ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

124.次郎長の後半生
〜静岡編(10)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥8,355




清水

2009年8月19日。静岡駅10時13分発の電車に乗って清水へ。
駅前から、三保山の手線のバスに乗り、今回のスタート地点である、
波止場フェルケール博物館バス停に着いたのが10時49分。
今日はエスパルスドリームプラザには向かわず、
手前の交差点を左に曲がる。選挙カーが通り過ぎていった。

この道は「エスパルス通り」といって、
ガードレールのかわりにサッカーボールが並ぶ。
路上には選手の足形。
グッズショップの前には、
マスコットのパルちゃんが立っていた。

サッカーボールが突き出した、
不思議な壁もある。
そしてこの通りの端、
港橋バス停の前にあるのが、

清水次郎長の船宿「末廣」。
次郎長が1886年(明治19年)、
波止場に開業した宿を、
当時の部材を用いて復元させた記念館だ。
(入館無料)

中に展示されていたのはまず、次郎長や妻のおちょう(3代目)、大政などの写真。
次郎長とおちょうが使った夫婦箸、おちょうの懐剣、戸籍。
次郎長が徳川慶喜から拝領した、葵の御紋入り熨斗目(のしめ)紋服の存在に驚いた。
慶喜が清水に来るたび、その護衛を次郎長が務めたそうだ。
また、三井物産清水支店が開業した時の、次郎長への招待状もあった。
次郎長はお話の中だけでなく、本当に大物だったんだなあと感嘆。

次郎長の等身大人形が立っていた。身の丈五尺二寸。
当時としては平均的な身長だったようだ。

多くの芸能人のサインが並んでいたが、
その中に中山儀助さん(ゴン中山選手のお父さん)のものがあったのが、
静岡ならではという感じがする。

宿の部屋は、1階・2階に2間ずつ。2階のは12畳ずつあって広い。
そのひと部屋に人形が置かれ、次郎長の開いた英語塾が再現されていた。
旧幕臣・新井幹が作った明徳館(後の清水小学校)の一画で、
次郎長は英語塾を開いていた。
また、富士のすそ野や三保の開墾事業も行なっていたそうだ。

清水次郎長の船宿「末廣」(清水港船宿記念館)のホームページはこちら
清水みなと界隈ナビ

続いては、漁船が並び、堤防にたくさんのイラストが描かれた、巴川沿いを歩いて、
壮士の墓へ向かう。

住宅地の中にある「壮士の墓」。
墓の周りにだけ数本の木が生えているので、
アブラゼミをはじめとする、
セミたちの声が周囲から鳴り響く。

1868年(明治元年)、幕府軍の咸臨丸は、台風に遭って修理のため清水港に停泊中、
官軍の襲撃を受けた。
多数の戦死者が出たが、遺体は“賊軍のもの”とされ数日間も海を漂っていた。
次郎長は、子分たちとともに遺体を回収し埋葬した。
新政府側からこの件について問いただされると、「仏に官軍も賊軍もない」と言い返した。

当時駿府藩の藩政に携わっていた山岡鉄舟は、これを聞いて感嘆し、
戦死者の墓に「壮士墓」と揮毫した。それがこの墓である。
これ以来次郎長は、鉄舟や、幕府海軍を率いていた榎本武揚と親交を深めることになる。

ちなみに幕軍の艦隊はその後、私が以前のゲーセン紀行で訪れていた、函館の五稜郭に至り、
さらに官軍の軍艦「甲鉄」を奪うべく、宮古で海戦を行なうものの目的を果たせず、
やがて新政府に降伏する。
函館と宮古とここで見たものが、一連の歴史としてつながっていることを実感する。

街なかに『椰子の実』のメロディーが流れた。正午だ。
末廣の前に戻り、橋を渡って、

そのものずばり「次郎長通り」という名の
アーケード商店街を歩くと、

その中に唐突に、
清水次郎長の生家が現れた。
ここも入館無料。

通りがかったお婆さんが、
「私のお婆さんは次郎長さんに会ったことがある。葬式にも出た」と話してくださった。
“遠い昔の人”あるいは“お話の中の存在”だった次郎長に、どんどん実在感がわいてくる。

次郎長の生家は、次郎長35歳のときに安政の大地震で崩れているが、
その後修繕され、以来こうして残っているという。
中に入ると、商家の店先が再現されているが、
その周りにずらりと写真が並ぶ。
荒神山手打ちのときの次郎長一家と穴太徳(あのうとく)一家、仲裁した親分衆、
おちょうの写真、次郎長や森の石松ゆかりの土地。

次郎長の生涯が絵解きされていた。
清水次郎長は1820年(文政3年)、船持ち船頭・高木三右衛門の子として生まれ、
叔父の米屋・甲田屋次郎八の養子となる。
次郎八のところの長五郎なので「次郎長」とよばれた。
一度、店の金を持って家出したが、米相場で大儲けして帰ったという伝説がある。

16歳で養父が他界。店を継ぐが、巴川で人を斬ったため、店を姉夫婦に譲り、
今天狗治助という親分を頼る。
(旅の僧に「25歳までの命」と言われ、任侠を志したという話もある)
1845年(弘化2年)、紬の文吉と和田島の太左衛門の
「庵原川の喧嘩」を仲裁し、有名になる。

おちょうと結婚するが、その兄・江尻の大熊と対立する親分を斬ったため、
名古屋の、巾下の長兵衛という人の家に滞在するが、滞在中おちょうが病死。
さらに、次郎長に恩を受けていた保下田(ほげた)の久六が、
次郎長の居場所を役人に密告した上、長兵衛を無実の罪で獄死させてしまう。
次郎長一家は金毘羅宮に仇討ちの願掛けを行ない、久六を討ち果たす。

次郎長の子分、森の石松が、金毘羅にお礼参りの代参を行なう。
しかしその帰路、道中で地元の親分衆から預かっていた、おちょうの香典25両を、
都鳥三兄弟(都田一家)にだまし取られ、
さらにだまし討ちに遭い、石松は殺されてしまう。

翌年正月、次郎長一家がフグを食べて毒にあたる。
報復を恐れていた都鳥がそれを聞きつけ、好機とみて次郎長一家を襲うが、
次郎長は逆に奇襲を仕掛け、石松の仇を討った。

1866年(慶応2年)、神戸の長吉と、安濃徳(穴太徳)の縄張り争いが起こる。
長吉は吉良の仁吉に助けを請い、その仁吉に加勢すべく、次郎長は大政ら子分を送り込む。
安濃徳一家や、その加勢に来た黒駒勝蔵の一家と、
伊勢の荒神山(こうじんやま)で決闘となる。
戦いには勝利したものの、仁吉と、次郎長配下の法印大五郎、幸太郎が戦死してしまう。
怒った次郎長は自ら大軍を率いて、海路より伊勢に上陸。
安濃徳が降参し、この争いに終止符が打たれた。

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生家の絵解きによると、その後、次郎長のもとへ、漁師に変装した山岡鉄舟が訪れたという。
鉄舟は、勝海舟からの密書を携えていた。
駿府まで進軍していた西郷隆盛に宛てたものだった。
しかし、西郷の宿泊先へたどりつく前に、官軍に捕らえられてはまずいので、
当地で街道の警備を行なっていた次郎長に、護衛を依頼したという。
次郎長は鉄舟を護衛し、無事西郷のもとへ送り届けた。

もっとも、鉄舟の行動については諸説ある。
鉄舟は官軍の警護の中を、大声で
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と叫んで堂々と歩き、
あまりの気迫に官軍が気おされて手を出せなかったという説。
また、鉄舟は警護の中を走り抜け、官軍が追いつけなかったという説。

あと私個人の考えだが、次郎長と鉄舟は、咸臨丸の件で初めて会ったというほうが、
物語としてもまとまりがあるように思う。
いずれにせよ、鉄舟は西郷との面会にこぎつけ、交渉を見事にやり遂げて、
勝と西郷の直接交渉、そして江戸城無血開城につなげた。

勝と西郷の交渉が行なわれたのと同じ1868年(改元され明治元年)、咸臨丸が清水港へ寄港。
前述のとおり、官軍の襲撃によって戦死した咸臨丸乗組員の遺体を、次郎長が回収し埋葬。
また次郎長は、徳川慶喜を頼って駿府に来た幕臣たちを援助したそうだ。

渡世から足を洗った次郎長は、富士裾野の開墾事業、英語塾開設などを行なう。
それらとともに、地元の廻船問屋などと協力して、清水港を大々的に整備。
蒸気船による清水・横浜航路を開設し、
静岡のお茶を清水・横浜経由で輸出することで、地元の発展に大いに貢献した。

そのほか、鉄舟の依頼で油田開発に協力したり、医師を招いて医院を開設したり、
船宿「末廣」を開業したりしている。
榎本武揚らとともに、興津の清見寺に咸臨丸殉難碑を建立。
また、郷土の英雄・山田長政の顕彰碑を建てるため、
駿府城址で大相撲の興行を開催している。

晩年は子供好きで、近所の子たちにお菓子をあげていたという。
1893年(明治26年)、74歳で逝去。

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生家には、古い部屋や、次郎長の産湯に使われたという井戸が保存されているほか、
おちょうの下じゅばん、キセル、かんざしや、
道中合羽、晩年の相撲興行で掲げられたのぼり、数々の巻き物や手紙が残っていた。
縁起ものの「勝札」を購入。
失敗体験ばかりを積み重ねる人生から、これで脱却できるかどうか?

海から離れる方向に歩いていく。照りつける太陽。
目指すは、次郎長の墓がある梅蔭寺。
なかなか見つからず、少し不安になるが、

やがて現れた梅蔭禅寺の本堂は、
予想に反する大きな建物だった。
2003年(平成15年)に新しくしたらしい。

拝観料¥300を納め、さっそく次郎長一家の墓に参拝。
次郎長の墓の文字は、榎本武揚の揮毫によるもの。
3人のおちょうと、大政、小政、増川仙右衛門、森の石松の墓が並ぶ。
近くに、『旅姿三人男』の歌碑がある。

山岡鉄舟が次郎長に贈った「精神満腹」の文字が、壁のような碑になっている。
撰文では、次郎長の咸臨丸事件以降の功績が称賛されている。
3人のおちょうをイメージした「お蝶弁天」のお堂の前を通る。
堂が閉まっていて、弁天様のお姿はよく見えず。

さっきの壁の裏に、
次郎長の銅像が建っていた。

遺物館には、博打用のサイコロや木札、つぼ、
胴着や手甲、脚絆、銃、大政の使った槍、小政の使った木刀などの武器や、
鉄舟が次郎長に贈った盆、「精神満腹」の書などを展示。

庵原川の仲裁、上社港の勢揃い(荒神山に援軍として訪れた様子)、
咸臨丸事件などを描いた、大きな絵も掲げられていた。
ここでもやはり、英語塾開設、静隆社創立(港の発展に尽力)、富士の開墾など、
明治になってからの社会事業の方が、詳しく描かれている。
特に地元の方々には、次郎長のそうした事業なしに
今日の清水港の発展はなかったという思いが強いのかもしれない。

次郎長は激動の時代の中、その時代を見極め、波に乗ることに長けていたようだ。
戦いの大将として戦局を見極めてきたということもあるかもしれないが、
さらに山岡鉄舟や榎本武揚、徳川慶喜、そして横浜の商人たちなどとの交流で、
時代を読む目を培ってきたのだろう。
次郎長の勝ち運にあやかろうと思って、梅蔭寺で次郎長御守をお受けするが、
むしろ次郎長の人生そのものに、時代を勝ち抜くヒントがありそうだ。
……と考えるところまではいいのだが、いざ自分の現状に当てはめてみると、
何をどうやったらいいのかわからないのだが。

お茶を頂いて小休止した後、梅蔭寺を出てバス停に向かう。
午後2時31分、梅蔭寺バス停着。今まで乗っていた三保山の手線とは違う系統だが、
あまり待つことなく、37分にバスが来た。
万世町からは三保山の手線と同じルートを通る。
中央分離帯に建つ彫刻を見るのもこれが最後か。
新清水駅から、高架の道路を渡る。

2時47分、JR清水駅に到着した。
ゲーム路銀 ¥8,355-¥180=¥8,175

駅でポカリスエットを買って飲んでる間に、電車が1本過ぎていった。
次の3時9分発島田行きに乗ろう。
6月に三保へ行った時もそうだったが、
肩の痛みが鼻の奥を刺激するのか、鼻水がやたら出る。

211系3両編成の電車がホームに止まり、
側線に止まっていた貨物列車を追い抜く形で、発車した。
巴川を渡る。左から静岡鉄道の線路がやってきて並行。
静鉄の駅をいくつか通り過ぎ、2両編成の静鉄電車とすれ違う。
やがて静鉄の線路が離れるのと入れ替わりに、右から新幹線の高架が寄ってきた。

3時13分、次の草薙駅で降りた。
ゲーム路銀 ¥8,175-¥180=¥7,995


草薙

草薙は草薙神社の最寄り駅で、
ロダンの作品を多く所蔵する静岡県立美術館や、
プロ野球の試合も行なわれる草薙球場も近い。
ただし美術館と球場はそれぞれ
静岡鉄道にもっと近い駅があり、
草薙神社も1キロちょっと離れているようだ。

歩いてすぐの所に、静岡鉄道の草薙駅がある。
ここで乗り換えて、
さっき通り過ぎた駅へ向かうことにする。

3時24分にやってきた、1000系電車に乗った。2両編成のステンレス車だ。
平日のお昼の割に、お客さんは多い。
住宅街をひた走る。御門台(みかどだい)を過ぎ、JRの線路が寄ってきたら狐ヶ崎。

3時28分、狐ヶ崎駅着。ここで降りた。
ゲーム路銀 ¥7,995-¥120=¥7,875


〜御門台〜
狐ヶ崎

狐ヶ崎は、鎌倉幕府創立の功労者、
梶原景時が戦死した場所。

駅の壁に貼られたポスターで、『ちゃっきり節』誕生の由来が説明されていた。
1927年(昭和2年)、静岡鉄道が狐ヶ崎に遊園地を開業させた時、
そのPRのために作られた曲だそうだ。作詞 北原白秋、作曲 町田嘉章。

そしてその遊園地の跡地がここ、
ジャスコ清水店なのだ。

お腹がすいたので、フードコートでカレーを食べる。
今日はこれから、清水−静岡間にあるゲームセンターを回っていこう。
まず、このジャスコの2階にある「ファンタジーアイランド」へ。
今まで見たジャスコロケの中では、やや小規模ながら、
プライズ、プリクラ、メダル、音ゲー、レース、ボールプールとひと通りそろっている。
特にキッズ向け筐体が多い。とにかく、小さなお子さんでごった返していた。

屋上駐車場を通って、3階のボウリング場「ヤングランドボウル」に行く。
ボウリングのレーンの周りに、卓球場があり、
そしてけっこう広いゲームコーナーもあった。
プリクラ、プライズ、メダル、音ゲー、ガンシューティング、レース、バスケットボール。
ビデオゲームもある。おなじみのメタルスラッグ6と、中國龍、ダイナマイト刑事2、
エスプレイド、そして、『ナムコクラシックコレクション』があった!

最近ITmedia Gamezさんの記事で取り上げた『ギャラガ』の、アレンジモードをやってみた。
5機設定だったこともあって、12面クリアー!
ゲーム内容には『ギャラガ'88』の影響もある感じだけど、ギャラガ'88より遊びやすい。
でもちょっと手が痛い。(ゲーム路銀 ¥7,875+¥1,100=¥8,975

駐車場から見る山々がきれい。

駅に戻ったのが午後5時6分。5時5分の電車が出たばかりだが、11分には次の電車が来る。
通過する東海道線の電車が、ホームからよく見える。


御門台(みかどだい)

狐ヶ崎からひと駅戻って、
5時12分、御門台で下車。
ゲーム路銀 ¥8,975-¥120=¥8,855

細い島式ホームを出ると、
駅舎もホームの延長線上、
線路と線路の間の細いスペースに収まっていた。
建て替え前の風祭駅(箱根登山鉄道)みたいだ。
駅前の細い道路は、両方向とも車が途切れない。

さてここから北へ歩いて、次のゲーセンを探そう。
東海道線を渡って、新幹線の高架をくぐる。車が多くて歩きづらい。

国道1号線のロードサイドに、
ゲームアップル清水長崎店があった。

1階にプライズ、プリクラ、音ゲー、レース、オンライン、2階にメダル、
3階にビデオゲームとオンライン。ビデオゲームは鉄拳6をはじめ、対戦格闘が多いが、
『ボンバーマンワールド』があったのでプレイ。9面クリアーした。
1プレイ¥50なので、(ゲーム路銀 ¥8,855+¥400=¥9,255

午後6時9分の電車で草薙へ戻る。(ゲーム路銀 ¥9,255-¥120=¥9,135
車内アナウンスでは、草薙の「さなぎ」を平板に読まず、
「さ」にのみアクセントを置いていた。
11分着。


草薙

JRの駅に向かう途中で左折し、西へ歩いていく。
短い地下道で東海道線をくぐり、そのまま新幹線の高架もくぐる。
夕方になって日差しはなくなったが、まだちょっと暑い。足が疲れてきた。
鼻水も完全にはおさまらず、まだ油断してたらたれてくる。
国道1号に出たら再び西へ。高い所にボウリングのピンが見えて、ほっとする。

プラザアピア静岡。
ボウリング、パチンコ、パチスロ、
カラオケ、ビリヤード、ダーツ、
そしてゲームがあるようだ。

1階にパチンコ、パチスロ。2階にゲーム(「スーパーウェーブ」)、カラオケ。
3階にボウリング。
エスカレーター周りの豪華さに圧倒される。華美ではないが、とにかく広い。
天井に描かれた星空に吸い込まれるように、2階へと上がっていく。

2階のフロアーもまた広かった。見通しがきくのでより広く感じられる。
プライズ、プリクラ、オンライン(麻雀、戦場の絆など)、メダル、
音ゲー、ガンシューティング、レース、さらにキッズ向け筐体。
ビデオゲームはガンダム、バーチャファイター5Rが中心。
ほかにテトリスや、怒首領蜂大往生など。
ここでもまた『ボンバーマンワールド』をプレイする。2プレイ¥100で、
4面クリアーと9面クリアー。(ゲーム路銀 ¥9,135+¥550=¥9,685

すっかり暗くなった道を戻る。JR草薙駅到着7時29分。
今日はここまでにしよう。7時36分の電車で、宿泊先の静岡まで戻ることにする。
ホームで待つ間、向かいのホームの背後の高架を、新幹線が通過するのが見えた。

現在のゲーム路銀
¥9,685

今回のルート
1.エスパルスドリームプラザ 2.清水次郎長の船宿・末廣
3.フェルケール博物館 4.清水次郎長生家 5.梅蔭寺
6.清水総合運動場 7.清水船越堤公園 8.龍華寺
9.日本平運動公園・アウトソーシングスタジアム日本平
10.三保の松原・羽衣の松 11.御穂神社
12.清水灯台・三保飛行場
14.東海大学海洋科学博物館・自然史博物館
15.久能山東照宮 16.日本平展望台 17.有度山
18.すんぷ夢ひろば 19.草薙神社 20.静岡県立美術館
21.舞台芸術公園 22.日本平動物園 23.日本平PA
24.草薙総合運動場・草薙球場 25.バンダイホビーセンター
26.グランシップ 27.タミヤサーキット 28.静岡競輪場

静岡観光コンベンション協会(静岡市・焼津市・藤枝市・島田市)
富士山観光交流ビューロー  ハローナビしずおか(静岡県)
JR東海  静岡鉄道
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 125.静岡編(11)」は、
東静岡のおもちゃと、登呂遺跡の歴史。
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