ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
番外編 明治村ふたたび
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。 2015年4月1日。東京駅午後7時20分発ののぞみ255号に乗る。 もう少し早い時間に出たかったが、 旅の準備もしないで選抜高校野球の決勝戦を見てたら遅くなった。 車内でとんかつ弁当を食べる。 今回のゲーセン紀行はお花見。 最近どうにも悪いことが続いているので、気分を切り替えたい。 でもこの旅の間に、何となく、いい出来事が起こりそうな気がする。 午後9時1分、名古屋着。ホテルにチェックイン。
翌2日。8時起床。夜なかなか寝つけず、実質的な睡眠時間は4時間くらい。 普段の夜型生活を、急に朝型に切り替えるのは難しい。 ホテルで朝食をとり、9時45分、外に出る。
名鉄名古屋駅へ。10時23分、快特・新鵜沼行きに乗る。 今日は、前回回り切れなかった明治村を、ゲーセン紀行とは関係なく回る予定。 ミューチケットを買って、指定席で快適な移動。 朝は少し曇っていたけど、電車に乗ってる間にだんだん晴れてきた。
急いでバス乗り場に向かい、10時58分発の明治村行きバスに乗ろうとしたのだが……。
しかも、バスは30分に1本しか来ない。次のバスは11時28分発。 乗れないお客さんがみんな怒っている。 私は怒るというより、こんな脆弱な交通インフラで、明治村は大丈夫かと心配になる。 念のため岐阜バスコミュニティに電話してみたが、 こんな状況なのに臨時便は出ず、定刻通り30分待たされるらしい。 11時28分のバスに乗る。もちろん満員で、乗れないお客さんが数人いた。
11時49分、明治村着。入村券売り場でもまあまあ並ぶ。 今回は乗り物一日券つき入村券(¥2,700)を購入。 結局、明治村に入れたのは、予定より大幅に遅れて、正午となった。 今回はゆっくり回れると思ってたのに、初っ端からつまずいた。
聖ヨハネ教会堂の前で、結婚式の記念撮影が行なわれていた。 リア充お幸せに。
各部屋が展示室になっている。 まず、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)創建当時(1909年・明治42年)の テーブルや椅子を展示する部屋。 続いて特別展「デザインの黎明」。 東京駅貴賓室の椅子やテーブルクロス。万博に出品された竹の椅子と机。 明治宮殿にあった飾り台。東宮御所の椅子。鹿鳴館の椅子やソファー。 有栖川宮邸のソファー。舞踏会や式典などの様子を描いた浮世絵。 当然ながらどの家具も、遠くから見ても美しいし、細かく施された装飾も見事。 鉄道関連の品を集めた部屋(「鉄子の部屋」と名づけられていた)。 名鉄のタブレット閉塞器や絵葉書。全国の路線図。東京市電の切符や路線図。 レール。犬釘。時刻表。国鉄の腕木式信号機。 名古屋・一宮・犬山間電車開通のポスターなど。 2階へ。「明治のくらし よろず体験」では、桶をかつげたり、人力車に座れたり、 明治時代の照明器具の明るさを体験できたりする。 明治時代の時計を展示する部屋。櫓時計(和時計)から、振り子時計、懐中時計、 目覚まし時計(この時代からあったのか!)、時計修理用の工具など。 2階中央のひときわ豪華な部屋は正庁と応接室。歴代知事の写真が並んでいた。 三重県の伝統工芸品や、明治時代の写真を展示する部屋もあった。
三重県庁舎をじっくり見てたらもう午後1時。また回り切れなくなる。先を急ごう。
その1階で企画展「北岡明佳ビジュアル・イリュージョンの世界」を開催(6月28日まで)。 目の錯覚(錯視)を使った作品が展示されている。 同じ色なのに違う色に見えたり、円なのに渦巻きに見えたり。 動いてないのに動いて見える絵が多くある。 北岡明佳氏のホームページ 明治村の建物で用いられている、しっくいをあたかも石のように見せたり、 木の扉などに木目を描いて、より高価な木に見せたりする技法を紹介するコーナーも。 そのほか、アナモルフォーシス(円筒に映す絵)、明治時代に撮られた立体写真、 書き割りを使った写真を展示。
明治村は歴史的建造物を保存するために作られた施設だが、 明治村自体も今年で50周年と、かなり長い歴史を経ている。 開業当時のポスターが懐かしい雰囲気。 年を追うごとに、面積が広がって建物が増え、展示が充実しているのもわかる。 あと、聖ヨハネ教会堂が1982年、記念切手に描かれていたことを知る。 私は昔、切手を集めていたから、この切手には見覚えがある。あれがここだったのか。 (近代洋風建築シリーズ第3集。 ちなみに同じシリーズの第6集で、西郷従道邸も切手になっている)
午後2時15分。レストランで食事しようと思ったけど混んでる。 先に、前回時間切れで見られなかった建物を見て回ろう。
看守所の中央に、網走監獄にあった看視室が設置されている。 牢屋部分は、前橋監獄の雑居房と違い、こちらに保存されているのは独房。 明治時代から現代に至る、 刑務所の建物の移り変わりを説明するパネル展示があった。
さっきのレストランをのぞいたところ、 入口の列がだいぶ短くなっていたので、並んで待つ。 割とすぐ入れた。トマトソースオムライスを食べた。
関東大震災のときは、隅田川に架かるほかの橋が落ちる中、この橋だけは残り、 多くの人々がこの橋を渡って避難することができたそうだ。 しかし老朽化のため、現在の橋(1977年・昭和52年竣工)に架け替えられ、 全長180メートルのうち、日本橋浜町側の25メートル分が明治村に移築された。 これで、前回見られなかった所はひと通り見た。
もうすぐ午後4時になる。 前回と違って閉園は午後5時だが、私が急いでいるのには理由がある。 SLに乗りたいから。 SLは30分に1本しかないので、1本逃すと後がつらい。
9号機関車は1912年(大正2年)にアメリカで製造され、 翌年から富士身延鉄道の富士−大宮町間(現在のJR身延線・富士−富士宮間)で 使われていた、C形(動輪3軸)タンク式蒸気機関車。 1936年(昭和11年)からは、日本鋼管(現・JFEスチール)鶴見製鉄所で使われた。 三等客車は明治時代に製造されたもので、 1両は1908年(明治41年)製。青梅鉄道から高畠鉄道、雄勝鉄道と移籍した。 あとの2両は1912年(明治45年)製。新宮鉄道、鉄道省、雄勝鉄道。 明治村にはもう1両、12号という蒸気機関車が在籍する。 こちらは1874年(明治7年)にイギリスから輸入されたもので、 新橋−横浜間開業時に導入された10両のSLのうち、2号〜5号とほぼ同じ形式。 出発。列車はゆっくりゆっくりと進み、5丁目の建物が一望できる橋を通過する。 菊の世酒蔵、聖ザビエル天主堂、入鹿池。 4分でSL名古屋駅に到着した。
機関車は側線を通って客車を追い越し、先頭に連結された。
私は逆に、市電に乗ってさらに南へ向かう。4時25分発。 車両は京都市電のもので、前にも書いたとおり、 1910年から1911年(明治43年から44年)にかけて製造された。 ダブルルーフ、ロングシート。つり革がしずく型の古いタイプ。 ダブルルーフを中から見たのは初めてかもしれない。明かり取りになっている。 ツーマン運転で、車掌さんが各建物の紹介アナウンスを行なう。
村内バスもあるけど、ここからは歩いて正門へ戻ろう。
電停から正門までの距離は意外と短く、バスより早く着くことができた。 博物館 明治村 で、帰りの犬山駅行きのバスにも積み残しが発生していた。 午後5時10分のバスに乗る。 これに乗れなかったら、悲喜こもごもの最後が悲になるところだった。 私は乗れたから良かったが、このバスにも乗れないお客さんが20人くらいいた。 次が終バスだが、大丈夫なんだろうか? 途中の停留所でお客さんが計3人乗ってきて、バスの混雑はますます酷くなる。 しまいには運転手より前方に乗客がいるという危険な状態に。 午後5時34分、ようやく犬山駅にたどり着いた。
今のバスで疲れたので、帰りの電車もまた指定席にしよう。 5時50分のミュースカイ(全車指定席)に乗る。 6時4分、岩倉で降り、6時10分の急行・内海行きに乗り換える。 外が少し暗くなってきた。
6時17分、上小田井駅着。 変則的だけど、今回はここからゲーセン紀行スタート。 (「日本縦断ゲーセン紀行 199.尾北編(8)」に続く) 今回のルート
犬山市観光協会 愛知県観光ガイド 名古屋鉄道 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 199.尾北編(8)」は、 庄内緑地の桜と、トヨタの博物館。 「日本縦断ゲーセン紀行 197.尾北編(6)」に戻る 「日本縦断ゲーセン紀行 198.尾北編(7)」に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る 「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る |
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