ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

69.パンダだけじゃない動物園
〜東京山手線編(3)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥10,450




御茶ノ水

2006年10月8日。11時7分、御茶ノ水駅着。
ホームから、神田川にかかる
聖橋(ひじりばし)のきれいなアーチが見える。
この聖橋と、隣のお茶の水橋、
それぞれの上に駅の出口がある。

聖橋口から外に出ると、突風が吹き荒れていた。
空は澄み渡った青空なのだが。

駅の近くにあるニコライ堂(東京復活大聖堂)。
1891年(明治24年)にできた建物で、
日本ハリストス正教会の本部にあたる。
日本ハリストス正教会のホームページはこちら

引き返して聖橋を渡る。
ニコライ堂と湯島聖堂をつなぐから、
聖橋という名前がついたらしい。
御茶ノ水駅ホームと、地下鉄丸の内線の電車が見えた。
あと、総武線がかなりの勾配を通っているのもわかった。

このあたりは、さだまさしさんの『檸檬』(れもん)という歌に描かれた場所。
とはいえ、歌のとおりに食べかけの檸檬を川に放ってはいけない。

湯島聖堂へ。徳川綱吉が1690年、
孔子をまつるために創建。
現在の建物は1935年(昭和10年)のものだが、
入徳門だけは、1704年のものが残っている。
多くの人が写生をしていた。

大成殿の内部は本来、土・日・祝日には公開されているそうだが、
今日はイベントの撤収作業のため、非公開となっていた。

大きな孔子像があった。
1975年(昭和50年)、台北のライオンズクラブが
寄贈したもので、世界最大の孔子像らしい。
碑文に「丈高十五尺重量三噸」とある。

湯島聖堂のホームページはこちら

湯島聖堂の裏手に出る。裏手といっても国道17号線・本郷通りで、道幅は広い。

神田明神(神田神社)へ行った。
大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)、
少彦名命(すくなひこなのみこと)、
そして平将門をまつる。
御神殿は昭和9年に再建。
青空によく映える、壮麗な社殿だ。

聖武天皇の頃から、皇居大手門前にあった神社で、
平将門の乱で、討ち取られた将門の首が京から飛んできて、付近に落ちたとされる。
徳川秀忠の代に、現在地に遷座。
明治7年、大洗磯前神社(私はワンダースワンの旅で行ったことがある)から、
少彦名命を勧請している。

右手に回ると、
神田明神下に住んでいたと設定された、
銭形平次の碑がある。
銭形の上に乗っていて、隣には小さな八五郎碑まである。
さらにその隣に、国学発祥の地碑もあった。

正面に戻る。波に乗る少彦名命像があった。
近くには、真っ白い大黒天像も建っている。
どちらも3、4メートルはあろうか。
ここでは少彦名命は、
えびす様と同一とされている。

突然、笙(しょう)の音が鳴ったので振り返ると、
結婚式の行列が出てきて、
本殿へと入っていった。

神田明神のホームページはこちら

近くには日本サッカーミュージアムもあるが、時間の都合で立ち寄らず。
日本サッカーミュージアムのホームページはこちら

駅へ戻る途中、ニコライ堂の鐘が聞こえてきた。もう正午はとっくに過ぎているが。
そういえば函館のハリストス正教会は、鐘の音から「ガンガン寺」と呼ばれていたような。

御茶ノ水駅着12時30分。12時35分発の総武線に乗った。
12時36分、秋葉原駅で降りる。ここで乗り換えて、山手線一周の旅に復帰しよう。
運良く、38分の電車に間に合った。
秋葉原を出ると、左手にクロスフィールドの真新しいビルを見ながら進む。
その後もビルが立ち並び、12時39分、御徒町駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥10,450-¥130=¥10,320


〜秋葉原〜
御徒町(おかちまち)

御徒町駅北口。
駅前はアメ横(アメヤ横丁)の入口だ。

いったん、アメ横前を横切る春日通りを西に進む。
アドアーズ上野にやってきた。
地下1階が「メダルゲーム」、1階が「アーケード&メダル」とある。
1階を見たが、プライズとプリクラ、あと『麻雀格闘倶楽部5』と音ゲー。
ゲーム路銀は稼げなさそうだ。

戻ってアメ横に入る。洋服や靴やアクセサリーや食品などの店が立ち並ぶ。
お菓子屋さんでチョコレートを購入。
昔、『XI[sai]』というゲームの記事を書いたとき、
ここで十数個のサイコロキャラメルを調達したことを思い出した。

アメヤ横丁(アメ横)のホームページはこちら

人込みをかき分けて駅まで戻り、午後1時11分の電車に乗る。山手線なのに座れた。
左にアメ横が見える。並行する京浜東北線の車窓からは、もっとよく見えるだろう。
途中にお寺らしき建物があった。「摩利支天」の文字が見える。徳大寺というらしい。
1時12分、上野駅着(ゲーム路銀 ¥10,320-¥130=¥10,190)。


上野

ご存じ、北への玄関口、上野駅。
1932年(昭和7年)に建てられた
駅舎を生かす形で、最近リニューアルされた。
中央改札にある、
猪熊弦一郎の壁画『自由』も健在。

外観も、古臭い味は減ったが、
ターミナル駅らしい輝きが、
よみがえったように感じられる。
昭和7年の竣工当時は多分、
これに近い雰囲気だったんだろうと思う。

パンダ橋を渡る。
本物よりジャイアントなジャイアントパンダ像あり。
上野公園へ行くのに、公園口で降りなかったのは、
これを見たかったから。

上野公園に入り、西郷さんの銅像へ向かう途中、彰義隊の墓に出た。
彰義隊は1868年(慶応4年)、旧幕臣が中心となって結成。
新政府軍との戦いがここ上野で勃発した。
だが、装備に勝る新政府軍の前に、半日で壊滅させられてしまった。

西郷隆盛(南洲)像は、明治30年(1897年)竣工。
高村光雲の作(犬は後藤貞行作)。
西郷隆盛は明治10年(1877年)、
西南の役に敗れて自刃したが、
明治22年(1889年)に名誉回復し、正三位を追贈された。
銅像はそれを記念して造られたものだが、
写真が1枚もなかった(隆盛は写真嫌いだった)ため、
この像を見て、夫人が「似ていない」と言ったらしい。

勝海舟との交渉で、江戸城の無血開城を受け入れ、
江戸を戦禍から救った西郷隆盛。
東京のシンボルとなるにふさわしい人物と言えるだろう。

とにかく見どころの多い上野公園。
今日はこの後、上野動物園へ行こうと思う。
(入園料¥600)

動物園に入って、キジ、ハトを見た後、
次がもうパンダである。
パンダ舎はさすがに混んでいた。
ただ1頭のジャイアントパンダ・リンリンは、
背中を向けて寝ていたけれど、
隣の柵にレッサーパンダがいて、
ジャイアントパンダの分をカバーするような
人気ぶりだった。

もとはここも寛永寺の一部だったので、
史跡も存在する。
五重塔は1639年に建てられた、上野東照宮の塔で、
高さ32メートル。

さまざまな小鳥、さまざまな猿、バイソン、プレーリードッグを見たところで、
お腹がすいた。園内の食堂でカレーを食べる。
その後、象、カワウソ、フクロウ、ワシ、タカ。ライオンや虎、テナガザル、ゴリラ。

ゴリラ舎はアフリカの環境に近い
景色になっていた。

ミナミコアリクイや、ちょこちょこ歩くカグーという鳥が、
かわいらしくて、ちょっとした人気を集めていた。
その先、ペンギン、アシカ。さまざまな鶴がいる中に、白いカラスがいた。
クマ、ホッキョクグマ、タヌキ、ニホンザルのサル山。
上野動物園は、初めてサル山を造った動物園らしい。
さらにバク、ラマなどを見て、東園は終了。

東園と西園とは、
日本第1号のモノレールで結ばれているが、
今日は乗り場に長蛇の列ができている。
駅の写真だけ撮って、
橋を歩いて西園へ移動した。

出てきた所は、
不忍池(しのばずのいけ)のほとり。
この一角だけ、音が遮断されたかのように
静かな雰囲気の場所だ。

真上をモノレールが通過していく。

すぐそこがモノレール西園駅だった。

西園を散策。ペンギンが集団で立ち並んでいる。
上野公園に入ったときからそうだったが、たびたびギンナンの匂いがきつい場所がある。
そこをこらえてビーバーやカンガルーを見る。
フラミンゴたちを、最近話題のハシビロコウがじっと見ていた。

小獣館にはネズミ、リス、コウモリ類がいる。
直立してかわいいミーアキャットに、キモかわいいハダカデバネズミ。
マングース、ヤマネコ、モルモット、アルマジロや、
夜行性のハリネズミ、モモンガ、フェネックなどもいた。

もう夕方だからか、アフリカの動物たちも屋内に移動していた。
体が光って銅像のようなコビトカバ、見た人がみんなその巨大さに驚いたカバ、
それと同じくらい大きなサイ、さらにダチョウ、キリン、オカピ。
屋内だとどの動物も、大きさが際立って見える。

両生は虫類館。カエル、カメレオン、ワニ、亀、オオトカゲ。
アロワナやハイギョといった熱帯の魚もいる。
そしてガラガラヘビにニシキヘビ。

両生は虫類館から出ると、
不忍池が目の前にあった。
ハスの大きな葉が水面を覆いつくし、
池というより畑のよう。

最後にまたさまざまな鳥を見て、弁天門から外へ出た。閉園3分前の、午後4時57分。

恩賜上野動物園(TOKYO ZOO NET)

すぐ近くに弁天堂があったので、お参りする。
不忍池の中にあり、参道には屋台が立ち並ぶ。

天海が寛永寺を建てる際、不忍池を琵琶湖になぞらえたため、
竹生島にならって中之島を造り、その中に弁天堂を建てた。
現在の弁天堂は、空襲の後、昭和33年(1958年)に再建されたもの。

弁天堂の周囲には、さまざまな碑が建っている。
不忍池碑、利行碑(放浪の画家・長谷川利行。日暮里・浅草に住んでいたことがあるらしい)
の近くに並んでいたのは、

「めがね之碑」
慈眼大師(天海)ゆかりの地ということで、
ここに建てられたそうだが、
……時東ぁみさんはもうここを訪れただろうか?

ほかにもいろんな碑があって、見て回るだけでもおもしろい。
フグを供養する「ふく供養碑」(揮毫は安倍首相の祖父、岸信介元首相)、
八橋検校顕彰碑(琴の演奏家・作曲家)、スッポン感謝之塔、鳥塚、包丁塚、暦塚、
上田碩三電通社長とマイルス・W・ボーンUPI副社長をたたえた「真友の碑」
(2人は1949年、東京湾で船の遭難により亡くなったそうだ)。
文字の読めない碑も多数。

日が暮れてきた。この近くにゲーセンが3軒ほどあるらしいので、探してみよう。

公園の出口近くに、
国民栄誉賞受賞者の手型やサインが並んでいた。
私も若い頃は、「ゲーム業界初の国民栄誉賞」を
目標に掲げていたものだが……。
ふと遠い目になってしまった。

まず、パセラという
アミューズメントビルの1階にある
セガ上野パセラ店へ。

入るとまずプライズ。『たらこ・たらこ・たらこ』
(キユーピーマヨネーズ「あえるパスタソースたらこ」の歌)がエンドレスで流れている。
プリクラ、大型、ムシ&ベリー(←省略しすぎ)。
これで終わりかと思ったら、2階にビデオゲーム、3階にメダルゲーム等があった。
2階は対戦格闘、通信対戦が主だが、レトロゲームもある。
『スプラッターハウス』の台には、ゲーム紹介カードが掛けられている。

私はもう1台のレトロゲーム、『スプラッターハウス』よりさらに古い
『ドンキーコング』をプレーした。
先日の東京ゲームショウで、ファミコンミニ版をプレーして80000点まで行ったことで、
このゲームには自信があった。
しかし4面で炎に挟み撃ちを食らって大苦戦。
何とか4面はクリアーできたものの、5面でゲームオーバーに。
ゲーム路銀 ¥10,190+¥300=¥10,490

パセラのすぐ近くにあるゲームファンタジアには、プライズ、通信、メダル。
特にメダルゲームが中心のようで、ゲーム路銀は稼げず。
広小路を渡って線路沿い、アメ横の北側へ移動。
「東北・上越新幹線上野駅誘致住民運動発祥の地」記念像の辺りに、
ローズマリーというゲーセンがあったが、
1階はオールプリクラ。2階は麻雀格闘倶楽部が中心みたいだったので、中には入らなかった。

線路沿いに北へ歩くと、
西郷会館というゲーセンがあった。
そういえばさっき車窓からも見えていた。
地下1階にプリクラ、1階にプライズと大型機、
2階にビデオゲーム、3階に通信もの。

2階は格闘メインだが、ほかにも大魔界村、ファイナルファイト、魂斗羅、究極タイガー、
極上パロディウス、大工の源さんと、懐かしいところが並んでいる。
ただし、懐かしいけど難しいものばかりで、どれをプレーしようか悩む。
『魂斗羅』に挑戦してみたが、開始20秒くらいでゲームオーバーになり、あ然とする。
ゲーム路銀 ¥10,490-¥100=¥10,390

今『バーチャファイター5』が空いているが、やったら途中で乱入されそうなので控える。
内外装に凝っていて、いい感じの店だが、これで立ち去って駅へと向かった。

アメ横を出て、京成上野駅や上野百貨店(レストラン聚楽)を左に見ながら歩き、
不忍口から駅に入る。午後6時37分。
駅のこのあたりは、すごくおしゃれなショッピングストリートになっていた。
中央コンコースに出ると、国立科学博物館の特別展
「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」(2007年2月18日まで)の、
宣伝用ブースが設置されていた。

かねてよりその美しさに定評のあった、
アーチのある空間は現在、
「アトレ レトロ館」と銘打たれている。

2階にレストラン街ができ、
その真ん中がギャラリーとなっている。
2階に上がれるようになったことで、
壁や天井の、ぜいたくだが派手すぎない装飾を、
近くで見られるようになった。


上野駅には、『あゝ上野駅』の歌碑があったはずだが、見つからない。
レトロ館の情報発信スペース「ブレイク」で地図を見たところ、
広小路口の外にあるらしいので、行ってみた。

『あゝ上野駅』歌碑は、
想像していたより大きかった。
自分の身長より高いとは思わなかった。
18番ホームに到着したC62蒸気機関車と、
集団就職で上野に来た人々が描かれている。
『あゝ上野駅』は昭和39年(1964年)のヒット曲。
私が小さい頃、NHKのど自慢で
よく歌われていたような記憶がある。

7時8分、中央改札を通る。上野公園にはまだ行きたい場所がいっぱいあるので、
次回もここ上野から再開しよう。

15・16番ホームにある、石川啄木の歌碑。
ふるさとの 訛なつかし
停車場の 人ごみの中に
そを 聴きにゆく

ゲーセン紀行では、北海道や青森に行くとき、このホームにお世話になった。
この日は強風のため、北斗星・カシオペア・あけぼのが、
そろって運休になっていたようで、寝台列車の姿は見られなかった。

現在のゲーム路銀
¥10,390

今回のルート
1.旧古河庭園 2.六義園 3.小石川植物園
4.谷中霊園 5.入谷鬼子母神
6.旧吉田屋酒店 7.東京国立博物館
8.上野動物園 9.浅草寺
10.小石川後楽園 11.東京ドームシティ
12.湯島聖堂・神田明神 13.ニコライ堂
14.両国国技館・江戸東京博物館

a.寛永寺霊園 b.国際こども図書館
c.東京芸術大学 d.東京国立博物館
e.東京都美術館 f.上野動物園
g.国立科学博物館 h.国立西洋美術館
i.東京文化会館 j.上野の森美術館
k.不忍池弁天堂 l.西郷隆盛像
m.下町風俗資料館 n.アメヤ横丁 o.鈴本演芸場

千代田区観光協会  文京区観光案内  台東区観光課
東京の観光 丸ごとガイド  JR東日本  東京メトロ
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 70.東京山手線編(4)」からは、
上野の博物館巡りがスタート。
「日本縦断ゲーセン紀行 68.東京山手線編(2)」に戻る


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