ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

59.さいたまフィールズフォーエバー
〜栃木・埼玉編(8)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥6,130



2006年5月20日。
赤羽発9時59分の宇都宮線211系で、今日のスタート地点、さいたま新都心へ向かう。


さいたま新都心

10時11分着。
前回は東口から出たが、今回は西口側に行ってみよう。

けやきひろば。周囲にレストランが多い。
よく茂ったケヤキの下で、
「彩の国 食と農林業ハーモニーフェスタ」
という催しが行なわれていた。

さいたまスーパーアリーナ。
ずいぶんたくさんの人が並んでいる。
Janne Da Arcのライブが行なわれるらしい。

このあたりから見る駅の屋根は、
スノーシェッドのような形をしている。

私が行くのはもちろんJanne Da Arcのライブではなく、
さいたまスーパーアリーナと同じ建物内にある、
ジョン・レノン・ミュージアムだ。

開館は午前11時からだった! 約30分待ち。
ロビーは開いていたので、自販機でお茶を買い、椅子に腰掛けてしばし待つ。
室内にビートルズの『抱きしめたい』『ア・ハード・デイズ・ナイト』
『ティケット・トゥ・ライド』などが流れ、気持ちは高まる。
11時7分前に開けていただいた。『ヘルプ』を聞きながら、エスカレーターを上る。
(入館料¥1,500)

まずシアターで、ジョン・レノンの生涯を紹介した映像を見る。
『スターティング・オーヴァー』が印象的。

展示の前半では、生い立ちからビートルズ時代までが解説されている。
1940年、リバプールに生まれたジョンは、両親の離婚で伯母に育てられる。
ロックに熱中し、16歳のときにポール・マッカートニーと出会う。
さらにジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフ、ピート・ベストが加わり、
5人で「ビートルズ」として活動を始める(サトクリフは美術を志すため、間もなく脱退)。

1962年、オーディションに合格してレコードデビュー。
(デビュー直前にピート・ベストが脱退し、リンゴ・スターが加わる)
デビューして間もなく大人気となり、イギリス全土で熱烈なファンを獲得。
1964年にはアメリカに進出。さらに世界各地でコンサートを行なうようになる。
日本でも1966年、日本武道館で5回のコンサートが行なわれ、計5万人を集めた。
デビューシングルやステージ衣装、ギター、作詞原稿、
日本公演のプログラムとチケットなどが展示されていた。

しかし、観客が増えたことで、コンサートは大規模化。
客の歓声で、曲が聞き取れないこともあったらしい。
やがてビートルズはコンサート活動を停止。以後、レコーディング活動がメインとなる。
その頃、ジョンはオノ・ヨーコ氏に出会う。

エスカレーターを上ると、ジョンのソロ活動に関する展示が中心となる。
オノ・ヨーコ氏の作品もいくつか再現されていて、おもしろい。
特に、「天井の絵」が印象に残った。

当時、ベトナム戦争が激化していた。ジョンとヨーコはこれに抗議し、
「LOVE AND PEACE」をスローガンに、平和をうったえるイベントを行なう。
ドングリが入った「愛と平和の小包」を、世界各国の大統領・首相に送ったり、
「WAR IS OVER IF YOU WANT IT」と書かれたポスターを世界各地に掲出したり。
2人が結婚したときも、
ベッドの上で平和について語り合う「ベッド・イン」というイベントを行なっている。
(小包の実物や、ベッド・インの写真、
ポスターが出された街の写真などが展示されていた)

そうした中で生まれた曲が『イマジン』。
この曲のレコーディング風景が、大きなスクリーンに映し出されていた。

反戦活動も、アート・パフォーマンスの一環として行なわれていて、
時折ユーモアも混じる。
私も「WAR IS OVER」の広告に触発されて、
「『ゲーム脳』に科学的根拠はありません」という広告を出したことがあるが、
多くの人の理解と支持を得られるように、メッセージを伝えるということは、
なかなかうまくいかないみたいだ。

後に2人はニューヨークに移り住み、平和運動を展開するが、
当時はまだベトナム戦争の最中。アメリカ政府からたびたび国外退去命令が出され、
その取り消しを求めて、2人は4年間も裁判で争うことになった。
ジョンはFBIの盗聴や尾行を受け、精神的に追い詰められたらしい。
一時はヨーコと別居してロサンゼルスへ移るが、1年後にニューヨークへ戻る。

そのさらに1年後となる1975年、遂に国外退去命令が破棄された。
また同じ頃、2人の間に男の子が誕生。
ジョンは子育てに専念し、音楽活動を約5年間休止した。
この間に3人で何度か来日し、軽井沢などに滞在したそうだ。
当時ジョンが描いた絵(ドローイング)が、数多く展示されていた。
浴衣を着てマッサージを受けているジョン自身の絵など、ほのぼのとした感じ。

しかし、音楽活動を再開したばかりの1980年12月8日、
ジョン・レノンは凶弾に倒れ、この世を去ってしまった。

最後の部屋には、ジョン・レノンが残したメッセージが、いくつも書かれている。
ガラスの壁の外は一面の青空で、なんだか勇気をもらった気がした。

(※ジョン・レノン・ミュージアムは、2010年に閉館となりました)
さいたまスーパーアリーナのホームページはこちら。
さいたま新都心のホームページはこちら。

ゲーセン紀行を再開しよう。12時46分発の京浜東北線に乗る。
右側、大きな建物が並ぶその下を、貨物列車が走っていく。
与野からマンション・アパートが続く。
与野も北浦和も、探せばゲーセンはあるのかもしれないが、きりがないので、
今回は下調べで、事前にゲーセンがあることがわかっている場所だけを探す。
与野、北浦和とも通過、ごめんなさい。

その基準でいくと、浦和も通過なのだが、
さすがに県庁所在地は通過できないので、
降りてみた。51分着。
ゲーム路銀 ¥6,130-¥150=¥5,980


〜与野(よの)〜北浦和〜
浦和

浦和といえば、
やっぱり浦和レッズが有名だろう。

とはいえ、駒場スタジアムや埼玉スタジアムは、
ここからだと少々遠い。
あと、浦和競馬場もちょっと遠い。

駅前を少し歩いてみたが、
ゲーセンも見当たらなかったので、
先へ進むことにした。

伊勢丹の前の歩道に、
浦和レッズの選手、監督、
マスコットの足型が並んでいた。

午後1時22分の電車に乗る。高架化工事中で、東口の様子はよく見えない。
発車後、左側(東)に住宅地が見えてきた。右の湘南新宿ラインが、高架から下りてくる。
南浦和。武蔵野線との乗り換え駅だが、通過しますごめんなさい。
右に浦和電車区。高架をくぐる。高架の下に、ゴリラの像が立っていた。
1時27分、蕨駅下車。(ゲーム路銀 ¥5,980-¥150=¥5,830


〜南浦和〜
(わらび)

SUPER BELL''Zの
『MOTER MAN(秋葉原〜南浦和)』で印象的な蕨。
『中井正広のブラックバラエティ』で、
書けない地名として知られる蕨。
日本一面積の小さな市でもある。

東口一番街にある、アドアーズ蕨に入った。

1階にプライズ、プリクラ、2階にメダル。
ビデオゲームはないのかなあと不安になったが、2階にちゃんとあった。
いつものように『ミスタードリラーG(グレート)』をプレー(1プレー¥50)。
久しぶりに、アメリカ面1000mクリアー!
うれしいのだが、実は941mまでノーミスだったので、
ノーミスクリアーを逃した悔しさもちょっとある。
ゲーム路銀 ¥5,830+¥450=¥6,280

2時3分の電車に乗った。
一戸建ての家が多い。右に学校あり。


西川口

2時5分、次の西川口で降りた。
ゲーム路銀 ¥6,280-¥130=¥6,150

東口の「GAME遊's」という店へ。

『麻雀格闘倶楽部』や音ゲーもあるが、中心はビデオゲーム。
『上海』が5台も並んでいるのがおもしろかったので、1台やってみる。
『スーパー上海ドラゴンズアイ』(ホット・ビィ)。2プレー¥100。
(ちなみにあとの4台は、サンソフトの『上海II』『上海III』と、
タイトーの『上海 三國牌闘儀』、テクモの『上海 万里の長城』)
1ステージの短い「上海クエスト・ゼウス戦記」モードをプレーして、
1回めは2面クリアーするが、2回めは1面で手詰まりになってアウト。
結局ゲーム路銀は増減なし。

天気予報が外れて、今日はよく晴れた。
そのぶん暑いのだが、暑いのは予報どおりなので文句は言えない。

次の南行は2時42分。電車は冷房が効いてて気持ちいい。
左に大きなマンションやショッピングセンターが見えてきた。
2時44分、川口駅着(ゲーム路銀 ¥6,150-¥130=¥6,020)。


川口

東口へ。
ペデストリアンデッキのある、大きな駅だ。
背後に、川口総合文化センター リリアの建物や、
建設中の高層マンションが見える。

鋳物でできた駅名板に、SLと鉄砲ユリが描かれている。

駅前の「イート川口」というビルに、
「GAME」の文字があったので行ってみた。
後ろのビルに乗っかっている、
巨大なライオン像も気になるけれど。

デッキから建物に入ると、そこがゲームPIAだった。
プライズ、対戦格闘、通信対戦、プリクラ。上の階には通信対戦とメダル。
面クリアータイプのゲームが少なかったので、プレーせず、別のお店を探すことにした。

アドアーズ川口を探していたのだが、だいぶ道に迷う。
閉店したとみられるダイエーの旧店舗前を通り、

さくら橋という橋を渡った。
彼方に見える高層マンション。


川口元郷(かわぐちもとごう)

橋を渡ってすぐ、
何と埼玉高速鉄道の川口元郷駅に着いてしまった!

行き過ぎたことは明白なので、ちょうどやってきたバスに乗って川口駅に帰る。
ゲーム路銀 ¥6,020-¥170=¥5,850
道路が渋滞してて、着くまでに12分ほどかかった。

駅前で、ハンバーガー屋の人がチラシを配っていた。
あと10分で午後4時。急にお腹がすいてきて、そのハンバーガー屋で昼食をとる。

店から出たら雨だった。
天気予報は当たってた。
しかも相当な降りで、傘を差していたにもかかわらず、
ズボンのひざから下がぐっしょりぬれた。

4時20分の京浜東北線南行に乗った。
荒川を渡る。左手に、さっきさくら橋からも見えた2本の高層マンション。
窓が曇って写真は撮れなかったが、この川が県境。東京都北区に入ったのだ。

スタートから9県め、東京都に到達!

続いて渡ったのが新河岸川。川越を流れていた細い川が、ここまでつながっていたとは。
4時23分、赤羽駅到着(ゲーム路銀 ¥5,850-¥130=¥5,720)。


赤羽(あかばね)

雨は依然強い。
風も強く、ときおり傘を持っていかれそうになる。
高架のホームに到着する、京浜東北線の電車が、
ガラスケースに入った鉄道模型のように見えるが、
それをゆっくりめでてる場合じゃない。

ゲーセンを探しに行かなくては、
……と思ったら、駅構内にあった。
南改札口の「AG SQUARE」。

プライズ、プリクラ、メダル、大型、通信、格闘。
あっ、『上海』があった。『上海 昇龍降臨』。
さっき西川口で見たどの『上海』とも違う。
プレーするが、2面で手詰まりとなってしまって、ゲーム路銀の増減はなし。

強風のため、武蔵野線や川越線などに遅れが出ているらしい。
宇都宮線は栗橋−古河間で木が倒れたそうで、運転を見合わせている。
ただし京浜東北線には影響がないようで、5時17分の電車が定刻どおり来た。

高架線を走る。真上に別の高架がやってきて、右から左へ。新幹線だ。
東十条駅。左の高架の向こうに下十条運転区。
なおも左に高架が並行。京浜東北線は地平に下りている。
次の王子で降りた。5時21分着(ゲーム路銀 ¥5,720-¥150=¥5,570)。


〜東十条〜
王子

ホームから飛鳥山公園が見える。

駅の東側に、都電荒川線の電停(王子駅前)がある。

駅前のビルに、
「アミューズメントZYX」という文字を見つけたが、
ここって確か……。

行ってみると、やっぱり閉店してた。
貼り紙に、「ジークスは都合により平成18年5月7日をもって閉店する事になりました」
と書かれていた。2週間遅かったか。
(※その後、ナムコの店舗となって営業が再開された)

北とぴあ(ほくとぴあ)が見える。
展望スペースがあるらしいが、今回は行かなかった。
北区文化振興財団(北とぴあ)のホームページはこちら。

雨は弱まり、西の空に日が差してきた。

駅の西側に移動して、飛鳥山公園に行ってみた。

徳川吉宗が、この地を王子権現に寄進し、
桜や松などを植えて庶民に開放した。
以来、桜の名所として知られるようになったそうだ。
元文2年(1737年)、吉宗の事績を称えて
建てられたのがこの「飛鳥山碑」。

今は葉っぱが青々と茂っているが、実は私、4月に大宮公園でお花見した帰りに、
ここへ立ち寄って写真を撮っていたのだ。
そのときの写真が、↓こちら。


再び、5月20日の写真に戻る。
D51と都電6000系が、遊具に交じって展示されている。

渋沢史料館、北区飛鳥山博物館、紙の博物館が、公園内に並んでいる。

紙の博物館は、王子が日本の洋紙発祥の地であることから、
王子製紙の収蔵資料を基に設立された。
北区飛鳥山博物館では、北区と飛鳥山の歴史が解説されているらしい。
渋沢史料館は、渋沢栄一の旧邸があった場所に建てられた。
近くに残る茶室・晩香廬(ばんこうろ)と、青淵文庫(せいえんぶんこ)
(ともに国の重要文化財)も公開されている。
ただし、いずれも入館は午後4時30分まで。
今、6時14分。まったくもって間に合わない。
紙の博物館のホームページはこちら。
北区飛鳥山博物館のホームページはこちら。
渋沢史料館のホームページはこちら。

雨が上がり、また青空が出てきた。駅に戻って、6時25分の電車に乗った。
右に新幹線の高架。宇都宮線は下をくぐって右側から左側へ。
上中里を出ると、高架の陰に、東京新幹線車両センターなどの側線が見え隠れする。
新幹線の車両が並んでいた。

田端。ホームの反対側に、山手線が停車中。
田端から日暮里の間は、後でもう一度通るつもりなので、今回は通過する。
左に新幹線、右に山手線。並行したまま6時32分、日暮里到着。
いちばん左のホームに、京成スカイライナーがやってくるのが見えた。
私はここで常磐線に乗り換え、いったん千葉方面を回ってこようと思う。

午後6時47分の成田行きを待つ。反対側のホームを、
ワンダースワンの旅でよく使った、特急スーパーひたちが通過した。
北斗星が、機関車を最後尾にして、上野へ向かって走っていった。

E231系に乗る。4複線と並行するが、すぐに常磐線だけ右へそれていく。
高架となって三河島。1962年(昭和37年)に死者160名を出す
三河島事故が発生した場所だ。黙祷。
この辺りにも、10階建てくらいのマンションが、目立つようになってきた。

6時52分、南千住で降りた。
ゲーム路銀 ¥5,570-¥160=¥5,410
ぼーっとして、乗ってきた電車を撮るのを忘れたので、
向かいにいた同型を撮影。


〜上中里(かみなかざと)〜田端
〜西日暮里(にしにっぽり)〜日暮里〜三河島(みかわしま)〜

南千住(みなみせんじゅ)

駅を出た真向かいに、つくばエクスプレスの改札がある。
左には東京メトロ。

小塚原回向院に行ってみた。
小塚原(こづかっぱら)は、江戸時代の刑場で、
鼠小僧次郎吉や吉田松陰らの墓がある。
建物が、コンクリート造りのビルだったので驚いた。
もちろんこの時刻だから開いてないけど、
どのみち7月10日までは、工事中のため見学不可らしい。

下町の料理屋さんが立ち並ぶ道を通って、駅へと戻る。
土曜日だからか、閉まっている店も多い。
7時15分の勝田行きに乗って、もう1駅だけ進もう。

415系がやってきた。
ワンダースワンの旅でも利用した、懐かしい車両だが、
そろそろE531系に置き換えられてしまいそうだ。

下町の風景から一転して、高層マンションが並ぶ風景へ。隅田川を渡る。
7時17分、北千住で降りた。(ゲーム路銀 ¥5,410-¥130=¥5,280


北千住

北千住は、常磐線のほかに、
東武伊勢崎線、東京メトロ日比谷線と千代田線、
そしてつくばエクスプレスが通る、
東京北部の一大ターミナル。
駅は大きくてきれい。
西口に出たら、広々とした
ペデストリアンデッキがあった。

しかしゲーセンが見つからない。駅前をかなり歩き回るが、疲れたのであきらめて、
今日は帰ることにする。ルミネで晩御飯を食べた。

現在のゲーム路銀
¥5,280

今回のルート


さいたま市のホームページ  さいたま観光コンベンションビューロー(さいたま市)
蕨市のホームページ  蕨市観光協会  川口市のホームページ  川口市観光協会
東京都北区観光ホームページ  荒川区 おすすめスポット  足立区観光交流協会
ちょこたび埼玉(埼玉県)  東京の観光 丸ごとガイド  JR東日本  東京都交通局(都電荒川線)
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 60.千葉・東京東部編(1)」では、
両さんと寅さんに見送られて千葉県入り。
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