ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

71.いろんな像を見た
〜東京山手線編(5)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥10,390




上野

2006年11月5日。今回も11時17分、上野駅着。
ゲーセン紀行3度目の上野公園。
今回も、東京国立博物館へ。

前回は平常陳列のみの¥600のチケットを買ったが、
今回は特別展込み¥1,500のチケットを購入。
日が照っていて、日なたにいると少し暑い。

まず表慶館へ。
明治41年(1908年)に建てられた、
この博物館で最も古い建物だ。

補修工事とお色直しが済み、10月24日から内部が一般公開されている……はずだったのだが、
今日はコンサート開催のため非公開になったとか。
非常に残念である。

法隆寺宝物館へ。
明治11年(1878年)に法隆寺から
皇室に献納された宝物300件余を展示している。

7世紀後半のものとみられる灌頂幡
(天井から釣り下げる、透かし彫りが施された金属板。国宝)から始まる。
続いて、数十センチほどの金銅仏約40点(ほとんどが7世紀、飛鳥時代の仏像)。
大半が観音菩薩立像だが、ひと目見て観音様とは思えないような、
バリエーションに富んだ御姿の像ばかりだ。

続いて、7世紀の伎楽面。1400年近く前のものとは思えないほど、豊かな表情をしている。

2階には仏具類。7世紀の竜首水瓶は国宝。銅製で、翼の生えた馬が描かれている。
聖徳太子が使ったと伝えられる墨台、光明皇后が奉納した「海磯鏡」という大きな銅鏡、
唐時代の法華経、足利義政の書などを見ることができた。
表慶館内部が見られなかったことで半ばキレ気味だった私の心も、
すっかり落ち着きを取り戻した。

最後は平成館へ。
まずは1階の考古展示室から。

青森市で複製を見た、いわゆる遮光器土偶の本物がここにあった。
五能線木造駅のモチーフにもなったあの土偶だ。
さらに、数々の銅鐸(1メートル以上はある大きなものも)や、
時代が下るごとに文様が複雑になっていく縄文式土器、
打製石器と磨製石器、弥生式土器、古墳時代の銅鏡、勾玉(まがたま)、埴輪(はにわ)。
埴輪もこれだけ並ぶと、素朴な造形が、かわいらしく見える。

奈良時代。唐三彩と、それを模して作られた奈良三彩。
瓦、瑠璃骨壺、平安時代〜江戸時代の陶器、経筒など。

小さな企画展示室の展示は、
「没後百年 林忠正コレクション ポール・ルヌアール展」(11月26日まで)。
19〜20世紀の挿絵画家・ルヌアールの作品。
オペラ座の舞台裏や、パリ・ロンドンの風景、労働者、そして動物が、
生活感まで含めて描かれている。

2階、特別展「仏像 一木にこめられた祈り」(12月3日まで)を見る。
一木彫の仏像が展示されている。
唐から伝わったビャクダンの十一面観音立像に始まり、カヤの木で造られた日本の仏像へ。
カヤは大きく生長するので、一木彫でもその大きさは次第に大きくなり、
8世紀後半〜9世紀前半、等身大の仏像が多くなったそうだ。
仏師が中国人から日本人に変わったことで、作風も変化するが、
同じ時代でも、細い仏像から重量感ある仏像まで、さまざまな作風がみられる。

次の部屋は、平安時代の10世紀後半〜12世紀にみられる、鉈彫(なたぼり)の仏像。
ナタというより、ノミ目を意図的に刻んだもの。
素朴なデザインが多いが、中には普通の仏像にノミ目をつけたような凝ったものもある。
宝誌和尚立像の姿にびっくりする。顔が2つに割れていて、その中にもう1つ顔があるのだ。

そしていよいよ円空仏のコーナー。江戸時代に、ノミだけを使って彫られている。
これまで見てきた像とは明らかに違う。1本の丸太を割って造った薬師三尊像、
十一面の顔が横線だけで構成された十一面観音像。
シンプルながらもそれぞれの仏様の特徴をよく表していて、ダイナミックさがある。
現代美術に通じるところがあると思う。
(現代美術のルーツといえる、アフリカの伝統的な彫刻に似ているからか)

円空より100年くらい後の木喰仏は、
同じノミによる仏像でも、滑らかな曲面で構成されている。
何しろ表情が豊か。そしてあたたかい。

すっかり忘れて帰るところだったが、
今日は庭園が開放されていた。
お茶会のため、いくつかある茶室には
入れなかったが、
前回、本館から見た池を、
逆方向から見ることができた。

東京国立博物館のホームページはこちら

午後2時52分、東京国立博物館を出た。
ここからは、上野公園で
まだ見ていなかった場所を散策しよう。

噴水から少し脇道に入ったところに、
野口英世の像がある。
ゲーセン紀行で以前、猪苗代の野口英世記念館に
訪れたときのことを思い出した。

噴水を挟んだ反対側には、
この土地を公園にするよう提言した、
ボードワン博士の像があった。
長らくここにあった像が、実は本人ではなく
弟の像だった
ことが最近発覚し、
今年10月、正しい姿の像に置き換えられた。

上野動物園の前で、桜川ぴん助社中による、かっぽれが披露されていた。

小松宮彰仁親王の銅像。
鳥羽・伏見の戦いの征東大将軍、
さらに会津征討越後口総督となった。
後に博愛社(日本赤十字社)の総長を務めた。

上野東照宮。1627年、藤堂高虎が、
屋敷の敷地内に造営。
後に徳川家光が、現在の社殿を建てさせた。
参道には数多くの石灯籠や、
銅製の灯籠が並んでいる。
唐門に彫られた龍は、左甚五郎作とされ、
門から抜け出して不忍池の水を
飲みに行った
という伝説がある。

拝観料¥200で、拝殿の中を見ることができる。
狩野探幽の壁画、後水尾天皇の書いた「東照宮」額が、大きくて迫力ある。

境内に「広島・長崎の火」がともされていた。
広島の原爆で燃えた家と、
長崎の原爆瓦から採られた火を
合わせたものだそうだ。
平和を願い、核兵器をなくすため、
今も絶えずに燃え続けている。

佐久間勝之が東照宮に寄進した、
高さ約6メートルの“お化け灯籠”。

上野大仏。
たびたび破損しては修復されていたが、
関東大震災で首が落ちた後、
胴体が戦時供出されたため、
現在は顔だけが残っている。
隣にパゴダがあった。

清水観音堂は寛永8年(1631年)創建。
現存する寛永寺の建物では、最も古いそうだ。
かつて子宝を授かった人々が、
人形を奉納したことから、
境内に人形供養碑がある。
清水観音堂のホームページはこちら

観音堂を出たら、彰義隊の墓と西郷さんの像がある。
「ダリ回顧展」開催中の、上野の森美術館には、行列ができていた。
入場待ちは15分ほどらしいが、
美術館を全部見てるときりがないので、ここには立ち寄らない。
上野の森美術館のホームページはこちら

正岡子規の句碑がある。
「春風や まりを投げたき 草の原」
子規は、この近くで
野球をやったことがあるそうで、
公園内の野球場は、今年7月、
「正岡子規記念球場」と名づけられた。

国立西洋美術館に来た。
前庭に、ロダンの『考える人』や、
『カレーの市民』『地獄の門』『アダム』『エヴァ』
ブールデルの『弓をひくヘラクレス』があった。

現在、午後4時44分。閉館まで1時間ない。中に入って案内図を見たら、けっこう広い。
ここは次回に回すことにしよう。
国立西洋美術館のホームページはこちら

まだ昼ごはんを食べていなかった。
公園の出口でタコ焼きを売ってたので、買って食べた。
帰る前に、1つ思い出したことがあり、公園内へ引き返す。

東京国立博物館に戻ってきた。
夜になると、本館がライトアップされるということを
事前に聞いていたのだ。
壁面に所蔵品が次々と映し出されていた。

今回もここから先へ進めないので、これにて終了。
帰りにまた秋葉原で買い物をした。

現在のゲーム路銀
¥10,390

今回のルート
1.旧古河庭園 2.六義園 3.小石川植物園
4.谷中霊園 5.入谷鬼子母神
6.旧吉田屋酒店 7.東京国立博物館
8.上野動物園 9.浅草寺
10.小石川後楽園 11.東京ドームシティ
12.湯島聖堂・神田明神 13.ニコライ堂
14.両国国技館・江戸東京博物館

a.寛永寺霊園 b.国際こども図書館
c.東京芸術大学 d.東京国立博物館
e.東京都美術館 f.上野動物園
g.国立科学博物館 h.国立西洋美術館
i.東京文化会館 j.上野の森美術館
k.不忍池弁天堂 l.西郷隆盛像
m.下町風俗資料館 n.アメヤ横丁 o.鈴本演芸場

台東区観光課  東京の観光 丸ごとガイド  上野観光連盟  JR東日本  東京メトロ
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 72.東京山手線編(6)」は、
西洋美術館と科学博物館へ。
「日本縦断ゲーセン紀行 70.東京山手線編(4)」に戻る


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