ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

212.2年ぶりの旅は梅と鉄道から
〜滋賀編(3)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,610




2018年2月5日。
東京駅午後7時20分発ののぞみ255号という、なかなか切りのいい番号の新幹線に乗車。
牛タン&ビフカツ重弁当を食べる。

2年弱も間が空いてしまった。
おととしは映画の仕事、去年はゲーム作りで忙しかった。
だが、去年1年かけて作ったゲームはいまだ完成せず。
行き詰まったので、先月から新たなゲームを作り始めた。
去年のゲームのシステムを生かして、もっと短くて作りやすく、
そして、もっと売れそうなのを。

去年はほかにもいろいろと行き詰まることが多かったが、
このゲームが売れたら、そんな流れが変わりそうな気がする。

窓から見えたささしまライブがすっかり変わってた。

2012年に訪れたときは、
こんな感じだったのに。


尾張一宮

制作中のゲームに使う写真を撮るため、この日は一宮に1泊。
翌6日。例によって、旅の初日は3時間しか寝られず。
今回は6時に目が覚めて、二度寝できないまま、
もう3時間経ってしまったパターン。

目的の写真を撮影した後、真清田(ますみだ)神社に参拝。
良縁に恵まれるよう、強く強くお願いした。
CoCo壱番屋(一宮に本社がある)で、あんかけスパゲッティを食べて、
午後2時26分、尾張一宮駅を出発した。

電車を乗り継いで、今回のゲーセン紀行のスタート地点・長浜を目指す。
できれば特急しらさぎで行きたかったが、
北陸地方の大雪のせいで、特急しらさぎ全部運休。
一宮はよく晴れているのに。

北陸の雪によるダイヤ乱れの影響で、定刻より3分遅れの午後4時14分、長浜駅に到着した。


長浜

駅東口の前が、2年前から大きく変わっていた。
道路の拡幅工事やペデストリアンデッキ建設工事が、大規模に行なわれている。
2年前には更地だった、平和堂長浜店跡に、
「えきまちテラス長浜」という施設ができていた。

平和堂モンデクール前のペデストリアンデッキから、えきまちテラスを通って地上に出た。
ホテルにチェックイン。

午後6時から1時間ほど寝た後、晩ごはんを食べに外へ。そこで気づいたが、
このへんの飲食店、夜は閉まっているところが多い。
さすがに居酒屋は開いてたし、レストランも1、2軒あったけど、
「開運!なんでも鑑定団」を見たかったこともあり、
コンビニで弁当を買ってホテルで食べた。

翌7日。9時起床。5時間半睡眠。目覚ましの鳴る3分前に目が覚めた。

ホテルの窓から、豊国神社と、

黒壁スクエアが見える。

家々の屋根に雪が積もっていた。積もるほどの雪は、ゲーセン紀行では久々だ。
ひょっとしたら、鬼怒川温泉以来かもしれない。

10時14分にチェックアウトし、まずは豊国神社へ向かう。
寒い。
凍りかけた雪に足を取られないよう、気をつけて歩く。
とはいえ、国道で多数の車がまだ立ち往生している、
福井県や石川県に比べれば数段ましである。

交差点の信号機が、
お寺のような寄棟の屋根をかぶっていた。

駐車場の一角に「御旅所」。
長浜八幡宮の例祭・神幸祭で、
みこしが奉安される神輿堂。
現在の建物は、1729年(寛政4年)には
存在していたという。

この建物の前が、複数のツアー客の集合場所になっていた。
この町が観光地としてうまく回っていることを実感。

豊國(ほうこく)神社は、
この町を築いた豊臣秀吉をまつる。
小さい神社だが、秀吉没後間もなくの
1600年(慶長5年)からの歴史がある。
今の本社は江戸中期のもの。

江戸時代、秀吉をまつるのはご法度だったので、
えびす様をまつる神社として再建され、奥に密かに御神像がまつられたそうだ。

加藤清正の銅像が建つ。
台座の文によると、戦時供出で失われていたが、
1981年(昭和56年)に再建されたようだ。

左から、本社、出世稲荷神社、天満宮が並ぶ。
こちらは本社。

見事な彫刻。
堂内には、「天機清朗」の扁額が見えた。

稲荷信仰厚かった秀吉さんにあやかるべく、
出世稲荷神社にもお参り。
格天井の花鳥画はかなり古そうだった。

虎石という、秀吉お気に入りの庭石……は、
庭の中のどの石かわからなかった。
清正が献上した石で、
城内から大通寺に移したら泣き出したので
元の位置に戻した、という伝説がある。

黒壁スクエアは、平日の割に人通りが多い。
中国からの観光客も多く、
やはり観光名所として成功している印象。

ちょうど11時。
黒壁ガラス館の隣のカフェが、
ランチタイムに入ったので、
近江鶏卵のオムライスを食べる。
昔ながらのケチャップオムライスでおいしい。

黒壁スクエア

いったん黒壁スクエアを離れ、駅へと向かう。
2年たっても長浜タワーがまだあったことに
ちょっと感動。

一方、2年前にはここは更地だった。
えきまちテラス長浜。
カフェや食べ物屋やおみやげ屋などがある。
(手前左側にある銅像が、第210日目に見た
秀吉三成「出逢い」の像)

えきまちテラス長浜

昨日、このえきまちテラスの中を通って、
初めて知ったが、この1階に
「アミューズメントスクエア PLAYLAND」
というゲームコーナーがあったらしい。
しかし1月31日に閉店したらしい。
ほんの1週間前。ついてない。

駅前はただいま工事中。
こういう過渡期の景色は、
今しか見られないから好き。

歩行者デッキから伊吹山が、昨日は見えていたんだけど今は見えない。

駅を通って西口へ。
長浜城も雪をかぶっている。

豊公園を回り込んで、今日泊まるホテルへ。
まだ正午を過ぎたばかりなので、先に荷物だけ預かってもらう。
湖畔のリゾートホテルなのだが、駅からやや遠い上に、途中が公園なので夜歩きにくい。
長浜に着くのが夜になるかもしれなかったので、昨日はここに泊まらなかったのだ。

ホテルを出て、次に向かうは慶雲館。
前回も訪れているが、ちょうど今は長浜盆梅展の期間中。
これは見ておかないと。

公園内を通ったが、通れない場所が多くて迷った。
公園を出て、県道2号を渡ればすぐ慶雲館だけど、横断歩道がない。
歩道橋の、凍ったスロープを滑りながら進んで、ようやく道を渡った。
つくづく、歩行者のことがあまり考えられてない道路である。

ともあれ慶雲館へ。
(盆梅展の期間中は入館料¥500)
巨大な石碑が点在する庭は、
雪をかぶるとまた面白い。

慶雲館には一度来ているが(第211回)
現在、長浜盆梅展が開催されており、前に来たときとは違う景色になっている。
(今年の長浜盆梅展は3月11日まで開催)

入口から、大きな梅の盆栽が立ち並び、
枝ぶり見事、花あざやか。

紅い花も白い花もたいへんきらびやか。

梅ってこんなにあでやかな花だったかと驚く。

盆栽なので、屋外の梅林よりも、魅力が凝縮されている感じ。
まだつぼみの多い木もあるけど、
わずかに開いた花と、つぼみとの並びが、リズム感を生み、これもまた良し。

窓から見える白と黒の庭も良し。

何気ない所にひっそりたたずむ、
小さな木も良し。

西陣織で織られた、盆梅展の画がまた素晴らしい。
あまりに精巧で、写真みたいに見えるので、かえって目立たないけど。

新館に並ぶ木々は大きくて、
どれも迫力があり、それでいて優雅。


新館2階は小さな盆栽が中心。
まだつぼみのものが多かったが、

わずか数十センチの高さで、
大木のごとき姿を成すのは、
まさに盆栽の真髄といったところか。

雪の積もる静かな庭を見ながら、
お抹茶を頂いてひと休み。
(¥500)

慶雲館
長浜盆梅展

素晴らしい盆栽の世界を堪能した後は、真向かいにある長浜鉄道スクエアへ。
現存する日本最古の駅舎、旧長浜駅を中心とした鉄道博物館だ。

旧長浜駅は1882年(明治15年)竣工。
当時は琵琶湖を渡る鉄道連絡船との
乗換駅だった。

駅舎の前に、トンネルの扁額がずらり。
後藤新平、黒田清隆、伊藤博文といった
大物政治家が揮毫しており、
当時の国家における鉄道の重要度がうかがえる。

現存する日本最古の分岐器ポイント部も展示。
あまり目立っていないが、こちらも旧長浜駅舎同様、鉄道記念物に指定されている。

その奥に、ハートのモニュメントがあった。
夜はライトアップされるようだ。
ぼっちにはつらい。
そういえばこの駅舎、
日本最古という歴史的価値もさることながら、
デザインもいい。

駅舎に入る(入館料¥300)。
明治の雰囲気がよく残っている。
天井が高い。
等身大の人形や、再現された汽船の広告も。

三等待合室と出札口、一二等待合室、休憩室、倉庫係室、世話係室、そして駅長室。
華美な装飾はないが、しっかり造られている印象。

駅舎を抜けて、長浜鉄道文化館へ。

ここでは長浜の鉄道の歴史を解説。
長浜駅は1882年(明治15年)、長浜・敦賀間の鉄道開通に伴って開業した。
今見たばかりの駅舎は、そのときからここに建っている。
当時ほかに開通していたのは、新橋・横浜間、神戸・大津間、手宮(小樽)・札幌間、
そして釜石製鉄所の専用鉄道だけだった。

開業間もなく、長浜・大津間に日本初の鉄道連絡船が就航。
のちに慶雲館を建てた浅見又蔵が、中心となって設立した、
太湖汽船という民間企業によるものだった。

1889年、新橋から長浜までが鉄道で結ばれ、
琵琶湖の連絡船経由で東海道本線が全通した。
だがそのわずか3ヶ月後に、琵琶湖の南岸を通る線路が、米原経由で開通した。

1903年(明治36年)、長浜駅は現在の場所に移転。
旧駅舎はここに残され、1958年(昭和33年)、鉄道記念物に指定された。
1983年(昭和58年)から、鉄道資料館として一般公開されている。

明治20年頃の長浜駅のジオラマが展示されていた。
ホームは駅の東側にあり、線路の位置は現在とあまり変わっていない模様。
湖岸は今よりもずっと、この駅に近かったようだ。
向かいの慶雲館はこの頃に、太湖汽船から鉄道に乗り換える
明治天皇・昭憲皇太后両陛下の行在所として建てられた。

長浜鉄道スクエア

活魚車の模型。
敦賀市や南越前町の写真。(敦賀は国際港として重要だった)
SL時代の特急つばめを動かす人々の記録映画。

長浜鉄道文化館、後半の展示は北陸本線の歴史について。
戦中から戦後復興期にかけて、輸送力がひっ迫した北陸本線では、
複線化や長大トンネルの建設によって、状況を改善していった。

1957年(昭和32年)、長距離幹線では、日本で初めて交流電化された。
(仙山線がテストを兼ねて交流電化されたのに次いで)
交流は高圧で電気を送れるので、変電所などの地上設備を少なくできた。
また当時は直流車両よりも交流車両の方が、車輪の空転が起こりにくかった。

ただし、直流の東海道本線との接続が難しく、
当初は米原・田村間が、蒸気機関車での接続だった。
その後、走行中に交直流を切り換えられる機関車と電車が製造され、問題は解決された。

1991年、交直流切換の地点が、長浜・虎姫間に改められ、
大阪方面から長浜まで、直流電車が直通できるようになった。
2006年にはさらに敦賀までが直流となり、湖西線との接続もスムーズになった。

ホーローの柱用駅名標と、古い時計が展示されている。
時計はただの展示物かと思ったら動いてた。
1900年前後に製造されたアメリカ製の時計だそうで、七尾線西岸駅で使われていたそうだ。
西岸駅は現在、のと鉄道の駅。アニメ「花咲くいろは」湯乃鷺駅のモデルとして知られる。

企画展として、明治から昭和初期にかけての、絵すごろくが展示されていた。
大正時代の鉄道双六や、昭和初期の長浜の商店双六、当時急速に発展した飛行機の双六。
仏教双六や軍人双六などもあった。

2階にはHOゲージのジオラマ。現在の長浜駅舎がよくできてる。
なぜか車両がサンライズ。

長浜鉄道スクエア

北陸線電化記念館。
入っていきなり
ED70の1号機が目の前にドーンとあって、
圧倒される。

ED70は、田村・敦賀間の電化にあたって製作された、最初の量産型交流機関車。
この車両が、日本で唯一の現存車両。

隣にはD51。
複雑な足回りが間近で見られる。

展示車両の運転室にも入れる。

東海道本線各駅の開業時の写真。
陶器製のお茶の瓶や、駅弁の掛け紙。
ナンバープレート。各時代のレールの断面。琵琶湖の船の模型。
サボ。時計。合図灯。切符の鋏。タブレット。
Nゲージジオラマ。さまざまな鉄道模型。

2階の展望デッキから、展示車両や、すぐ隣を走る北陸本線の車両を見られる。
展示車両は、真上から天井の機器を見る形。
伊予西条の四国鉄道文化館(鉄道歴史パーク in SAIJO)のように、
展示車両の全体を俯瞰できるかと想像していたが、少し違った。

そういえば、この北陸線電化記念館は、
木造で、車両が2両並んで展示されているなど、四国鉄道文化館によく似ている。
どちらも日本ナショナルトラストが建設した施設だ(長浜鉄道文化館も)。

線路を見られるデッキは屋外にあるのだが、壊れているそうで、外には出られず。
窓から見る。
さっきまでけっこう雪が降っていたが、今はやんで日が差している。

しばらく待って、
やってきた電車の撮影に成功。

長浜鉄道スクエア

長浜鉄道スクエアを後にする。
たっぷり楽しんだので、時刻は午後3時40分。
多くの施設が午後5時には閉まるので、ちょっと中途半端な時間だ。

外に出たら、また雪が降ってきた。
太陽が出てるのに。

踏切を渡るとき、現在の長浜駅がよく見えた。
初代長浜駅のデザインを踏襲している。

町家造りの建物が並ぶ
北国(ほっこく)街道を、南へ歩いてみる。

雪は強くなるわ、眼鏡は曇るわで、
なかなか見通しがきかない。

成田美術館に入った。
(入館料¥800)

ここはルネ・ラリックの作品を所蔵・展示している、小さな美術館。
壺や香水瓶に描かれた動植物がかなりリアル。
それでいて、全体のデザインの中にきちっと収まるから不思議。

ガラスの女性像2点。
1925年のパリ万博「現代における装飾・産業美術の国際博覧会」では、
ラリックがデザインした巨大な噴水が展示されていたが、
その噴水を構成していた女性像のうちの2点だそうだ。
この万博は「装飾美術」(Arts Décoratifs)の略称からアール・デコ博覧会と呼ばれ、
これが「アール・デコ」の語源となっている。

さまざまなカーマスコット。
オリエント急行・コートダジュール号の壁の装飾の一部。金属のような光沢。

色もそれぞれ独特で面白い。
白熱灯の下では赤く、蛍光灯の下では白く見える、
アレキサンドライトグラスの不思議な壺もある。

鑑賞後、お茶を頂いてひと休み。
さっき寒い中を歩いて、脈拍が速くなっていたのだが、ようやく落ち着けた。
石灯ろうと蔵のある中庭が見える。雪はますます強くなってきた。

しばし、くつろいでいたら、雪が弱まってきたので、
今のうちにと美術館を後にし、ホテルへ向かう。

凍ったスロープの歩道橋を渡る。
また雪が強まり始め、日も差さなくなったが、15分歩いてホテルに到着した。
さっそくラウンジのカフェで、ケーキとアイスティーを口にして休憩。

窓の外には灰色の空、そして琵琶湖。
雪は一層激しさを増してきたが、
琵琶湖は泰然自若としているように見える。
室内から見る分には、
こんな景色も嫌いじゃない。

ホテルにチェックイン。午後6時台に小一時間寝る。
その後、館内のレストランで天ぷらを食べた。
そして大浴場で湯船につかる。
露天風呂に出るのはさすがに少しちゅうちょしたけど、入ってしまえば快適。
風呂上がりにアイスクリームを買って食べるほど温まった。

現在のゲーム路銀
¥1,610

今回のルート




長浜観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  JR東海  近江鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 213.滋賀編(4)」では、
こども歌舞伎の世界とフィギュアの世界へ。
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