ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

214.小さなものから大きなものまで
〜滋賀編(5)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥1,610




長浜

2018年2月9日。8時起床予定だったが、
寝不足気味なのに今日も、7時20分頃目が覚めてしまった。睡眠時間は5時間弱。

今日のルートは市街地の北端から南端。
今まで天気が良くなかったので、端っこだけ残ってしまった。

今日は晴れている。
ホテルの窓から伊吹山が望めることを
初めて知った。

ホテルで朝食。今日の琵琶湖は穏やか静か。

チェックアウトして、
10時10分の送迎バスで長浜駅へ。
3分で到着。

荷物をロッカーに入れて、東口からまずはまっすぐ大通寺(だいつうじ)を目指す。
第211回でも訪れているが、時間が合わなくて、中を拝観できなかったのだ。

歩行者デッキからも、
伊吹山がきれいに見える。

毎度おなじみ北国街道の町並み。

北へ進み、黒壁ガラス館の角を曲がって、大手門通りを東へ。

アーケードを抜けて、長浜御坊表参道を北へ。
お久しぶりです狐さん。

以前来たときは、
赤い傘が道の真ん中に並んでいたが、
この季節だからか、今日はない。

町家の商店街を抜けたところに、
大通寺の巨大な山門がそびえ立つ。
ただし、落雪の危険があるので、
この門は通行禁止とのこと。

隣の台所門(脇門)から入ることに。
この門は、かつての長浜城の大手門と伝わる。

台所門の位置から右を向くと、
なまこ壁と山門の向こうに伊吹山。

境内へ。龍が手水鉢に絡みついていた。

伏見城から移築されたと伝わる
立派な御本堂で、阿弥陀様にお参り。

廊下を通って、隣の大広間へ向かう。
(ここから拝観料¥500)
廊下も大広間も、伏見城の遺構とされる。

大広間と玄関。
大通寺の建物のうち、本堂、玄関、大広間、
そして含山軒と蘭亭が、重要文化財。

大広間は、伏見城の謁見の間だったそうだ。
上段の獅子の絵の前に、豊臣秀吉が座っていたのだろうか。
秀吉が初めて城を持ったこの地に、この建物が来たというのは意義深い。

※ と思っていたが、後で調べると秀吉時代の伏見城は、
関ヶ原の戦いの直前に行なわれた戦いで、ほぼ焼失しており、
各地に現存する伏見城の遺構の多くは、その後に徳川家康が再建した城のものだった。
大通寺の本堂と大広間も、江戸時代初期の承応年間に、
東本願寺から移築されたと伝わっているので、家康以降の伏見城である。


井伊直弼の七女・砂千代(さちよ)姫の、蒔絵で彩られた調度品が展示されていた。
砂千代姫は、大通寺の住職・巌澄に輿入れした。住職が結婚するところが浄土真宗らしい。
書院(新御座)には、砂千代が乗った駕籠(かご)もあった。

真宗大谷派長浜教区(大通寺)

新御座は、井伊家から明達院乗徳が入寺した1787年(天明7年)、
彦根藩から寄進された建物。

障壁画は狩野永岳、ふすま絵は岸駒。
特に岸駒の絵は、筆づかいが見えるほど近くで見られる。
しかも、描かれたときと同じ場所に残っているのが凄い。
330年も前の部屋がそのまま。
(※改築は何度か行なわれているらしい)

雨戸を開けると、
本堂裏手の中庭を眺められる。

続いて、含山軒。
光の加減のせいか、やや色あせて見えるが、
それでもひときわ贅沢なふすまや屏風に囲まれた空間。
ふすま絵を描いたのは、京狩野の狩野山楽と狩野山雪。

障子を開けると、枯山水の庭園。
手前の石や木々と、
かなたの伊吹山とのコントラスト。
変化に富んだ風景。

蘭亭。3部屋から成る。
間を仕切るふすまに描かれた「蘭亭曲水の図」は、なんと円山応挙筆。
文人たちの質素ながらも優雅な宴。
杉戸には岸駒の鶏図。

蘭亭庭園は、池が凍ってその上に雪が積もり、
多分この時期しか見られないであろう
景色になっていた。

鞘の間。6畳・8畳の部屋それぞれが、異なるテーマのふすま絵で特徴づけられている。
蓮如上人御影道中で用いられた、きらびやかな輿(こし)がある。
御影道中は蓮如上人の御影が、東本願寺と、福井県の吉崎御坊を往復する行事。
帰路、東本願寺に上洛する途中、この寺に立ち寄るそうだ。

大広間前の小さな庭に、もうすぐ始まる馬酔木(あせび)展の鉢が並んでいた。

畳の上は少し冷たかったけど、日の当たる所はあたたかい。

真宗大谷派長浜教区(大通寺)

知善院に参拝。
山門は長浜城の搦手(からめて)門を
移築したものと言われている。

狭い境内に、
いくつものお堂が建っているが、
それぞれが何なのかはわからなかった。

北国街道にある、
今重屋敷 能舞館
(いまじゅうやしき のうぶかん)へ。
(入館料¥500)
造り酒屋の今村家(今重)の
家屋と蔵を使って、
能に関する展示を行なっている。

長浜には中世、近江猿楽の座があったそうだ。
能には、弁天と龍神が舞う「竹生島」など、近江国を舞台とした曲が多い。
その数、約50曲。全謡曲の5分の1もあるそうだ。
竹生島のほかには、田村、巴、烏帽子折、自然居士、白髭、三井寺、志賀、蝉丸など。

室内に、小さいながらもれっきとした能舞台が造られていた。
能面も展示。作り方が解説されている。
2階にも能面、そしてあでやかな装束がずらり。
面打の近江井関家は、今の長浜市で誕生したそうだ。

1階のテレビから、館内に流れる能の音曲が、終始心地良かった。

今重屋敷 能舞館

現在、12時44分。ここから北国街道をまっすぐ南下し、ヤンマーミュージアムを目指そう。
町家の家々の屋根から落ちる雪に気をつけながら。

能舞館のあたりは、家々の玄関の位置がそろっていないことから、
武士を潜ませておくことができるという意味で、「武者隠れ道」と呼ばれている。

12時47分、黒壁ガラス館前を通過。暖かくなってきて、歩きやすい。
海洋堂フィギュアミュージアム、北国街道安藤家、
長浜タワー、開知学校の前を通って、さらに南へ。

12時55分、右に曲がれば慶雲館と長浜鉄道スクエアへ至る辻に来たが、
曲がらずなおもまっすぐ進む。
12時59分、成田美術館前。雪が降っていた先日と違って、本当に歩きやすい。
狭い道なので、車が来たら避けなきゃいけないけど。

小さな川を渡った。
このへんもいい景色。

電柱の案内板に従って左へ。

午後1時3分、
遂にヤンマーミュージアムに到着した。
ちなみに、今回は徒歩で来たが、
土日祝なら駅からバスがあるらしい。

入口に、ヤンマー創業者・山岡孫吉の、
「美しき世界は感謝の心から」
という言葉が刻まれた碑があった。

ベンチには、
ヤン坊マー坊の姿が彫られていた。

お昼時に着いたので、まずカフェへ。カレーを食べる。

ドルトムント・香川真司選手の
サイン入りユニフォームがあった。

SDエイバル・乾貴士選手のユニフォームも。

そういえば、両選手がかつて所属していたセレッソ大阪は、
もともとヤンマーディーゼルサッカー部だった。

展示を見る。まず、ヤンマー創業者・山岡孫吉の事績を紹介する、
「山岡孫吉記念室」へ。
世界初の小型横型水冷ディーゼルエンジン「HB型」が展示されている。
本人が演説する映像が流れている。

山岡孫吉は1888年(明治21年)、現在の長浜市高月町東阿閉(ひがしあつじ)で誕生。
生家は貧しい農家だった。
1904年大阪へ。丁稚奉公などを経て、1907年独立。
1912年(明治45年)、山岡発動機工作所を創業。
第一次世界大戦が終わると、ガスエンジンが売れなくなったので、
石油エンジンに転向する。

1932年(昭和7年)、ドイツの博覧会でディーゼルエンジンを知り、
低燃費なことに目をつけた。
ディーゼルエンジンは大型船舶などで使われる巨大なものだったが、
山岡はこれを農業に役立てたいと考え、小型化に挑戦。
1933年12月23日、遂に小型ディーゼルエンジンHB型の開発に成功した。
(偶然にも、今上天皇陛下がお生まれになった日である)

戦時中、空襲で長浜以外の工場を焼失。
1947年、舶用ディーゼルから生産を再開。
貧しい農村に雇用をもたらすため、
1949年の永原農村精密工場(現在の長浜市西浅井町)を皮切りに、農村工場を建設。

1955年(昭和30年)、ドイツ発明協会からディーゼル金賞牌を、外国人で初受賞。
1957年、西ドイツ政府から大十字功労勲章を受章。

同年にはディーゼルエンジンの発明者、ルドルフ・ディーゼル博士を称え、
アウクスブルクにディーゼル記念石庭苑を寄贈した。
(ディーゼルは1913年に死去したが、洋上で亡くなっていて遺体が引き揚げられず、
自殺とみられていたことや、その後のドイツの社会情勢なども影響し、
この時点まで墓や記念碑がなかった)

「偉人は自分一人のためでなく、多数の人々のためこの世に生を受けたのである」
という、ディーゼルの言葉が石庭に刻まれた。
ヤンマーの工場がある長浜・尼崎と、アウクスブルクは、姉妹都市となっている。

山岡孫吉記念室には、ディーゼルの息子から感謝のしるしとして贈られた、
ディーゼル愛用のステッキなどが展示されている。

山岡孫吉は1962年(昭和37年)に亡くなった。

エントランスに、
最初期のディーゼルエンジン(MAN社製)が
展示されていた。

巨大で迫力があるが、これを小型化するのには、
相当な技術と努力が必要だっただろうと思う。

ヤンマーミュージアム

ここから有料展示(¥600)。
エンジンシアターで、ディーゼルエンジンの簡単な説明。
ディーゼルエンジンには点火プラグがなく、
空気を圧縮して温度を上げ、そこに燃料を噴射して発火させるらしい。

農業用機械の展示。歩行型耕うん機、初期のトラクター、新しいトラクター。
最新モデルのデザインが、スポーツカーを連想させるかっこよさ。
赤いから、フェラーリかランボルギーニにも見える。
ロボットに変形しそう。

農薬散布や、調査のための空撮に使う無人ヘリ。
田植機。野菜用のミニ耕うん機。
コンバインは間近で見るとでかい。
私は農業の経験がないので、見るもの全て新鮮。

次は工事車両。小型建機の始まりとなったハンドドーザ(小さなブルドーザー)は、
高度経済成長時代、インフラ整備に役立った。
油圧ショベルと、新しいミニショベル。
新しいものは、移動しなくても運転台だけが回って向きを変えられる。

エンジンの製造工程の解説。
プレスの体験ということで、

ヤン坊マー坊の缶バッジを作った。

船舶のコーナー。
展示されている漁船のエンジンは、宮城県石巻市の漁師さんから寄贈されたもの。
50年以上前に造られたものだが、東日本大震災に遭遇するまで、現役で動いていたそうだ。

ヨットのエンジン、プレジャーボートの実物も展示。
ボートは、前面窓がモニターになっている。操縦体験ができるらしい。
ヤンマーミュージアムでは、体験型展示がひとつの売りになっていて、
ボート操縦のほかにも、建機シミュレーターの操縦や、
ミニショベルを操作してのボールすくいなどができる。

ヤンマーのマリンファームの紹介。セタシジミ(琵琶湖特産のシジミ)や、
アサリ、カキの育成も行なっている。

エネルギーに関する展示を見て、2階へ。歴代のさまざまなエンジンが並んでいる。
横型水冷ディーゼル、空冷ディーゼル、ガソリンエンジン。
立型水冷ディーゼル、舶用・産業用の中小型ディーゼル。
ロータリーエンジンもあった。ロータリーエンジンで動くチェーンソーも。
船外機も、ロータリーのものとディーゼルのものがある。

最近は、低燃費・高出力はもちろん、
低騒音、排ガスのクリーン化なども考慮して開発されているそうだ。

1階の展示を上から見られる。

大型エンジンや、ガスタービンの模型と解説もあった。

(※「かた」の字について、ミュージアムでは「型」と表記されていたが、
ヤンマーの公式サイトでは「形」となっていた)


ヤンマーミュージアム

2階の屋外スペースは、
ビオトープになっている。
雪が積もっていたが、
中の池は凍っていなかった。

エンジンの廃熱を利用した足湯もあった。

屋外スペースから階段を上がって展望台へ。

今日は晴れてるから、景色がよく見える。
ひときわ目立つ伊吹山。
その手前にはヤンマーの工場。

市街地の町並みや山々。

西の琵琶湖側は逆光だった。

その少し北にある長浜城も。

写真は撮ってないけど、南側に長浜びわこ大仏もよく見えた。

北側に、北国街道の町家の屋根。
この写真の左上に、
長浜駅の2本の煙突が見える。

ミュージアム1階に戻る。
小さなモニターに、「ヤン坊マー坊天気予報」の映像ダイジェストが流れていた。
アニメの写真や、人形、
キャラクターデザイン・中邨靖夫氏のサイン色紙も展示されている。

その隣には、セレッソ大阪関連の展示。
寄せ書きユニフォームと、山口蛍選手のサイン入りユニフォーム、
ヤンマーディーゼルサッカー部時代のユニフォーム。
第48回天皇杯優勝時(1969年)のNHKトロフィー、
去年のルヴァンカップ(Jリーグ杯)優勝記念Tシャツ。

もしスペースにもっと余裕があったら、
ヤン坊マー坊やセレッソ大阪に関する展示も、もう少し見たかったかも。

ミュージアムショップで、ヤン坊マー坊のキーホルダーを購入。

ヤンマーミュージアム

午後3時58分。北国街道を引き返して駅へと戻ろう。

4時12分、長浜駅着。

荷物をロッカーから出す。今日のゲーセン紀行はここで終了。
明日も長浜からスタートするけど、
今日のホテルは彦根なので、電車で移動しよう。
4時29分、新快速・姫路行き。
米原で増結あり。4時52分、彦根着。ホテルにチェックイン。
彦根駅にはいろいろ面白いものがあるので、明日あらためて書こう。

レストランで食べた晩ごはんの量が多くて、珍しく残してしまった。
サラダの量からして明らかに一人前じゃなかったので、
もともとぼっちに不向きな店だったのかも。

現在のゲーム路銀
¥1,610

今回のルート




長浜観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  JR東海  近江鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 215.滋賀編(6)」では、
遂に長浜を離れ、彦根へ。
「日本縦断ゲーセン紀行 213.滋賀編(4)」に戻る


「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る
「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ