ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
94.山手の博物館めぐり
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
長い階段だが、木陰なので思ったほどきつくない。 ……と思ったら、上り切った途端に息が切れた。ベンチで小休止。 今日も猛暑。前後左右から絶えずセミの声がする。
「愛の母子像」と書かれた像があった。 1977年(昭和52年)、米軍機の墜落で亡くなった3人の人々(母親と幼い子2人)の 冥福を祈って建てられたそうだ。 そんな悲しい事故があったとは知らなかった。黙とうする。
かつてこの下の道沿いに、横浜ジョイポリスがあった。 私がかつて出演した『TVチャンピオン』で、決勝戦が行なわれた場所だが、 私は1回戦で負けたので行ってない。 あのとき優勝していれば、少しは人生変わっただろうか?
展望台の手前の広場には、公園の名前の由来となった、『港が見える丘』の歌碑がある。
中に入ると、管楽器の音が聞こえてきた。 扉の向こうがホールになっていて、そこで行なわれるコンサートのリハーサル中らしい。 建物の中は涼しい。2階の各部屋を見ることができた。暖炉や丸窓がおしゃれ。
3連アーチをくぐって中に入ると、中央は吹き抜けのホールになっていた。 暖炉もある。2階の回廊が、ホールを取り囲む。 厨房の白い戸棚は、創建当時のものといわれている。 食堂は横浜家具を用いて、落ち着いた雰囲気が再現されていた。 山手西洋館のホームページ(横浜市緑の協会)
実は私、大佛氏の作品を読んだことがないのだが、 『鞍馬天狗』などの大衆小説や、『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』などのノンフィクション、 さらにエッセーや童話と、幅広い作品を書かれていることを知った。 『パリ燃ゆ』『ドレフュス事件』『ブゥランジェ将軍の悲劇』の 元となった事件についても解説されていた。 民衆の圧倒的な支持を得ながら、後に悲劇に見舞われたブゥランジェ将軍の話が、 ライブドアの堀江さんに重なる。 戦前、軍部の台頭を危惧して書かれたという『ドレフュス事件』ともども、 一度読んでみたいと思った。 大佛氏が亡くなる直前に書いた、『天皇の世紀』の最終原稿や、 病床で書かれた『つきじの記』の文章が展示されていた。息が詰まる。 大佛次郎記念館のブログ 午後2時を回った。さっきの111番館で、チーズケーキを食べる。 あとアイスティーも飲む。 公園内では自販機が見つからなかったが、やっと水分にありつけた。
展示室に入るとまず、夏目漱石の「漱石山房」の書斎を再現した展示がある。 漱石の『門』『こころ』は鎌倉が舞台。 漱石山房は早稲田にあったが、遺品が子孫の方から寄贈されたそうだ。 横浜市内の模型があり、それぞれの場所と作家とのかかわりを紹介。 「神奈川の風光と文学」というコーナーでは、地域ごとにゆかりの作品が解説されていた。 まず横浜。大佛次郎の『霧笛』『幻燈』をはじめ、吉川英治、谷崎潤一郎、有島武郎、 中島敦、獅子文六、山本周五郎、三島由紀夫、佐藤春夫が、 横浜を舞台とした小説を書いている。 川崎では岡本かの子と高見順。芥川龍之介の『トロッコ』は湯河原が舞台。 北原白秋の『雲母集』(きららしゅう)は三崎で書かれた。 鎌倉は前述のとおり、夏目漱石『門』『こころ』の舞台であり、 川端康成、里見ク、永井龍男、小林秀雄も作品を書いている。 次の部屋では、神奈川にゆかりの深い作家の生涯を取り上げている。 芥川龍之介、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎、岡本かの子、堀口大學、 中原中也、小林秀雄、堀辰雄、中島敦。 そうそうたるメンバーが神奈川に住んでいたことに驚くとともに、 それぞれの生涯が波乱に満ちていたことにも驚く。 企画展「佐藤さとる コロボックル物語展」(9月30日まで)。 『だれも知らない小さな国』に始まる、佐藤氏のコロボックル物語は、 アイヌ民族に伝わるコロポックルの物語と、 古事記の少彦名命(すくなひこなのみこと)の神話から着想されたらしい。 舞台は地元・横須賀の按針塚。 佐藤氏の生い立ちや、小人の物語を思いつくまでの経緯についても解説されている。 村上勉氏のコロボックルの原画も数多く展示。 『おばあさんの飛行機』の物語と原画がまるまる展示されていた。 神奈川近代文学館のホームページはこちら
古代から現代に至る洋服の変遷を、1/2サイズの服で再現。 ロココ調の、膨らんだスカートのドレスなど、原寸のものもある。 19世紀〜20世紀初頭のファッション雑誌用の版画、 ガレやドームのガラス花器、アールヌーボー・アールデコ調の香水・石鹸のラベル、 ミュシャとルイ・イカールの作品、大きな柱時計などを展示。 ミュシャの描く女性の美しさに見とれる。 空間の狭さがかえって、幻想的な雰囲気を増している。 ここはかつて、ゲーテ座という劇場があった場所で、それに関する展示もあった。 ゲーテとはあのゲーテではなくて、英語のgaiety(陽気)から来てるそうだ。 ゲーテ座は関東大震災で崩壊したが、 現在この博物館の下に、山手ゲーテ座というホールが造られている。 2階中央にはギャラリーがある。現在の展示は、 齋藤眞紀展「世界の果てまで連れてって。」(9月2日まで) 奔放に飛び跳ねる、線と色とが気持ちいい。横浜の風景を描いた作品も何点かあった。 岩崎博物館のホームページはこちら 午後5時ちょうど。だいぶ日が傾いてきた。風が吹いて暑さは和らいだ。
入ってすぐの所にある資料館に、お墓の形や印の意味、 埋葬されている人々の功績などが展示されている。
横浜外国人墓地のホームページはこちら
棚にごちゃっと詰め込まれているように見えるが、 同系統のものは同じケースにまとめられているので、 見やすいばかりではなく、各ケースがそれぞれ違った雰囲気をかもし出している。 ピエロのケースからは、幼い頃サーカスを見に行ったときのワクワク感が。 ロボットのケースからは、未来と宇宙への憧れが。 アメリカ車のケースからは、古い映画の中のアメリカの風景が。 明治・大正期の日本製のものは、素朴な感じがするし、 同じ日本製でも、オキュパイド・ジャパンとなるとまた違う。 北原照久のおもちゃ博物館(ブリキのおもちゃ博物館など)
イタリア山庭園脇の、せみしぐれに包まれた階段を下りていく。 続く坂道がまた急坂。下りるのはいいが、次回これ上るの大変だろうなあと思う。 ただし、長さはさほどでもなく、
¥16,555 今回のルート
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