ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
186.真珠の島と海の生きもの
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2014年4月10日。 8時30分起床。9時50分頃ホテルを出る。 ホテルからいちばん近いのは伊勢市駅だけど、実は隣の宇治山田駅もかなり近い。 今日は宇治山田からスタートしよう。
参宮急行電鉄のターミナル駅として造られ、皇室の方々も利用される駅である。 今年の3月に天皇皇后両陛下が神宮に親拝されたときも、この駅が使われた。 後に各地に造られた高架駅とは一線を画した、壮麗な装飾が施された駅舎だ。 国登録有形文化財。
駅に見とれている間に、10時10分の電車を逃す。 10時15分に特急があるが、それにも間に合わない。 10時43分発の賢島(かしこじま)行きが来るまで、もう少し駅の空間を堪能するはめに。 38分発の伊勢志摩ライナーを見送る。 43分発の賢島行き。1440系2両編成。ロングシート。 宇治山田−鳥羽間は、1969年〜1970年にかけて開通した、割と新しい路線。 市街地を高架で抜け、その間に勢田川を渡る。 トンネルを2つ抜ける。大きなビルはなくなったが、丘陵地に住宅が並ぶ。 伊勢自動車道をアンダークロスし、五十鈴川駅。昨日行ったイオンが見えた。 駅を出ると、周りは急に農地に変わる。 五十鈴川を渡ると、山の中に入り、木々にさえぎられて人家はあまり見えなくなった。 木々のところどころに桜が混じる。 朝熊(あさま)は山の中の駅。 出発して、住宅地の間を高架で抜けて、再び山の中へ。 左右に高い山がそびえ、伊勢の市街地とのギャップに驚く。 トンネルを抜けてなおしばらく走ると、ようやく民家が現れた。 またこの民家が多い。急に住宅密集地になった。 池の浦駅を出ると、左手すぐそばに海が現れた。水面が近い。 観光ホテルが何棟か見える。こないだ土曜スペシャルで見たホテルも。
厳密には近鉄も、鳥羽線と志摩線それぞれの終点だが、 鳥羽線が後から開通したという経緯から、路線名が異なっているだけで、 伊勢中川−宇治山田の山田線も含めた3路線が、実質的に一体運用されている。
駅から直接、一番街の2階へ行ける連絡橋があるが、 橋を渡った所でシャッターが下りていて中に入れない。 外に回って1階の入口まで来てみたら……、
まあ、食事処には不自由しない場所のはずなので、とりあえず先へ進もう。
視界の左右いっぱいに広がる風景を、写真で切り取るのは難しい。
まずは腹ごしらえだ。レストラン「阿波幸」で、真珠定食と鳥羽サイダー。 真珠定食は、伊勢うどんとアコヤ貝づくし。アコヤ貝の貝柱は食用になるらしい。 サイダーは宮川水系の水を使用。 アコヤ貝はクセがなくてうまかった。 窓からの眺めがいい。伊勢湾フェリーが通過していった。
スタンドは2階建て。上の階はガラスがなく、水面全体を見渡せる。また景色がいい。 下の階はガラスがあるが、海女さんを比較的近くで見られる。 とりあえず上に陣取った。
2人の白装束の海女さんが乗っている。 白は体が大きく見えるので、サメから身を守れるとされているそうだ。 今では白装束の中にウェットスーツを着ている。
ヒュイ、ヒュイという口笛の音が聞こえる。 海女さんは海面に上がったとき、肺や心臓を傷めないよう、 口笛を吹くように呼吸するのだそうだ。これを磯笛という。 環境省の「日本の音風景百選」に選ばれている。
ミキモト真珠島のホームページはこちら
真珠ができる仕組みが解説されている。 天然の真珠は、貝殻を作る外套膜(貝ひも)の一部が軟体部に入り、 そこで貝殻の成分となる真珠質が分泌されて作られる。 養殖では、貝殻を球状にした核に、外套膜の切片をつけて別の貝の中に入れ、 真珠質が核の周りを覆うようにする。 核が大きいほど、できる真珠も大きくなるが、そのぶん貝にかかるストレスが大きくなり、 貝が死んで失敗する確率も高くなる。 昭和30年代初めまで、アコヤ貝は海女が採ったものを使っていたが、 今では養殖で育てている。 海で2年間養殖するが、 その間にフジツボなどがついて貝が弱らないよう、頻繁に貝掃除が行なわれる。 それでも冬場の浜揚げまでに5割が死滅し、 残った貝にもきれいな真珠ができているとは限らない。 養殖した貝全体の中で、真珠ができているのは3割弱。 「花珠」とよばれる良質のものができるのは、貝全体の数パーセントほどだとか。 貝を開けたときには、食用となる貝柱も採取する。 真珠の成分のほとんどは炭酸カルシウムなので、 宝石に使えないものはカルシウムとして、栄養補助食品などに使われる。 真珠の色についての解説。 真珠は成分によって、ピンク、ゴールド、ブルーなどさまざまな色のものがある。 黒真珠はクロチョウガイから作られる。 1つ1つ微妙に色が違うので、 真珠のネックレスを作る際には、隣り合う玉の色が近いものになるよう、 熟練の職人さんが手作業で玉の並びを決めている。 ネックレスの糸には、温度変化での伸び縮みが少ない絹糸が使われるが、 2年ごとに取り換える必要があるそうだ。 企画展のコーナーは「幸吉カルタ」。 御木本幸吉の言葉やエピソードをカルタにして展示。 ミキモト真珠島のホームページはこちら 2階には、真珠を使ったアクセサリーを数多く展示。 天然真珠の部屋と養殖真珠の部屋に分かれている。天然ものは紀元前の物まである。 天然真珠は小さかったり形がいびつだったりする。 小さなものは、宝石やカメオの周りを囲うのに使われることが多い。 いびつなものは、雲や動物などの形に見立てられる。 ミキモトの養殖真珠の部屋では、主に明治から戦前までの物を展示。 特に凄いのが工芸品の数々。 1937年(昭和12年)のパリ万博に出品された帯留「矢車」は、 きらびやかな見た目もさることながら、 分解と組み立てにより、12種類に変形するのが特長。 超合金の合体変形ロボットを連想した(もちろん超合金なんてなかった時代の物だけど)。 そのほかの工芸品は大きめの作品ばかりで、とにかく豪華。 真珠とダイヤで埋め尽くされた「自由の鐘」(1939年のニューヨーク万博に出品)。 シロチョウガイとプラチナと真珠の五重塔。 (1926年のアメリカ独立150周年記念博覧会(フィラデルフィア)に出品) たくさんの真珠をあしらった王冠。 海の部分が全部真珠でできている地球儀。 そしてきらびやかな法隆寺夢殿。 ミキモト真珠島のホームページはこちら
ここでは御木本幸吉の生涯について、解説されている。 幸吉は1858年(安政5年)、現在の鳥羽市で生まれる。 実家はうどん屋・阿波幸(あわこう)。 20歳のとき横浜で、志摩の真珠が高値で取り引きされていることを知る。 (当時の真珠は「ケシ」と呼ばれる小さな物だった) 幸吉はアコヤ貝の養殖を行ない、次いで英虞(あご)湾と相島(おじま)で 真珠の養殖を試みるが、なかなかうまくいかない。 その上1892年(明治25年)、赤潮が発生し、 英虞湾で育てていたアコヤ貝が全滅してしまう。 しかし翌年、相島で育てていた貝から、養殖真珠が5個見つかった。 (半円真珠。丸い真円真珠が作れるようになったのは1905年から) この相島こそ、ここ、現在の真珠島である。 1896年(明治29年)、苦しい時期に幸吉を支えてきた 6歳年下の妻・うめが32歳で亡くなる。 幸吉は悲しみを乗り越え、真珠の養殖を事業として確立すべく前に進む。 1899年(明治32年)から銀座に店を開き、洋装用のアクセサリーを製作。 海外の博覧会に豪華な工芸品を出展してPRし、市場を広げた。 幸吉は地元の観光振興、また景観保護のための国立公園化にも尽力した。 1954年(昭和29年)、96歳の長寿を全うした。
売店でキティちゃんのストラップを買う。 本来、真珠のネックレスやペンダントを売っているカウンターで、 真珠をモチーフにしたおみやげ品を買うという構図がけっこう面白い。 ミキモト真珠島のホームページはこちら ミキモト真珠島を出て、時計を見たら午後3時ちょうど。 この後、鳥羽水族館に行く予定なのだが、閉館時刻は午後5時。 回り切れないかも。 鳥羽に来るのは2度目だが、前に来たときは両方1日で回れた。 ゲーセン紀行はメモを取りながら回るせいか、時間がかかる。
大きな水槽と、クジラの像に出迎えられる。 1本の長くてまっすぐな道があり、その道の片側に各エリアへの入口が並ぶ構造。 3時30分からアシカショーが始まるので、まずそれを見よう。 三重県に入ってから見つからなかった、ジョージアでら珈琲があったので買う。
キューピー人形を鼻先で運んだり、オルガンを弾いたり。
テンポ良く次々と芸を披露。 あらためて、アシカの身体能力の高さを実感した。
アシカとアザラシの水槽を上から見られる。 1階まで階段を降りると、水中を元気に泳ぐ姿も。 その隣の部屋には、貝類の標本が並んでいた。 寺町昭文さんという方のコレクションだそうだ。
「古代の海」ゾーン。 アロワナ、ハイギョ、カブトガニ、オウムガイ、サメ、チョウザメ。 アンモナイトなどの化石や、ホオジロザメの頭部の模型も展示。 通路でザリガニを見た後、「コーラルリーフダイビング」ゾーンへ。 サンゴ礁の魚たちは、本当にカラフル。 大水槽の中に突き出したスペースがあり、そこに立つと、 壁3面プラス天井で魚が泳ぐ。視界全てが海の中。 水面から差し込む光がゆらゆらしてる。 鳥羽水族館のホームページはこちら 「伊勢志摩の海・日本の海」。水槽からかすかに磯の香りがする。 シマアジやカンパチ、マダイなどがぐるぐる回遊する。 別の水槽では、コウイカがひらがなの「へ」の形で水中にとどまっていて面白い。 イセエビとウツボが、岩の割れ目にぐちゃぐちゃっとかたまっていた。 タカアシガニの水槽もある。タコツボに入ったタコも。 そしてこのゾーンの目玉はスナメリ。 私は水族館でしか見たことがないが、伊勢湾には比較的多く生息しているらしい。 清らかなイメージの純白の体で、元気に泳ぎ回っている。4頭いるようだ。 次のエリアにはなぜかカピバラとショウジョウトキがいる。 ここは熱帯雨林の生物を集めた「ジャングルワールド」。 アマゾンの巨大なピラルクが、悠然と泳ぐ。水槽全体がスローモーション。 アロワナ、スネークヘッド、ピラニア、デンキウナギ。 そしてアフリカマナティー。 水面に浮かぶ草を、のんびりと食べていた。 手で草をつかんで、水底に持ってきて食べることも。 「極地の海」ではラッコがちょうどお食事タイム。 ほかに、イロワケイルカやバイカルアザラシ、クリオネがいるが、 閉館時刻が近づいているので先を急ぐ。 「人魚の海」にはジュゴンがいる。日本ではこの水族館でしか飼育されていない。 マナティーと同じように、水面の草を食べていた。 セレナという名前のメスで、 1987年にフィリピンから、日比友好のシンボルとして贈られたそうだ。 このへんで午後5時。タイムアップ。 また次回ここに来て、残りのエリアを見ることにしよう。 鳥羽水族館はダイオウグソクムシの飼育でも有名だが、そこまでたどり着けなかった。 鳥羽水族館のホームページはこちら 外に出る。少し気温が下がっていた。
電車には乗らず、また外に出る。 鳥羽で晩ごはんを食べたいのだが、目指すお店の開店時刻がまだなので、
売店があった。ストラップ等のおみやげを買う。 ゲーム機が置かれていた。プライズや、ワニワニパニック、 スロット、パチンコ、コリントなど。 売店を挟んだ反対側に、レースゲームが3台あった。 リッジレーサー、ターボアウトラン、レーシングビート。 やった、ゲーム路銀が稼げる! ……と、喜び勇んで 「リッジレーサー」の中級コースを走ったら、2周目の途中でゲームオーバー。 1周だけクリアなのでゲーム路銀の増減なし。 伊勢湾フェリーのホームページはこちら もうすぐ、フェリーの最終便が出る午後5時40分。 お店が閉まるようなので外へ出た。 けっこう寒い。海沿いだからか風が吹く。 観光ホテルの送迎バスが次々と通り過ぎる。
そろそろ目当ての食堂が開く頃なので、そちらへ向かった。 近鉄のガードをくぐって町なかへ。食べ物屋さんが多い。
テレビで水野さんと、パパイヤ鈴木さんと森下千里さんがやってたみたいに、 エビの頭の味噌を吸ってみた。これもいい。 土スペのスタッフさんのリサーチ能力が凄いと思った。 夢中になって、一気に食べてしまった。 ちなみに中京圏では、この時点でまだ、 このお店を取り上げた回の土スペは放送される前だったらしい。 食べ終わって外に出たら日が暮れていた。 風も強まって、なかなかに寒い。 早足で駅まで歩く。 途中、門野幾之進記念館の前を通るが、もちろんこの時間は閉まっていた。 門野幾之進は鳥羽市出身の実業家で、千代田生命の創業者。 (千代田生命は後にAIGスター生命を経て、現在はジブラルタ生命になっている) 靄渓(あいけい)奨學會のホームページ(門野幾之進記念館) また、伊良子清白の家というのもあった。 伊良子清白(いらこ・せいはく)は明治から昭和初期にかけて活躍した詩人で、 全国各地を渡り歩いたのち、鳥羽で開業医として23年間暮らしたそうだ。 伊良子清白の家(鳥羽市のサイト)
今回のゲーセン紀行はこれにて終了。次回はここから再開しよう。 午後7時8分発の普通・伊勢中川行きに乗って、宿泊地の伊勢まで戻った。 ¥1,215 今回のルート
伊勢市観光協会 鳥羽市観光協会 三重県観光連盟 近畿日本鉄道 JR東海 三重交通 次回は「日本縦断ゲーセン紀行 伊勢・鳥羽編(番外編)」。 伊良湖岬と志摩市について。 「日本縦断ゲーセン紀行 187.伊勢・鳥羽編(8)」では、 鳥羽水族館からゲームコーナーへ。 「日本縦断ゲーセン紀行 185.伊勢・鳥羽編(6)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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