ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
171.デパートの屋上とテレビ塔と仏舎利塔と山
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2013年4月3日。7時45分起床。寝たのが3時半だったからやっぱり眠い。 天気予報を見ると、昼まで雨、夜から晴れ、突風に注意とのこと。 1、2日前の予報では、今日から晴れるはずだったのに。 今日のルートはほぼ屋外で、雨とか風とか非常に困る。 ホテルで食事をとり、出発。今池駅へ。昨日の疲れが出てきている。 曇っているけど明るくなってきたし、風もこの程度なら耐えられる。 9時53分発の東山線高畑行きに乗り、今日のスタート地点の栄へ向かう。 9時58分着。
栄のゲーセンは以前回っているが(第160回)、 今日はまず、そのとき行ってなかったゲームコーナーへ。
平日、開店直後、しかも天気が今ひとつということで、お客さんは少ない。
プライズと乗りものが中心。 こういうロケーションには、SWEET LANDのような、背の低いプライズ筐体がよく似合う。 昔ながらのクレーンゲームをほうふつとさせる。 乗りものは、ドラえもんのタイムマシンがあったり、 300系新幹線があったり(なぜか100系にしかないはずのNSマークがあるけど)。 ほかには「太鼓の達人」や、お子さん専用の「ホッピングロードキッズ」、 小さなもぐらたたき、 あと今まで訪れたゲームコーナーでもよく見かけたが、 ポップコーン製造機「アンパンマン ポップコーンこうじょう」があった。 ゲームコーナーの一隅に、駄菓子やお面を売るお店がある。 そのお店の壁に、観覧車の説明文が書かれていた。 観覧車の高さは12メートル。 三越栄店の前身、オリエンタル中村百貨店が7階まで増設され、 屋上に遊園地ができた1956年(昭和31年)にこの観覧車も造られた。 2005年(平成17年)まで営業していたそうだ。 国内に現存する最古の屋上観覧車。
お客さんが少ないうちに、「太鼓の達人」をプレイしてみた。 久々だったが、「キセキ」と「夏祭り」で2面クリア。 あれ? ふつうモードってこんなに簡単だったっけ? (ゲーム路銀 ¥6,575-¥100+¥200=¥6,675) 相変わらず風は強いけど、雨はもう降らなさそうだ。 外の乗りものに掛けられていたカバーが、ちょうど外されるところだった。 三越をあとにする。何か童心に返った感じがするが、 そもそも自分の心が、童心から成長していないだけかもしれない。
盲導犬サーブは1982年(昭和57年)、 ご主人を交通事故から守ろうとして身代わりとなり、左の前脚を失う。 その行動をたたえ、1986年(昭和61年)にこの像が建てられた。 かつては名古屋駅にあり、待ち合わせ場所になっていたらしい。
時計の周りには、魚の形をした、椅子のような物が並んでいた。 いろんな言語で魚を表す文字が刻まれている。 この広場の周囲に、飲食店やショップが立ち並ぶ。 また、栄の地下街や、駅につながっている。 1つ上のフロア(地上との間)にはバスターミナルもある。 以前はポケモンセンターナゴヤがあったが、 今年3月、近くにある松坂屋に移転したそうだ。
すぐそばに、なめこグッズもあって、「なめこのうた」のプロモビデオが流れていた。 エレベーターに乗って、屋根の上まで行ってみる。
オアシス21のホームページはこちら
塔に昇る前に、下にあるうどん屋さんで、天ぷらきしめんを食べる。 3年ほど前、南山大学で懇話会というものに出たことがあるが、 その前にもここできしめんを食べていた。 自分にとって縁起のいい場所。 テレビ塔の下には、ほかにもカフェやショップがある。屋外の席もある。 エレベーターで3階に上がり、展望台の入場チケットを購入(¥600)。 シースルーのエレベーターに乗り継ぐ。高さ90メートルの展望台まで1分。 同乗した2人組の女性が、視界に入る景色を怖がっている。 私も、この塔が完成したのが昭和20年代だと知っているので、 そのことでちょっと怖さを感じてしまう。 別段、塔もエレベーターも揺れることすらなく、全然何ともないのだが。
名古屋テレビ塔は、1954年(昭和29年)開業。 後にさっぽろテレビ塔や東京タワーを手掛ける、内藤多仲が設計した。 高さ180メートル。完成当時は日本一だった。 2011年、アナログ放送終了とともに、テレビ塔としての役割を終えたが、 現在は、NOTTVの電波がここから発信されている。 テレビ塔は「恋人の聖地」に認定されており、 また「ハグスポット」なるものにも認定されている。 最近はデートスポットらしさを前面に押し出すようになったようで、 ソファーは2人掛け。 ここで結婚式を挙げた人の記念プレートもある。
テレビ塔としての役割を終えたことで、 観光収入を増やす必要に迫られているのを感じさせる。 1人で来てもあまり寂しくはないけど、できればデートで来たいとは思う。 展望台から上に向かう階段があり、上がっていくと外に出ることができる。 東京タワーにはない、「スカイバルコニー」だ。
室内に戻る。 飲み物の自動販売機で、おつりをテレビ塔維持のために募金できるようになっていた。 ポッカコーヒーを買って、募金ボタンを押した。 展望台に着いてすぐは怖かったけど、だんだん慣れてきた。 でもそろそろ下りなきゃ。 気がついたら、この展望台に何組もの家族連れが集まり、にぎわってきた。 エレベーターも満員に近かった。 名古屋テレビ塔のホームページはこちら さてここからはまた地下鉄で移動しよう。セントラルパーク地下街を北へ。
ホームで待っている間、自動販売機でリアルゴールドを買った。 3月23日より、ICカードの相互利用が始まったからか、 manacaが使える自動販売機で、Suicaが使えた。ちょっと感動。 2時39分の電車に乗って、2時42分、2駅先の車道駅で下車。 (ゲーム路銀 ¥6,675-¥200=¥6,475)
建中寺へ歩く。途中、少し迷いかけたが、12分後に無事到着。
建中寺は1651年(慶安4年)、尾張徳川藩第2代藩主の徳川光友が、 初代・義直の菩提を弔うために創建。以後、尾張家歴代の廟所になった。 現在あるのは光友の廟所のみで、ほかの藩主は平和公園に改葬されている。 (※義直の廟がある、瀬戸市の定光寺に改葬されたという資料もあった)
このほか、1828年(文政11年)に建立された経蔵がある。
建中寺のホームページはこちら
車道駅に戻ってきた。そろそろ脚がきつくなってきた。 そのかわり、眠気はすっかり消えている。 いいタイミングでやってきた、午後3時57分発の徳重行きに乗る。 2分後、次の今池で降りて、東山線に乗り換える。4時7分発、藤が丘行き。 4時10分、2つ先の覚王山で降りた。(ゲーム路銀 ¥6,475-¥200=¥6,275)
参道には雑貨屋や喫茶店が多いが、民家も多い。 すぐに五重塔と山門が見えてきた。
山門には、お釈迦様の後継者となった迦葉尊者と、 お釈迦様の侍者となり、後に迦葉尊者の跡を継いだ、阿難尊者の木像が立っている。 日泰寺は1904年(明治37年)創建。 1898年にインドで発見され、イギリスからシャム国王室に寄贈された お釈迦様の遺骨(仏舎利)の一部が、 シャムのチュラロンコーン国王(ラーマ5世)から、日本に贈られることになった。 その仏舎利をまつるために、建てられたのがこの日泰寺。 日本で唯一、所属する宗派のないお寺である。 当時は日本とシャム(暹羅)から1字ずつ取って 「日暹寺」(にっせんじ)という名前だったが、 シャム国がタイ王国と改名したことに伴い、日泰寺と改めた。 覚王山という山号は、お釈迦様の別名「覚王」から来ている。
本堂の内部に、タイ語の勅額が掲げられていて、 ほかのお寺とは違う雰囲気をかもし出す。 勅額はプミポン現国王(ラーマ9世)陛下の直筆。 タイ語で釈迦牟尼仏と書かれているらしい。
日泰寺の情報(日泰寺専門僧堂のホームページ)
四国八十八ヶ所の名前を冠したほこらや、お地蔵さんの横を通って、 仏舎利の納められた奉安塔へ。
参拝客が入れるのはこの門まで。 門の先には、門のような形をした拝殿があり、 その向こうに「奉安塔」の台座部分が見えた。 お釈迦様のご真骨が、ここに安置されているのだ。 門と拝殿の間に、お釈迦様の入滅の銅像があった。 門の手前には、シャム国・タイ国国王参拝記念碑が3本。 第二次世界大戦で亡くなられた、朝鮮の方々の慰霊碑も建つ。 階段の下には数々の大きな碑があり、また普通の墓地もある。 福澤桃介(福澤諭吉の娘婿で、多くの発電所や電力会社を設立した)の 功績をたたえる碑もあった。
奉安塔は台座しか見られなかったが、雰囲気といい、設立までの特殊な経緯といい、 不思議なお寺だなあという印象を強く感じた。
日泰寺の情報(日泰寺専門僧堂のホームページ)
後で調べてみると、ほんとに給水塔だった。 1930年(昭和5年)に完成した、東山給水塔。 1973年(昭和48年)、水道の配水塔としての役目は終えたが、 1979年(昭和54年)以降は、災害時の応急給水施設として使われている。
覚王山駅着5時26分。ちょっと半端な時間が余った。 どこへ行こうか考えた末、いったん今池のホテルに戻ることにした。 5時37分発の高畑行きに乗り、5時40分着。 (ゲーム路銀 ¥6,275-¥200=¥6,075)
ホテルに戻ってきたのは、これから行く場所への道筋を、 パソコンで確認するためでもあった。 体調が悪かったら行くのをやめようと思っていたけど、今日の状態なら行ける。 しかし案の定、部屋に入ったら疲れが噴き出して、なかなか再び外出する気になれない。 今日は、あと晩ごはんを食べるだけだからと、意を決して部屋を出る。 1時間ほど休憩するつもりだったのに、結局2時間の休憩になってしまった。 午後7時57分、東山線藤が丘行きの電車に乗る。 覚王山からさらに先、本山で降りて、8時11分発の名城線右回りに乗り換えた。 8時15分、2駅先の八事日赤で降りた。(ゲーム路銀 ¥6,075-¥230=¥5,845) 例によって、けっこう長い階段を上った。素直にエレベーターを使えばよかった。
道に迷わないよう、大きな道路を進む。 右手に、赤白だんだら模様の中京テレビ東山タワーがあるが、 夜だから写真に撮れない。 救急車が病院に入ってきた。 交差点に、パスタとなめらかプリンでおなじみのパステルがあった。 私はパステルのパスタもプリンも好きなので、ここで晩ごはんを食べたくなったが、 パステルのパスタなら東京でも食べられる。 事実、ゲーセン紀行中に恵比寿で食べたことがある。 私がこれから食べようとしているのは、東京では絶対に食べられないパスタ。 交差点のすぐ北側に、南山大学がある。 さっき名古屋テレビ塔のところでも書いたが、3年前にここで行なわれた懇話会に出た。 今回はそちらには向かわず、交差点を曲がって西へ進む。 その先、信号のある交差点を南へ。
店内は若いお客さんでにぎわっている。 十数人の団体さんが帰った直後だったせいか、待たずに席に着くことができた。 私は以前1回、知人と訪れたことがあり、そのときはメロンスパを食べたが、 胃を若干悪くしていたこともあり、完食できなかった。 変わり種というだけではなく、量もかなり多いのだ。
パスタが抹茶味になっていることで、 あんこや生クリームの甘さを、ほどよくやわらげている感じ。 多い多いといわれている量も、それほど多いとは感じられな…… あ、後半ちょっとキツくなってきたかも。 それでも、一緒にウーロン茶を頼んでいたのが良かったのか、 わりかし短時間で完食できた。 逆に、時間をかけるとキツいと思う。 喫茶マウンテンの公式ブログはこちら 帰りはずーっと上り坂だけど腹ごなしにはちょうどいい。 八事日赤駅に戻り、さっきと別の入口に来たら こっちには上りエスカレーターがあった。 まあ、こっちの方が坂の上だから、階段だとより大変なのか。 午後9時33分発の、名城線左回りに乗る。9時37分、本山着。 東山線に乗り換えるが、今池には戻らず、 9時44分の藤が丘行きに乗り、明日のスタート地点まで進んでおこうと思う。 2分後、次の東山公園駅で下車(ゲーム路銀 ¥5,845-¥200=¥5,645)。
明日はここから再開しよう。9時57分の高畑行きで今池に戻る。10時3分着。 ¥5,645 今回のルート
名古屋観光情報 愛知県観光ガイド 名古屋市交通局 JR東海 名古屋鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 172.尾張編(23)」は、 ゲーセン紀行3度目の東山公園。 「日本縦断ゲーセン紀行 170.尾張編(21)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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