ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
91.明治大正がいっぱいの街並み
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2007年7月16日。11時28分、みなとみらい駅着。 長いエスカレーターで、クイーンズスクエアの1階に上がり、外へ出た。 台風一過の青空の下。明るいが暑い。
総帆展帆は、年に十数日ほどしか行われない。今日はこれを見に来たようなものだ。 ちょうど展帆が終わったばかりのようで、 白い服を着たボランティアの皆さんが、続々と降りてきた。 これだけ多くの人手を必要とするのなら、年十数日というのもやむをえないだろう。
日本丸メモリアルパークのホームページはこちら ボーッという船の汽笛が響いた。正午である。 コスモワールドを通って、海側へ向かう。
みなとみらいさん橋(ぷかりさん橋)のホームページはこちら シーバス(ポートサービス)のホームページはこちら パシフィコ横浜の外側を回る。 大岡川の対岸に、温泉施設・万葉倶楽部がある。 ここで掘っているのではなく、湯河原からお湯を持ってきているらしい。 万葉倶楽部のホームページはこちら
桜木町駅前を横切って、市街地の方へ歩く。 私が初めてこの街を訪れたのは高校生の頃だが、 いかにも古そうな洋風建築がそこかしこにあって、当時から印象に残っていた。 確か、かながわ文芸コンクールで佳作二席をとったときだったか。 あの頃は小説も書けたんだけど、今では短編小説すら完成させられない。
まず、観覧無料のコレクション展示「東海道分間絵図 全巻展示」を見た。 (7月16日、つまりこの日まで) 遠近道印(おちこちどういん)の作った地図をもとに、菱川師宣が描いた東海道の絵地図。 展示されているのは、1703年(元禄16年)に再版されたもの。 単色墨がきの簡潔な図ながら、ところどころに、 街道を行き交う人々や、農民の姿が小さく描きこまれている。 小さな町並みの中に人物を大きく描く表現方法は、 ファミコンや、もっと前の液晶電子ゲームをほうふつとさせる。 常設展を見る(¥300)。神奈川の歴史を時代ごとに展示。 石器・土器に始まり、竪穴式住居の模型、平安時代の木簡、 海老名の相模国分寺(今ビナウォークに建っている塔のモデル)の模型。 鎌倉時代、今の神奈川県は、政治・文化の中心地となる。 さまざまな仏像や、新しく興った仏教宗派に関する資料、 円覚寺舎利殿内部の実物大模型、円覚寺仏殿の巨大なミニチュア。 源氏政権確立から、北条氏の執権政治、元寇、鎌倉幕府の滅亡、 戦国時代の後北条氏などについて、解説されている。 江戸時代には東海道などの宿場町が栄える。 小田原城の整備や、箱根の関に関する展示がある。 江ノ島や鎌倉、箱根、大山への観光も、江戸中期から盛んとなり、 名所図会や道中記などもかかれた。 幕末から明治。幕末の人々が描いたペリーの似顔絵、 外国船に備えて造られた大砲の実物大模型。 また、横浜正金銀行の歴史も解説されている。 横浜正金銀行は、後の東京銀行、現在の三菱東京UFJ銀行にあたるそうだ。 黒船の模型。洋館と倉庫が並ぶ、明治時代の横浜居留地のジオラマ。 居留地や外国人を描いた浮世絵も展示。 関東大震災で、横浜は大きな被害を受ける。 この横浜正金銀行の建物は倒壊せず、人々が避難してきたが、 入りきれなかった140人ほどの人々が、周囲で火災に巻き込まれて亡くなったそうだ。 戦時中、神奈川でも軍施設や工場などが空襲に遭う。 終戦後、マッカーサーが降り立った場所は厚木だった。 降伏文書の調印は、横浜港沖の戦艦上で行なわれた。 戦後復興の中、テレビが普及し、東京ではオリンピックが開催される。 最後は、都市化によって失われつつある、伝統的なムラのコミュニティや、 共同生活の場としてのイエで使われていたものが展示されていた。 冠婚葬祭に使われたお椀や、赤飯を入れるおひつ、 お盆のときに位牌や供物を並べた棚、いろりやかまど、農具、道祖神。 さらに、三浦市の小さな木像のご神体「オミヒメサマ」、 生麦の「蛇も蚊も」で使われる茅の蛇(角があって龍に近い)などの祭具、 鎌倉彫、相模人形芝居、小田原漆器、箱根細工、大山独楽といった伝統工芸品。 時刻は午後3時を回った。館内の「ともしび喫茶」で昼ごはん。ハヤシライスを食べた。 神奈川県立歴史博物館のホームページはこちら 外に出たら、ちょっと暗くなっていた。間もなく小雨が降り出した。
次はワールドポーターズへ行きたいが、遠回りしてまた桜木町駅前に戻る。 選挙カーが演説中だった。外国人観光客が耳を塞いでいた。
プライズのスペースが広い。ほかにプリクラ、エアホッケー、大型機。 ゲーム路銀を稼げそうなゲームは見当たらなかった。 横浜ワールドポーターズのホームページはこちら
赤レンガ倉庫1号館に入って、ストラップとお菓子を購入。 床下に、かつて使われた鋼材やレンガ、装飾の施された避雷針が埋め込まれていた。 2階のイベントスペースで、「関口照生写真展 旅からの視点 地球の笑顔」を見る。 (入場無料、7月22日まで) ミャンマーやキューバ、カラハリ砂漠やカナダ北極圏などの風景や、人々の生活、 こどもたちの表情をくっきりと写している。 外は本格的に雨が降っていた。走って2号館に移動。 こちらはよりショッピングモールっぽい。
3階からもバルコニーに出られる。 この階にはレストランが並ぶ。バルコニーに面した店は、それぞれ屋外席を設けていた。 横浜赤レンガ倉庫のホームページはこちら 雨はまだやまない。近くにある海上保安庁の建物に、「工作船展示館」の文字があり、 興味があったので行ってみたが、既に閉まっていた。 以前、船の科学館横で展示されていた工作船が、現在ここで展示されているらしい。
雨はまだやまない。いったん赤レンガ倉庫のバルコニー下に戻る。 外を歩けないこともない程度の雨だったので、 とりあえず、高架の通路を歩いて、横浜港大さん橋へ向かう。 途中、横浜税関と神奈川県庁のクラシカルな建物が見えたが、雨なのでカメラが出せない。
ボードウォークのスロープを上がって、中のフロアへ。 ボードウォークは中まで続いていて、この桟橋自体が船のようだ。 カフェでアイスカフェラテを飲んで、ひと息つく。 窓の外に、クルーズ船・ロイヤルウィングが接岸中。 山下公園、氷川丸と、マリンタワーも見えた。
室内の入口近くに、大さん橋の歴史に関する展示があった。 1894年(明治27年)に完成した鉄さん橋がルーツとなっているそうだ。 何度か拡張工事を行ない、現在の客船ターミナルができたのは2002年(平成14年)。 横浜港大さん橋のホームページはこちら 午後7時を回った。日が暮れてきた。霧雨の降る中、大さん橋を出てまっすぐ歩く。 開港資料館前で右折し、すぐに左折。日本大通りを歩く。 遠くに横浜スタジアムの歓声を聞きながら、みなとみらい線の日本大通り駅に到着。
¥15,145 今回のルート
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