ゲイムマンのダイスステーション 日本縦断ゲーセン紀行
42.奈良時代からのマンパワー
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。 2005年8月11日。大宮午後6時50分発のMaxやまびこ191号で仙台へ。 8時28分着。1泊して翌朝。
まず、塩竈神社へ。 駅から住宅地を7分、上り坂を3分くらい歩くと、神社の駐車場に出た。
鯨の漁に使われたモリや、塩竈みなと祭に出てくるおみこし、 伊達綱村奉納の太刀「来国光」(らいくにみつ、国重文)や、 「雲生」(うんしょう、国重文)などの刀、さらに鎧、 和算の解法を額にして奉納した「算額」などが展示されている。 塩竈神社の御祭神、塩土老翁神(しほつちおぢのかみ)は、 製塩法を広めた神と伝えられている。 それにちなんで博物館の2階は、塩に関する展示。 ポーランドの高さ1メートル、重さ1.5トンの岩塩に始まり、 昔の塩の作り方、現代の製塩法、「藻塩焼神事」という行事でできた塩などを展示。 さらに、漁業の歴史に関する展示(ノリの養殖、捕鯨、潜水など)や、 人の背丈ほどもある亀、カジキ、カレイのはくせい。 鯨の骨格とペニス(なぜか鯨を展示する博物館には、ペニスが展示されていることが多い)、 松島湾にいるカモのはくせいも。
いよいよ塩竈神社へ。団体のお客さんとすれ違う。 御神馬の厩舎の前を通り、木々の間を抜けると社殿があった。 セミの声がひっきりなしに聞こえて、いかにも夏らしい。 ただ空は曇っており、霧雨が降り出した。
御祭神は、塩土老翁神(別宮)、武甕槌神(たけみかづちのかみ・左宮)、 経津主神(ふつぬしのかみ・右宮)。 境内に、林子平の日時計を複製したものがあった。(実物はさっき博物館で見た) 平日の午前にしては、参拝客が多い。
塩竈神社のホームページはこちら。 時報がわりに、雅楽や民謡が流れていた。 町なかを、駅に向かって歩き出す。 御釜神社の前を通りかかったので参拝。 「塩竈」という名前の由来となった釜があるらしい。日本製塩起源の地とされる。 駅到着11時30分。でもいったん通り過ぎる。
外観も内部も新しくてきれい。 1階は、船の待合室の周りに、お土産屋さんが立ち並ぶ。 ゲーム機もあったが、プライズものばかり。ゲーム路銀は稼げない。
2階・3階はレストランゾーン。お寿司屋さんに入ってみる。 塩竈市は、面積当たりの寿司屋の数が日本一らしい。 「究極のまぐろ丼」を注文。赤身、中トロ、大トロが乗っている。 赤身や中トロも良かったが、特に大トロが口の中でとろけるのに感動した。 マリンゲート塩釜のホームページはこちら。 外へ出たら、また雨が落ちてきていた。本塩釜駅到着12時35分。 次の目的地は多賀城だが、多賀城の見所は東北本線側に集中している。 そこで、仙石線西塩釜駅から、東北本線塩釜駅まで歩くことにした。
今回は展示室には入らないが、 実は5月31日、ITmediaの記事用写真を撮りに仙台へ来た際に、 ここに立ち寄っていたのだ。
竪穴式住居の実物大模型に始まって、土器やハニワ、 中尊寺金色堂の柱を複製したものも。 多賀城の歴史についても、詳しく解説されている。 陸奥国府であると同時に、蝦夷支配の拠点でもあった多賀城。 780年、伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱で焼失するが、 (これが坂上田村麻呂の遠征につながっていく) その後、再建され、10世紀にはふもとに大きな町も形成された。 奥州藤原氏の世となり、南北朝を経て、伊達氏の時代へ。 途中、ワラで作られた神々の像を展示する部屋があった。 巨大で素朴なワラの神像や、ナマハゲの衣装、川に流すワラ人形も。 江戸時代の民具や、街並みの模型。 戊辰戦争と明治維新。東北本線や仙台市電の開通。商品広告ポスター。 戦時下の暮らし(東北でも、青森や仙台など多くの町が空襲を受けた)。 戦後の高度経済成長。 最後は、昭和40年頃の雑貨屋を実物大で再現。 奥の八畳間など、私が子供の頃に行った親戚の家そっくりで、 この時代のものが、歴史博物館に展示されるということに驚いた。 もっとも、さっきの小学生たちの中には、 こういう家を見たことがない人も多いのかもしれない。 「テーマ展示室」が3室あり、私が見たときにはそれぞれ、 ハニワ、染物の型紙、地名や人名などが墨書された土器が展示されていた。 映像展示室がちょうど「上映中」だったので、途中からだが見る。 小迫(おばさま)の延年という伝統行事の映像。 多くの人々と多くの衣装、馬まで登場する大規模なものだった。 花かご笠の取り合いがおもしろい。 撮影されたのが平成10年とまだ新しく、子供がピカチュウのお面を持っているのが一瞬映る。 レストランで古代米カレーを食べる。
東北歴史博物館のホームページはこちら。
駅を通り抜けて今度は北口へ。多賀城跡と多賀城碑を目指そう。 矢印にしたがって、ひっそりとした小道を進む。 あやめ園の脇を抜ける。この季節だから、あやめは咲いていなかった。
多賀城の位置と由来について書かれた碑が、小さなお堂に収められている。 長年その真贋について議論されてきたが、平成9年の調査で、奈良時代当時のものとわかり、 翌年、国の重要文化財に指定された。 松尾芭蕉は『おくのほそ道』で、ここに訪れたことを記している。 つぼの石ぶみは、高さ六尺余、横三尺ばかりか。苔を穿ちて文字幽か也。 実は多賀城政庁の中心部は、もう少し北に行ったところにあるのだが、 私はそれに気づかず、この丘一帯が政庁だと思って、駅に引き返すことにした。 ようやく駅が見えてきたまさにそのとき、 塩釜方面に向かう電車が、ホームに入っていくのが見えた。 当然、もう間に合わない。 その2分後、2時15分に国府多賀城駅到着。次は2時34分。19分待ち。
2時52分、西塩釜着。入口の階段を上ろうとしたその途端、 目の前のホームに電車が到着。 改札に来た頃には、既に発車していた。 次の電車は3時14分。22分待ち。 国府多賀城に着くまでは、接続がうまくいっていたのだが……。 3時14分発の電車は、右手に塩竈の町を見ながら走る。 すぐに左手も町となり、下馬駅停車。 そのまま町並みは途切れずに続き、3時19分、多賀城着。 (ゲーム路銀 \1,730-\140=\1,590)
(『おくのほそ道』より) 国道45号線に出た。 今年5月、交通事故に巻き込まれて亡くなった高校生に黙祷をささげ、さらに進む。 (事故現場は、ここより1キロほど西になるらしい)
アップライト機は3種。『パズルボブル』『上海III』『リアル麻雀PIV』。 せっかく来たので『上海III』をプレー。 しかし、1面の子(ネ)配列で、牌を取る順番をミスって一発アウト。 (ゲーム路銀 \1,590-\100=\1,490) 駅へ戻る。とりあえず雨はやんだ。多賀城駅着4時19分。 またしても目の前で電車が出て行った。これで3駅連続だ。 次の電車が32分に来るのは、不幸中の幸いか。 青い205系がやってきた。この駅からかなりの人が乗り、ロングシートがほぼ埋まる。 川を渡る。線路を渡る。 川は砂押川、線路は仙台臨海鉄道。ちょうど貨物列車が通過中。 次は中野栄。車内アナウンスを何回聞いても、東京地下鉄の「中野坂上」に聞こえる。 引き続き町なかだが、だんだん農地が目立ってきた。 陸前高砂と福田町の間で、やや大きな川を渡る。七北田川というらしい。 右手が電車の車庫。205系が並んでいる。 そこを過ぎると、いきなり広大な田園地帯となった。 学校の建物や、サッカー場、野球場も見られる。東北学院高校・中学である。 苦竹を出ると、すぐに電車は地下へと潜り始める。 高架からいきなり地下。ダイナミックだ。 4時49分、宮城野原で降りた。 (ゲーム路銀 \1,490-\230=\1,260)
この駅は、仙台育英高校の最寄り駅でもあるが、今やそれよりも、 東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、 フルキャストスタジアム宮城の最寄り駅としての性格が強い。
イーグルスビクトリー弁当を買って、試合前に食べる。 値段の割にボリュームがあって良かった。 さて試合開始。楽天イーグルスVS西武ライオンズ。 1回表、早くも西武が2点先制。しかしその裏、楽天も2点返して同点に。 3回表、カブレラが、目の覚めるような2ランホームランを放つ。 4回表、カブレラが、場外へ消える2打席連続2ランホームラン。 これで2-6。 その後も6回に和田の内野安打、7回に高木浩の犠飛で追加点。徐々に引き離される。 一方、楽天打線は中盤以降ノーヒット。 楽天ファンが飛ばそうとしたジェット風船も、そこらじゅうでパンパン割れる。 唯一の収穫といえるのが、8回から登板した戸叶が、 クリーンナップを3者連続三振に仕留めるなど、2イニング完璧に抑えたこと。 しかし楽天にも追加点はなく、午後9時8分、試合終了。2-8で西武の勝利。
東北楽天ゴールデンイーグルスのホームページはこちら。 今日も仙台に泊まる。ここから仙台駅までは、歩いても20分くらいなのだが、 あえて宮城野原駅に戻って仙石線に乗る。 明日のスタート地点をひと駅進めて、榴ヶ岡からにしたいから。 (ゲーム路銀 \1,260-\140=\1,120) 9時45分の電車に乗る。地下線を通って榴ヶ岡、そして仙台に停車。 仙台駅に着いて外へ出たら、今日いちばんの雨だった。 よく試合中に降らなかったもんだ。 \1,120 今回のルート ![]() ![]() 塩竈市観光物産協会のホームページ 多賀城市のホームページ 仙台市のホームページ 宮城県「みやぎ観光NAVi」のホームページ 宮城県観光連盟のホームページ JR東日本仙台支社 次回、「日本縦断ゲーセン紀行 43.宮城編(5)」では、 仙台でゲーセン行脚。 「日本縦断ゲーセン紀行 41.宮城編(3)」(前編)に戻る 「日本縦断ゲーセン紀行 41.宮城編(3)」(後編)に戻る 「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る |
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