ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

75.クリスマスイブらしさゼロ
〜東京山手線編(9)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥11,190




鶯谷(うぐいすだに)

2006年12月24日。クリスマスイブだが、
今回のスタートは鶯谷なので、
クリスマスらしい風景には出会えないと思う。
11時16分、鶯谷駅着。
ホームに降りたとき、隣の線路を
寝台特急・北斗星が通過していった。

南口から外へ出る。
山手・京浜東北・宇都宮・常磐の
5複線区間を陸橋で渡る。

言問(こととい)通り沿いにあった
パチンコ屋の入口のライオンがすごい。
狭い入口に覆いかぶさるような迫力には、
おそれ入谷の鬼子母神

ということで入谷鬼子母神にやってきた。
正確には「きしぼじん」ではなく、
「きしもじん」が正しいらしい。

また、「鬼」の上の点はつけないらしい。
子供を食べていた鬼神が改心して、子育て・安産の神になったということで、
「鬼」の字も、ツノを取って表記している。
寺名は眞源寺といって、日蓮上人の像も、鬼子母神とともにまつられている。
明治期から有名な朝顔市は、一時途絶えたが、戦後に復活した。

入谷あさがおロード

言問通りを引き返して、根岸方面へ移動。歩いている間じゅう、頭の中で、
アニメ『逆転イッパツマン』のエンディングテーマ『シビビーン・ラプソディー』の、
「おそれ入谷の鬼子母ブタ」というフレーズが延々とリフレインする。

立派なステンドグラスがある、小学校の前を通る。

ねぎし三平堂へやってきた。
(入館料¥600、水・土・日曜に開館)
「昭和の爆笑王」とよばれた
林家三平氏の生涯を紹介し、
数多くの遺品を展示している。

私が小学生のときに三平さんは亡くなっているので、あまりはっきりと覚えてないのだが、
CM映像集の最後に出てきた「土倉のお茶」のCMは、何となく記憶にある。

落語「源平盛衰記」の映像が見られる。
こないだ『たけしの誰でもピカソ』で一部放送されたが、それのフルバージョンだ。
源平の話に、巧みに現代の笑いを取り混ぜている。
というより、脱線しまくって、突然思い出したように本編に戻る。
理屈抜きで笑える。でもほかのお客さんがいたので、ちょっと笑いをこらえた。

数多くのテレビ・ラジオの台本、積み上げられたネタ帳は圧巻。
三平さんが出したレコード(歌を聴くこともできる)や、愛用の品々もある。
洋酒だと思っていろんな人に飲ませていた香水、かけてもバレバレの変装用眼鏡、
何だかわからないので捨てられないという鉄の輪など、
どれもユーモラスなエピソードがある。
林家こん平さんが入門を申し込んだときの手紙と写真もあった。

ねぎし三平堂のホームページはこちら

その後、正岡子規が晩年を過ごした子規庵
(戦災で焼失し、昭和25年に再建)を訪れるが、
この日から年末年始の休みに入ったそうで、
閉まっていた。
子規庵のホームページはこちら

なお、今回は立ち寄らなかったが、子規庵の向かいに書道博物館がある。
書道博物館のホームページはこちら

言問通りに戻って、駅北口の西側で線路を越えよう。階段を上って跨線橋に移動。
電車が次々通過する5複線を越え、寛永寺へ。
すぐそこに見えるのに、入口が見つからない。
ようやく入口にたどり着いたら、国立博物館・表慶館の屋根が近くに見えていた。

寛永寺は、江戸城の鬼門の方に建てられた
徳川家の菩提寺で、
今の上野公園も、もとは寛永寺の境内だった。
現在の寛永寺本堂(根本中堂)は明治時代に、
川越喜多院の本地堂を移築したもの。
建造は1638年(寛永15年)とされる。

さらに南下すると、旧吉田屋酒店があった。
下町風俗資料館の付設展示場。
1910年(明治43年)築。
1987年(昭和62年)に移築された。
台東区立下町風俗資料館のホームページはこちら

以前、ITmediaの企画で近くを訪れたことがあるが、
谷中には古くから残るお寺が多い。瓦屋根の続く町並みは独特。
『桃太郎電鉄』の貧乏神の像があるお寺も近い。

浄名院というお寺が、寛永寺の近くにある。
「八万四千体地蔵」の文字が
気になったので、入ってみた。

明治時代の妙運和尚が、千体の地蔵菩薩像を建立するという誓願を立て、達成した。
続いて、八万四千体建立の大誓願を立てたことから、
それ以来現在に至るまで、信者の皆さんの手によって、お地蔵さんは増え続けているという。

鶯谷駅北口に戻ってきた。
ホーム脇に植え込みで「うぐいす」の文字が。

午後2時22分発の山手線内回りに乗る。
出発してすぐ、陸橋が上を横切る。さっき跨線橋から見て知ったが、これは京成線。
左は墓地、右は線路が多数並行する。

2時24分、日暮里駅下車。
ゲーム路銀 ¥11,190-¥130=¥11,060


日暮里(にっぽり)

日暮里駅南口。
内部が吹き抜けになった塔がある。
近くにある谷中(やなか)霊園へと向かった。

コンクリート打ちっ放しの
現代的な門をくぐって、天王寺に参拝。

いざ、谷中霊園へ。
春には桜の名所となるらしい、
「さくら通り」を歩く。

1957年(昭和32年)に焼失した、
天王寺五重塔の跡。
塔は幸田露伴『五重塔』のモデルとなったが、
現在まで再建されていない。
塔の跡の上に、木の枝が伸びてきていた。

谷中霊園は、さまざまな有名人のお墓があることで知られている。
長谷川一夫氏の真新しい墓、川上音二郎像の台座(像は戦時供出でなくなった)、
かなり入り組んだ場所にある、徳川慶喜の墓などを見る。
古くからある墓地なので、変わった形の墓石も見られるし、
幕末や明治に活躍しながら、現代ではあまり名前が知られていない人々の墓もあった
(いくつかのお墓に、解説板が立てられていた)。

谷中霊園(東京都公園協会)

谷中霊園を出て、朝倉彫塑館に来た(入館料¥400)。
明治から昭和にかけて活躍した彫塑家、
朝倉文夫の住居兼アトリエだった場所だ。
猫や裸婦像などの作品が見られる。
早稲田大学の大隈重信像もあった。

建物自体もおもしろい。
書斎には、高い本棚の上まで、ぎっしりと本が詰め込まれている。
奥は数寄屋造りの日本家屋となっている。中庭に池があり、大きな鯉が泳いでいた。
細部に曲線を用いたぜいたくな造り。それでいて生活感もある。

朝倉彫塑館のホームページはこちら

日暮里駅に戻ってきた。
駅の北側は、
日暮里・舎人ライナー建設に伴って、
現在、改築工事中。

3時57分、停車中の山手線電車に乗ったら、
池袋駅での信号トラブルのため、内回りが運転を見合わせているとのこと。
幸い、京浜東北線は動いていたので、3時59分の電車に乗った。
左は掘割から一転して高架になり、道路を渡ったかと思うと、

そこが西日暮里駅だった。
4時ちょうど着。
日暮里−西日暮里間はわずか0.5キロで、
山手線全駅間で最も短いのだ。
ゲーム路銀 ¥11,060-¥130=¥10,930


西日暮里

西日暮里駅は、道灌山通りの真上に位置する。

駅を出てすぐ東側に、
日暮里・舎人ライナーの高架がある。
左にあるのが多分、ライナーの西日暮里駅。
右側には、京成線の線路も通っている。

今、写真を撮ったとき、交差点の角に小さなゲーセンがあるのを発見した。
しかし、実はこの後に用事があって、今日はそろそろ帰らなくてはならない。
ここにはまた、年明けに再訪しよう。4時21分、千代田線で帰る。

現在のゲーム路銀
¥10,930

今回のルート
1.旧古河庭園 2.六義園 3.小石川植物園
4.谷中霊園 5.入谷鬼子母神
6.旧吉田屋酒店 7.東京国立博物館
8.上野動物園 9.浅草寺 10.ねぎし三平堂

台東区観光課  荒川区 荒川ゆうネット
東京の観光 丸ごとガイド  JR東日本  東京都交通局(日暮里・舎人ライナー)
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 76.東京山手線編(10)」は、
2007年の初詣!
「日本縦断ゲーセン紀行 74.東京山手線編(8)」に戻る


「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ

「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ