ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

47.いま、会津にゆきます
〜福島編(3)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥4,010




郡山

2005年10月9日。
朝、ホテルで支度していたら、
かすかにSLの汽笛が聞こえてきた。
JR東日本でSLといえば、
磐越西線を走るSLばんえつ物語号が有名だが、
今日は「SLあぶくま号」として、磐越東線のほうを走るらしい。

窓から駅のほうを見たら、
黒い煙だけが見えた。

さて、昨日行けなかったイオンタウン郡山のナムコランドへ行こう。
ホテルからまっすぐ行けば近いはずだが、
荷物を駅のロッカーに入れるため、いったん連絡通路を渡ることにする。
東口の駅前には、「高校三年生」の碑があった。
作詞の丘灯至夫氏は、福島県小野町の出身で、小学校から高校まで郡山にいたそうだ。

連絡通路から、いまや貴重となった583系電車が見えた。
タンク車も並んでいる。

昨夜と同じ道を歩くが、朝だとちっとも怖くない。
10時ちょうど、イオンタウン郡山に到着。
外で音楽イベントのリハーサルが行なわれていた。
『ルイジアナママ』を聴きながら、
開店したばかりのケンタッキーフライドチキンで朝食。

それにしてもイオンタウンは広い。
トイレに行くのも、ちょっとした探検行だ。

さて、ようやくたどり着いた
ナムコランドイオンタウン郡山である。
ここも広い。
イオンタウン全体から見たら、片隅に過ぎないのだが、
それでもすごく広い。

大型機とプライズが目立つ。さらに、プリクラ、メダル、
小さなお子さんが遊ぶための広場まであって、雰囲気良し。
ビデオゲームも、台数がそろっていた。ただ、……対戦格闘ばかり。
『ミスタードリラー』や、『ナムコクラシックコレクション』といった、
ゲーム路銀を稼げそうな、ナムコ製のゲームが見当たらない。
やばい。
ここにミスドリやナムクラがあることを見越して、ルートを設定したのだが。
ここで稼いでおかないと、この先路銀が足りなくなる。

『ストリートファイターII アニバーサリーエディション』をやってみる。
プレーを始めて気づいたが、3本先取だった! しかも100円2プレー。
ノーマルダルシムでケンに、ダッシュ春麗で本田に、いずれも4面でフルセットの末敗れる。
15分プレーして、プラス200円。(ゲーム路銀 ¥4,010+¥200=¥4,210
いよいよゲーム路銀がやばい。先の町に期待するしかない。
一気に疲れが出た。眠い。熱っぽい。風邪ひいたかな。

駅から遠いので今回は立ち寄らないが、
郡山には開成館という、明治初期の建物があるらしい。
写真で見たが、まだ洋風建築の技術が伝わる前に建てられたため、
洋館とも、いわゆる和洋折衷の建物とも違う、独特の外観になっている。
またその近くには、尋常中学校の校舎を使った、安積歴史博物館がある。
開成館の紹介ページ(郡山市情報政策課)。
安積歴史博物館のホームページはこちら。

さて、この先のルート選びには、来る直前まで迷っていた。
まっすぐ東北本線を、白河→那須塩原→宇都宮と進む中通りルートか。
磐越西線で猪苗代→会津若松と進み、会津鉄道、野岩鉄道を経由する会津ルートか。
中通りのほうが近道だが、会津のほうが観光地が多い。
ゲーセンを調べてみると、中通りのゲーセンは駅から離れたところが多く、
一方、会津若松にもゲーセンがあるらしいので、いま、会津にゆきます。

跨線橋を渡って、駅西口側へ。
駅前の街路樹が、早くも色づき始めていた。
駅着11時40分。

ここからは、磐越西線(ばんえつさいせん)の旅となる。
次の電車は12時10分発、快速会津若松行きだ。20分前に改札を入る。

お目当ての電車は、もうそこに止まっていた。
2番ホームだが、改札の目の前。そういや郡山駅には1番ホームがない。
455系3両編成。シートはセミクロス。
車両ごとにシートの色が違う(赤・青・緑)。

クロスシートが埋まっていたので、ロングシートに座る。
しかし発車5分前から急にお客さんが増えてきて、座れない人も多数。
どうせロングシートじゃ景色が見づらいので、立ってデッキに移動した。

出発してすぐ、右側にラッセル車が並んでいた。
仙石線仕様の205系もいた。
左の新幹線高架は、川を渡る辺りで右側に移り、そのまま離れていった。
というより、こっちが東北本線から左に離れていったわけだが。

しばらく市街地が続く。喜久田停車。
交換の上り電車には、「あいづデスティネーションキャンペーン」の
キャラクターとなった、赤べこが描かれていた。
喜久田を出ると田んぼが広がる。
刈り取りが終わった所もあれば、今まさに刈り取っている所もある。
田んぼの向こうには、こんもりした山々。

磐梯熱海駅は、そんな山々の中に位置していた。

出発すると、車窓に温泉ホテルが次々と現れる。
磐梯熱海温泉のホームページはこちら。

やがて建物は減る。なおも山の中を行く。
左側、一段下にあったホームは、スイッチバック時代の中山宿か。
長いトンネルを抜ける。上戸を通過。左に猪苗代湖が見えた。
またトンネルを抜け、猪苗代湖畔駅を通過。木々が生い茂って、湖はよく見えない。

それから少し経つと、今度は会津磐梯山が見えてきた。

12時43分、猪苗代着。大勢の人が降りた。私もここで降りる。
ゲーム路銀 ¥4,210-¥650=¥3,560


〜喜久田<〜安子ヶ島(あこがしま)>〜磐梯熱海〜<〜中山宿(なかやまじゅく)
〜上戸(じょうこ)〜猪苗代湖畔(臨)〜関都(せきと)〜川桁(かわげた)>〜

猪苗代

猪苗代駅は、正面がログハウス風になっていた。

駅前には、野口英世と、母シカ、
恩師・小林栄のレリーフが。

野口英世記念館へ向かう。
午後1時発のバスに乗る予定だったが、
その前に12時55分発のシャトルバスがあったので、これに乗った。
ゲーム路銀 ¥3,560-¥290=¥3,270

線路を渡り、右手に磐梯山を見ながら走る。
楽天イーグルスの応援歌じゃないが、本当に
「竜飛崎から磐梯山」まで走破したんだなあと思うと、感慨深い。
まる2年かかった東北巡りも、いよいよ終盤だ。

午後1時6分、野口英世記念館に到着。
とっても広い駐車場が、車や観光バスで埋まっている。
周囲には、展望台や食事処や土産物屋などが多数立ち並ぶ。
もちろん行き交う人も多く、にぎわっている。
記念館ができた1939年(昭和14年)とは、
まったく違う風景だろう。

入館料¥500。500円玉を持っていたので、財布の中の野口さんを使わずに済んだ。
まず、敷地内に保存されている、野口英世の生家へ。
約200年前に建てられたというこの家が、今でも残っていることに驚く。
母シカが洗いものをしていた小川や、シカが植えた桑の木、
英世が火傷をしたいろりまで残っている。
「野口英世博士誕生地」の碑は、1929年(昭和4年)、
つまり野口英世が亡くなった翌年から建っているそうだ。

館内1階では、野口英世の生涯について、さまざまな資料を交えて解説。
野口英世は1876年(明治6年)生まれ。
1歳6ヶ月のとき、いろりに落ちて火傷をし、左手が開かなくなる。
小学校を優秀な成績で卒業し、小林栄の援助を受けて高等小学校に進学。
高等科4年のとき、会津若松の会陽医院・渡辺鼎院長の手術で左手が開く。
このことが、英世が医学の道を歩むきっかけとなった。

上京して医師となり、順天堂医院、北里伝染病研究所へ(この頃、清作から英世へ改名)。
清国で勤務した後、1900年アメリカへ。しばらく苦労したが、
以前英世が通訳を務めたことのある、フレキスナー博士の尽力で、
ペンシルベニア大学の助手となる。
デンマーク留学を経て、ロックフェラー医学研究所の助手に。

1914年、正員に昇格。正員は研究所の中でも数えるほどしかおらず、
一流の中の一流の人しか、正員になることはできないそうだ。
最近、森昭雄なる学者が、かつてロックフェラーにいたことを鼻にかけ、
「野口英世も所属していた研究所に2年間いた」と、自分の権威付けに利用している。
こういう人に、軽々しく野口英世の名前を口にしてほしくない。

野口英世の母シカは、アメリカにいる英世を思い、
幼い頃に覚えた文字を思い出しながら、何度か手紙を書いている。
その手紙が1枚だけ現存。英世に帰国を催促するもので、
「はやくきてくたされ」の繰り返しに、切実な感情がこもっている。
多忙の中、こうした手紙に心を動かされた英世は、1915年に一時帰国。
2ヶ月間日本に滞在したが、結局これが最後の帰国となった。

その後、黄熱病研究のためエクアドルへ赴く。中南米の死亡率低下に貢献したが、
発見した病原菌が、黄熱病のものとは違うのではないかとの疑問から、
1927年、アフリカのアクラ(現在のガーナの首都)へ。
しかし翌年、現地で黄熱病にかかり、亡くなった。51歳。
遺体はニューヨークに帰り、埋葬された。

1914年に撮影された、英世のカラー写真が展示されていた。
日本人が写った最古のカラー写真である可能性が高いらしい。
かなり鮮明な写真で、まるでつい最近撮られたもののように感じられる。

2階展示室へ。英世直筆の手紙、英世の描いた絵、家族に関する解説、
英世の研究に関する解説(梅毒スピロヘータの純粋培養など)、
新千円札に関する解説、猪苗代湖に生息する魚、
サザエさんのセル画(この記念館を訪れたシーン。オープニングか)
などが展示されていた。

野口英世記念館のホームページはこちら。

3時。近くのレストランで、磐梯山を望みながら、ざるそばを食べる。

屋上の展望台へ。
やっと猪苗代湖が見えた。広い。そして静か。
船がほとんどいない。
白鳥型の遊覧船が、遠くに停泊しているのが見える程度。
遊覧船の船着場の近くには、明治時代に建てられた、
有栖川宮威仁親王の別邸、天鏡閣という建物があるらしい。
磐梯観光船のホームページはこちら。
天鏡閣のホームページはこちら(福島県観光開発公社)。

逆の方角を見ると、磐梯山。
昨日の安達太良山と同じように、
またも山頂は雲に隠れてしまっている。
しかしその稜線は、ふもとの観光施設
(猪苗代地ビール館・世界のガラス館)を
包み込むかのように、左右に広がっていた。

バス乗り場には、3時25分発のバスが止まっていた。
しかしこれには乗らずに、もう1ヶ所寄る。
ここに来て初めて知ったが、すぐ近くに、
会津民俗館という施設があったのだ(入館料¥500)。

展示室に展示されていたのは、さしこばんてん、和ろうそく、
火伏せの道祖神(男女性器の木彫)、箱床(はこどこ、箱状のベッド)、
当地で撮影された、映画『遠き落日』の資料など。

屋外には、県重要文化財の佐々木家住宅(写真)、
国重要文化財の馬場家住宅など、
江戸時代の建物がある。落ち着いた雰囲気の空間だ。

佐々木家・馬場家とも、中を見ることができる。
佐々木家は名主の家で、3階まである。多くの使用人を住まわせていたという。
馬場家は中流農民の家で、厩が併設された曲屋(まがりや)。
土間がたいへん広かった。
会津民俗館のホームページはこちら。

3時48分。4分後にバスが来るはずだが、停留所の位置がわからず、途方に暮れる。
さっき乗ったバスとは違う会社で、バス停も違うのだ。
記念館の向かい側に、人が集まっている場所があったので、
もしかしてと思って行ってみたら、案の定そこがバス停だった。
道が渋滞していたおかげで、バスが3分遅れて来たので、間に合った。

左手に磐梯山。右に湖面がかすかに見える。対岸の山々がシルエット状に見え、幻想的。

4時4分、猪苗代駅着(ゲーム路銀 ¥3,270-¥240=¥3,030)。
次の下りは、4時28分の臨時快速。

やってきたのは455系6両編成。
前3両は白地に緑。
後ろ3両には赤べこの絵がついている。

右手に磐梯山。左は高速道路。
翁島駅を通過して、磐梯山は徐々に後方へ。高速道も見えなくなった。
森へ突入。ここから電車は、右へ左へくねくね曲がる。
磐梯山が前方に現れたかと思うと、また後方へ下がる。
「日曹金属化学会津工場」の文字が見え、磐梯町停車。
駅の周りをススキの穂が囲み、その周りを家々が囲んでいる。

森と田んぼが続く中、ところどころに果樹園も見える。
左に突然、水力発電所が見えて、びっくりする。その直後に東長原駅通過。

この辺りには、四季折々の花が植えられた、会津村という広大なテーマパークがあるらしい。
また、かつて会津若松の市街地にあった、会津藩校日新館が復元されている。
会津村に立つ、高さ57メートルの「会津慈母大観音像」が見えるかと思ったが、
残念ながら、電車の中からは見つけられなかった。
会津村のホームページはこちら。
会津藩校日新館のホームページはこちら。

右側遠くに市街地が広がる。
やがて近くにも家が増え、広田通過。左に三菱製鋼広田製作所。
左側がひらけてきた。ゲーセンもあったが電車は止まらない。
4時55分、終点の会津若松駅に到着。
ゲーム路銀 ¥3,030-¥480=¥2,550

トロッコ列車「びゅうコースター風っこ」の姿があった。

ホームには、会津鉄道の野口英世ラッピング車両も。

中間駅なのに頭端式ホーム。
小田急線の藤沢や、東武野田線の柏みたいだ。

改札前に、大きな赤べこ。
改札口も赤べこカラー。


<〜翁島(おきなしま)>〜磐梯町(ばんだいまち)<〜東長原〜広田>〜
会津若松

史跡の多い会津若松。
駅舎も鶴ヶ城をイメージしたデザインだ。

駅前に、白虎隊士の像がある。

もう時間も遅いので、観光は次回じっくり行なうことにして、
今日は会津若松で、ゲーセンを探してみようと思う。
それにしても、電線や街路樹にとまっている鳥の数がすごい。

駅前のホテルに、セイタイトー会津があった。

カラオケ、プライズ、ビリヤード。プリクラもある。
ビデオゲームもわずかながらあった。『新三国戦記七星転生』(サミー)、
『サムライスピリット零』、『スーパーリアル麻雀VS』、『レイブレーサー』、MVS。
MVSに入っていた『ザ・キング・オブ・ファイターズ'98』をやってみた。
2面まで、めくりでフェニックスアローが決まりまくるが、
3面で、同キャラ対決のCPUアテナに歯が立たず。
ゲーム路銀 ¥2,550+¥100=¥2,650
後ろでバタンバタンと音がすると思ったら、
若い女の子たちが、『ソニックブラストマン』をやっていた。
まだこれ、今でも通用するゲームなんだなあと思った。

日が暮れた。鳥の声は聞こえなくなった。
大きな通りを南に歩いてみる。確かタイトーステーションがあるはずだ。
しばらく行くと、アーケード商店街に入る。さらに歩くと、
……アーケード商店街を抜けた。

引き返して隣の道を探したら、あった。
タイトーステーション会津若松。
ボウリング場の建物の中にある。

その向かいには何と、
野口英世の手を手術した会陽医院が。

プライズ、メダル、乗り物、大型機、奥にプリクラ、卓球台。
ビデオゲームもあった。
『あっかんべぇだぁ〜』がある! 『スペースインベーダー』のリメイク作品だが、
PS2で発売された『タイトーメモリーズ 下巻』に収録されているので、
私はけっこうプレーしているのだ。
しかもこのゲーム、2連射できる上に、ため撃ちショットもあるので、
『スペースインベーダー』より簡単になっている。
3回プレーして、7面クリアー、14面クリアー、10面クリアー!
ゲーム路銀に不安のあったところで、このゲームに巡り合えたのは、まさに天の助け!
ゲーム路銀 ¥2,650+¥2,800=¥5,450

今日は東京に帰る日。
7時2分発の快速郡山行きに乗って、会津若松を後にする。
車両側面の行き先表示はサボだった。

駅でいっぱい観光地図を手に入れたから、次はもう迷わないと思う。多分。
車内でそれらの地図やパンフレットをすべて読み終えた頃、郡山到着。8時8分。
8時34分のやまびこで帰る。小原庄助べんとうが売り切れていたのは残念。
9時34分、大宮着。
エキュート大宮で何か食べようと思ったらもう閉まってた。

現在のゲーム路銀
¥5,450

今回のルート


郡山市観光協会のホームページ  猪苗代・磐梯 特選情報チャンネル(猪苗代観光協会)
会津若松市のホームページ  あいLove会津  パーフェクトあいづ
ツーリストインフォメーション福島  JR東日本仙台支社
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 48.福島編(4)」では、
会津若松の名所をめぐる。
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