ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

207.奥の細道ゴール地点
〜岐阜編(4)〜


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレー¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレー¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥2,590




岐阜

2015年11月27日。4時就寝9時起床。
ただし8時に一度目が覚めて、そこからなかなか寝つけなかったので、
睡眠時間は正味4時間ない。2日連続こんな感じで大丈夫だろうか?

急きょ仕事でメールを出す必要が生じたので、チェックアウトは11時ぎりぎり。

よく晴れてるけど寒い。JR岐阜駅へ。
以前行ったことがある、
奥美濃古地鶏の店で親子丼を食べる。

11時50分発の快速・大垣行きに乗ろう。313系6両編成。クロスシート。
発車。市街地の中の高架を進む。左右とも遠くに山。左に変電所が見える。
西岐阜駅のあたりで地平に下りた。
西岐阜からさらに先へ。左にコンテナが並ぶ。岐阜貨物ターミナルだ。
周りは依然住宅地だが、農地も少しずつ増えてきた。

また高架になった。
長良川を渡って、瑞穂市に入る。

穂積駅。ミズホ市のホヅミ駅なので、一瞬どっちがどっちだったかわからなくなる。
ゲーセンがあるらしいけど、駅からやや遠いようなので、通過しますごめんなさい。

築堤を進む。木曽三川に比べればやや細い川を2本渡る(五六川、犀川)。
田圃の中を通って揖斐川へ。

右手に鉄橋が2本並んでいる。
白い橋は、重要文化財の旧揖斐川橋梁。
その向こうに小さく見えるのは樽見鉄道。
こちらは御殿場線から転用された橋。
2本とも明治時代に造られた橋だ。

揖斐川を渡ると大垣市。だんだん建物が多くなる。
左にソフトピアジャパンの、2本のツノが生えたような特徴的外観のビルが見える。
地平に下りる。左にイオンタウン大垣。


〜西岐阜〜穂積〜
大垣

12時2分、終点・大垣駅に到着した。
ゲーム路銀 ¥2,590-¥240=¥2,350

向かいのホームに
樽見鉄道の列車が止まっている。

樽見鉄道の終点の樽見駅は、
日本三大桜の一つ、
淡墨桜(うすずみざくら)の最寄り駅。
この写真は2014年の春に撮ったもの。
満開の桜が本当に見事だった。

大垣駅の改札を出た。
切符売り場の上に、モニュメント「語らい」。

荷物をロッカーへ入れようと思ったがロッカーが埋まってる。
この駅はロッカーが少ないんだった。以前来たときにそれで困ったのをすっかり忘れてた。
幸い、今日泊まる予定のホテルで預かってもらうことができた。

JR大垣駅は、
アピオという駅ビルになっている。
樽見鉄道はもと国鉄樽見線なので、
同じ駅舎を使っている。

大垣にはほかに、養老鉄道という私鉄も通る。
こちらはもと近鉄の路線。

えんじ色の電車が止まっていた。
桑名駅でも見た車両だ。

養老鉄道は、桑名から大垣を経由して揖斐駅に至る。

桑名と大垣の間にある養老は、
滝の水が酒に変わったという伝説で知られる
養老の滝の最寄り駅。

最寄り駅とはいっても、駅から滝までは上り坂が延々と続く。
私は2014年の春先に行ったことがあるが、心臓がきつくなって死ぬかと思った。

坂のふもとには、歩いて楽しむ巨大アート、「養老天命反転地」がある。
滝へ行った際、帰りに立ち寄る予定だったが、体調的にも時間的にも無理だった。
また、養老ランドという素朴な遊園地もある。

養老の滝・養老公園

養老天命反転地

養老ランド

大垣駅前には、駅の歴史を説明する案内板が立っている。
その中で、鉄道唱歌の35番、大垣が出てくる箇所も書かれているのだが……。
父やしなひし養老の滝は今なほ大垣を
三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに

と、大垣ではなく養老のことが歌われている。

駅前に立つ時計塔「水都タワー」。
大垣は湧き水が多く、
「水の都」と称されているらしい。

さて続いては、そんな水の都を象徴する場所へ向かおう。
駅前通りを南下。風が強い。

駅前通りと水門(すいもん)川が交差する
新大橋。

ここから右に折れて、そのまま川沿いに進む。

川沿いの紅葉。

緑の藻が水に揺らめいている。
落ち葉がゆっくりと流れていく。

歩道のところどころに、松尾芭蕉の「おくのほそ道」に出てくる句の句碑が建つ。

ゴールデンウィークのあたりと、紅葉の時期の休日には、
たらい舟に乗ってこの川を川下りできるらしい(今日は平日なので営業してない)。
たらい舟の川下りは、「おあむ物語」のエピソードに基づく。

石田三成の家臣・山田去暦は、関ヶ原の戦いの際、
三成が居城としていた大垣城を守っていたが、城は東軍に包囲された。
去暦はかつて家康とゆかりがあったので、
東軍から矢文で「城から逃げたら見逃す」と呼びかけられる。
それに応じて家族とともに、たらいに乗って、城の堀(現在の水門川)から脱出した。

去暦の娘おあむが、後年この大垣城での出来事や脱出の状況を語っており、
これが江戸時代に「おあむ物語」として出版され、広く知られるようになったそうだ。

水門川沿いを歩いていたら、急に天気雨が降ってきた。傘はホテルに置いてきた。
藤棚があったので雨宿りしようとしたが、あまり雨を防げない。

八幡神社という神社が建っていたので参拝。
境内に井戸があり、湧き水が出ていた。人々が水を汲みに集まっている。
参拝中に雨がやんだので、再び川沿いに歩く。
ちょうどこの神社のあたりで、川は西向きから南向きに変わる。

小学校の前のイチョウがきれい。

神社の田んぼを守っていたお地蔵さんを拝む。

鮮やかな赤色の葉っぱ。モミジバフウか。
実がオーナメントのようにぶらさがっている。

また雨が降り出した。

川がクランク状になっている場所に来た。
「四季の広場」というらしい。
滝が流れている。

対岸は岩場。岩の間に細い滝。

小舟が係留されていた。

ここの水も透き通っていて、
水底の藻がよく見える。

雨が本降りになる中、
「奥の細道むすびの地記念館」に到着した。
松尾芭蕉の奥の細道は、大垣から舟に乗って
伊勢神宮を目指すところで終わっている。

展示室の「芭蕉館」へ(芭蕉館・先賢館の入館料¥300)。
まずは、午後1時42分からAVシアターで始まる映像展示を見る。
3Dメガネを使った立体映像。

15分ほどの映像が5種類あるのだが、私の見た回は
「奥の細道 歌枕の道行き 奥州路を辿る」。
俳人の黛まどかさんが芭蕉の足跡をたどって、奥の細道を解説する。
壺の碑(いしぶみ)松島平泉
久しぶりにまた行きたくなった。

私が11年前に松島を訪れたときは、あまりの景色の良さに感動して、
「新幹線使えばすぐ来られるからまた来よう」と思った。
それから11年間行ってない……。

常設展示室へ。「おくのほそ道」本文を掲示し、いくつかの箇所について解説。
芭蕉の旅は、古人が歌に詠んだ「歌枕」を巡る旅だった。
文中にも、日本や中国のさまざまな本からの、引用やオマージュがみられる。
(「国破れて山河あり」等)

同行した曾良の旅日記と照らし合わせると、
「おくのほそ道」に書かれたエピソードの中には、創作も含まれていたことがわかる。
(平泉・中尊寺の経堂について記述があるが、実際は中を見ていない等)

「おくのほそ道」には書かれた時期の異なる4種類の原本があり、
訂正・推敲して少しずつ表現が変わっているのがわかる。
(タイトルも最終的に「おくのほそ道」となるが、
 原本でも写本でも表記がやや異なるものがある)
また内容も、よりドラマチックな形に変えられている。
「おくのほそ道」は、実話をもとに一部創作を加えて作られた、文学作品だったのだ。

奥の細道むすびの地記念館

「おくのほそ道」に松島を詠んだ句がないことはよく知られているが、
実際には芭蕉は「嶋々や千々にくだきて夏の海」という句を詠んでいる。
しかし、おくのほそ道には載せなかった。

展示室に、江戸の芭蕉庵、松島、大垣などの、小さいながらよくできたジオラマがある。

芭蕉は大垣を計4回訪れているという。大垣には芭蕉の友人・谷木因がいた。
「野ざらし紀行」の旅で訪れたのが最初で、2回目は「笈の小文」「更科紀行」の旅。
「おくのほそ道」で訪れたのは3回目だった。

「おくのほそ道」は、芭蕉が門人たちと別れて、舟で伊勢を目指し、
「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」
という句を詠んだところで終わっている。
芭蕉が舟に乗った所は、この記念館のすぐそばにある船町川湊。
水門川から揖斐川に出て、伊勢神宮の式年遷宮を見に行った。
(この句はその行程の途中、伊勢長島で詠まれたものだそうだ)

芭蕉はこの旅をきっかけに、「不易流行」の考えを持つことになったという。

私も旅の中で何度か、古くからあるものと、後の時代につくられたもの、
さらにごく最近つくられたものが、同じ所に存在する様子をよく目にして、
「一つの場所で歴史が重層的に見られて面白いなあ」と、何となく思っていた。

芭蕉はそういう感覚を、「不易流行」という言葉で明快に表現。
そしてこの考えを俳句にも生かし、
「俳句にも変わらないものと変わるもの両方必要」という考えに至った。

やっぱり、旅に出たら、その中で感じたことを、
自分の作品とか人生とかに生かして、成長しなきゃな、と反省した。

奥の細道むすびの地記念館

「先賢館」では、大垣ゆかりの5人の人物を紹介。
美濃に西洋医学をもたらした江馬蘭斎。
幕末に植物学者として活躍した飯沼慾斎。
蘭斎の娘で漢詩人・書画家の江馬細香。
漢詩人で、幕末、勤王の志士たちに影響を与えた梁川星巌。
そして藩の方針を勤王に統一した小原鉄心。

中庭に、小原鉄心の別荘
「無何有荘 大醒しゃ」
(むかゆうそう たいせいしゃ)
が移築されていた。
(「しゃ」は木へんに射)

売店でストラップとキーホルダーを買った。
ストラップは「おあむちゃん」。
関ヶ原の戦いの時、大垣城からの脱出に成功した、おあむをモデルにしたキャラクター。

キーホルダーは「大垣きゅん物語」。
私もここへ来て初めて知ったが、大垣を舞台にした萌えキャラのプロジェクトだそうだ。
ドラマCDも発売されている。
登場人物の苗字が、大垣市内の各町名になっている。
ゆるキャラも萌えキャラもいる大垣市
「大垣きゅん物語」では、四季の広場に架かる橋の上にある、
ハーピアンという楽器が重要な役割を果たすらしい。
そういえばさっき、橋の上にそんなようなものがあった気がするが、
その橋を渡ってないので、近くで見ていなかった。

奥の細道むすびの地記念館

大垣市公式サイト

大垣きゅん物語

外へ出た。ほぼ快晴に見えるのだが、まだぽつりぽつりと弱い雨が落ちている。

船町川湊に建つ、松尾芭蕉と谷木因の像。

芭蕉と木因の句碑。
手前が芭蕉の句碑「蛤塚」。
「蛤のふたみに別れ行秋ぞ」と刻まれている。
奥が木因の白桜塚。刻まれている句は、
「惜むひげ剃たり窓に夏木立」らしい。
(どちらの字もよく読めない)

かつて舟着き場だった所に、
当時の舟が再現され、川に浮かんでいる。

そして、高さ8メートルの住吉燈台。
1840年(天保11年)に建てられた、
船町川湊のシンボル的存在。

岸から灯台を見上げる。
現在の灯台は1887年(明治20年)の再建。
川船は明治期以降も健在で、
昭和の初めまでは蒸気船も走っていたらしい。

まだ紅葉していないモミジの下で、この文章の下書きを書くため雨宿り。
天気雨なのにずいぶん長く降っている。

灯台の前の細い道沿いに、
町屋造りの家屋が並ぶ。

以前BS朝日の「鉄道・絶景の旅」で見たお店でごはんを食べようと思ったが、
ランチのみの営業で、午後3時に閉店していた。

船町中組常夜燈。もともとは谷木因が建てたもの。
何度か作り変えられたが、
形は変わっていないそうだ。
現在のものは1887年(明治20年)造。

町屋に明治の洋風建築を
継ぎ足したような建物もあった。

町屋の並ぶ城下町といえば、犬山を思い出す。
犬山の本町通りを訪れたときも天気雨だった。というかあのときは天気雪だった。

駅まで戻ろう。やっと雨がやんだ。
水門川の東岸は、
さまざまな植物の生えた散策路。

飯沼慾斎の家があった場所を通る。近くに、薬草の植えられた小さな公園があった。
美濃路を通り、南大手門跡からまっすぐ北へ。
このあたりに、大垣市守屋多々志美術館があるらしい。
今回は時間の都合で立ち寄らないが、
大垣市出身の日本画家、守屋多々志氏の作品が展示されている。

大垣市守屋多々志美術館

さらに北へ進むと、大垣城が見えた。

入場は午後4時30分まで。現在、4時39分。閉まっていた。
明日また来よう。
朝、メール対応に追われてなければ、今日じゅうに入れたのだが。

大垣城

午後5時ちょうど、ホテルにチェックイン。
少し休憩して、6時に再び外へ出た。
今日もショッピングモールにあるゲーセンを2店舗回ろう。

まず、イオンタウン大垣へ。
大垣駅からソフトピアジャパン行きのバスに乗れば行けるようだが、運賃が¥170かかる。
無料バスもあるらしいけど、30分に1本。ちょっと時間が合わなかった。
歩いて行こう。

駅前通りを南に進み、新大橋から東へ。水門川に沿って歩く。
川は途中で北へ折れるが、私はそのままひたすら東へ東へ。
午後6時27分、イオンタウン大垣に到着した。

コの字型に建物が並んでいる。
東棟にはマックスバリュ。

西棟には西松屋、スポーツオーソリティ、
ファニチャードームなどがある。

東棟のフードコートの脇に、ゲームコーナーがあった。
プライズ、キッズ向けトレカゲーム(ドラゴンボールヒーローズ、オトカドールなど)。
プリクラも1台ある。太鼓の達人も。
近くにもっと大きな店舗があるはずなので、ここではプレイしない。

お腹が空いたので、マクドナルドで軽くチーズバーガーを食べる。
これから行くお店で晩ごはんを食べるつもりだが、それまで我慢できなかった。

北側、コの字の縦棒にあたる位置に、
大垣コロナワールドがあった。

映画(4DXあり)、パチンコ、カラオケ、温泉、ボウリング、まんが喫茶、食事処。
そしてゲームセンター「大垣メトロポリス」。

自販機でWONDA金の微糖を買って飲みながら店内を見て回る。
まずプライズ。「ねこあつめ」のまんぞくさんのぬいぐるみがある。
次にプリクラ。音ゲーもかなりある。

キッズ向けトレカゲーム(ドラゴンボールヒーローズ、モンスターハンタースピリッツ、
妖怪ウォッチともだちウキウキペディアなど)。
レース、バスケ、エアホッケー、太鼓の達人、
スター・ウォーズ:バトルポッド、ダークエスケープ3D。

2階もあった。メダル、対戦麻雀、
通信対戦もの(クイズマジックアカデミー、ボーダーブレイク、戦国大戦)。

1階に戻って、「太鼓の達人」をプレイ。¥100で3曲プレイできる。
紅白出場歌手しばりにしてみた。
「さちさちにしてあげる」「ヘビーローテーション」「女々しくて」をプレイしてクリア。
ゲーム路銀 ¥2,350-¥100+¥300=¥2,550

帰りは無料バスに乗ることにした。コロナワールドの施設をどれか利用すれば乗車可能。
チケットが必要なので、メトロポリスのカウンターで発行してもらう。
午後7時45分のバスに乗り、イオンタウンを後にした。
来るとき歩いたのと全く同じルートを通って、大垣駅着7時52分。
乗車時間わずか7分。いやあ、バスって楽。

さてもう1店舗。駅の中を通って北口へ。

アクアブリッジという連絡橋を渡って、
アクアウォーク大垣にやってきた。

入ってすぐの所に、セガワールド アクアウォーク大垣がある。
アンバサを買って飲みながら店内を見て回る。
やはりプライズとメダルが中心で、ほかに音ゲー、レース、プリクラ、キッズ向け。
さらにバスケ、エアホッケー、ガンシューティング。
大きなモビルスーツののりもの(機動歩兵K-021アレス)や、
ルイージマンション アーケード、え〜でる すなば プラスもあった。

太鼓の達人は3台。うち1台は「太鼓の達人14」。
以前訪れた上小田井mozoワンダーシティのセガワールドでも、3台中1台が「14」だったが、
そのときは「14」だけ3曲¥100設定だったので、ここでも「14」をプレイしてみる。

せっかくだから、最新版に入ってなさそうな曲を選択。
バロックホウダウン(エレクトリカルパレード)、ヤッターマンの歌、羞恥心。
無事3曲ともクリアしたが、
「羞恥心」は前半どんな曲だったかすっかり忘れてて、危なかった。

最新版の方もプレイ。こっちも3曲¥100設定だった。
ここでも紅白出場歌手しばりでいこう。
じょいふる、Follow Me、ポリリズム。こちらも無事クリアできた。
ゲーム路銀 ¥2,550-¥200+¥600=¥2,950

アクアウォークの反対側の端、アピタ大垣店の隅に、
「キッズスマイルパーク ニコパ」というゲームコーナーがある。
プライズ、のりもの、キッズ向け、太鼓の達人。
ボールプールなどのプレイスペースもあった。

フードコートで、みそかつ丼を食べる。もう午後9時近い。
フードコートの閉店時間は9時30分。
しかもラストオーダーは9時だったようだ。危ないとこだった。
館内に「蛍の光」が流れる中で、こころもち急いでみそかつ丼を食べた。

アクアウォークを出て、ホテルに到着したのは9時45分頃。
ネットで今日と明日のルートを調べたり、ツイッターを見たり、
次に泊まるホテルを予約したり、
BS12の「伊集院光のてれび」を見たりしてたら午前3時を過ぎた。
明日は7時半起き。

現在のゲーム路銀
¥2,950

今回のルート




大垣観光協会  岐阜県観光連盟
JR東海  樽見鉄道  養老鉄道  名古屋鉄道

次回、「日本縦断ゲーセン紀行 208.岐阜編(5)」では、
東海道線の終点(?)、そして関ヶ原へ。
「日本縦断ゲーセン紀行 206.岐阜編(3)」に戻る


「ゲイムマンのダイスステーション」タイトルページに戻る
「ゲイムマンの日本縦断紀行」ブログに戻る
「ゲーム脳」徹底検証シリーズ
※これより外部リンク ダイスステーション トップページ