ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
92.思い出の地にしたい山下公園
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2007年7月29日。前日深夜に『さんま・中居の今夜も眠れない』を見て、 起きる時刻がその分遅くなったのと、 出がけに参院選の投票に行ったので、いつもより遅い12時54分、日本大通り駅着。 ここ数日夏バテ気味だし、今日も暑い。今回は早めに切り上げよう。
展示室では、横浜開港からの税関の歴史や、現在の税関の仕事、 覚せい剤や拳銃の摘発事例が紹介されている。 偽ブランド品が数多く展示されていたが、素人目には偽物とはわからない。 横浜税関のホームページはこちら
展示室は、資料館として新たに建てられた建物内にあった(入館料¥200)。 ペリー来航から、横浜の開港に至る歴史を紹介。 急激に変わっていった横浜の変化を、当時の絵や写真から知ることができる。 特に、横浜は早くからカメラが普及したために写真が多く、 関東大震災前の街並みの写真が、多く残されていた。 企画展「横浜浮世絵 よみがえる幕末・明治の町づくり」でも、 横浜の移り変わりがよくわかる。 貴重な浮世絵の実物が数多く展示されていたが、残念ながら展示期間はこの日まで。 8月1日からは、関東大震災からの復興の取り組みを紹介する企画展が行なわれるらしい。 横浜開港資料館のホームページはこちら
絹のさまざまな用途、 特性(柔らかい、静電気が起こりにくい、肌にやさしい等)の解説に始まり、 蚕(かいこ)の一生、さまざまな虫の繭、養蚕の流れなどを紹介。 生きている蚕の幼虫や、珍しい種類の蚕も展示。 博物館に生き物がいるとは思わないから、 幼虫が動いているのをいきなり見ると、ちょっと驚く。 しかし、普段よく目にする絹を、 この虫たちが作っているんだと思うと、ちょっと感動的。 機織り機や、絹が使われた世界の民族衣装も展示。 横浜と絹とのかかわりも解説されていた。さっきの開港資料館でも出てきていたが、 かつて生糸は、日本の主要な輸出品の1つで、 明治以降の横浜は、その輸出で大いに発展したそうだ。 そういえば、馬車道にあった横浜第二合同庁舎は、旧生糸検査所だった。 上の階は、日本の絹のあゆみ。 階段に、明治から20世紀末までの女性の服装を撮った写真が飾られている。 そして、古代から現代まで、日本の各時代の服を再現。 日本の服飾の歴史がよくわかる。 さらに、あでやかな着物や、歌舞伎・能の衣装も。思いのほか充実した展示に圧倒された。 シルク博物館のホームページはこちら そして遂に、山下公園へとやってきた。 関東大震災でがれきの山となった海岸を整備するため、 1930年(昭和5年)に造られた公園だ。
それでも最近は、幅広い年代の方が、山下公園に訪れるようになった。 バブルの頃までは、今よりももっとカップルの比率が高かったような印象がある。
ダンスパフォーマンスが行なわれていた。ここに限らず、横浜は大道芸が盛んな街だ。
園内にはほかにも、多くの像や碑が建っている。 「ZANGIRI」と書かれた、西洋理髪発祥の地碑。 氷川丸の近くにある、「かもめの水兵さん」の歌碑。 作詞の武内俊子氏は、メリケン波止場の桟橋に飛び回るカモメを見て、 この詞を作ったそうだ。
以前は内部も公開されており、 一時期、デッキでの“タイタニックごっこ”がはやったこともあったそうだが、 今は公開されていない。 内部の見学ルートが、『ポケットモンスター』のサント・アンヌ号によく似ていて、 サント・アンヌ号のモデルになったのではないかと、私は勝手に思っているのだが。 ※2008年4月から再び公開されている。 日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸のホームページはこちら 氷川丸の隣には、シーバスやマリーンルージュ、マリーンシャトルの乗り場がある。 シーバスで横浜ベイクォーターや、みなとみらいのぷかりさん橋に行ける。 ベイクォーターへ行ったときにも書いたが、 海から見るみなとみらいの景色はおもしろい。 シーバス(ポートサービス)のホームページはこちら
近くにランドマークタワーと日本丸が来たというのは、悪条件かもしれないが、 マリンタワーも氷川丸も長年、横浜のシンボルとして親しまれてきた。 いつか再公開されたときには、すぐ見に行きたいと思う。 あと、氷川丸の向こうに見えるベイブリッジ。 今回は行かないが、実は橋の中に歩道と展望スペースがある。 私も過去に一度行ったことがある。 レインボーブリッジとは違って、歩いて向こうまで渡ることはできないが、 海の上からの景色は独特だった。 ベイブリッジまで行くバスが、倉庫街の広い道路を突っ切るのもおもしろかった。 ※2010年9月に、歩道と展望スペースは閉館となった。 横浜ベイブリッジ・スカイウォークのホームページはこちら
道路側に、フィリピン独立の英雄、リカルテ将軍の記念碑がある。 将軍は亡命中、山下町に住んでいたそうだ。 讃文の末尾に、「フィリピン協会会長 岸信介」とあった。 今日の選挙が終わったら、お孫さんは大変だろうなあと思った。
山下公園といえば私は、昔のゲームブック 『彼のハートにおまじない』(樹かりん著・双葉社)で、 山下公園が舞台となったロマンチックなシーンが、なぜか強く印象に残っている。 私は1人で来たことしかないが、一度はデートで来てみたい。
2階と3階がゲーセンで、2階はプライズ、プリクラ、大型機。 プライズに、中華まんのぬいぐるみや、チャイナドレスがあり、ご当地色が出ている。 3階はメダルゲームとビデオゲーム。 三国志大戦や、麻雀のMJ3EVOも、ある意味ご当地色か。(日本全国にあるゲームだけど) ハイパーストリートファイターIIや、サムライスピリッツ零などもあるが、対戦台。 あとはテトリス、バーチャストライカー2002、ガンダムDX、ボーダーダウン、 ビーチバレーのビーチスパイカーズ。 “ゲーセン紀行”と銘打ちながら、久しくゲームをしていないので、 乱入されないことを祈りつつ、『ハイパーストリートファイターII』をプレー。 100円2プレーの5本勝負。良心的な設定だが、ゲーセン紀行では時間がかかる。 だからというわけではないが、2プレーとも2面でやられて、結局ゲーム路銀は増減なし。 特に2プレー目は、春麗でリュウと対戦して負けるという、 こないだの「ぷっ」すまを思い出させる展開に。
私は以前1回ここに来たことがある。そのときこのミュージアムフロアは、 20世紀初頭の中国のにぎわいを再現したフロアだったが、 今年リニューアルされたようで、パンダの生態を紹介する博物館になっていた。 パンダが生まれてから、成長するまでを写真で紹介。 階段に、かつて中国で活躍した女優さんなどの写真が飾られている。 以前あった展示の名残である。 7楼には、世界のパンダグッズが展示されている。 生茶パンダにサイパンダ、ベビースターラーメンの珍獣パンダアザラシ、 パンダーゼット、引越のサカイのパンダに、味の素の赤いアジパンダ。 パンダの生態について、もう少し詳しい解説があったり、 パンダ人気・パンダキャラクターについて解説する歴史年表 (上野にランラン・カンカンが来て以降だろうから、そんな長い歴史ではないと思うが) などがあると、さらに充実したミュージアムになるのではないかと思う。 ※後で知ったが、10月までの企画展だったらしい。 階段に、二胡や銅鑼(ドラ)など、中国の楽器が展示されていた。 現在午後6時半。少し早いが、昼ごはんを食べていないので、ここで夕食にしよう。 3・4楼はフードコート形式で、複数の店舗の料理を組み合わせられる。 チャーハンとギョーザを食べて満足。 横浜大世界のホームページはこちら
横浜中華街のホームページはこちら
朝陽門のそばにある、元町・中華街駅1番口から、長い地下通路を歩いて、
みなとみらい線と、直通の東横線はだいじょうぶだったが、 乗り換えた電車が、落雷の影響で大幅に遅れた。 ¥15,145 今回のルート
横浜市観光情報サイト 観光かながわNow JR東日本 横浜高速鉄道 東京急行電鉄 横浜市交通局 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 93.東京南部・川崎・横浜編(9)」は、 伊勢佐木町で久しぶりにゲーセン三昧。 「日本縦断ゲーセン紀行 91.東京南部・川崎・横浜編(7)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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