ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

210.神代の頃から水は流れる
〜滋賀編(1)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥2,010




2016年4月22日。品川駅午後6時40分発のひかり527号に乗る。
例年なら桜の咲く時期に行くところだが、
今年は映画制作の仕事があって、なかなか東京を離れられなかった。
去年11月以来、久しぶりのゲーセン紀行。ただし24日には帰る予定。

熊本の地震でいまだに9万人以上が避難生活をしているこの状況で、
旅行に出るのもどうかと思ったが、
それを理由に予定をキャンセルして、関係のない地域の観光業にまで、
自粛ムードによる悪影響を与えるのも違うだろうと考え、予定通り出掛けることにした。

とはいえ、やっぱり後ろめたさはある。
今回のルートにはお寺や神社が多いので、各所で祈ったり、支援金を出したりしていこう。

自分の近況としては、昨年末くらいから久々にゲームを作っていて、
そろそろ簡単なのが1本完成しそうな段階。
昨年1年間はライター業を中心にしていたが、
筆があまりにも遅すぎて、到底採算が合わないので、
もともと好きな、ゲームを作る側に戻ろうかと。

ただしこちらも収益を上げるのは厳しそうだけど。
過去に何度か大コケしているから、
ユーザーの皆さんにダウンロードして頂けるかどうか大いに不安があるし、
また技術面はそれ以上に不安。

次の短い作品には、そうした不安をストレートに盛り込んでいくつもり。
(そういうことをやるからダウンロード数が伸びない)

今回の旅の話に戻ろう。
新幹線の車内で深川めしを食べた。
座席は苦手なB席(3列の真ん中)だったが、豊橋で両隣の方が降りた。
午後8時44分、米原駅着。


米原

久しぶりの旅なので、うっかり逆側の出口に出るというドジも踏んだけど、
無事ホテルにチェックイン。

明日・あさって行く所を、念のためネットで調べてみたら、
この期に及んで、初めて知るスポットがごろごろ出てきた。行程に大きな変更が生じそう。
そして調べている間に、午前2時半になっていた。


翌23日。7時15分に目が覚めて、以降寝つけず。
今回のスタート地点・醒ケ井に向かう電車の本数がやや少なく、
あまり早く出ても米原駅で待つ時間が長くなるだけなのに。
(1時間に2本だが、9時台は特急を通すため、各駅停車の時間が空く)

テレビをつけたら民放が関西の局。滋賀県に入ったことを実感。
シャンプーハットさんが出てる。

ホテルで朝食をとり、駅へ。
在来線から新幹線への乗り換え口に人があふれていた。何かあったのだろうか?

ホームに681系特急電車が、
連結ドアを開けた状態で停車中。
9時50分発の特急しらさぎが出ていったばかりだが、
後ろの方の車両がこの駅で切り離されたようだ。

10時ちょうど発の大垣行きに乗り、醒ケ井を目指す。
ここ始発の電車だった。JR東海313系。

10時5分、醒ケ井駅着。
今回はここからスタート。


醒ケ井(さめがい)

今日はよく晴れているが、
伊吹山の頭には雲がかかっていた。

やっぱり夜来るのと朝来るのとでは
雰囲気が違う。

前回おみやげを買った、
醒井水の宿駅(さめがいみずのえき)。
少しだけ名前を変えて
「醒井水の宿駅みゆき」となり、
4月29日にリニューアルオープンだそうだ。

現在はプレオープン段階だが、売店や食堂などは営業している様子。
帰りに寄ろう。

醒井水の宿駅みゆき

駅前に醒井養鱒場の看板あり。
1878年(明治11年)に設立された、マスの養殖場。
ただし、歩いて行ける距離ではない。

滋賀県醒井養鱒場

醒井(醒ケ井)の地名の語源となった、居醒(いさめ)の清水を目指して歩く。
駅前を横切る道が国道21号。物流の幹線らしく、数多くのトラックが行き交う。
もちろん信号と横断歩道あり。

明治時代の醒井小学校の玄関が立派。

米原市醒井宿資料館に入る。
建物は1915年(大正4年)に建てられた、
旧醒井郵便局の局舎。
外観は1934年(昭和9年)に改装されている。
小さいながらも重厚感がある。

中に入る。この建物の建築当時の写真と、設計図が展示されている。
近江八幡を拠点に活動した、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に携わっている。
ただしヴォーリズの設計図と、実際の建物の写真がかなり異なっている。
理由はわからないらしい。

また、昭和の頃の醒井宿の写真も展示。
古い建物が多くのこされており、昭和45年の写真が、まるで明治時代のようだ。

2階の展示室へ(入館料¥200)。
電話交換をしていた部屋や、職員が寝泊まりしていた和室がある。
和室に畳はなかったが、床の間と欄間がある。

醒井宿についての解説展示。
醒井は、奈良・平安時代の東山道から、
鎌倉街道、江戸時代の中山道まで、いずれも宿場町だった。
水が豊富だったため、時代によって街道が変わっても、
醒井は変わらずルートに入っていたらしい。

江戸時代に庄屋や問屋場を務めた江龍宗左衛門家に伝わる古文書を展示。
朝鮮通信使や琉球使節もここを通り、和宮内親王もお輿入れの際に通ったそうだ。

資料館から歩いてすぐ、
居醒の清水を水源とする地蔵川。
音もなく流れている。
透き通ったきれいな小川だ。

少し川下のほうに行くと、
西行水という湧水の泉がある。
立派な岩に圧倒される。

ここには西行にまつわる不思議な伝説がある。
東国への旅の途中、この地にあった茶店に西行が立ち寄った。
西行が去った後、飲み残したお茶の泡を、茶店の娘が飲んだところ、
懐妊して、男の子を出産した。

帰りに再びここを訪れた西行がそのことを聞くと、
男の子に対して、「もし我が子なら元の泡に戻れ」と念じた。
男の子はたちまち泡となって消えたという。
西行は五輪塔を建てて供養した。今日この場所は「泡子塚」と呼ばれている。

滋賀県名物飛び出し坊や。

真壁造り(ハーフティンバー)の日本家屋が多い。
木の柱や梁が、赤く塗られているのが特徴的。
ベンガラという顔料が使われているらしい。

十王水。
平安中期、天台宗の浄蔵法師がひらいた水源。

了徳寺の御葉附銀杏(おはつきいちょう)。
このイチョウは、ギンナンの一部が
葉っぱの上に実るらしい。

タンポポの綿毛が季節を感じさせる。

川沿いにホースがのびてると思ったら
蛇だった。
伊吹山の神の使いか?

川の中で藻がゆらめいている。
5月中旬頃からバイカモの白い花が咲き、
夏いっぱいまで見ごろだというが、
今はまだ咲いてない。

明治天皇御駐輦(ちゅうれん)所の門。

川をよく見ると、日陰のところに
小さな魚が何匹か泳いでいるのが見えた。
(写真だと見づらいが)
地蔵川には絶滅危惧種の
ハリヨという魚が棲むらしいけど、
これがそのハリヨだろうか。

醒井宿問屋場(といやば)。
問屋場とは江戸時代、
大名や役人に人足・馬を提供したり、
荷物の積み替えなどの引き継ぎを行なったり
していた所。
江戸時代の建物が現存している。

中に入る。天井が高い。曲がった木材を用いた柱や梁が、建物を支えていた。
土壁のクリーム色がいい。

問屋場の前の川に、
小さなバイカモの花が咲いていた。
見られると思ってなかったから嬉しい。

バイカモ(梅花藻)は、
水温が年間14度前後に保たれる
清流でしか生息できないそうだ。

川沿いにさまざまな植物が植えられている。
今咲いてる花もきれいだが、季節によって
さらに鮮やかな景色になるだろう。

1936年(昭和11年)に建てられた醒井公会堂。

その隣に建つ、醒井木彫美術館に入ってみた。
入館料¥300。
土日祝開館(ただし冬季は休業)。

上丹生という地区で盛んな木彫と、
そこで生まれた彫刻家・森大造氏の作品が展示されている。
お茶を頂いたので、まず座って休憩。

上丹生の彫刻は、細かいところまで神経が行き届いた、真に迫る彫刻。
木目もうまく生かされている。
仏像が多いが、現代的なモチーフの作品もある。

森大造氏の作品はそれに加えて、のみ跡の残る荒々しいものや、
徹底的に細部をそぎ落とした現代アートもあった。

桜の咲く時期に来ることはできなかったが、
八重桜がきれいだった。

醒井延命地蔵尊。
昔は地蔵川の中に座っていて、
尻冷やし地蔵と呼ばれていたらしい。
今はお堂の中に納められており、
姿は見えない。

解説板によると、817年(弘仁8年)、干ばつが続いていた頃、
最澄が薬師如来のお告げでこの地へ来て、石工たちに
一丈二尺(3.6メートル)の地蔵菩薩坐像を刻ませたところ、雨が降ったという。
ただし別の解説板によると、実際は鎌倉時代後半の作とみられ、総高270センチ。
それでも貴重な仏像だが。

そしていよいよその隣が居醒の清水だ。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像が建つ。

古事記や日本書紀によると、
ヤマトタケルが伊吹山の神の猪(または蛇)と戦った際、敗れて体調を崩したが、
この地の水を飲んで回復した。
以来この水は「居醒(いさめ)の清水」と呼ばれている。
しかしヤマトタケルの病気は再び悪化し、
今の三重県亀山市の能褒野(のぼの)という所で亡くなったという。

ただし、ここの案内板に書かれた説明は少し違っていた。
蛇は山の神ではなく、山に棲みついて旅人を困らせていた大蛇で、
景行天皇の命を受けた日本武尊がこの蛇を切り伏せる。しかし蛇の毒を受けてしまう。
やっとのことでこの地にたどり着き、体を清水で冷やすと治ったそうだ。

素人考えだが、当地に伝わるこういう伝説が、
各地の英雄伝説と統合されてヤマトタケルの一代記が作られた際、
前後の話と合わせるために、
古事記や日本書紀にみられるような形に変わったのかもしれない。

日本武尊の腰掛石、鞍懸石もある。
ヤマトタケルは馬で来たのか。

加茂神社の鳥居の前に、

居醒の清水が湧いていた。
こんこんと、
まさにコンコンと音を立てて湧き出ている。

清水の所にある石を「蟹石」という。
日本武尊より300年くらい後の雄略天皇の時代、
天皇の使いの者が三尺余りの大ガニを捕らえて、
ここに入れたら石になったという。

ゆらゆら揺れる藻が優雅。

居醒の清水は、神代の頃から湧き続けて、ヤマトタケルの時代、雄略天皇の時代、
最澄の時代、西行の時代、和宮内親王の時代、東海道本線が開通した時代、
そして現代まで歴史を重ねている。

神代の頃の醒井がどういう景色だったかなど、とても想像がつかない。
ただ、水が現在と変わらず湧いていたことだけがわかっている。そう考えると不思議。

石段を上って、加茂神社に参拝。
社殿は1960年(昭和35年)に
建てられたらしい。

今もすぐ横の道路を、車がビュンビュン通っているが、
この道が名神高速道路で、
この道路を建設する際に、神社が移転してここに来たのだそうだ。
神社の移転といえばおおごとだが、それもまた歴史の一幕。
そしてこの地は東山道以来、今でも主要な交通路。

12時半を回った。駅まで戻ろう。暑くなってきたのでトレーナーを脱ぐ。

醒井水の宿駅のカフェへ。ケーキとアイスカフェオレで一服。
コーヒーは当地の名水コーヒー。

醒井水の宿駅みゆき

午後1時24分、醒ケ井駅に戻ってきた。次の下りは1時41分発の米原行き。
駅近くのややわかりにくい場所に、霊仙三蔵像が建っていた。
霊仙(りょうせん)三蔵は平安時代初期に、最澄、空海らとともに唐へ渡った、
日本人唯一の三蔵法師。
この近くにある霊仙山の山麓で生まれたとされている。

今気づいたけど、この駅の外側にも、
赤いベンガラ塗りの柱が並んでいた。

オレンジのラインが入った、
JR東海仕様の駅名標もこの駅まで。

電車は311系4両。座席はクロスシート。
出発。丹生川を渡る。川の中州に菜の花が咲く。
左の山で石灰石が採掘されているのか、灰色の山肌が階段状になっている。
右側を流れる川は天野川。
山に囲まれた土地に、家や田畑がある。田圃の一部には水が張られている。

やがて上りと下りの線路が大きく離れる。
その間が車両基地になっていた。JR西日本の車両が多い。
多くの側線が並ぶ。右側いちばん遠くに新幹線の線路も。


米原(まいばら)

1時47分、終点・米原着。
ゲーム路銀 ¥2,010-¥200=¥1,810

向かいのホームに止まっていた、
新快速・網干(あぼし)行きが
発車していった。JR西日本233系。

駅名標はこの駅から、
下の部分が青いJR西日本仕様。

233系が去った後、その向こうのホームに
特急が止まっているのが見えた。
681系しらさぎ・金沢行き。
米原は、東海道本線と北陸本線がつながる
交通の要衝。

改札を出た所に、ネットで動画が話題となった、
石田三成×滋賀県キャンペーンの大きな広告。

橋上駅の広い窓いっぱいに、
石田三成を大フィーチャーした横断幕。

石田三成×滋賀県 ポータルサイト

三成が地元周辺の各地を訪れたという設定で、
長浜曳山まつり、醒井養鱒場、カロムという彦根のボードゲームを紹介。
カロムのことは知らなかった。
インドのゲームで、戦後すぐくらいまでは日本全国に普及していたらしい。

駅の横断幕には、秀吉と三成がカロムで対戦するシーンを再現した写真が載っている。
ただしカロムが日本に伝わったのは明治以降で、
秀吉・三成の時代にはまだなかったようだ。

日本カロム協会

東口へ。通路の壁に、米原市の名所や特産品のポスターが並ぶ。

エスカレーターで下りた所に、
上丹生の木彫が展示されていた。
(木彫でみる米原風土記)

このように、駅の中だけでも見どころが多く、
東口から外へ出たら、
午後2時7分になっていた。

さらに東口では、
近江鉄道の停車中の電車を見ることができた。
カラーリングが明らかに西武。
この800系は西武401系を改造したものらしい。
西武鉄道を大手私鉄に育てた堤康次郎氏は、
近江鉄道沿線の愛荘町出身。

米原駅は鉄道唱歌では、
山はうしろに立ち去りて 前に来(きた)るは琵琶の海
ほとりに沿いし米原は 北陸道の分岐線
とうたわれている。

駅から東へ歩き、青岸寺を目指す。
正調飛び出し坊や。

旧米原尋常高等小学校の、
大きな木造校舎が目立つ。

青岸寺は南北朝時代、
佐々木(京極)道誉が創建した。
(当時の寺号は米泉寺)
後に本尊の聖観音像のみを残して焼失したが、
1650年(慶安3年)、要津守三和尚が、
伊藤五郎助の協力を得て再建。

ちなみに佐々木道誉は、室町幕府初期の権力者で、
既存の体制を嫌って派手な振る舞いをする
「婆娑羅(ばさら)大名」として知られているらしい。
私は知らなかった。

拝観料¥300。ご本堂でお参りした後、廊下から庭園を眺める。

大きな石を数多く配した枯山水。
枯山水といっても砂や砂利ではなくて、
苔を水に見立てているのが特徴的。
山のいちばん上に、
三尊像に見立てられた三尊石が立つ。

庭園は、守三和尚による寺の再建時に造られたが、
彦根に楽々園が造られた際、ここの庭石が転用されたことで一時消滅した。
しかしその楽々園を造った香取氏に依頼して、
1678年(延宝6年)に新しい庭園が造られ、それが現在まで残っている。

少しだけ咲いたツツジが、
アクセントになっている。

左手の書院「六湛庵」(ろくたんあん)は、
明治時代に永平寺64世貫首、森田悟由禅師が
増築したもの。
渡り廊下を通って、
六湛庵から庭を眺めることもできる。

※「六湛庵」の「庵」は、正確には今、酉、皿を上下に重ねた文字。

六湛庵から見た客殿と本堂。

静かで素朴(とはいっても凝った造りの庭なのだが)。落ち着いた雰囲気。
すぐそこに新幹線が止まるような場所とはとても思えない。
雨が降ると、苔のところに水が溜まって池になるらしい。
天気や季節によって、いろいろな姿を見せてくれそうだ。

青岸寺

駅前に戻って今度は南へ。線路と道路の間に広大な空き地。
「滋賀の未来は北陸新幹線米原ルートの実現で!」と大書された看板が建つ。
空き地の隅の石柱に、「明治天皇御駐輦趾」の文字。
醒ケ井のほかにここでもご休憩されたようだ。

その向こうにある、
鉄道総合技術研究所・風洞技術センターの外に、
3両の新幹線車両が並んでいる。
いずれもJRの初期に造られた、
新幹線の試験車両。

JR東海の300X(955形)の先頭車両。
名古屋のリニア・鉄道館に
逆側の先頭車両が展示されているが、
性能を比較するため、
全く違う形になっている。

こちらが以前訪れたときに撮った、
リニア・鉄道館の300X。
300Xは1996年、当時の電車の世界最速となる、
時速443キロを記録した。
(このときの先頭車はリニア・鉄道館に
展示されている方の車両だった)

リニア・鉄道館

JR東日本のSTAR21(952形)。

JR西日本のWIN350(500系900番台)。

この場所のすぐそばを、
新幹線が頻繁に通過していく。
また、在来線の電車や貨物列車、
近江鉄道の電車も通り過ぎる。
いつまでいても飽きない場所。

鉄道総合技術研究所

近くで大きな建物が建設中。
建築計画の看板を見ると、「童夢新本社」とあった。
レーシングカーの製造で有名な、あの童夢か。

駅に戻って、西口へ移動。こちらの連絡通路には、
近隣の高校の美術部による、地元を描いた手描きの絵が掲げられている。

西口から外へ出た。

駅前にある大型スーパー、
平和堂米原店へ。

1階に小さなゲームコーナーあり。プライズ数台と「プリパラ」と、
「C57 1」の銘板が着いたSL型ののりもの。

3階には、Kid's US.LANDがある。ここは時間制のゲームコーナー。15分¥100。
太鼓の達人やZOO KEEPERもあったが、遊具など明らかに子供向けなので中には入らず。

さて米原から移動しよう。日本縦断だから本来なら京都方面へ向かうべきだが、
長浜に観光名所が多いので、いったん北陸本線を北上しよう。

その前に、ホテルがすぐ近くなので、一度戻ってトイレに入る。
あと傘を取ってくる。雲行きが怪しくなってきた。

うっかり部屋で座ってくつろいでたら、まだ午後4時なのに、
「今日はこれで終わりでいいんじゃないか?」という気になってきた。
ノートに書いたメモ書きが4ページ分に達しており、撮れ高はもう十分だし。
ただ、長浜にはゲーセンが4店集中している場所があるようなので、
できれば今日行っておきたい。

4時30分、米原駅へ。
……ちゃんと時刻表を見ておけばよかった。
4時26分の電車が出たばかり。次は5時1分までない。
前の電車に間に合うように来るか、もう少しホテルで休むか、どっちかにすべきだった。

午後4時56分発の特急しらさぎ金沢行きが来る。5時1分の敦賀行きは5分遅れるとのこと。
しらさぎの連結を見る。気温が下がってきたのでトレーナーを着る。

4時59分に敦賀行きが来た。223系。12両編成!
しかしこの駅で切り離しがあり、後ろ8両は当駅止まり。
ホームの後ろの方で待っていたので、急いで前方へ移動。
間に合った。車内はクロスシート。けっこう混んでる。

こちらからの乗り換え客を待っていた特急がようやく発車。
こちらの電車は5時2分、定刻よりわずか1分遅れで発車した。
この駅での停車時間がもともと長かったので、調整できたようだ。

新幹線の高架が左から右へオーバークロス。
左は農地。右は建物がいっぱい。
国道8号米原バイパスをくぐり、天野川を渡って坂田駅。

その先は家が減り、左右に農地。右手遠くに伊吹山が見えてきた。
左にテニスコートのある大きな建物。長浜バイオ大学ドームというスポーツ施設だ。
続いてイオンディライトの研修施設が見え、田村駅へ。

田村を出てすぐ、左手にかなり大きな建物。ここが長浜バイオ大学。
さっきのドームと同じ名前だが、ドームはこの大学の施設ではなく県立。
命名権によって大学の名前がついている。
右手には長浜地方卸売市場。

左に水面が見えてきた。琵琶湖だ。
長浜びわこ大仏の御尊顔を望む。

家が増えてきた。
左手すぐそばに、初代長浜駅の建物が一瞬見えた。現存する日本最古の駅舎である。
続いて少し離れた所に長浜城。

5時10分、定刻通りに長浜駅着。
ゲーム路銀 ¥1,810-¥200=¥1,610
ドアが半自動扱い。
(ボタンを押してドアを開ける方式)
これだけ大きな駅では珍しいと思う。

〜坂田〜田村〜
長浜

初代長浜駅の駅舎を模した橋上駅。

東口のバスターミナルへ向かう。
エスカレーターに、長浜曳山祭で行なわれる
「子どもかぶき」のステンドグラス。

東口から外へ出た。

駅前に、秀吉三成「出逢い」の像。
「三献の茶」の逸話に基づく。

豊臣秀吉と石田三成は、伊吹山の観音寺というお寺で出会ったといわれている。
三成がここで小姓をしていた頃、秀吉が鷹狩りで伊吹山を訪れ、この寺で休憩した。
三成は、秀吉の喉が渇いているだろうと考えて、最初はぬるめのお茶を大きな茶碗で出し、
秀吉が飲み終わると今度は少し熱めのお茶を茶碗に半分ほど、
3杯目には熱いお茶を小さな茶碗で出した。
秀吉は三成の気配りに感心し、家臣として取り立てたという。

国道8号長浜バイパスに沿って、ゲーセンやゲームコーナーが4店舗あるらしい。
駅から歩くには遠い場所なので、そのあたりに行くバスの乗り場を探す。
イオン長浜店行き、次は午後5時50分。ちょっと時間が空く。
アルプラザ口行きのバスも、しばらくない。
あまり遅くなると、帰りのバスがなくなってしまう。

駅前にあるモンデクール長浜に、
ゲームコーナーがないか一応のぞいてみた。
閉店した平和堂長浜店の
代わりにできたお店なので、もしかしたら。

昨年オープンしたばかりの真新しい店舗。
1階にはフレンドマートというスーパーや、小さなレストランなどが入る。
2階はおみやげ屋、100均、ドラッグストア、フードコート、喫茶店など。
やはりゲームコーナーはなかった。

喫茶店で外の景色を見ながら
トーストを食べた。
伊吹山のシルエット。

工事中の更地(多分平和堂の跡地)越しに、
1874年(明治7年)に建てられた開知学校の塔屋が見える。
その左隣に、電波塔のようなものが立っているが、あれは……、
長浜タワーだ!

関ヶ原ウォーランドや佐和山遊園とともに、
このあたりのB級スポットとして
よく知られる長浜タワー。
電波塔に見えるが電波の送受信はしない。

B級スポットを取り上げたサイトでよく見るのは、
ビルの上に小さなタワーがちょこんと乗っているように見える写真だが、
ここから見るとタワーがかなり大きく見える。

もうどこへも行けないので、今日のゲーセン紀行はここで打ち切り。
おとなしく米原のホテルへ戻ろう。
午後6時29分発の播州赤穂行きに乗る。兵庫県まで向かう電車だ。
ここ長浜駅から多くの人が乗ってきて、やや混雑。

米原駅の手前まで来たところで、スピードがだいぶゆっくりになる。
まだダイヤが乱れているのか?
(※実は米原駅で増結があるので、通常のダイヤでもここはゆっくり走るようだ)
米原のホームで増結車両に連結し、6時44分到着。
定刻が6時42分だから、それほど遅れたわけでもなかった。

ホテルに戻る。午後8時少し前、晩ごはんを食べに外出。雨降ってる。
平和堂のレストランに行こうとしたが閉まってた。
結局、コンビニでナポリタンを買ってきてホテルで食べた。

現在のゲーム路銀
¥1,610

今回のルート




米原観光協会  長浜観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JR東海  JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 211.滋賀編(2)」では、
長浜城に行ってみた。
「日本縦断ゲーセン紀行 209.岐阜編(6)」に戻る


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