代湖に生息する魚、 サザエさんのセル画(この記念館を訪れたシーン。オープニングか) などが展示されていた。 野口英世記念館のホームページはこちら。 3時。近くのレストランで、磐梯山を望みながら、ざるそばを食べる。
バス乗り場には、3時25分発のバスが止まっていた。 しかしこれには乗らずに、もう1ヶ所寄る。 ここに来て初めて知ったが、すぐ近くに、 会津民俗館という施設があったのだ(入館料¥500)。 展示室に展示されていたのは、さしこばんてん、和ろうそく、 火伏せの道祖神(男女性器の木彫)、箱床(はこどこ、箱状のベッド)、 当地で撮影された、映画『遠き落日』の資料など。
佐々木家・馬場家とも、中を見ることができる。 佐々木家は名主の家で、3階まである。多くの使用人を住まわせていたという。 馬場家は中流農民の家で、厩が併設された曲屋(まがりや)。 土間がたいへん広かった。 会津民俗館のホームページはこちら。 3時48分。4分後にバスが来るはずだが、停留所の位置がわからず、途方に暮れる。 さっき乗ったバスとは違う会社で、バス停も違うのだ。 記念館の向かい側に、人が集まっている場所があったので、 もしかしてと思って行ってみたら、案の定そこがバス停だった。 道が渋滞していたおかげで、バスが3分遅れて来たので、間に合った。 左手に磐梯山。右に湖面がかすかに見える。対岸の山々がシルエット状に見え、幻想的。
右手に磐梯山。左は高速道路。 翁島駅を通過して、磐梯山は徐々に後方へ。高速道も見えなくなった。 森へ突入。ここから電車は、右へ左へくねくね曲がる。 磐梯山が前方に現れたかと思うと、また後方へ下がる。 「日曹金属化学会津工場」の文字が見え、磐梯町停車。 駅の周りをススキの穂が囲み、その周りを家々が囲んでいる。 森と田んぼが続く中、ところどころに果樹園も見える。 左に突然、水力発電所が見えて、びっくりする。その直後に東長原駅通過。 この辺りには、四季折々の花が植えられた、会津村という広大なテーマパークがあるらしい。 また、かつて会津若松の市街地にあった、会津藩校日新館が復元されている。 会津村に立つ、高さ57メートルの「会津慈母大観音像」が見えるかと思ったが、 残念ながら、電車の中からは見つけられなかった。 会津村のホームページはこちら。 会津藩校日新館のホームページはこちら。 右側遠くに市街地が広がる。 やがて近くにも家が増え、広田通過。左に三菱製鋼広田製作所。 左側がひらけてきた。ゲーセンもあったが電車は止まらない。 4時55分、終点の会津若松駅に到着。 (ゲーム路銀 ¥3,030-¥480=¥2,550)
もう時間も遅いので、観光は次回じっくり行なうことにして、 今日は会津若松で、ゲーセンを探してみようと思う。 それにしても、電線や街路樹にとまっている鳥の数がすごい。
カラオケ、プライズ、ビリヤード。プリクラもある。 ビデオゲームもわずかながらあった。『新三国戦記七星転生』(サミー)、 『サムライスピリット零』、『スーパーリアル麻雀VS』、『レイブレーサー』、MVS。 MVSに入っていた『ザ・キング・オブ・ファイターズ'98』をやってみた。 2面まで、めくりでフェニックスアローが決まりまくるが、 3面で、同キャラ対決のCPUアテナに歯が立たず。 (ゲーム路銀 ¥2,550+¥100=¥2,650) 後ろでバタンバタンと音がすると思ったら、 若い女の子たちが、『ソニックブラストマン』をやっていた。 まだこれ、今でも通用するゲームなんだなあと思った。 日が暮れた。鳥の声は聞こえなくなった。 大きな通りを南に歩いてみる。確かタイトーステーションがあるはずだ。 しばらく行くと、アーケード商店街に入る。さらに歩くと、 ……アーケード商店街を抜けた。
プライズ、メダル、乗り物、大型機、奥にプリクラ、卓球台。 ビデオゲームもあった。 『あっかんべぇだぁ〜』がある! 『スペースインベーダー』のリメイク作品だが、 PS2で発売された『タイトーメモリーズ 下巻』に収録されているので、 私はけっこうプレーしているのだ。 しかもこのゲーム、2連射できる上に、ため撃ちショットもあるので、 『スペースインベーダー』より簡単になっている。 3回プレーして、7面クリアー、14面クリアー、10面クリアー! ゲーム路銀に不安のあったところで、このゲームに巡り合えたのは、まさに天の助け! (ゲーム路銀 ¥2,650+¥2,800=¥5,450)
駅でいっぱい観光地図を手に入れたから、次はもう迷わないと思う。多分。 車内でそれらの地図やパンフレットをすべて読み終えた頃、郡山到着。8時8分。 8時34分のやまびこで帰る。小原庄助べんとうが売り切れていたのは残念。 9時34分、大宮着。 エキュート大宮で何か食べようと思ったらもう閉まってた。 ¥5,450 今回のルート ![]() 郡山市観光協会のホームページ 猪苗代・磐梯 特選情報チャンネル(猪苗代観光協会) 会津若松市のホームページ あいLove会津 パーフェクトあいづ ツーリストインフォメーション福島 JR東日本仙台支社 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 48.福島編(4)」では、 会津若松の名所をめぐる。 「日本縦断ゲーセン紀行 46.福島編(2)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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