ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
95.山手の洋館めぐり
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2007年9月9日。12時29分、石川町駅着。 元町口から出て、前回行き切れなかった山手の洋館に向かおう。
元町から代官坂を上っていく。だんだんきつくなる傾斜に息が上がるが、
本当は元町公園に出たかったのだが、道を間違えた。 左に曲がって本通りを少し歩いて、公園に来た。 木かげの風が心地いい。今日もミンミンゼミとツクツクボウシが鳴いている。
日本初の鉄道開通に貢献した技師長エドモンド・モレルなど、 ここに埋葬された、さまざまな人の功績が解説されている。 もちろん現役の墓地なので、一般の方々のお墓も数多く、 最近亡くなったと思われる方のお墓もある。 多くの方々のなきがらが、この地に存在することを考えると感慨深い。 ここに埋葬された方々が、それぞれ生きてこられた時代から、 歴史が現代まで途切れなくつながって、今に至っているんだなあと思う。 もちろん、多様な形のお墓があって、純粋に興味深いし、 ランドマークタワーとマリンタワーが見える景色もいい。 横浜外国人墓地のホームページはこちら
館内は小ぢんまりしているが、その分、人の家におじゃましたような温かみがある。 中に展示されているのは、オルガン、蓄音器、ガラスの器やついたて、家具、 チャールズ・ワーグマンのポンチ絵 (ジャパン・パンチ誌のマンガ。当時の町や人々の様子が描き表わされている)、 ジェラール瓦、外国人墓地の模型、山手の風景・教会・学校の写真や銅版画、 キリンビール(山手のスプリングバレーブルワリーが前身)のポスターなど。
もう少しのんびりくつろぎたい空間だったが、今日の旅はまだまだ長い。 元町公園に戻って、
中はきれいに改装されていて、バリアフリー対応のトイレもある。 居間は木の床で、家具もあり、広くて落ち着いた雰囲気。 棚には食器類や、改修工事前の部材が展示されている。 2階は企画展のようで、山手のバラの写真や、 四季折々の234番館の写真が飾られていた。
中は広く、これだけの人数が入っても余裕がある。 天井が高く、サンルームもあって開放的。 この家の設計者・レイモンドの作った家具を使って、各部屋の様子を再現している。 2階には、この家の模型と、現在の山手の模型、震災前の洋館や風景の写真を展示。 半地下のホールで建築展が行なわれていた。
建物内に入ると、床に敷きつめられた、黒白市松模様のタイルが目を引く。 どの部屋も広く、またさりげなく意匠が凝っている。 建造されたのは1930年(昭和5年)。これが最初は個人宅だったというのだから驚く。 戦後、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの、寄宿舎として使われた。 外観は南欧風だが、中の部屋は、フレスコだったりハーフティンバーだったりと、 部屋ごとに内装が違っていておもしろい。 広いしきれいだし凝ってるし、 修復されているとはいえ、とても昭和初期の建物とは思えない。 平成にできた商業施設といっても通る (もちろん平成の商業施設が、こういう建物をまねているのだが)。 山手西洋館のホームページ(横浜市緑の協会)
本通りを西へ向かってしばらく歩く。 まだ結構暑いが、風が強くなってきたので、多少ましになった。 山手イタリア山庭園に到着。ここに2館の洋館がある。どちらも入館無料だ。
木造の下見板張り2階建て(一部3階建て)。和風の廊下を通ると食堂へ。 ハーフティンバーの格天井。木製の黒いアーチ。ステンドグラス。 もちろん面積も広く、この部屋だけで豪華さに圧倒される。 ただし、これまでの洋館もそうだったが、豪華だけれど華美ではない。 1階にはほかに、客間が2部屋と、八角形のサンルーム。
2階は家族のプライベートルーム。内田定槌一家の写真などが展示されていた。
建築年は不詳だが、関東大震災の後に建てられ (震災前にあった建物の部材が転用されているらしい)、 戦後はカトリック山手教会の司祭館となっていた。 1991年(平成3年)に解体されるが、後に横浜市が移転・復元する。 建物の中も白い壁に、さわやかな薄い緑の壁すそと扉。サンルームもあって明るい。 山手の洋館とひと口に言っても、じっくり見てみるとそれぞれ個性的だった。 山手西洋館のホームページ(横浜市緑の協会)
ポカリを買って飲んで少し休んで、5時12分の大船行きに乗った。けっこう混んでいる。 駅を出てすぐトンネルへ。山手の山の下をくぐり抜け、さらにトンネルがもう2つ。 トンネルを出た先のホームは、山手からかなり離れているけど、山手駅。 ここは通過します、ごめんなさい。 さらにトンネルへ。出て左に高速道路と貨物用の線路。 背後に石油タンクやガスタンクが連なる。
次の目的地行きのバスを探すが、よくわからない。 久しぶりにこんなに歩いて、脚が疲れていたのだが、 歩いて行けない場所ではないので、歩くことにした。 中通りをひたすら西へ。 途中、「根岸飛行場跡」と書かれた解説板が現れた。 1940年(昭和15年)、ここに日本初の、飛行艇専用民間飛行場が造られたそうだ。 ここからサイパンやパラオに向けて、飛行艇が飛んだという。
中に入って驚いたが、行けども行けどもプライズのスペース。 そこを抜けると、乗り物などが並ぶプレイスペース、 さらにガチャポン、ラブ&ベリー、ムシキング。 メダルのスペースも広い。そしてWCCF。ガンシューティングやレースなどの大型筺体、 プリクラ、バーチャファイター5、ガンダムSEED II。 ビデオゲームもあった。『ボンバーマンワールド』と『ミスタードリラー2』、 どちらをやるか迷った末に、ミスドリの方を選択。 アメリカ面964mでゲームオーバー。惜しい。 (ゲーム路銀 ¥16,405+¥800=¥17,205) それにしても、こういうファミリー向けの店舗であっても、風営法に引っ掛かって、 夜6時以降は16歳未満入店禁止というのは、違和感がある。 法律が実情に合わなくなってきたんじゃないだろうか? 外に出たら午後6時半。日が暮れていた。 橋を渡り、神社の隣の八幡橋バス停に来たら、ちょうど6時38分のバスが来たので乗る。
この駅からまだ行きたい場所があるので、次回はここ根岸から再開しよう。 6時55分の電車で帰る。 ¥16,995 今回のルート
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