ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

119.富士の裾野でゲーセン探し
〜静岡編(5)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥8,885




沼津

2009年4月9日。
今回は沼津からのスタートなので、特急あさぎりに乗って、
御殿場線山北駅あたりの桜を愛でながら向かおうと思っていたのだが、
仕事の都合で大阪から沼津へ入った。午後10時台、沼津のホテルにチェックイン。

翌10日。ホテルで軽く朝食をとり、
午前10時出発。
ここ数日で急に気温が上がってきた。
今日も20度を超えるらしい。

駅前のバス停から、10時15分発の沼津港行きバスに乗る。
ライオンズマークつきの伊豆箱根バス。
10時23分、千本入口で下車。(ゲーム路銀 ¥8,885-¥190=¥8,695
本日最初に向かうのは千本浜公園。浜辺に何千本もの松が並ぶ所だ。

入口では松の代わりに桜がお出迎え。

松に交じって桜やヤシなどの木もあるが、
歩を進めていくうちに、
だんだん松の木の割合が増えていく。

明石海人という歌人の歌碑が建っていた。
ハンセン病のため隔離され、37歳で亡くなられたという。
「さくら花 かつ散る今日の夕ぐれを 幾世の底より鐘のなりくる」

道路を渡った所に、角田竹冷句碑と、
増誉上人の像。
周りの木はもう松ばかり。

増誉上人は、武田氏と北条氏の争いで荒れ、潮害が起こっていたこの地に、
千本の松を植えた人物。
像は2004年(平成16年)、折れた松の木に当たって壊れたが、
その後、復元されたという。

この先は、松林の中に文学碑が点在し、
落ち着いた雰囲気。
観海学人の碑に続いて見えてきたのは、
若山牧水歌碑。
「幾山河 こえさりゆかば 寂しさのはてなむ國ぞ けふも旅ゆく」

こちらは、井上靖文学碑。

近くには、昭憲皇太后陛下御座所跡もあった。

松はかなり密集しているため、
1本1本は細いのだが、
千本をはるかに超える木々が集まって、
この町を守っているのだと思うと、
人間もかくあるべきかもしれないと思えてくる。

↑ここで「あるべき」の後ろに「かもしれない」と入れるところに、
私の、何事もはっきり言い切れない、自信のなさが表れている。
これじゃ若山牧水や井上靖のような文章が書けなくて当たり前。

カラスの声と車の音がするが、松林の落ち着いた雰囲気の方が勝り、気にならない。
道1本挟んだ向こうは海。防波堤の階段を上がって右を向くと、
左手には湾曲した海岸線。そして右側、松原越しに、

今まで天気が悪くて、このゲーセン紀行では
なかなか見られなかった富士山の姿を、
遂に拝むことができた。

順光に照らされて、
山頂の雪が白く輝いている。

反対側の海の向こうには、
伊豆半島の山々。
写真には写っていないが、
沼津港の水門が、この左手に見える。
海は穏やかだ。

南へと歩き、若山牧水記念館にやってきた。
(入館料¥200)
千本浜もここも、
「シザイズリーグ」で来て以来だから、
まる9年ぶりになる。

若山牧水は1885年(明治18年)、宮崎県に生まれる。
中学時代から、雑誌に短歌を投稿していたらしい。
短歌や文章の載った雑誌が展示されていた。
早稲田大学英文学科卒。北原白秋と同級生だった。

歌人として生活していた牧水だが、生活は苦しく、
また東京での暮らしにも、少し疲れていたらしい。
1920年(大正9年)、妻と3人の子とともに、沼津に移住した。

牧水の歌集、妻・喜志子の歌集、沼津の家の模型を展示。
書斎を復元した部屋もある。

牧水はようやく経済的にも落ち着き、この時期に何度か旅に出ている。
利根川の水源を求めて旅をした「みなかみ紀行」が代表的。

千本松原を愛し、一部伐採計画が持ち上がったときには、反対運動に積極的に参加。
松原について書かれた、牧水の文章が載った新聞も、この記念館に展示されていた。

関東大震災以降、住宅難のため、借りていた家から引っ越さざるを得なくなり、
家を新築するため、さらには、創刊した雑誌『詩歌時代』の赤字を埋めるため、
かなり無理な旅をしながら、色紙を揮毫して売っていたという。
北海道から朝鮮半島に至るまで、その足跡を残したが、
無理な旅と、酒がたたったのか、
1928年(昭和3年)、急性腸胃炎と肝臓硬変症のため、43歳で亡くなった。

記念館の展示室は小さかったが、展示物は多く、
たくさんの歌を楽しむことができた。
どちらかといえば不遇な人生だったように思えるが、
その割には、明るく楽しい歌が多かった。
旅と酒のおかげだろうか。

沼津市若山牧水記念館のホームページはこちら

記念館を出てさらに南下し、
いろんな種類の桜が、松と競演する、
港口公園前を左折。

沼津港へとやってきた。
温泉のある戸田(へだ)や、
同じく温泉と、金山と恋人岬で有名な、
土肥(とい)へ行く船の乗り場がある。

戸田運送船のホームページはこちら

建設中の大きな平屋建てがある。
「4月26日 OPEN」と書いてあった。
「沼津みなと新鮮館」といって、
物販・飲食店や、観光案内所が
この中で営業を始めるらしい。

沼津みなと新鮮館のホームページはこちら

魚市場の近くには、魚屋さんや、魚料理の食堂が多い。
ただいま12時45分。私にとっては少し早い気もするが、ここらへんでお昼にしよう。

「沼津魚市場 INO」(イーノ)へ。
市場の建物の2階に3店舗。真新しい。

海鮮食堂と、回転ずしと、ハワイアン料理店。
迷った末に、海鮮食堂で鮪いくら丼を食べた。
千本浜から歩き通した疲れが、ここに来てドッと出たが、
鮪いくら丼はうまかった。

2階にはウッドデッキがあって、
富士山がよく見える。

さらに、巨大水門「びゅうお」の姿も。
次はあそこへ行こう。

沼津魚市場 INOのホームページはこちら

下から見るとまた一段と迫力がある。
びゅうおは、地震が起きた際、
津波から港や町を守るために造られた。
地上30メートルの所に展望回廊があり、
エレベーターが通じている。
行ってみた。(入場料¥100)

まず、魚市場方面の眺め。
手前の建物がINO。
連なる山は、沼津アルプスとよばれる。

南側の我入道海岸で、
パラセーリングを楽しむ人々がいた。

通路を渡って、もう1つの塔へ。
こちらからは富士山と千本松原、さらに沼津の市街地がよく見えた。
トンビがすぐ近くに寄ってきた。こんな高さまで飛べるとは。

そのほか、塔内部のモーターやウィンチなど、水門開閉装置も見ることができた。
沼津港大型展望水門「びゅうお」のページ(沼津市のサイト内)

さらに南へ行くと、沼津御用邸記念公園があり、
そのさらに南には、あわしまマリンパークや、
伊豆・三津(みと)シーパラダイスがあるのだが、
遠いのでそちらには行かず、駅へ戻ることにする。
ちなみに、沼津インターからさらに北へ行くと、
ベルナール・ビュフェ美術館や井上靖文学館などがあるクレマチスの丘や、
富士竹類植物園がある。
沼津御用邸記念公園のページ(沼津市のサイト内)
あわしまマリンパークのホームページ  伊豆・三津シーパラダイスのホームページ
クレマチスの丘のホームページ  富士竹類植物園のホームページ

大きな通りの方がバスの本数が多いだろうと考え、
広い道を歩き始めてすぐに、千本港町バス停を見つけるが、
道の向かい側にしかなかったので、結局引き返す。

途中、歩道の中に
線路を埋め込んだ場所があった。
ここにかつて、蛇松線という路線が通っていたという。
沼津駅から沼津港に延びる貨物線だったらしい。

午後2時15分、沼津港バス停に着いた。運良く、ちょうど沼津駅行きのバスが来た。
2時29分着。ビーバスというコミュニティバスだったので、運賃は¥100だった。
ゲーム路銀 ¥8,695-¥100=¥8,595

ちょうど駅前に薬屋があったので、ユンケルとサロンパスを購入。
ユンケルを飲みながら時刻表を見る。次の下りは2時47分の富士行きだ。

「この景色見ては休まにゃならの坂いざたばこにや千本の松」
『東海道中膝栗毛』で、喜多八が詠んだ狂歌である。
前回書いたとおり、弥次郎兵衛と喜多八は、三島でスリにお金を盗まれてしまうのだが、
沼津で喜多八がこの歌を詠んだとき、たまたま居合わせた侍がこれを聞いて感心する。
喜多八は侍に事情を話して、手持ちの巾着を買ってもらい、
どうにかお金を手に入れることができた。

211系3両編成の電車に乗る。この時間だから割とすいている。
沼津を出ると、右側に富士山が見える。工場が多い。一戸建て住宅も多い。
右手に「新車両基地建設地」と書かれた空き地もあった。

2時50分、次の片浜で降りた。
ここでゲーセンを探そう。
ゲーム路銀 ¥8,595-¥180=¥8,415


片浜

ゲーセンがあるのは大諏訪という、
ここから少々離れた場所。
南口、続いて北口を見たが、
南口にタクシー乗り場があるだけで、
バス乗り場は見当たらない。

北口側の階段は、改札の内外共用で、真ん中で仕切ってある。
さらにエレベーターまで共用なのには、ちょっと驚いた。
外から入った人は外から、内から入った人は内からしか
降りられないようになっているみたいだ。

3時1分、南口から歩き始めるとすぐにバス停を発見。
ラッキーと思って時刻表を見たら、3時ちょうどにバスが出たばかりだった。
次のバスは3時30分かあ、と、がっかりしていたところにバスが来て、
駅のロータリーへ向かって行った。少し遅れていたのだろうか?

だが、しばらく待っても、駅からバスがこっちへ来ない。
どうやら3時半まで待機するようだ。

あと、駅の真下にもバス停があることに、いま気がついた。

さっきの写真を拡大すると、
確かにバス停が写っていた。
さっき気づいてたら、3時のバスに乗れたのに。

二十数分かかると思うが、
とりあえず東へ歩いてみた。
「旧東海道」と書かれた札が立っている。
岩本輝雄さんの何百分の一かの、
東海道てくてく旅である。

歩き始めて10分ほどで、バスに追い抜かれた。
さっきのバスじゃない。どうやら別系統のバスが通っていたようだ。
途中のバス停で待ってりゃよかった。

ただ、次に見かけたバス停の名前が「大諏訪天神前」。目的地は近い。
あたりを見回しながら歩くが、ゲーセンは見つからない。
携帯電話の地図表示機能で場所を確認。もうちょっと先のようだ。
ちょうどさっきのバスが、目の前の交差点を北に曲がっていくところ。
ちょっとの差だけど、先に着いて、なんかうれしい。

歩き始めてからちょうど30分。
ジョイランドアミューズ諏訪に到着した。

道の向かいに桜が咲く。
もう葉桜になりかけているが。
この辺は、さっきの千本浜公園から続く、
千本松原の一角のようだ。

ジョイランドアミューズ諏訪には、バッティングセンターとゲームセンターがある。
店頭に、深層湧水の自動販売機があった。
ペットボトルではなく、ホースから直接水が出るようになっているみたいだ。

店内は思いのほか広くてきれい。
プライズ、プリクラ、メダル、パチンコ、音ゲー、カーレース、オンライン。
マンガの置かれた小さな休憩スペースもある。
ビデオゲームは、ガンダム系の対戦格闘が多い。

『ぷよぷよ通』があったのでプレイする。2プレイ100円設定。
1戦目は8面までクリアーし、9面のパキスタに負ける。
2戦目。6面をクリアーした後、7面に出てきたのがナスグレイブ。
作者の米光一成さんをモデルにしたキャラクターなので、
米光さんの顔が頭に浮かんで、悪い予感がしたのだが、
案の定、このナスに負けてゲームオーバー。
ゲーム路銀 ¥8,415+¥600=¥9,015

帰り道。わずか2分差で、4時30分のバスを逃したので歩く。
しかし、すぐに後ろからバスが追い越していった。
ちょっと遅れていたようだ。待ってればよかった。
片浜駅着4時48分。足で稼いだ600円。

さっきは気づかなかったが、
駅舎の左に富士山がよく見える。

午後4時56分、浜松行きに乗る。211系と313系が3両ずつの6両編成。
住宅街を進む。小さな畑も見られる。ところどころに工場。
原はかつての宿場町で、弥次さん喜多さんがソバを食べた所。

原駅の南側に、広い空き地がある。
宿場町をイメージしてか、駅舎の腰壁が、なまこ壁風になっている。
レンガ積みの小屋もあった。明治時代のランプ小屋らしい。
でも私は降りずに通過しますごめんなさい。

左手に、「新貨物駅建設用地」と書かれた空き地や畑が長く続く。
その空間以外は住宅地で、一戸建てが多い。
右にはビニールハウスが建ち並ぶ。
次の東田子の浦駅も通過しますごめんなさい。

車窓右手は田畑や工場が多く、そのため向こうの山までよく見える。
富士山の手前に、愛鷹山(あしたかやま)という低い山が、
富士山を護衛するかのようにそびえている。
ただし太陽の位置のせいか、富士山はさっきほどはっきりとは見えない。
やがて線路のすぐ近くに工場が現れ、景色はよく見えなくなった。

5時6分、吉原駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥9,015-¥230=¥8,785

側線に有蓋貨車が並ぶ。
最近は貨車といっても、
コンテナかタンク車しか見かけないので、
なんか懐かしい。
ディーゼル機関車のDE10が、
コンテナや有蓋貨車を引いて
通過していった。


〜原〜東田子の浦〜
吉原(よしわら)

改札の窓から見た風景。
さっき通った工場の煙突が目立つ。
私の育った苫小牧に似た風景。
さらに懐かしさが強まる。
苫小牧と同様、
こちらも駅前にあるのは製紙工場なので、
似た景色になるのだろう。

吉原駅北口。
吉原には大きなゲーセンが3軒あるらしい。
行ってみよう。
少し遠くまで歩くけど。
なんかデジャヴー。

川を渡って工場街を歩く。
正面に大きな富士山。
道路は2車線に、
中央分離帯まであり、かなり広い。
高速道路と新幹線の高架を
相次いでくぐる。

ジヤトコの工場の前に
桜が咲いている。

……あれ?
私はジヤトコ前という駅に向かっていて、その途中にゲーセンがあるはずなのに、
変だなあと思って携帯電話の地図をチェックしたら、
まったく違う方角に歩いていたことがわかってがく然。
北西に向かっていたつもりで、真北に歩いていたのだ。
今いるジヤトコも、「ジヤトコ前」のジヤトコとは違う場所だった。
「吉原の左富士」という言葉があるから、富士山は左側に見えるものと勘違いしていた。
次の交差点を左に曲がり、西へひたすらまっすぐ歩く。

道の途中に、
「東海道 名勝左富士」と書かれた看板が。
ここのことだったのか。
確かに富士山は道の左手。
松が1本だけ残っている。

その旧東海道と90度交差する道を、ひたすらまっすぐ歩く。
川を渡って、左へ曲がると、ボウリングのピンが見えてきた。
目的地は近い!

午後6時ちょうど。
駅から約40分歩いてようやく着いた。
ここはゲーセン密集地で、
交差点の4つ角のうち3つにゲーセンがある。
この写真はSUPER WAVE吉原。
道を挟んだ向かいにある
マルハンと同じ系列のようだ。

別の角には、ミラクルドーム。
大きな倉庫を改装した感じの店舗。

さらに別の角には、
ラウンドワン富士店がある。
1階はドン・キホーテになっている。

まずはスーパーウェーブから行ってみよう。
この交差点、なぜか全部の横断歩道の両側に、交通整理員の方がいる(警察官かもしれない)。
4つの角に2人ずつ、計8人。

店内へ。
プリクラ、プライズ、メダル、パチンコ、音ゲー、オンライン、エアホッケーなど。
広い。別棟はカラオケ施設のようだ。
ビデオゲームもけっこうある。
バーチャファイター5、ガンダム、ギルティギア、タツノコVSカプコンなどの対戦格闘や、
テトリス(マジカルテトリスチャレンジfeaturingミッキー)、虫姫さまふたり、上海など。

『ナムコクラシックコレクションVol.1』があった。『マッピー』アレンジ版をやってみる。
以前はこのゲームがちょっと苦手だったが、
昨年末に記事で取り上げた際にけっこうやり込んだから、かなり進めるはず。
……6面で何度もミスしてしまい、結局7面でゲームオーバー。
1プレイ50円だったので、(ゲーム路銀 ¥8,785+¥250=¥9,035

日が暮れてきた。交通整理員がいなくなっている。続いてミラクルドームへ。
プライズ、オンライン、音ゲー、カーレースもあるが、ビデオゲームがとにかく多い。
その中でも対戦格闘が多く、プレイヤーが集まっている。

それ以外のビデオゲームもラインナップが豊富。
ミスタードリラーG、おてなみ拝見FINALといった、この旅ではおなじみのものもあるが、
せっかくいろいろあるから、毛色の変わったゲームをと思い、
UPLの『忍者くん 阿修羅ノ章』をプレイしてみた。
しかしジャンプの操作になじめず、4面がどうしてもクリアーできずにゲームオーバー。
1プレイ50円で、(ゲーム路銀 ¥9,035+¥100=¥9,135
悔しいので、『おてなみ拝見FINAL』の『ZOO KEEPER』もプレイ。7面クリアー。
ゲーム路銀 ¥9,135+¥300=¥9,435

そしてラウンドワン。大きなビルの入口に、
ボウリング、ビリヤード、卓球、カラオケ、ダーツ、アミューズメントと書かれている。
アミューズメントは2階と3階。2階にはプライズ、メダル、パチンコ、
音ゲー、カーレース、ガンシューティング。
すごく広い吹き抜けのフロアーで、柱にコブラが巻きついている。
さすがラウンドワン、スケールがでかい。

その吹き抜けを見下ろす回廊状の3階には、プライズ、プリクラ、オンライン。
お茶を買ってひと休みする。この先また、ジヤトコ前駅まで歩かなければならない。

2階に下りたときに目についた、『セニョールニッポン!』というタイトーのゲームが、
気になったのでやってみた。
会社、伝統、学校、家庭などのステージがある、パーティー向けのミニゲーム集。
会社ステージを選択。ハンコを押す「判ゲーム」はクリアーするが、
社員に喝、家にたどり着く、名刺出しと、立て続けに失敗してゲームオーバー。
クリアーは1面だけなので、ゲーム路銀に増減なし。

時刻は午後7時28分。さあ歩こう。ちょっと涼しくなってきた。
「寒くなってきた」じゃなくなったのがいい。
単線の踏切を渡る。ネオンサインが壊れたような音がする。多分これは虫の声。
線路に沿っていく道は暗いので、広い道をもう少しまっすぐ進む。

やや広い道と交差したので右へ折れる。両側が石材店のようで、墓石や仏像が並ぶ。
その先は変電所。暗いけど車が多いから、まだこわくない。
右手の空に赤い満月。左手には、さっきとは別のマルハンがある。


ジヤトコ前

7時43分、岳南鉄道のジヤトコ前駅着。
ジヤトコとは自動車部品のメーカーの名前。
ジヤトコは以前、日産自動車の工場だったので、
この駅の名前も「日産前」だった。

1面1線で、ホームと屋根はあるが
駅舎はない。
この駅は岳南鉄道で
最も利用客が少ないらしいが、
電車を待っているお客さんが、
私のほかに2人ほどいた。

7時47分に吉原行きが来たが、やり過ごし、
7時56分の電車に乗って、逆方向へ進む。
車両は7000形といって、
井の頭線の電車に似た、コルゲート(波板加工)つきのステンレス車両。
実際、井の頭線で走っていた京王3000系を改造したものらしい。
乗るときに整理券を取って、降りるときに精算となる。

7時57分、吉原本町で下車。
岳南鉄道では、吉原駅の次に
利用客が多い駅らしいが、
意外にも、ここも1面1線だった。
無人駅なので、運転士さんに運賃を払った。
ゲーム路銀 ¥9,435-¥150=¥9,285


吉原本町(よしわらほんちょう)

吉原本町は、かつて吉原宿があった所。
弥次さん喜多さんはここで、
お菓子屋の小僧が、
計算が苦手なのをいいことに、
お金をごまかしてお菓子を食べまくるが、
途中で気づいた小僧に
きっちり代金を取られている。

現代の吉原宿はアーケード商店街。
午後8時を過ぎたので、
多くの店は閉まっているが、
食べ物屋はいくつか開いている。

私がここへ来たのは、こないだNarinari.comの「ベストショット」で見た、
吉原名物「つけナポリタン」を食べたかったから。
でも食べ物屋は、串揚げと韓国料理が多く、
むしろそっちが名物なんじゃないかという気がする。

「長さん小路」と名づけられた道があった。
いかりや長介さんは戦時中、富士市に疎開していて、
後にバンドを組んだ時には、吉原のダンスホールで活動していたそうだ。

つけナポリタンの看板を出した店が
閉まっていたのを見て、
何も食べずに駅まで戻った。
ほかのお店にも興味はあったが、
電車の時間も気になったので。

午後8時22分、駅に着いた。
駅の壁に、「つけナポリタンマップ」が貼り出されているのに気づいた。
今通ってきた商店街に何店もあった。うち1店は開いていたのを覚えている。
もし電車を降りた時、このマップに気づいていれば、その店へ行っていたのだが。
今日はそんなのばっか。
片浜でバス停に気づかず乗り遅れるし。吉原駅から道間違うし。

富士市のサイトにある、つけナポリタンの紹介ページ

8時33分の電車に乗る。ジヤトコ前を過ぎると、車窓左手にさっきの3店舗がよく見えた。


吉原(よしわら)

8時39分、吉原駅着。
ゲーム路銀 ¥9,285-¥200=¥9,085
次回はここから再開しよう。
今日は沼津にもう1泊するので、
9時ちょうどの電車に乗って沼津へ戻る。

沼津駅前のファミレスでスパゲッティを食べた。

現在のゲーム路銀
¥9,085

今回のルート
1.沼津御用邸記念公園 2.沼津港 3.沼津市若山牧水記念館
4.千本浜公園 5.キラメッセぬまづ 6.沼津市明治史料館・江原素六記念館
7.光長寺 8.沼津IC 9.富士竹類植物園 10.クレマチスの丘
11.松蔭寺 12.富士と港の見える公園 14.富士IC

沼津観光協会  富士市ホームページ  富士山観光交流ビューロー  ハローナビしずおか(静岡県)
JR東海  伊豆箱根鉄道  岳南鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 120.静岡編(6)」では、
富士宮やきそばと由比の桜えびを食べる。
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