ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
96.本牧アップダウン
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
2007年9月16日。昨夜お腹を壊してバテていて、 今朝もその疲労からか二度寝して、出発が予定より遅くなる。 移動している間に体調が回復するというのがいつものパターンなので、 電車を乗り継いで何とか根岸駅へと向かうが、途中何度か引き返したくなった。 突然ぶり返した暑さもこたえる。 12時43分、根岸駅着。まずは、ここまでたどり着けてほっとした。 駅前の1番乗り場から、12時50分のバスに乗る。ベージュ地に青いラインの横浜市営バス。 中通りを前回とは逆方向に進んで、午後1時ちょうど、本牧バス停で降りた。 (ゲーム路銀 ¥16,995-¥210=¥16,785)
三溪記念館の展示を見る。 原三溪(富太郎)は、1868年(慶応4年)生まれの実業家で、 婿入りした原家の家業、生糸売込業をさらに発展させ、生糸の輸出で財を成した。 三溪園は、存命中の1906年(明治39年)から一般公開している。 1923年(大正12年)の関東大震災では、破壊された横浜の復興に尽力したそうだ。 三溪は古美術収集を行ない、作家への支援も行なっていたほか、 自身でも書や絵をかいていた。 岡倉天心と交流があり、横山大観や下村観山らも支援していたという。 しかし現在、コレクションの多くは散逸してしまったらしい。 この記念館では、三溪の墨絵や書、手紙などが展示されていた。 御門は京都嵐山・西方寺の薬医門を移築。 その先の内苑は、戦後になって公開されたエリア。
透かし彫りが美しい、旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)は、 豊臣秀吉が、母・大政所の病気回復を祝って建てた寿塔の覆堂。 階段を上がると、かつて京都・伏見城で大名の控室だった月華殿(重要文化財)、 鎌倉・心平寺の地蔵堂だったとされる天授院(重要文化財)、 三溪が建てた素朴な茶室、金毛窟がある。
春草廬(しゅんそうろ)は、織田有楽斎の作とされる茶室(重要文化財)。 京都・三室戸寺金蔵院にあった。 というように、見える建物見える建物がほとんど国の重要文化財。 これらも三溪が移築・保存した、コレクションの一環といえる。 三溪が建てた茶室、蓮華院の前を通って、臨春閣に戻ってきた。 御門から出て、続いて外苑を散策しよう。
うっそうと木々が茂る斜面の中の階段を、休み休み上っていく。
三重塔へ戻る途中にあった出世観音に、今週の東京ゲームショウのイベント、 「レトロゲーム・アワード2007」の成功を祈った。
初音茶屋、横笛庵を通る。セミが鳴いている。 旧東慶寺仏殿(重要文化財)は、鎌倉・東慶寺からの移築。
この建物は、中に入ることができる。 半分は農家の造りだが、もう半分が書院造りになっている。 板敷きでいろりつきの広い部屋をはじめ、板敷き・畳敷き含め、とにかく部屋数が多い。 さらに2階もある。食器や農機具、養蚕の道具などが展示されていた。 床の丈夫なことと、屋根のがっしりした木組みに驚く。 1750年頃に建てられたとは思えないくらい頑丈。 最後の重要文化財は、旧燈明寺本堂。先ほどの三重塔と同じお寺からの移築。 1947年(昭和22年)、台風で被害を受けて解体されたが、 1987年(昭和62年)、三溪園に移されて復元。 十一面観音像が複製され、安置されていた。お参りする。 三溪園(三渓園)のホームページはこちら 園内を1周して正門に戻ってきたが、次は本牧市民公園へ行きたいので、南門へ向かう。
上海横浜友好園。建物は玉蘭庁といい、内部も異国情緒を感じさせるたたずまいだった。
サッカー場やテニスコートの脇を歩き、歩道橋を渡る。 さらに、長い階段を上っていく。きつい。 ふぐの碑と藤棚のある丘から、今度は下りていく。
本牧バス停着4時51分。53分のバスに乗ろう。 2分遅れで来たバスは、5時5分、根岸駅に到着した。 (ゲーム路銀 ¥16,785-¥210=¥16,575) 駅前でポカリ飲んで休憩。お昼を食べてなかったので、売店でカロリーメイトを買う。 根岸駅周辺には、馬の博物館、市電保存館、根岸なつかし公園があるが、 全部回るときりがないので、次の駅へ移動することにした。 馬事文化財団(馬の博物館)のホームページはこちら 横浜市電保存館のホームページはこちら 5時27分発の大船行きに乗る。 引き続き左の高速道路と並行。右にプールと、マリコム磯子。 やがて左右とも住宅地に。左に側線があった。
2部屋に分かれていて、「RAINBOW CITY」にはプライズ、的当て、ミニ機関車。 「Cybernec City」にはプライズ、メダルと大型機。間の通路にプライズ、プリクラ。 外に出ると薄暗くなっていた。駅着6時ちょうど。もうひと駅だけ進んでおこう。 6時9分の大船行きを待つ。 風が通らない場所はまだ蒸し暑いが、ホームは風が通るのでさわやか。 磯子を出て、なお左に高速道路が延びる。 やがて根岸線の方も高架になり、6時11分、新杉田駅着。 ホームのすぐ隣に、高速道路の料金所が見えた。 (ゲーム路銀 ¥16,445-¥130=¥16,315)
6時33分の南浦和行きで帰る。 帰りの電車でずっと寝ていた。途中、立ったまま寝てしまったこともあった。 ¥16,315 今回のルート
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